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「アルトは、いなくてはならない。それは、連綿とわが一族に受け継がれてきた直系としての宿命なのだ。何も知らない人間の小娘風情が、わかったような口を聞くな」
「でも……!」
私の目の前で、ディードの瞳がゆらりと光る。目をそらそうとした時には、もう遅かった。見つめていた瞳が赤く燃えはじめる。
危険。心臓が早鐘を打ち出す。
目を逸らさなきゃ、と思うのに、体が動かない。
渾身の力を振り絞って、なんとか目を閉じようとする。その瞳に映る、迫ってくる2本の牙。
怖がっている暇はない。自分で望んだことだもの。どれほど分が悪くても……やるしかない。
集中して。
ぎゃっ、と悲鳴があがった。
振り続けていた雨が、鋭い針となってディードに刺さったのだ。
体の呪縛は解けていた。無意識でなく、今度はちゃんとできた。
「お前……」
一度は悲鳴をあげたものの、さして気にもしない風で、ディードは自分の体にまとわりつく針だった雫を振り払った。
「やはり、このままにはしておけないようだな」
「こないで!」
視線をあわせないようにして、向かいあう。
アルを襲った犬にやった雨の針。さっきは、なんでもいいからとにかく、あれをとめたかった。他のことは考えてなんていられなかった。そんな風に追い詰められたら、もしかしたら、私の中に眠る力が、リシィが、目覚めることができるかもしれない。
そう思って、何か使い魔の一つにでも出会えれば、と一人で出てきた。この人に会う可能性を軽く考えていた自分を悔やんでも、今更だ。
ひゅっと、風が私のまわりにうずまいた。
「きゃっ!」
風が真空の刀になる。雨にぬれた体に、赤いものがにじむ。かすかに血が流れる程度のほんの浅い傷。でも、だからこそ余計に痛む傷。
ディードが、喉で笑った。
遊んでいる。
猫が、つかまえたねずみをいたぶるように。
「来るなといわれたからね。私は女性のいうことは尊重する主義でな」
「だったら、おとなしくこのまま帰ってくださらない?」
言っている間にも、風は時々思い出したように鋭いかみそりにかわる。
「やっ……」
耳元で鋭い音がするたびに、全身が赤く染まっていく。うねる風の中に、シュシュのゴムが切れて髪の毛が宙にばらまかれた。ぬかるむ足元に力を入れて、風にもてあそばれる体をどうにか持ちこたえて。
痛みをこらえて神経を集中する。
さっきよりももっと鋭く。つきさされ、水の子たち。
激しく降りつけていた雨が、一瞬空中で静止する。そして、重力を無視していっせいにディードに降りかかった。
つきささった!
と、思った瞬間、見えない壁が水の針を跳ね返した。
「あ……」
「何も、切るばかりが私の力ではないのだよ」
風が彼を守っていた。
「ああ、いいね。その顔。追い詰められた獲物の表情は、見ていて実に心地よい」
足元に粘りつく水たちをものともせず、ディードは私へ向かって踏み出す。私は、じり、と一歩下がった。
「おまけにいい匂いがする。この雨の中でもわかるよ。お前は処女だね。その血の匂いは、悪くない」
「女性の言うことは聞くんじゃなかったの」
強がったつもりでも、声が上ずった。
「残念だが」
らんらんと赤く光る瞳。
「君はもう女性ではない。ただの、私の獲物だ」
走り出そうとした瞬間、風が私の足にからんできて私はその場で転倒してしまった。背後に、ディードが一気に迫る。
その手が肩に触れた。
ごめん、アル。
私、リシィを、守れなかった。




