第一話 人生の終わり
目の前の友人の胸ぐらを掴む。
ガッチリと右手で襟首をホールドし、反対の手は素早く彼の袖へ。
あとは体を捻り、思い切り足を払って……
ダァン! ……背負い投げである。
空中を綺麗に舞った友人は、予定調和の受け身を取り悔しそうに顔を歪める。
「一本!」
顧問の先生の怒声を聞くと、それまでの稽古が全て報われたような気がするものだ。
「「「ありがとうございました!」」」
俺は大学で柔道部の稽古を終え、道場に向かって深く礼をした。
頬を滴る汗が、今日も頑張ったことの証のように感じて嬉しい。
「雄助! 昼飯、お前も行くだろ?」
「駅前にラーメン屋できたんだってよ。刀堂もラーメン好きだろ?」
友人たちが俺に声をかけてくれた。しかし申し訳ないんだが……
「悪い! 今日は予定あるんすよ!」
そう言って俺は足早に道場を去る。
もちろん道場を出る時もお辞儀は忘れない。
刀堂雄助、十九歳男性。
座右の銘は質実剛健、将来の夢は警察官、そんな俺は日常からスマートに……礼儀を重んじているのである。
「雄助、お辞儀の角度九十度超えてるよな。ちょっと真面目すぎてむしろ不器用だろ」
「まあ刀堂は本気で警察官目指してんだろ? あれくらい真面目な方が良いだろ」
「ああ、確か親父さんも警察官なんだっけ。それで……」
大学内にある道場から電車と自転車で合計三十分。俺は今日の予定を済ますために実家近くのお寺に来ていた。
鳥居をくぐるときに礼をするかは毎回悩むところだが、結局毎回小さく会釈をしてから足を踏み入れている。
いつも通り寺に入り、しばらく進んだところで「刀堂家乃墓」と書かれた石が目に入る。
ちょうど十年前の今日。警察官だった親父は死んだ。そして今の俺は親父の背中を追って警察官を目指している。
そうすればきっと、あの日の親父がどんな気持ちだったのかも分かるはずなんだ。
「……俺、絶対警察官になるよ。親父」
手を合わせ、軽く墓周りの掃除をしてから寺を出た。
茹だるほど暑い夏の日だ。友人との飯を断ったこともあってとにかく腹が減っている。帰って冷やし中華でも食べるとしよう。
汗を拭いながら自転車を立ち漕ぎ、自宅マンションへと辿り着いた。
うちは五階にある。いつもなら階段を使って少しでも足腰を鍛えるところだが、今日は流石に暑いのでエレベーターを使うことにした。
いつも通り玄関の前に着いた時に、俺は視界の端にいつもと違うものを捉えた。
隣の家の廊下に面した窓から、全身黒の目出し帽を被った人影が身を乗り出している。
……あ、目が合った。と思った瞬間、その人物は一目散に俺と反対側の階段の方へ駆けて行った……
「……空き巣!?」
俺はあまりのことに一瞬固まったが、すぐに荷物を投げ捨てて全力で後を追いかける。なんとか捕まえなければ!
階段を駆け降りる空き巣の背中を捉え、四階と五階の間、広めの踊り場で追いついた。空き巣の肩を掴むが、向こうも必死で抵抗してくる。
これが稽古なら背負い投げで一発なのに、焦りのあまり上手く力が入らない。しばらく揉み合った後ーー
「大人しくするっすよ! ……あっ」
空き巣に突き飛ばされた。ふわりと体が宙に浮き、次の瞬間後ろに地面がないことに気づく。
階段から突き落とされ、俺の頭の中を走馬灯が駆け巡る。死んだ親父の顔が浮かび、十年前のあの日から抱いてきた疑問が頭を支配する。
"真の正義ってなんだろう"
親父が死んでからずっと、いついかなる時も俺の人生の片隅に鎮座していた疑問。
結局この疑問に答えは出なかったなあ。人生の終わりにまでこんな疑問に付き纏われるなんてな。
……親父、ごめん。俺、警察官になれなかったよ。
目を閉じる。その瞬間が、俺の人生最後の記憶だ。
……俺の、一回目の人生最後の。
⚫️
「……雄助…………刀堂雄助」
薄く目を開ける。眩しい太陽の光の中、ゆっくりと体を起こした。
あれ、俺は確か階段から落ちて……ここは、病院?
……いや違うな、だって床が水だ。
なんだっけ……ウユニ塩湖? みたいに空の景色が水面に反射している綺麗な空間にいることに気づいた。
前方には際限なく水が広がっており、その奥は濃い霧に覆われてしまっている。どこかの湖だろうか?
それとも夢かこれ。……いやひょっとしなくても天国だったり……?
