68 氷海で唄ったオルニス 62『《雪の妖精》マクロス・ウラ・オルニス』
(よいしょ)
エリュシオンがサファイアを持ち直した。
「重くないですか? おろしてください」
「大丈夫だよ。あ、そうだ」
近くにある、雪の積もった切り株に腰掛けて、エリュシオンが、吐き出した息を見上げ、思い出したように、サファイアを見下ろす。
「君、僕に何か言うこと忘れてない?」
「え……? えっと」
なんだっけ?
サファイアは目を泳がせて、考えていた。
「婚約のこと、だよ」
「あっ!」
「こんな大事なこと、忘れないでよ」
すっかり忘れていた。
恐る恐る、彼に目だけを向けると、手が伸びているところだった。
「っ!」
サファイアは、慌てて額をおさえて、目をつぶった。
エリュシオンの吹き出す声が聞こえる。
「ほら、冷えてる」
エリュシオンは、サファイアの手を掴み、引き寄せて、もう一度外套で包み直した。
「2年間と言われたんです」
「あぁ。2年後、”スティーリア”があるからね」
「スティーリア?」
「200年にいちど行われる、国の結界の貼りなおしの事だよ。アシェルがやる事になってる」
熱があって、と言うわけじゃないのに、エリュシオンの体がとても温かいのは、奇矯を使っているせいだろう。
心臓の音も速く刻んでいた。
「だからですか……殿下は王様に出された条件だと言っていました」
「アシェルは……うちの養子でいるのが、2年間だっていうのは、知ってるよ」
「え? 話したんですか?」
「だって、先に、僕に話が来たからね。どっちでもいいけど、2年間だけでいいって言うなら、断る理由はないか」
来ない……
静かに積もっていく雪を、紫水晶の瞳に映して、白い息を見上げる。
「僕はさ。君を養子に迎え入れても、可愛がれないと思ってたんだよね。でも、違った」
何を言いたいのか、なんとなくわかり、服を掴む手に力が入った。
「……ねえ。2年が過ぎた後も、僕の娘でいてくれない?」
嬉しい気持ちと、その言葉を言わせてしまった罪悪感で、サファイアは口を結んだ。
「やっぱ、だめかぁ」
「違うんです! 出来るなら、ずっと貴方の娘でいたい! だけど、ダメなんです。言えないけど……」
「そっか……それで僕は、2年後、君が養子でなくなっても、君が困っていたら、勝手に助けるよ」
ははっ、と悲しそうに笑う声が聞こえる。
「……ありがとうございます」
2年後より先のことなんて、考えた事もなかった。
エリュシオン様には、わたしの大きくなった姿が見えるのかもしれない。
『俺たちは、まだ、子供で、親の想いの中で生きている』
アシェルの言葉が、ストン、とココロに落ちた。
「でも、わたしは、今を、精一杯生きる事にしましたから、手伝ってくださいね? エリュシオン様」
「えぇ……お手柔らかに頼むよ?」
サファイアが偉そうに見上げると、困った表情でエリュシオンが目を逸らした。
「大丈夫ですよ。私の養父様は、かっこよくて、優しくて、とっても頭がいいですから」
「もう、そういう事いうの、恥ずかしいからやめて」
口ではそう言ったけど、エリュシオンはとても嬉しかった。
「ところでさ、ギュイネス君から、伝言されたんだけど、帰る前に一度、昨日の1番ステージに来てって言ってたよ」
「なんでしょう?」
「さあ? 何かいいものでもみせてくれるんじゃない? 体力と魔力が減ることはダメって言ってあるしね。しかし、来ないね」
まだ、そんなには経ってないけど、鳥の気配は全くしなかった。
「残念ですが、いないのでしょう」
サファイアがおろしてもらい、エリュシオンも奇矯を解いた。
会うことはできなかった、けど、たくさんの気持ちを手に入れることができた。
それで十分。
黄昏の光を浴びた、噴水が頭を過ぎる。
サファイアが腕を広げて、買い物に出かけたあの日、と同じ『冬の唄』を唄っていた。
音を吸収する雪を、逆に利用して、染み渡っていくように、林の中に響いていく。
「ピルルルル、ピィ、ルルルルル」
その声を聞いて、エリュシオンが立ち上がる。
「サファイア、唄い続けて」
帰って来た!
エリュシオンがサファイアの後ろに立ち、もう一度、奇矯を使った。
「ピルルー、チチチ」
小鳥が音もなく飛んで来た。
「見て、サファイア」
肩を叩かれて、唄が止み、エリュシオンがサファイアの前に手を出した。
大きく開かれた瞳が、細くなる。
真っ白で。
まあるくて。
顔を傾けている。
「ピピッ」
『雪の妖精』マクロス・ウラ・オルニス
「ほら、願い事を言ってごらん」
「はい……」
まだ、目の前にいる事が、信じられずにいながら、サファイアは手を組み、願い事をした。
「ピィ」
エリュシオンの手から降りて、雪の上の、小さな仲間たちと囀って、尾を振っている。
「お姫様みたい」
「うん、会えてよかったね。雪の妖精」
「はい! ありがとうございます」
オルニスたちが飛び去っていくまで、サファイアは、エリュシオンに寄りかかって、愛おしそうに眺めていた。
「どう? 叶った? 願い事」
「そんな、すぐ叶うわけないじゃないですか。でも、そうですね、体中痛いです」
「えぇ!」
エリュシオンが、ぎょっとしてサファイアを抱え、歩きだす。
(よかった、儀式が終わった後で)
2人で邸にもどってから、サファイアはルシオに、しこたま怒られていた。
「ルシオ兄、体中痛いって言ってるんだけど、なんか変な病気じゃないよね?」
「エリュシオン様、大袈裟です。たぶん、ただの風邪ですから」
「風邪じゃない。それに、変な病気でもない。ただの症状だ」
「症?」
「状?」
「そうだ」
ルシオの言った事に、2人が首を傾げる。
「この症状には、個体差がある」
「治療法はないの?」
「よく食べて、よく寝る」
「はぁ?」
「つまり、治療をする必要がない、って事ですか?」
「そうだ。ただの“成長痛“だからな」
エリュシオンと顔を見合わして、声をあげて笑っていた。
「願いを叶えてくれるというのは、本当でしたね」
「まさか、こんなにすぐ叶うとはね」
ルシオは、そんな2人を見て何をして来たのか分かり、口の端を持ち上げた。
食事をして、その後はアクティナに帰るための支度する。
最初の予定では、そのまま転移陣に乗り、帰ることになっていた。
でも、予定を少し変更して、もう一度、氷上祭に行くことになった。
「お二人で大丈夫ですか?」
ジュディが不満そうな表情をしていた。
「大丈夫だよ。多分、見せたいだけだろうから、すぐ戻ってくる。先に、移動しておいて」
「先に、お荷物など、運んでおきます。お気をつけていってらっしゃいませ」
『1番ステージに来てください』
エリュシオンは、そう、言われたらしい。
今度は、サファイアとエリュシオンだけ。
「んじゃ、サッと行ってこようか」
「はい」
2人は、ケリュネイアに乗り、1番ステージに向かって飛び始めた。
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