労役苦役に益はなし(Aパート)
「助けてくれーッ!」
苔むした、古い壁にすがりつくように、男は叫んだ。逃げ場などあるわけもなく、男には叫ぶくらいしか選択肢が残されていなかった。
帝都イヴァン郊外の南側に、とある城塞がある。大陸全土が戦場だったかつての大戦において、この城塞は敵の進軍を食い止めるための要害として使われていた。川側に街道を塞ぐように建設され、逆側は高い岩山。まさしく守りやすく攻めにくい要塞だったが、戦争が終わった今、無用の長物と化している。それどころか、進軍を防ぐために作られたことから、流通上の邪魔になってしまっているのだ。行政府としては放置しておけない。
そこで、いっそのことすべて崩して更地にしてしまえ、と、とある解体業者が工事に入ることとなった。通常ならばあり得ぬ選択である。人力で石造りの要塞を崩すとなれば、これはもう五年や十年では効かない。それでも、行政府はその業者を頼ったのだ。
なぜか。タネは簡単だ。解体業者の中の一人に、爆発魔法の使い手がいたからである。
「助ける? なぜ?」
まるで肉食獣のような口元を、女は獰猛に歪ませた。笑っていた。手には杖があり、目元は焼け爛れて、目は白く濁って光が失われていた。火傷は頭の半分ほどを覆い尽くし、僅かに残された白髪が、それ以前の毛量の豊かさと美しさを感じさせた。黒いローブで覆い隠された身体のほとんどが、火傷に覆われている。
「助け、ませんよう。だって、お、お、お前え! て、ってててて敵だろおお前ェェ! 邪魔邪魔邪魔邪魔しやがってよォォォォ!」
女が手をかざすと、地面に炎が奔り、男に向かって一直線に伸びたかと思うと──次の瞬間には、男は叫ぶ間も無く燃え上がった。まるでダンスを踊るように叫びながらくるくると回っていたが、やがて力尽き、その場に倒れ──巨大な炭と灰の山になって消えた。
「お、お、お前らはな……人質だよォ? い、いいい生きて帰りたかったらなァ……まじめにィ……作業を……引き延ばすんだよお。わ、わわわかったねェ。いい子だから……」
何がおかしいのか、口の端を痙攣させるようにえひえひと笑い、女は要塞の奥の自室へと去っていく。杖が石畳を叩く音が、『処刑』を見学させられた作業員たちの耳にこびりつく。彼らは奴隷で、人質で、資産であった。ケチがつけば、行政府から支給される危険作業に対する見舞金のために殺される運命にある。
「地獄だ、こんなところはよ……」
ハンマーで砕いた城塞の一部を持ち上げながら、誰かが言った。みな疲れ切っていた。
「でも、こんなことは終わりだ」
若い青年が、首にかけたタオルで顔を拭いながら言った。彼だけが、未だ希望と正気を保っていたのだった。
「金は『独眼』に届いた。俺たちは、生きて帰るぞ……」
よくとおる、落ち着いた高い声であった。
「それでは、皆さま。新聞を席の前にお出しください」
明るい部屋であった。長テーブルによく手入れされた木製の椅子が十数脚。その全てに、男女が座り、その時を待っている。同じタイミングで出された新聞は、一般的なそれとは異なり、全て同じページで組み合わせられた古新聞だ。組織お抱えの『ブン屋』が作成したものである。
「皆さま、同じ新聞をお持ちで欠席者はおりません。ではこれより、帝都社会学研究会を開催させていただきます」
薄いグリーン色のショートカット。モノトーン調のエプロンドレスを身につけ、ロングスカートを当てた足元にも、絹製の手袋で覆われた細い手にも、肌の出る隙間は無い。腰も腕も細く──目も細かった。貴族お抱えのメイドといった風貌であった。
「それでは。会長より、今回の新聞から気になる記事を読み上げていただきます」
会長。組織の構成員たちを見渡せる上座に座るは、この組織の長である女『独眼のリリア』であった。この会においては、単に会長とだけ呼ばれている。
しかしそれも建前だ。ひっつめた白髪に右目の眼帯、年齢を感じさせぬ肉体をスーツに包んだその姿。かつての義賊・独眼のリリアであることを疑うものはいない。彼女が本当は捕まっているはずだ、ということも。
言っていいことと言わなくて良いことがある。
彼女が牢の中に繋がれているはずだと騒ぎ立てるのは間違いなく後者であった。組織は一蓮托生である。裏切り者には死のみが与えられる。そして、それは後戻りのできない裏稼業に従事する彼らにとって、単純に不利益でしかなかった。
「イヴァン南部の城塞跡の解体を行っている、タグロフ解体という企業が、命を落とした作業員に支払われる見舞金のために、次々と彼らを殺している──という記事が気になるね」
「ありがとうございました。……今回の活動費は金貨30枚、論文の提出期限は一週間です」
メイドがそう述べるのへ、にわかに場がざわつき始める。活動費は、依頼人から支払われる報酬。論文の提出期限とは即ち、この依頼の最終期限だ。
組織は、生きていても仕方のないような悪党のみを、金を貰って始末している。この会は、そうした依頼を割り振るための会が、この帝都社会学研究会であった。
「一週間か……金はデケえが面倒かもな」
