労役苦役に益はなし(Bパート)
帝都南部、アケガワ・ストリート。
帝国成立時に、国父であり神聖皇帝となったアケガワ・ケイの名前を冠した、言わば帝都一の目抜き通りである。中央区行政府──つまりは、皇帝の居城であった地区から、南側城門まで一直線に続いている。この通りには、言わば景気の良い企業の事務所や、店舗型の商店が並び、こちらに店や会社を開業するのは、商人にとって一種のステイタスとなっている。
「期限まで後二週間か。城塞の解体は間違いなく進むのだろうな」
そんな帝都の大通りに面した場所にビルを構えるのが、タグロフ解体だ。帝国の建国後、統一的な保険制度が導入され、特権的なギルドは姿を消していった。タグロフ解体はそんな時代を反映したように、建築系ギルドから流れを汲む会社であり、イヴァンでは珍しい、建築物の解体のみを請け負う会社である。
だがそこには古い慣習も存在している。即ち、役人や貴族といった権力者をバックにするのは、会社が生き残るため当然の戦略であった。
行政府帝都開発計画局の事務局長──テオドア・セルゲイは、国政に携わるものから明日の食い扶持に困るものまで様々いる帝国貴族の中でも、帝国貴族二十家に数え上げられる名門の当主の一人だ。
貴族は金がかかる。なぜか?
それは、皇帝が死んだ──もっとも、帝国はその事実を敢えてあまり口に出さぬようにしている──からだ。
現在、帝国宰相だったアルメイ・ポルフォニカという女が、暫定的に帝国総代という役職を務め、目に見えて綻びは無い。
だが、王のいない国などいつか滅ぶ。
確かにこの帝国に外敵はいない。将来的には、竜騎士団の持つドラゴンの調教技術によって、人や物資を空路で効率よく運べるようになり、そのときに初めて外大陸との交易が始まるだろう。今は総代とやらで良いかもしれない。
ただそれが長く続くとは思っていない。誰かが王として君臨し、民草を導く必要がある。
他の帝国貴族の中には、先の内戦時にいち早くアルメイの元に馳せ参じた六家を筆頭六家と呼び、一目置く風潮があるが、それは体のいい帝国の私物化になりかねない。
テオドアはそうした向きを懸念していた。だからこそ、金がいるのだ。自らが王になろうと願うのは野蛮な考え方だ。然るべき血統の王を立て、その補佐をする。キングスメーカーになれば、相応の欲を満たすことができる。しかもそれは帝国のためになる。
タグロフ解体との企みの目的には、その資金稼ぎと、もう一つあった。
「ええ。お嬢様は素晴らしい才能の持ち主です。それにしてもセルゲイ卿、あれほどの力をお持ちなのですから、いっそのこと一気にやってしまってもいいのでは?」
シミひとつない作業着であった。ロマンスグレイの髪を撫で付け、両指先をせわしなく合わせていじっている。社長のタグロフは気の小さい男だ。だが権威には弱い。そういう人間ほど、権力者の後ろ盾を得ると、気が大きくなる。テオドアにとって、扱いやすい人間であった。
「愚かな事を申すな。……確かに、あれが本気を出せば城塞ごと作業員を吹き飛ばせよう。だがそれでは不自然にすぎるし、あれの経過にも良くない。人殺しを当然だと思ってもらっても困るのだ。一応血の繋がった娘ゆえな」
グラフィア・セルゲイは、テオドアの次女であり、軍人である。二国間の内戦時には、魔国の魔導工作連隊に所属し、工兵として破壊活動に従事した。女だてらに小隊長を務め、騎士のような名誉は得られなかったが、国のために働いた。
テオドアにとっては、望まぬ従軍であった。貴族の娘ともなれば、他の貴族の子弟と縁組し、家の力を強めるのが当たり前の生き方だ。もちろん、それ一辺倒が良いとは言わぬが、自分の娘なのだから、という考えもあった。
彼女の使う炎系の魔法──その応用でもある、爆発魔法は強力だ。それは、ともすれば自らを焼いてしまうほどだった。
