重なる夜
「…誰か、何か言ったのでしょうか?」
涙を溢し俯く紅葉の瞳には、壱刄の表情は分からない。勿論少し震える声には気付けなかった。
普段の紅葉なら気付けただろうが、今の頭の中はいっぱいいっぱいであった。
「…モミジ?」
壱刄の指先が紅葉の頬に触れた瞬間、体がビクリと震え「止めて」と振り払う。
「ル、流華の所に行けば?」
自然と、喉元がひくりと鳴る。
「流華?なぜ侍従長を…。」
戸惑う相手に憤る。
心の内から、悲しみが広がる。これは…誰の気持ち?
だって、私別に壱刄の事なんて…。
いいえ壱刄は〈私〉の物。侍従長なんかに奪われたくない!
紅い瞳でじっと相手を見上げ、後から涙が溢れていく。
「…壱刄…やだ。やだよ…。」
自分の意思とは反対に、心が乱れていくのを感じる。
知らずその場にしゃがみ顔を手で覆い、流れる涙を隠す。
悲しい、
辛い、
苦しい、
酷い、
裏切りだ、
最低、
嘘つき…
「どうして…?私を待っていたのは、嘘だったの?」
その言葉が終える瞬間、体を掬い上げられ素早く寝台に仰向けにされる。ギシリと軋む寝台の上で、顔を歪めて自分を見つめる壱刄を見上げた。
「…い「愛しています。…俺の心は貴女の物だ。」
紅葉の声は遮られ、強い瞳が紅葉の全てを射抜く。壱刄の指先が紅葉の頬に触れて、その唇が愛を紡ぐ。
「どうしたら、よろしいですか?貴女が死ねと仰れば喜んで命を差し上げますのに。」
彼の瞳は真剣そのものだ。反対に、少しずつ紅葉の気持ちも落ち着いていく。
だったら。
「じゃあ、どうして…流華と、シたの?」
それを思うとまた心が張り裂けそうになる。
紅葉の思ってもみない言葉に壱刄の瞳が見開き、動きが止まった。
本当、なんだ。
眉を寄せて困惑する彼をじっと見つめてみる。
やっぱり格好いい。
もし、流華が好きなら、きっともう一人の私は心が死んでまうだろう。
「流華の方が好き?」
「有り得ない!!」
「…………?!」
紅葉の問いかけに、壱刄の否定が返り驚き固まると、慌てて優しく頭を撫でられる。
「…それは違います。理由があるのです。ですが、年若い貴女に言える事では無く…。知られたく無かった。」
本当に辛そうに唇を噛み締める壱刄には悪いが、紅葉の心は違う。
自分に馬乗りの状態で見下ろしてくる彼を見返す。
綺麗な瞳。優しい手付き。ずっと私を好きだと言ってくる。
私は、元の世界に帰りたいし、好きな人も居る。
でも、その人の方が壱刄より好きだと言える?
「…教えて。私は知りたい。」
此方から相手の頬に手を伸ばせば、その手を取られて唇を落とされる。
「承知、しました。」
壱刄がゆっくりと話し出したのは、彼にとって辛い事だったらしい。
紅神子の不在の時代、十神衆は一月に一晩、耐えられぬ性衝動に襲われた。
気が狂わんばかりのその一晩だけ、侍女か斎女に相手をさせていたが、あまりの激しさでその相手を殺してしまう事さえあった。
本当ならば、普段から女性と体を重ねていればそこまで酷くはならない。だが、壱刄は全ての女性を拒否していたため、その様な有り様となってしまったのだ。
しかし、普通の人間とは違う侍従長ならば、相手を務める事が出来た。
否応なしに、流華が相手となったそうだ。
静かに話しを聞いていた紅葉は「そっか」と頷く。それから、もう大丈夫?と聞いてみる。
「…分かりません。周期としては、三日後の予定ですが。」
紅神子が居れば良いのだが、きっと私の髪が黒いからだろう。
何となく、誰かが話しているのを聞いたのだ。
瞳だけ赤いのは、半端な生まれ変わりではと。
どうすれば良いんだろう?でも、髪まで赤かったら、帰れなくなりそうだし。
ええと、今はそれは置いといて!
三日後…。
少し沈痛な面持ちの壱刄を観察する。紅葉も15歳、性に多感な時期だ。
知識もそれなりにある。
もしも三日後、その周期が来てしまい、流華と壱刄がそういった事をしたら…。
うう…と口内で呻く。
壱刄は決して嫌いじゃない。むしろ、テレビで見ていた芸能人の百倍は格好いいし、凄く優しい。
自分にだけ優しい人。
でも…。
彼が好きなのは、市原紅葉じゃなくて紅神子のモミジ。
それでも、紅葉の中のモミジは叫ぶ。
壱刄が好き、だと。
「…壱刄、あのね?」
「…は……」
返事を待たずに、ちゅっと相手の唇に微かに自身を重ねた。
呆然とする彼からまた離す。たぶん私の顔は真っ赤で、心臓もドキドキと鳴って五月蝿いくらい。
ははは、恥ずかしい!
めっちゃ歳上のイケメンだし、小娘のこんな遊びみたいなのなんて、どうとも思わないだろうけど。
林檎の様に赤い頬に、恥ずかしさで潤む瞳で見上げる。
「…あの、我慢できなかったら、ね。…これだけなら…。」
スッと視線を逸らして口ごもる。何か死にたくなってきたよ。
…………
…………
…………ん?
何の反応も無い相手に不安になり、そっと視線を戻す。
呆れた?
「…………っ」
「…へ?」
紅葉はポカンと相手を見上げて、見入る。壱刄は耳まで赤く染めて、片手で口元を押さえていた。
「…壱刄?」
紅葉の声に覚醒し「モミジっ」と呟き、勢い良く強く抱き締められる。
「きゃっ?!い、壱刄?」
「可愛い…。」
え?何か言った?
紅葉には小さすぎる相手の呟きは耳に届かない。
抱き締められ、紅葉の耳元に彼の唇が近付く。
「…あまりにも、お年若で清らかで無垢な様子でしたので、我慢をしていましたが…」
愛しい方…どうしてくれましょうか?
その台詞へ込められた壮絶な色香に、紅葉は気づく。爽やかに微笑んでいた壱刄の隠されたモノを。
だからといって、壱刄も強靭な精神力で堪えたらしい。
その夜は、ただ「可愛い」「愛している」「離したくない」と愛を囁き、唇への軽い口づけだけに留めてくれたのだが。
それでも、紅葉には濃厚な一夜となったのだった。
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