銀髪に無精髭、はだけたドレス・シャツから覗くたくましい胸板と胸毛。エルはじゃり、と髭を撫でながら思案していた。
「随分お悩みですね」
隣に座っていた、背が高い──エルも背が高いがそれでも見上げるほどだ──シスターが、微笑みながらそう言った。
「気に入らねえ話だから受けてえんだがな。見舞金をガメようなんてふてえ野郎だしよ」
イヴァンから離れている、というのはネックになりそうだ。彼の仲間には、イヴァン勤めの者もいる。しばらく思案を続けていたが、そのうち参加者達が立ち上がって新聞をメイドに渡し始めた。
この会で殺しを受ける者は、会長に手渡しで新聞を渡す必要がある。
「私も今回はやめておきます。……では」
シスターも立ち上がると、メイドに新聞を渡し、部屋を去っていった。後に残るのは、エルともう一人。食い詰め傭兵風の、髭を蓄えた男だけだ。
「会長。今回の話、お受けする」
「分かった。活動費と資料をブン屋に届けさせるからね、頼んだよ」
あっさりと決まってしまった。エルはちょうど決心を胸に席を立ち上がったところであった。やられた。二の足を踏んでしまった。
生きていても仕方のない悪党を、闇から闇へ葬り去る──そんな裏の稼業が存在する。『独眼の組織』は、そうした裏稼業に従事する人々の依頼を取りまとめ、配下の『断罪人』達へと割り振る。
しかし、そんな彼らとて、仕事が無いではどうにもならない。
「んじゃなんでェ、今回は取れなかったのかい、兄さん」
「なんです、少しはアテにしてたのに……」
イヴァン南西部、古びた教会の大聖堂。エルはふてくされたようにベンチに寝転がったまま、二人の男の口撃に耐えていたが──あっという間に限界が来てしまった。
「るせえやい! なんでえ黙って聞いてりゃグチグチとよ! 俺だって依頼が取りたかったんだよ、たりめえだろ。取れなかったんだから仕様がねえじゃねえか!」
黒髪と対になった様な、憲兵団所属を示す糊の効いたジャケットを羽織った男──ドモンが、呆れたようにため息をついた。
「まあそう言われちゃそうなんですけど。困りましたね、妹の学費貯金、今月厳しいんですよね……」
ドモンの妹は、帝都唯一の魔法の専門校である、帝国魔術師学校の卒業を間近に控えており、教職への道を目指している。
訳あって実家に頼れないので、現在学費をドモンがすべて請け負っているのだ。もちろんそれだけが理由では無いにしろ、このような裏稼業へ手をだそうとした理由でもある。
「るせえ! 坊、男が貯金だなんだ言ってんじゃねえ!」
「あのな、エルの兄さん。ドモンの旦那だってもろもろ入り用なんだよ。俺だってそうだよォ、今週はデートの予定ねェから、生活費のアテに……」
「おめえは女のケツばっか追いかけやがって、しかもゼニもらってよお。甲斐性ってもんがねえのか?」
「貴族だろうがなんだろうが、女に夢見せて小遣いもらうのが俺の甲斐性でねェ」
栗色の髪を後ろでまとめて、カソックコートを羽織り、胸には黄金色のロザリオを下げたこの教会の神父──イオは、自他共に認める女たらしのスケコマシだ。金を落とす信者が少ないこの教会で食べていくために、妙齢の女性と積極的にデートし、小遣いをもらっている。
ドモンとイオはお互いの顔を見合わせた。仕方ないことだ。普通に暮らして行くには稼ぎが少なすぎる。
断罪人という仕事は、許せぬ奴らを葬る社会責任を果たす行為であり──各々が抱える困窮を逃れる手段でもあるのだ。
「兄さんだって、今週はステージがねえって言ってたけど、大丈夫なんかよォ。俺も旦那も、助けてやれねェぜ」
「あーうるせえ。知らねえよ薄情な野郎共だなお前ら! とにかく今回は断罪なしだ! また話があったら来るよ、じゃあな!」
エルがギターケースを背負って、ふてくされるように去っていく背中を見ながら、残されたイオとドモンはまたもや顔を見合わせた。エルはとにかく気が短い。その上変なところで見栄っ張りで、こうと決めたら曲げないところがある。要はめんどくさい性格なのだ。
「断罪がとれない度にあんなんじゃ、困っちまいますね」
「あの性格さえなけりゃあなあ……ライブだって、気に入らねえ客がいたらぶん殴っちまったこともあるらしいぜェ。ま、ねェもんは仕方ねえやな」
ドモンはぽりぽりと頭を掻くと、仕方なしに教会を出ることにした。そろそろ昼休みが終わる。午後からは、先輩の憲兵官吏のマヤに付いて、教会の近くである自由市場・ヘイヴンの見回りをすることになっている。
「じゃ、エルさんの言葉を繰り返すわけじゃありませんけど、なんかあったら教えてくださいよ」
「おう。……仕方ねえ、俺も信者集めにでも行くか……」
信者集め。彼がそういう時は、大抵の場合言葉通りでない。即ち、彼に金を出してくれそうな女性を探しに行く、という意味も含まれている。
「信者にアテあるんですか?」
「へへへ……実はな、目ェつけてる貴族の奥さんがいるんだよ。俺の目に狂いはねェ。ま、楽しみにしててくれや」
「あんたが背中から串刺しにされるんなら楽しみですけど。ま、ほどほどにしといたほうがいいですよ」
「そいつは余計な世話だぜ、旦那」