グラフィアはとある作戦の最中、実際にそれをやってしまった。
進軍中の事故だった。たったそれだけのことで、鼻より上の皮膚という皮膚を全て焼いてしまった。美しかったグリーンの瞳は白く濁り、ブロンドの髪は雑草を引き抜いた様に焼け、抜けてしまった。
若く未来があった彼女は、正気を失った。哀れな娘だ。だからこそ、親としてそれなりのことをやってやらねばならない。
「娘はどうなっても可愛いのだ。どうなってもな」
「心配が尽きぬものですな。いかがいたしましょう、計画の進捗もあります。一度お呼びして再度お話をしておいては? 後顧の憂いがないほうがよろしいでしょう」
「それもそうだな。連絡はいつもの通りお前に任せる……それより、新聞社への根回しを忘れるなよ。補助金の受給はうまくいっているのだ。最後の最後、お前のいうとおり全てを吹き飛ばすような『事故』を起こせても、同情を買えねば意味がないからな……」
自由市場ヘイヴンは、日の売り上げの数パーセントを納めれば、身分を問わず店を出すことができる経済特区である。もちろん、儲かっている店ばかりではない上、近くに南西地区のスラム街があるためとにかく治安が悪い。憲兵官吏のマヤは、この辺りを任されている。
「おっせーよ、お前ドモン! ばっかじゃねぇの、お前! 暇じゃねんだよ、俺は!」
マヤは開口一番そう怒鳴り、苛立ったように短髪をガリガリと掻いた。改めて見ると、なんともさえない風貌である。皺々のジャケットを肩にかけ、袖すら通していない。剣と一緒に長パイプを腰に差して、役人というよりはチンピラである。
「すいません……そのう、遅れてしまって」
ドモンはマヤに申し訳なさそうに謝った。そこは素直だった。マヤは気分屋だ。非があるなしに関わらず、とりあえず謝っておくに越したことはない。なにより今日は、普段何もしてくれない彼が、見回りの極意を教えるとかで多少張り切っていた。そのやる気をくじく必要はないだろう。
「わかりゃいんだよ。……じゃ、見回り始めるか。いいか、ドモン。まずは俺のやり方を見ておけよ」
「はい。……あのう、僕はどんなことに気をつけたら? 例えば、暴漢がいないかどうかよく回りを見るとか」
「んな面倒なこといちいち見てられますかってんだよな。いいから、俺のやり方見とけ。ああ、あと」
「あと?」
もしかしたら、見回りについての心構えでも教えてくれるのか。マヤの話を聴き漏らさぬように、心なしかずいと彼に近づく。
「俺のやり方に文句はつけんなよ。俺、そういうの一番嫌いだから」
ヘイヴンの店は、納める税金の額にもよるが、極端な話ござを一枚引いて商品を乗っければ成立してしまう。
本や薬品などといった許可制の代物や、どこで誰が手に入れたのやらわからない商品まで、様々並ぶ。早い話が、どんな怪しい店でも税金さえ納めていれば認められてしまうのだ。もちろん、それを防ぐために憲兵官吏が存在するのは言うまでもない。
「おう。何、やってるじゃないの」
マヤは笑みを見せながら、小さな露天の本屋の主に話しかけた。一瞬、あからさまに嫌そうな顔がドモンには見えたような気がしたが、すぐに商売用の顔に切り替わった。
「これはマヤの旦那。今日はお連れ様も一緒で?」
「ま、俺も人を教える立場になったわけだな。どうだい、商売は?」
「おかげさまでなんとか食っていけます」
マヤは不意に商品の本を取ると、ペラペラとページをめくった。一番最後のページまでそうしてめくった後、勢いよく閉じながら言った。
「お前んとこさあ。いつになったら行政府の検閲通すんだよ? 印がねえぞ」
本の出版は許可制である。それを取り扱う本屋もまた、検閲印が押していないものを売るのはご法度である。マヤはいきなり核心を突いた。主にとっても痛いところだったらしく、笑顔を崩しながら商品棚の裏へ回ると、何やら小さい包みを出してきた。それも無言である。
