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「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びくださいませ」

 軽く頭を下げて戻ろうとすると。

「バイト、何時まで?」

 ふいに野宮君が口を開いた。

「バイト? 片付けもいれて、あと一時間くらいかな」

「結構、遅くまでやってるんだな。もう暗いぞ」

 確かに、昼が長くなったとはいえ、バイト終わるころには外は真っ暗になってる。

「ここ、家に近いし、早紀も一緒だから。それに」

 そこで私は言葉を止めた。


 一週間前までは、アルが送ってくれていた。でも、それもあのデートまで。次の日からは、『もう心配ないだろう』と言って、アルは送ってくれなくなった。

「送ってくよ」

「え?」

 うつむきがちになった顔を上げると、野宮君が笑っていた。

「バイト終わるまで、待ってるから」

「え、いいよ! わざわざ悪いし」

「いいから。少し、乃木と話がしたいんだ」

 そ、それは……一体どんな……


 人知れず冷や汗をかいている私に、野宮君はコーヒーをオーダーする。私は逃げるようにカウンターへと戻った。

「マスター、ブレンド一つ」

 応える声はあったけれど、アルは顔も上げなかった。

「野宮君、なんだって?」

 聞かれて、すがるように早紀をみつめる。

「早紀……どうしよう」

 私の顔を見た早紀が、目を丸くした。

「情けない顔になってて面白いわよ、奏子。何か言われた?」

「バイト終わるの待ってるから、一緒に帰ろうって……」

「あらあら」

 早紀は、わざとらしく口に手をあてて驚いたような顔をつくった。

「じゃあ、私は一人で帰るから、奏子は野宮君に送ってもらいなさいよ」

「やだよ! 早紀も一緒に……」

「そーんな二人と一緒に帰るなんて、冗談じゃありませんわ」

 ふふふ、と目を細めて笑う。

「そろそろ野宮君も本気になったかな?」

「早紀い~、私、私どうしたら……」

「奏子がそんなに動揺するのも珍しいわね。いいじゃない。付き合っちゃえば」

「そんな……!」

「奏子、できたぞ」

 そこにアルの声が割り込む。私はあわててアルを振り向いた。

 と。


 かしゃん。

 アルが手を滑らせた。カップが揺れて、コーヒーがこぼれる。けれどそれを止めることもできず、アルはそのままふらりと倒れそうになった。

「マスター!」

 おどろいて声を上げると、ちょうど隣にいたユーキがアルを支える。


「……っと。そろそろかな、って思ってたんだ」

 そうつぶやくと、ユーキはアルを覗き込んで言った。

「ほら、あとは僕がやるから、おとなしくひっこんでろ」

「これくらい……」

 体をおこして言うアルの顔は、その言葉を裏切るように真っ青だった。

「まさか、また」

 私が襲われたときのことを思い出して、店内を見回す。でも、そこにはそれらしいお客さんはいなかった。

 とりあえず、驚いているお客さんたちに頭をさげる。


「違う。気にするな」

 アルが、ゆっくりと顔をあげて静かに言った。さっきよりももっと、顔色が悪くなっている。

「今のうちに休んでおいたほうがいいよ? お前、今日だってまた」

「悠希」

 ユーキの言いかけた台詞を、アルが強引にさえぎった。ユーキはじっとアルを見ていた。張り詰めた沈黙。


 その雰囲気に先に負けたのは、アルのほうだった。視線をそらし、小さくため息をつく。

「わかった。少し、休んでくる」

 後を頼むといって、アルは奥の扉に消えた。

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