- 6 -
「誰だ?」
ディードがアルから飛び退って、あたりに視線を走らせた。どうやら、私だけに聞こえた声じゃないらしい。アルも、驚いたような顔で動きを止めた。
気づくと、あれほど激しく降っていた雨が、やわらかい絹糸のように流れおちてきていた。
冷たさは感じない。肌をしっとりと濡らしていく、優しい雨。
―― あなたがそう願ってくれる日を、ずっと、ずっと、待っていたの ――
「……リシィ?」
アルの視線を追って空を見上げると、そこには白い光に包まれた女性が浮かんでいた。
その姿に、思わず息をのむ。知っている。あれは。
いつか見た肖像画そのままに、淡い光に包まれた美しい精霊。
音もなく、ゆっくりと彼女は私たちの上におりてくる。
―― 久しぶりね、アル ――
「ああ……」
放心したように呟いたアルの頬に、細い細い指が添えられた。きらめく銀色の長い髪が、彼女のまわりで水の中のようにたゆたっている。
「やっと、みつけた……」
微かに震えているアルの言葉に、とても綺麗な微笑で応えるリシィ。
そこにいたのは、アルの愛した人。アルを、愛した人。
やわらかい雨は静かに流れ続けている。聞こえる音は何もなかった。
―― 私を、探してくれたのね ――
「会いたかった……」
閉じたアルの瞳から、涙がこぼれた。
初めて見る、アルの、涙。
頬に添えられた手に、アルがそっと自分の手を重ねた。けれどその手は、リシィの手をすり抜けてしまう。
彼女の姿は、淡い陽炎のように揺れて透きとおっていた。
「君が消えてしまったと知って、でも、どうしてももう一度君に逢いたくて……湖に残されていた君のかすかな記憶を頼りに、君の魂をユーキに未来へと送ってもらった。俺のわがままで、自由になったはずの君をもう一度この世につなぎとめてしまったんだ。勝手なことをして、ごめん」
―― アルのわがままなんて、いつものことじゃない。あなたの口からごめんだなんて、初めて聞いたわ ――
からかうように、リシィが笑う。その笑顔には、何の憂いもない。だからそれは……とても、きれいで、楽しそうな笑顔だった。
―― ありがとう。もう一度会えて嬉しいわ ――
「リシィ」
アルは、柔らかい視線で彼女をみつめた。あの肖像画を見ていた時と同じ、優しく、慈しむ瞳で。
「君を、愛していた」
長い長い時を経て伝えられたその言葉に、リシィは目を細めて幸せそうに微笑む。
―― 私も、あなたを愛していたわ ――
「あの時、言えなくてごめん。……言えばよかったんだ。どうにもならないとわかっていても。伝えられなかったたった一言を、俺はずっと後悔してきた」
―― 言えなかったんじゃないわ。私たちは、お互いに言わなかったのよ。あの時の私たちは、二人とも一族の宿命に縛られていた。水に還ったあの瞬間、私は初めて自由になれたのよ。だから、水の精の宿命を背負ったリースリーナではなくただのリシィとして、あなたを愛していると言えることが、とても、とても、嬉しかったの ――
ふわり、とリシィがアルに寄り添う。二人の姿は、とても幸せそうだった。
「うん……多分、俺は気づいていたんだ。俺が想うのと同じように、君も俺を想っていてくれていたことに。でもあの時の俺には、それを認める勇気も受け止める覚悟もなくて……こうして君をもう一度形作ってしまうのも、ただの俺の自己満足にすぎないってわかっている。それでも、リシィ、俺は……」
―― もう、いいの ――
輪郭だけしかないリシィの指が、こぼれたアルの涙をすくい取る。それは彼女の指ではじけて、一瞬だけきらめいて消えた。
―― そんなに自分を責めないで。私が望むのは、あなたが私と同じように、好きな人に好きと言えること。その幸せを知ること。だから、あの時を悔やむのなら、繰り返さなければいいだけよ。今のあなたなら、もう大丈夫でしょう? ――