俺はとめどなく溢れてくる疑問に頭を悩ませながらも、なんとか状況を把握しようと努める。
「雄助」
「うおっ! びっくりした!」
突然聞こえてきた無機質な声に驚き、情けない声が出てしまう。
声がした方を振り向くとそこには一人の女性がいた。
年季が入った服に長い金髪。年は十代から二十代に見える。
特筆すべきは、花をかたどった仮面をつけていて顔の上半分が見えないこと。そして背中に大きな三対の翼が生えていることだ。
「……やっぱりここ天国なんすかね……?」
でも天使にしては服が煌びやかじゃないんだよな……
「雄助。貴方は一度死に、この世界へと転移してきました」
「え? ……俺やっぱ死んだんすか……」
まるで機械音声のような無機質な声で、考えうる限り最悪の可能性を肯定されてしまう。やっぱ俺死んだのかよ……
しかし人間、一度死んだなどと言われてしまうと逆に冷静になれるもので、俺はとりあえず天使? との交流を試みることにした。
「……ここはどこで、あなたは誰なんすか?」
「ここは貴方がいたのとは異なる世界。私のことは女神と呼んでください。あなたにはやってもらいたいことがあります」
なんと女神様! それでここは異世界? やばい分かんない。とりあえずもうちょっと話聞こう……
「やっ……てもらいたいことって?」
「この世界には、『アーククラフト』と呼ばれる神の兵器があります。あなたにはとあるアーククラフトを回収して欲しいのです」
「アーク……クラフト……? それってどういうものなんすか? とあるアーククラフトって……?」
女神様を質問攻めにするなんて人類初だろうな。でも分からないことが多すぎるのでしょうがないだろう。
女神様は俺の質問に答える代わりに、一本の刀を取り出して俺に手渡す。
「これが貴方の半身となるアーククラフト、『リンドウ』です。貴方にはエンシェントと呼ばれるアーククラフトを回収していただきたい」
「『リンドウ』……エンシェント? ……よ、よく分かんないっすよ。なんで女神様は俺なんかにそれを頼むんすか?」
先程まで俺の疑問にはスラスラと応えていた女神様が、意外にも言葉を詰まらせる。
「……今はまだお伝えできません。しかし、エンシェントを見つけたその時、貴方は真の正義を知ることになるでしょう」
思いがけず出てきた言葉に、驚いて女神様の顔を凝視する。
前世で、生涯かけて見つけられなかった答えが、この世界にある……?
もう一度質問をしようとした時、女神様にギュッと手を握られる。冷んやりとした生気を感じない細い手だ。
「雄助。これから始まる貴方の人生が、素晴らしいものになることを願っています」
その言葉と共に女神様の体が光を放ち消えていく。
仮面の下の表情は見えなかったが、俺にはどうも寂しそうに見えてしょうがなかった。
「ちょっと待っ……」
俺の言葉がそれ以上響くことはなく、白い光に視界が覆い尽くされてしまった。
⚫️
「痛っ!」
白い光が収まり、腰への鈍い衝撃と共に俺の視界が色を取り戻す。
緑の草原、青い空、鈍色の甲冑。……ん!?
俺の目の前には甲冑を纏った女性がいた。甲冑といっても全身に纏うものではなく、関節部分や胸元など急所のみをカバーしているものだった。
一瞬二人の間に静寂が生まれる。俺は何を言えば良いんだこれ。
「き、貴様! 今すぐにそこをどけ! 大丈夫ですか、グランセーヌ様!」
女性が俺を睨め付けながら叫んだ。
な、何を言っているんだ? ぐらんせーぬさま? とにかく立ちあがろうと地面に手をついた時、その瞬間になって初めて気づく。尻の下に人が倒れている……
俺は慌てて飛び退き、即座に土下座の体勢を取る。
「すみませんでしたーーーー!」
俺の頭は今の状況と、先程の女神様の言葉を噛み砕くためにフル稼働していた。よく分からないけど人の上に落ちた? らしい。
恐る恐る頭を上げてみると、全身白を基調とした煌びやかな服を着こなしている青年が、優雅な所作で起き上がって埃を払い……そしてレイピアを抜いた。やばい。
「……貴様。急に空から現れたな。さては報告にあった天空の覇者とは貴様のことか?」
なんのことだろう。俺はそんなにかっこいい人間じゃないよ……
とりあえず否定してなんとか会話での平和的解決を……
「よ、よく分からないんすけど違くて!」
そう言って降参の意味を込めて両手を上げる。
青年は掲げられた俺の手を見て戦闘体勢を取る。
「敵意ありということか!?」
え、なんで。と思ったらさっき女神様に貰った刀を右手にしっかりと握っていた。
「あ、いや違うんすよ! これはさっき女神様? に貰って……」
「女神だと? 神など二千年前に滅びている! 出鱈目を言うな!」
言葉と同時にレイピアが迫ってくる。反射的に刀を抜き、レイピアを弾く。
刀身をよく見ると、形は普通の太刀だったが、色が深い青色になっている。なんでこんな奇抜なんだよ……
「その派手な刀身、さてはアーククラフトか? 油断するなよテルス」
グランセーヌ様と呼ばれていた青年が背後の女性に声をかける。
まずい。なんかアーククラフトであることを看破した上にめっちゃ的確に指示出してる。決闘の流れできちゃった……
目の前でレイピアを構える青年に対し、俺は泣きそうになりながら『リンドウ』を構える。
どうやらもう戦いは避けられないようだ。
さかまき たまきです。
今作が初投稿です。
よろしくお願いします




