6. 暴走
親父に負けるつもりなどなかった。
確かに熊族同士で番になることが強さの秘訣だというのは理解している。
それでもあの時、毛皮を剥がれて死ぬのを覚悟した俺にとってロレインは命の恩人であり、自ら好意を持った初めての相手だ。
その彼女を守るためなら例え父親であっても容赦などしないと爪を振り上げるつもりだったが、辺りに響き渡った金属音に嫌な予感がしてロレインの立っていた方向に視線を向ける。
口元に伝う赤にまさかと走り寄れば、彼女の身体が傾いていくのが見えた。
「…ロレイン!!!!」
「泣かないで…グレアムにはきっと…他に…良い人…いるから…。」
そんな言葉聞きたくない。
幼くなりつつある自らの身体がロレインの命の灯火が消えていくのを体現しているようで溢れる涙を止めることが出来なかった。
逆らうことなく閉じられた瞼に熱を失っていく身体。
誰の差金だと怒りが込み上げてくる。
「番の印が解けたようだな。良かったじゃないか。」
「…お前の仕業か。」
「実の父親に向かってお前とは何だ!」
「親父の仕業かって聞いてるんだ!」
「私が勧めましたの。」
一歩前に出てきたのは見覚えのある女性の姿で、目を見開いた。
本来、番の相手となるはずだった許嫁で悪びれた様子もなく口元には笑みを浮かべている。
それを見た瞬間にグレアムの身体が急成長すると彼女の首を片手で掴み、圧し折る強さで握り込んでいく。
苦しげに助けを求めている彼女になど興味はなく、憎悪の感情だけが支配しているのだ。
「…興醒めだな。アンフィム、人種をここへ。」
王のその言葉でグレアムからロレインを受け取ろうとしたが、その手は彼の爪によって切り裂かれる。
「ロレインニ触ルナ!オ前モ殺ス!」
暴走を始めたグレアムは既に言葉を流暢に話すことはなく、ただ彼女を自分の側から離すものかと敵意を向けている。
そんな彼を見兼ねたのか、玉座から立ち上がると自らグレアムへと近付いていった。
「リオ陛下!危険ですから近付いてはなりません!」
「問題ない。熊族を暴走させられるなんて…お前、本当に人種なのか?」
いつの間にか彼女の頬に触れられる位置まで移動したリオにグレアムが爪を振り下ろしたが、いとも簡単に防がれてしまう。
「…目を覚ませ。このままでは本当にグレアムは獣に墜ちる。」
彼女の耳元でそっと呟くと口元から黒い液体が溢れ出てくる。
ゲホゲホと咳き込んだロレインに彼の意識が一瞬にして彼女に向けられ、真っ青な顔になったまま倒れ込んだ女性になど見向きもしない。
「ロレイン、戻ってきて…。」
「毒を吐き出したとはいえ、その影響は受けているから少し休ませたほうが良いな。部屋を用意させよう。…長、話がある。」
「はい。」
「今のを見たな。」
「それは…。」
「熊族同士で番になったとしても暴走状態になれるのはお前とアンフィムだけだ。それを脆弱な人種の番を持ったグレアムがなれるのであれば、無理に離すことはない。寧ろこのままで無ければな。」
「…わかりました。」
「皆にも伝えろ。今後一切、グレアムの番に手を出すことは王である我が許さない。」
凛とした声でそう言ったリオは玉座へと戻っていった。
その頃、侍女に案内されたグレアムは客間の一室にあるベッドで不安を消し去るように抱きしめたままじっと彼女を見つめている。
青白い顔は本当に生きているのかと心配になるが、微かに聞こえる呼吸音に安堵して顔に掛かっていた髪を払った。
「…ロレイン。お前は転移性恋愛だから冷静になれば好きじゃなくなると言っていたが、寧ろ時間が経てば経つほど好きの気持ちは大きくなる一方だ…。もう二度と俺の前から消えないでくれ。」
ポタリと落ちた雫が彼女の頬を流れていくのを見届けながらそう繰り返すのだった。