第33話 配分
規制線の向こうで、回収のトラックが動いている。
クレーンが上がり、シートが掛けられ、
黒い塊は「死体」じゃなく「荷物」になっていく。
茂は端に立ったまま、槍を下げていた。
先端だけを地面に寄せ、重さを逃がす。
柄の感触だけが手に残っている。
背中の奥の熱は、まだ消えない。
興奮じゃない。
押し上げるみたいな――内側の圧だ。
警官の声と無線の符丁と車内のうめきが交差点に重なる。
どれも遠い。
茂の視線は、別の場所にあった。
作業着の男。
首からID、端末、そして異様に速い目。
アジャスター。
男は業者の端末を覗き込み、
画面を指で滑らせ、
たまに警官に短く確認を入れている。
茂は一歩だけ近づいた。
線を越えない距離。
関わる気配だけを出す距離。
「……割合、どうなりそうですか」
自分でも、声が低いと思った。
頼みじゃない。
確認だ。
数字の確認。
アジャスターが顔を上げる。
茂を見て、装備を見て、もう一度茂を見る。
それだけで終わる視線。
「今はまだなんとも」
返事は早い。
茂は眉も動かさない。
「軽バンのほう、未登録ですよね?たぶん」
「そうですね。フリー」
「ボディカメラなし。周辺も、接触の瞬間を押さえた映像がない」
アジャスターが言いながら、端末を指で叩いた。
ただの作業だ。
人間が死んだ現場でも、作業の速度は変わらない。
茂は息を吐いた。
「……あいつら、何もしてない」
言った瞬間、自分の声が乾いているのが分かった。
怒鳴ってない。
ただ、線を引いているだけだ。
「刺したの、俺です」
アジャスターは否定しない。
否定する必要がない。
「そこは分かってますよ」
それから、間を置かずに続けた。
「ただ、向こうの生存者が駆除中だったって言ってます」
「それを0扱いすると、揉めるんで」
揉める。
その一言が、すべてだった。
現場じゃない。
制度が始まっている。
茂は視線を軽バンにやった。
潰れたバンパーとボンネット。
血。
割れたガラス。
車体に残った拳のへこみ。
駆除中だった。
――証明できるのは、誰だ。
「登録もなにもしてないです」
茂が言う。
「見てただけ」
アジャスターは頷いた。
書き込むように頷く。
「そこもログで出ます」
「ただ、今の情報だと確定はできない」
茂の喉が少しだけ詰まる。
詰まるのは感情じゃない。
数字が遅い。
「仮でいいんで」
茂が言う。
アジャスターは一拍だけ止めて、
それから、声を落とした。
「……仮のレンジなら」
「あなたが主貢献側になる可能性は高い」
「ただし単独の100には寄せない」
寄せない。
その言い方が、制度そのものだった。
茂は黙った。
一番欲しいのは「100%」じゃない。
欲しいのは、数字だ。
確定した数字。
主貢献って言葉じゃ、腹は満たされない。
茂は視線を落とし、槍の柄を握り直した。
握り直しただけで、指が余計に入る。
入れたつもりより、入る。
まただ。
内側から押されるみたいに、力が戻ってくる。
茂はそれを無視した。
「……分かりました」
返事は短い。
もう聞くことはない。
アジャスターは端末に戻り、
次の画面を開いた。
茂がそこにいたことも、もう過去になる。
コンビニの前に立たされたまま、時間だけが削れていく。
赤色灯は消えない。
テープは揺れない。
人間の声だけが、細かく重なっている。
回収業者が、死んだ害獣の足を持ち上げた。
クレーンのフックが掛かる。
シートが巻かれる。
黒い塊は、もう抵抗しない。
――終わった。
現場が終わっても、段取りは終わらない。
茂はそれを知っている。
知らないふりができない。
救急車が来た。
サイレンの音が膨らみ、角を曲がって規制線の外で止まる。
音が切れた瞬間、逆に現場のざわめきが浮いた。
ストレッチャーが降ろされる。
オレンジのベスト。
救急隊員だけが、異様な速度で動いていた。
「負傷者、どこですか」
警官が軽バンを指す。
割れた窓。血。
救急隊員が覗き込み、声を投げる。
「聞こえますか」
「名前、言えますか」
返事は、潰れた空気で返ってきた。
声にならない、喉の音。
「意識あり」
短い確認。
次の瞬間、腕が窓から差し込まれる。
「ベルト切ります」
刃が走った。
小さな繊維の断裂音。
頸部、腕、体幹。迷いなく固定される。
「引きます」
身体がゆっくりと車外へ滑り出る。
力任せではない。
崩さないための速度。
引きずり出された人間が担架へ移される。
赤い。肉が見えている。
酸素マスク、ベルト――迷いのない締結。
ドアが閉まる音。
救急車が走り出す音。
現場の空気が、静かに事件へ変わった。
茂は規制線の内側で、ただ立っていた。
死体と同じ側。
戦場の延長じゃない。
今は区域の中だ。
若い警官がひとり、規制線の内側に戻ってきた。
目だけが忙しい。
体はまだ現場の速度に慣れてない。
茂はその警官に声をかけた。
「……帰っていいですか」
言い方は平らだ。
許可を乞う声じゃない。
段取りの確認だ。
警官は一拍止まってから、頷いた。
「ちょっと待ってください」
「確認だけします」
無線に口を寄せ、場所と人数、そして未登録の存在だけを短く告げた。
茂は動かない。
警官が戻ってきた。
「――すみません」
「身分証、さっき確認しましたよね」
茂は頷く。
「連絡先だけ控えさせてもらっていいですか」
茂はスマホを出し画面を見せる。
警官がメモを取る字が少し震えている。
手順に追われる指先の反応だった。
「――帰って大丈夫です」
「ただ、もし後で確認の連絡が行ったら出てもらえますか」
「わかりました」
それだけ言って、茂は身体の向きを変えた。
規制線の切れ目まで歩く。
早足にはしない。
テープの外へ出た瞬間、空気が変わった。
現場の匂いが薄くなる。
人間の声が遠くなる。
茂は振り返らない。
終わったものは、もう見ない。
スマホを見る。
時刻――14時
胃の奥が、また鳴った。
空腹じゃない。
肉を入れろと圧だけが増していく。
身体が勝手に次の順番を選んでいる。
茂はケースのグリップを握り直し、そのまま歩き出した。
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