77 氷海で唄ったオルニス 71『氷海で唄ったオルニス・前編』
癒しを使ったサファイアを見て、デュランとロンダークが目を見開く。
「え? 何語?」
「デュラン様、私達は聞くべきではありません」
「……すみません。わたしにも、聞かれて答えられることはなくて」
傷はすっかり治っていた。
確かめるように立ち上がって、手足を動かしたデュランは傷があったところを眺めていた。
「お前、まだ、学校に行くような歳じゃないだろ?」
サファイアを見下ろす。
真っ白い姿が、それだけで発光しているように見えた。
自分を見据える、ぼんやりとした、宝石のような瞳。そこから、残っていた涙が、ぽろり、とこぼれ落ちる。
初めて会った時、声を上げそうになったが、抑えていた。
「う……ああ! もう! そんなんじゃ、雪が止まないんだろ」
その目に、今自分が映っているかと思うと、居ても立っても居られなくて、デュランは頭をかきむしり、サファイアを抱えようとしていた。
サファイアは、不思議そうに首を傾げて、デュランを見上げていた。
「デュラン様! 彼女はアシェル殿下の婚約者です。わたしが……」
「あの……1人で歩けますから」
ロンダークの差し出された手につかまり立ち上がると、サファイアは雪を払った。
「お前」
「はい」
「何でもない!」
「ふっ、あはは」
そんな、彼の様子が少しおかしくて笑えてきた。デュランは笑うサファイアを驚いて見ていたが、頭にポンポンと手をのせた。
『イシュタルの使い』と、ガラルチュランでも話題にあがることのある人物は、普通の少女なのだと思った瞬間だった。
3人は避難所まで戻って来た。
「また、抜け出すんだからっ! デュラン殿下、感謝します」
エリュシオンが、早足出来てサファイアを抱え、デュラン達に頭を下げた。
「大したことない!」
デュランは、抱っこされていくサファイアの姿をじっと目で追っていた。
「デュラン殿下……」
「分かってるから、言うなよ」
初対面での印象は、何で小さい子供なのかと思っていた。
外見とは随分かけ離れた、大人びた言動。
「あれは、総出で守りたくなる……かもな」
「女神の使いだと言われる方ですからね」
「あーあ。もっと早く知り合ってれば、口説きの一つでも言えたんだけどな」
「そう言うこと、あまり大きな声で言話ない方がいいですよ」
「分かってるさ」
デュランは、頭に触れた手に目をやり、ごちるように言った。
※
翌日、サファイアは、アシェル達にタラッサの視察に連れていってもらった。
癒し手の足りない現状。
いつ終わるかわからない、避難所生活の人々の様子。
連続して行われている魂送り。
「凄く、大変だったのですね……」
「そうだな。俺も最初はなんて声をかけていいのか分からなかった」
「アシェル殿下もですか?」
「あぁ。でもよく見てみろ」
アシェルは、1人の男の子に視線を向け、歩いていく。
「おい。どうだ?」
「あっ! アシェル=フェガロフォト殿下! それに」
彼の目は横にいるサファイアに向けられていた。
「イシュタル様!」
手を合わせ、拝まれる。
「あの……」
言いかけた言葉は、アシェルの手によってふさがれた。彼は、小さい子の遊び相手をしていた。
「唄を、私たちに勇気を、ありがとうございます」
「そんな……わたしは」
サファイアは首を振った。
「お前の母親もまだ見つかってないんだろう?」
「あ……はい。でも、今は無事だと、祈るよかありません。もし生きていれば、母もそうしているはずですし」
なんて、強いのだろう。
その言葉が、胸に刻まれた。
「よかったら、お母さまの目印を教えてもらえませんか? わたし達は、これから、第三避難所に行きます。見つける事ができるかもしれません」
「そんな! あなた方の手を煩わせるなんてできません!」
少年は首を振っていた。
「探す、と言うわけではなくて。もし、見かけたら伝えにくる。それくらいならいいでしょ?」
隣にいるアシェルと顔を見合わし、頷いた。
「そうだな。お前、なまえは?」
「僕は。ユスラと言います。あの、ありがとうございます!」
ユスラは何度も頭を下げていた。
自由に避難所を行き来できない今は、見つけ出す事だって難しいだろう。
気を落とさず頑張ってくれている彼に、些細な何かをしたいと思った。
ユスラの母親は、平民では珍しい、琥珀色の瞳をしていて、口の左下と、手の甲にホクロが一つずつあると彼は教えてくれた。
だけど、物事はうまい具合にはいかなくて、第三避難所に行ったサファイア達は見つけ出すことはできなかった。
「君は、魂送りした後、たぶん何日か眠ることになるだろうから、僕も気にしておくよ」
少し離れたところで、声が上がった。泣きながら抱き合う人。
「お願いします。見つかったらいいな……」
周りの、よかったと思うと同時に、寂しそうな表情を眺め、サファイアは呟いていた。
第一避難所に戻ってくると、エミュリエールがおり、エアロンを連れて来ていた。
「エミュリエール様!」
うわ……
かなり居心地が悪そうにしている彼の後ろには、ジェディディアも来ている。
「兄上、よく連れて来たね……」
「お前、何した? 断ろうにも、勅命じゃそうもいかないだろう」
「えぇ?! 僕はただ、兄上に手紙飛ばしただけだよ」
あぁ……
「すみません。わたしが、王様に言ったから……」
「?!」
「全く……封じ手を使うなんて。エリュシオンに似てきたな」
「褒め言葉と受け取っておきます」
無理やり連れてこられたのだろう。エアロンの眉間のシワが深い。
「私もいるがな」
反対側には、ルシオがやっぱり疲れている表で、腕を組んでいた。
「役者は揃ったかな?」
「あの、ジュディやフィリズ、アレクシス様は?」
「ジュディとフィリズは、陽が落ちるまで救助活動をしてもらっている。アレクシスは……」
「生研で療養している」
アシェルの止めた言葉に、ルシオが続けた。
サファイアは、この時に、アレクシスが一番、危険な状態だったことを知った。
どれほど辛かっただろう。サファイアが俯いていると、1の刻の鐘が鳴る。
「サファイア。時間はあまりないよ」
「はい」
遅めの食事を摂り、魂送りの話をするのに集まったのは、6人。
サファイアとエリュシオン、エミュリエール、エアロン、ルシオ、それになぜかジェディディアも来ていた。
「それで、わざわざ呼び寄せて、相談したい事はなんなんだ?」
「わたしが知りたいのは、終盤に集中して魂を返したいと言う話なのですが」
「ちょっと待て、何を言ってるんだ?」
今まで黙っていたエアロンが困惑した表情でテーブルに手を置いた。
「俺は魂送りは出来ない、が、一応基本的なことは知っている。魂を送る場合、まず考えるのがその規模。それは……」
「彷徨っている魂の数によるね」
エアロンはエリュシオンに目を向け、頷いた。
「そう、今回、落としたとされる魂の数は10万人と予想されている」
「随分、多かったのですね……」
「多かったじゃない。これは、トラヴィティスが何日もかけて魂送りをする状況なんだ」
「サファイア? もしかして……一度でやろうとしてる?」
「えぇ、あぁ……まぁ」
周りが頭を抱えて首を振っている。だけど、エリュシオンだけは、少し考えた後、笑みを溢した。
「できるの?」
「えと、はい。ただ……今はまだ、魔力が完全に戻ってないので、どうしたら効率が良いのか聞きたくて」
「あはは」
「はぁーっ」
エリュシオンは笑い声を上げたが、他からはため息が漏れていた。
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