マヤはそれをひったくるように取ると、再び同じ本をめくりながら笑みを見せた。
「なんだよ、印押してあんじゃねえか。検閲印は薄くていけねえな。な? ドモン」
マヤはひととおりの見回りを終えたらしく、ヘイヴンから少し外れた路地裏の暗がりに入ると、早速ポケットの中──各店舗からかき集めたもの──を、捨てられた樽の上に広げ始めた。
「さっきのは一体なんです?」
彼は先ほどの様な、店への恐喝と捉えられてもおかしくないような行為を、なんども繰り返した。慣れたようなもので、緊張もない。さも当然のようにするのだ。ドモンにとってさらに理解できなかったのは、そうした行為をみているはずの他の商人たちや、そもそもマヤから難癖つけられている当人たちも何も言わないことだった。
「いちいち説明しなきゃわかんねえの? 牽制だよ。ほれ、お前にもやる」
マヤは包みを一つドモンの手の中にねじ込んだ。他の紙の包みや皮の袋を開くと、多いところで銀貨が数枚入っていた。銀貨一枚あれば、レストランは無理でも大衆食堂で一食たらふく食える。五枚あれば、色街──帝都北西部にある歓楽街──で、女が買える。ドモンの給与は金貨二枚。その半月分ほどを、見回りの際に貰える付け届けで稼いでしまったのだ。
「い、いりませんよ……。それより牽制ってのは、一体……」
「お前、なんもしらねえのな。確か実家は帝国の端っこだっけ? 田舎モンって言い方はしたくねえけど、もっと勉強しろよ。いいか、俺たちが見回りするだろ。きちっと仕事してるってところを見せるとだな、周りの連中がシャキッとするんだ。店としても悪いことばかりじゃねえ。さっきの本屋はな、一番付け届けが多いんだ。困ったことがあったら絶対に聞いてやってる。御用聞きみたいなもんだ。そうすると、わりいやつらは悪さがしにくくなる。周りの連中も、マヤの旦那が回ってくれるってんで安心して商売ができる」
「しかし、本屋さんは本当に検閲逃れしてましたよ」
マヤは広げていた金から視線を外し、はあ、とため息をついた。そして、ドモンの胸ぐらを掴むと、そのままドモンを背中から壁に押し付けた。
「じゃあ、お前さっきの八百屋が質の悪いりんご入れてるからってしょっぴくのか。銀貨を三枚も包みやがった道具屋、ありゃ盗品を捌いてるぜ。あ? お前、世の中の悪人を大小構わず全員ぶち込むのか? んなことできんのかよ!」
マヤの暗い瞳が、ドモンを睨め付けていた。首が締まる。苦しい。それでもドモンは心の中で反論した。そんなことは間違っている。憲兵官吏の使命は治安維持と法律の遵守だ──。ただ、口からは何も出なかった。
ドモンは人を殺した。それも、世の中が良くなるだろうと信じて殺した。
そうしたにもかかわらず、マヤのような小悪党はいなくならないのだ──。その事実が、ドモンから発言の機会を奪い去ってしまった。
「なあ、ドモン」
マヤは彼の胸ぐらを掴むのをやめ、腰に差した長パイプを取り出すと、刻みたばこを入れて、携帯火種──簡易術式が仕込まれた、魔法技術のない人間でも扱える、携帯用の火種だ──で火を点けた。
「あのな、世の中にはよ。四種類の人間がいるんだ。金があって偉いやつ。金が無いけど偉いやつ。金があっても偉くないやつ。で、金もないし偉くも無いやつだ。……お前、どれになりたいんだ?」
ドモンは答えなかった。マヤが押し付けた銀貨が、地面の上で輝いていた。
「俺は一番最初だ。金もあって偉いやつになりてえ。憲兵官吏はな、見回りの時だけ金がなくても偉いやつになれる。それ以外の時はクソみてえなもんだ。だから金を取るんだよ。それもやめちまったら、金もないし偉くもねえ役人様だ。そんな奴の言うこと、誰が聞くもんかね」
