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「でも……」
渋る私に、マスターが空のカップを差し出した。
「何?」
「持ってみろ」
それを受け取る。と。
手にしたそのカップが、細かく震えていた。その様子に、目を見開く。
私……
「ああいうときは、とりあわないでさっさと俺を呼べ」
店内から見えない位置でマスターが私の肩に片手をまわして、そのまま自分の胸にぽすりと私をおしつけた。その胸に染みついた、コーヒーの香り。
「もう、大丈夫だから」
そのまま、ぽんぽん、とあやすように背中を叩かれる。
手だけじゃない。マスターに支えられて、足も震えていたことに気づいた。
なんで……
あんな失礼な奴ら、怖くなんかない。私が悪いわけじゃないもの。負けたくない。怖くなんか、ない。
「怖かったよな」
耳元でささやかれた声に、不覚にも涙が浮いた。
☆
「僕のいない間に、そんな楽しいことがあったとは」
閉店するころに帰ってきた悠希さんが、面白そうに言った。
悠希さんは、店にいたりいなかったり。私たちがくるまでここのウェイターをやっていたらしいけれど、今は店にいる時はカウンターの一番端っこの指定席でコーヒーを飲んでいることが多い。謎の多い人物である。
「楽しくなんかなかったですよ。奏子に何かあったらどうしよう思って、本当に怖かったんですから」
また涙目になりながら、早紀が頬を膨らませた。悠希さんは、そんな早紀ににっこりと笑う。
「ああ、ごめん、ごめん。早紀ちゃんにも怖い思いをさせちゃったんだね。僕がいれば、もっと穏便に引いてもらえたのに。よく手を出さなかったね、マスター」
「俺より先に、奏子が手を出した」
「え? 奏子が?」
目を丸くして振り向いた悠希さんに、か、と頬が熱くなる。
「出してないですよ! ちょっと……コップの水をかけたくらいで……」
「へー。案外、気が強いんだね」
私は、持っていたモップをばしゃんとバケツにつっこんだ。
「だってあいつら、一口もコーヒー飲んでなかったんですよ?」
「「は?」」
私の言葉に、悠希さんと早紀はおろか、マスターまでも私を振り向いた。
「なのに、たいしてうまくもない、なんて言ったんです。マスターのいれたコーヒー飲みもしないで、なんでうまくないってわかるのよ。せめて一口飲んで文句言えばいいのに。言えるもんならね!」
マスターをかばうわけじゃないけど、あのコーヒーの味を知りもしないで馬鹿にされるのは、我慢がならなかった。
「そこ……なの?」
悠希さんが、聞いた。
「何がです?」
「奏子が怒ってたのって、自分がからまれたから、じゃないの?」
「別に? というか、ああいう時って怒ってもいいですか? 私こういうバイト初めてだから、あんまり騒ぎ起こしちゃいけないかと思っておとなしくしてたんですけど」
「うん、私、いつ奏子が怒りだすかと思って、それもはらはらしてた」
さすがに早紀は、私の性格をわかっている。
「この店って、雰囲気が売りでしょ? だから……」
「この店の売りは、俺の味だ。そんなこと気にしなくていい」
「でも……」




