学びのゆりかご 2『入学準備 絵が描けないわけ』
エミュリエール様に着いていった先は、森の中。振り返る彼を見て、わたしは首を傾げた。
「紙は……持って来ているな」
「はい、でも。ここで描くのですか?」
「そうだ」
わたしは、こてん、と首を反対にたおす。
意図が全く分からない。
「話を聞くと、君はよく森で動物と戯れているみたいだが、一番好きなのはなんだ?」
「えっ?」
動物は全面的に好きだけど、1番といったらあの子かな。今どうしているだろう。
「ニュクスですかね」
「あぁ、カーバンクルか。済まないが、今この森にいるやつで頼む」
「えっと……」
口に手をあて、思い浮かべる。
この森には、コウネリやスキウロス、馬やアルクダなんかがいる。あと白狼か。アルクダを抜かしてどれも好きだけど、強いて言うならあれだろう。
「イリョスですね」
因みに、わたしは生体研究所から戻ってからというもの、時間を見つけては森に通っている。昨日も来たばかりだ。
「じゃあ、それに手伝ってもらうとしよう。呼んでくれるかい」
「いいですけど」
────で、言われた通りイリョスを呼び、目の前に座らせる。何をするのだろう、とちょっとだけ不安を感じ、眉を寄せた。
「まず、よく見て、このアローペークスを描いてみなさい」
「えぇ、」
そんな突然、描けるわけ……
そう思いながらも、ペンを取りスケッチを始める。
あれ?
描き始めて少し経つと、自分を描いた時より、全然よくできているのが分かる。
「できました」
できあがった絵をみて、自分でも驚いていた。
「やはり自画像より、よく出来ているな」
「どういう事ですか?」
絵を眺めているエミュリエールを見あげる。
「思い描く、という言葉は、想い描く、とも書く。その言葉には、『想う』と『描く』という2つの言葉が入っている。それは、想い浮かべながら、描く、という意味だ。君には目を閉じても、このアローペークスの姿を頭の中で描くことができるんだろう?」
「あたり前です!」
わたしは自信満々に言った。
「じゃあ、君の髪についている髪飾りはどんなものか覚えてるか?」
それは、朝見たから覚えている。
「ネモスフィロの花のやつです」
「さすがに覚えてるか。では、君の顔にはどこにほくろがあるか知ってるか? 髪の毛はどんな風なクセがついてる?」
「え!? えーと……」
今までそんなこと、聞かれたことがない。少し考えた後、もじっ、と答えた。
「分かりません」
「ふむ。では君は人だと誰が一番好きなんだ?」
うぅ……
「それは、答えづらい質問です」
「まぁ、そうだな。好きな人物と言われて思い当たるのは誰だ?」
「それだとたくさんいすぎます」
「ははは、面倒だな。じゃあ、例えば、エリュシオンが考える時に、手を口に当てる仕草だが、どっちの手だと思う?」
「右手ですね」
「では、いつもどっちに三つ編みを結んでいる?」
「左側です」
「次は難しいぞ? エリュシオンのほくろは……」
「耳の下にあります!!」
むふぅ、とサファイアは鼻から息を吐いた。
・・・・・・
「ははは、よく見てるな。そういうことだ」
彼は優しい表情で、クシャッとわたしの頭を撫でた。
「あの、もっと分かりやすく言ってください」
わたしはボサボサになった頭を押さえた。
「君はエリュシオンに限らず、他人の顔の特徴や表情を覚えてるんだろう?」
「それは、そうですね」
「だが、自分にはあまり興味がないんだ」
あ……確かに。鏡を見てても、自分よりエナやユニを見ていることが多い気がする。
サファイアは頷いた。
「まぁそれも、ここ最近は自分を大事にするようになったな」
エミュリエールは、タラッサで魂送りをした時のことを思い出していた。
「前は酷かったのでしょうか?」
「あぁ。いつ死んでしまうのかと、ヒヤヒヤしていたぞ」
彼は腰に手をあてる。
「それ、氷上祭で、アシェル殿下にも言われました」
「なるほど、だから君は変わったんだな。彼は、本当によく見ている」
「……そうですね」
「もっとおのれを見て、自分のことに興味をもち、好きになってあげなさい。今の君にはきっとそれができるはずだ。そうしたら描けるようになるだろう。後は回数次第だな」
と、直していた髪を、またくしゃくしゃと撫でる。なんだか目が熱くて。彼の手を押さえて抱きついた。
「なんだかお父さんみたいですね」
「ははは、だてに歳は食ってないからな。ルシオだともっと口うるさいだろう」
「あ、それ、分かります」
サファイアは、ぷぷっと吐き出した。
それからというもの、言われた通り鏡で自分をよく見ることにした。じぃっと眺め、その後に描いた自画像を見せるのが、エミュリエール様の出した宿題だった。
そんな事で上手くなるだろうか、と思っていたけど、不思議と描くごとに上手になっていく。それが嬉しくて、絵を描くのが好きになった。
そして────
「うん、これなら提出できるね」
やった!
両手を前に握りしめる。
とうとう自画像の太鼓判をもらう。エリュシオン様は、自分じゃ教えられなかった事に、少しだけやきもちを焼いていたみたいだったけど、それはそっとしておく事にした。
あとは、最終的な確認をして。そうそう、アサナシア女王様の約束通り、唄の先生もやって来た。
『クーパ』のどちらかと言われたので、わたしはロウウェル様を選んだ。それは、エアロンと声の波長が似ているから。
相変わらずぶっきらぼうだけど、エアロンのように、ポッ、と小さく灯るような、優しいところがあると、わたしは楽しみにしている。
彼は、しばらくバウスフィールド家の邸に滞在する事になっている。オピオネウス国のアイドルである彼を、連れてきていいものかと思ったけど、エリュシオン様いわく、快くお受けしておきなさい、とのことだ。
そして、修学院の入学が迫る3日前、わたしはエリュシオン様に呼び出された。いつもの彼の部屋じゃなく、外。
「こころの準備はいいよね?」
「仕方ありません」
「また、そういって。約束してたでしょ」
そう、これはわたしを守るためだと彼は言っていた。
ここは、エリュシオン様たちのお母様が、生前によく来ていた場所らしい。小さくて黄色い花が咲き乱れ、温かく見守っているみたいだ。
「お手をどうぞ、姫」
「からかわないでください」
「あはは、そんな事ないって」
その花が一番よく見える場所にある、白い長椅子に2人は座る。
とうとう、バウスフィールド家の過去について聞かなくてはいけない。入学前の最終関門だ。わたしは少しざわざわする気持ちで、エリュシオン様に寄りかかった。
読んで頂きありがとうございました。