彼は口にパイプを咥えたまま、銀貨を集めて懐のポケットに詰めると、地面に落ちていた銀貨を拾い上げて、ドモンの目の前に差し出した。
「取れよ」
ドモンはしばらく目を逸らしていたが、それ以上どうにもならぬと感じ──金を取った。所詮もう手を汚した身だ。それに、マヤの言うことも一理ある。
「お前も、立派なお仲間だ。憲兵官吏の鑑だよ」
マヤはにい、と嫌味ったらしく笑うと、ドモンを引っ張り立たせた。すうっと胸のつかえが取れたようだった。初めて断罪をした時も、同じような気分だったのを覚えている。
「メシでも行こうぜ。いいとこ知ってんだ」
夕方。
赤い日が傾き始め、仕事を終えた人々が家路を急ぎ始める頃。
ヘイヴンの外れに、帝国建国前から憩いの場として存在する噴水がある。競合していなければ旅芸人や大道芸人が芸を披露しても良いとされているので、余裕がない時のエルはここで噴水の縁に腰掛け、ギターを引いている。
本来、彼が持っているギターは指で充分弦を弾くことができるが、彼はピックと指を同時に使っている。
ギター奏者は少ない。この楽器自体、彼が昔から使っている特注品だ。だから、物珍しさでいえばなかなかのもののはず、なのだ。
しかし、目の前に口を開けたギターケースの中は空っぽだ。情熱的なギター・ソロが、人気と金を運ぶ予定だったのに、どうにもうまくゆかぬ。
「ちえっ、なんだよ……これじゃスープも飲めやしねえ」
ふと顔をあげてギターを仕舞おうとした矢先のことであった。
黒いレースで顔を覆い、これまた同じようなゆったりのした黒いローブで身を包んだ女──体のラインがかろうじて判明する程度だが──が、同じくらいの背丈の女に手を引かれながら、杖をついて歩いていた。
身なりの良い女であった。金色の流れるような髪をきれいに編み込み結い上げていた。軽装の薄青のドレスであったが、その所作は洗練されていて、その育ちの良さを感じさせる美人であった。
縁のねえような女だな。
エルが考えたのはその程度のことであった。イオほどではないにしろ、女に困ることはない。
「兄さんも目をつけたみてェだな」
不意に隣に座っている男が話しかけてきたと思ったら、イオであった。肩に信者募集の看板を置いて、いつのまにやら立膝で二人組の女をじいっと見ているのだ。
「いい女だよなァ。貴族の、それも帝国貴族二十家のご息女だ。グゼル・セルゲイ嬢ってんだよ」
「なんでそんな話知ってんだよ」
「女と話するとだな、やっかみの話だのなんだの、他人の話のネタには困んねェ。高貴な有名人で美人ともなりゃ、話に出すぎて覚えちまわぁ。相手は俺を知らなくても知り合いみてェなもんだ」
そう言いながらも、イオの視線はしっかりとグゼル嬢を追っていた。現金な野郎だ。エルは呆れたように、彼の視線の先を追った。黒いレースの女は足もあまり良くないのか、よたよたと足元が心もとない。ともかく、彼はいろいろ好き嫌いを言うが、根本的に女好きなのだ。
「あー、経験はある。俺は興味ねえから全部忘れちまうが」
「勿体ねェことするなァ、兄さん。金鉱脈を逃すようなもんだ。……へへへ、あの娘さんはな、婿を取って家を継がせるつもりなのはいいが、よりによってその婿殿、北の辺境の直轄領で勉強中なんだと。さぞかし夜が寂しいだろうねェ」
エルはまたしても呆れたようにため息をついた。初めて会った日から、この男は女の話ばかりしている。だいたいがこの男、元々イヴァンで神父見習いをしていたのに、一時期『ヤバいとこの女に手を出したから』旅に出ていたのだ。全く懲りない男だ。
「好きにしろい。またそれで痛い目にあっても……」
再び神父の方に顔を向けた時には、すでにその姿は無かった。エルはギターをしまいながら、弟分がまたやらかさないと良いのだが、と無駄な心配をするのだった。




