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[クリスマスSS]彼女は恋人らしく過ごしたい。

本編16-1以降の設定。

※たぶん公認済です。




 深いグレーで覆われた空から、白い粉雪がふわふわと舞い落ちる。それはまるでいたずら好きな妖精たちのように漂い、隠れん坊をするかのごとく樹々の上に降り積もっていく。


 今日は特別に冷えるなと。ひと通り資料に目を通し、一呼吸ついたクロヴィスが窓の外を眺めて考えた、そのときだった。


「おわった! 今日の目標達成……!」


 思いっきり両手を上に伸ばし、うーんと呻くのは、言わずと知れたハイルランド王女アリシア。クロヴィスの仕える主人であり、彼の恋人である。


 見れば「未決」に積まれていた書類の束が消え、それぞれあるべき場所へと振り分けられている。彼女はさきほどから、あれこれとクロヴィスに確認を取りながら集中して書類の山に向かっていたが、ついに全てを片付けたらしい。


 ずっと同じ姿勢でいたため疲れたのだろう。澄んだ空の色を閉じ込めた髪を揺らし、くるくると首を回したり伸びをしたりする主人に、クロヴィスはにこりと微笑みかけた。


「お疲れ様です。あれだけの量に目を通すのは骨が折れたでしょうに」


「書類の山を見たときは目を回しそうになったけど、クロヴィスがちゃんとまとめてくれていたもの。お前のおかげだわ」


 さらりとアリシアが従者を労えば、クロヴィスも応えて恭しく一礼。そんないつとのやりとりを繰り広げていると、ふいにアリシアは「さて、」と目を輝かせた。


「お茶の時間にしましょう。今日はとても、いいものが手に入っているのよ」


 そう言って、彼女が侍女たちに準備させたものを見て、クロヴィスはぱちくりと瞬きをする。手際よく並べられていく紅茶セットの隣に置かれた、銀のトレーとドーム。侍女のアニがドームをどけると、中から愛らしいふたつのカップケーキが顔をのぞかせた。


 聞けば、マルサがエグディエルの街に出たついでに、お土産として買ってきてくれたのだという。丸っこいケーキの上にはふわふわとクリームが盛られ、さらにその上には外の雪景色と同じように粉砂糖がまぶされている。


「なんでも、街の娘たちの間で大人気の新作らしいわ。せっかくだし、お前と一緒に食べたいと思ったのだけれど……」


 だめ?と。小首を傾げて、アリシアが自分を見る。強請るように、甘えるように、空色の瞳がきらきらと光り、苦笑を浮かべるクロヴィスを映し出す。


 最近自覚したが、自分は彼女の「おねだり」に滅法弱い。

 というか、こんな可愛らしい「おねだり」を断る理由が、どこにあろうか。


 そんなわけで、クロヴィスとアリシアは並んでソファに腰掛け、美しい銀食器の上に載せられたカップケーキと湯気の上がるティーカップとをそれぞれ前にしていた。手を伸ばし、さっそく紅茶に口をつければ、ふわりと芳醇な香りが鼻をくすぐり心地よい。


 ちなみに侍女たちはどうしたかというと、お茶のセットを準備し終わると早々に隣室へと引き上げていった。


 と、アニが出ていくときに、猫のような思わせぶりな笑みをクロヴィスに向けて「ごゆっくり~」と告げていったことを思い出し、彼は身震いした。最近どうにも、侍女たちが自分たちに向ける視線が生暖かい気がするのだが、その理由を正面切って尋ねる勇気はない……。


 さて、そんな補佐官の心配をよそに、アリシアはきらきらと目を輝かせつつも、その視線はふたつのケーキの間を行ったり来たりしている。一見、ふたつは同じものに見えるが、中に入っているジャムが別のものだというのだ。


 ああ、とか、うう、とか意味を為さない音を呻きながら、どちらにしようかと迷う恋人に、クロヴィスはくすくすと笑った。


「そんなに迷うならば、両方食べてみてはいかがです?」


「だめよ。それでは、クロヴィスの分がなくなってしまうもの」


「私はそれでも構いませんよ。けれど、そうおっしゃるならば、互いに半分を食べて交換すればよいのでは」


「……名案だわ」


 それなら両方食べられるわと、アリシアは真剣な顔をして頷く。すぐに「半分こ」を思いつかないあたりはアリシアの王女らしい部分であり、一方でなんら躊躇いなく「半分こ」を受け入れるあたりは彼女の王女らしくない部分と言えよう。


 方針が決まれば早いとばかりに、アリシアはさっそくフォークに手を伸ばし、嬉しそうに最初の一口に手を付ける。ぱくりとケーキを食べた王女は、次の瞬間「うーん」と幸せそうに頬を押さえた。


「良かったですね。そんなに美味でありましたか」


「甘酸っぱくってね、ふわふわでね。ああ、もう。クロヴィスも食べてみて」


 興奮気味に言いながら、アリシアがカップケーキに再びフォークを入れ、それを彼に向けて差し出す。満面の笑みと共にフォークを向けられて、クロヴィスは思わずあまり考えないうちに、目の前のケーキをぱくりと口に含んだ。


 なるほど。これは美味しい。


 甘酸っぱいのは、おそらく中にラズベリーのジャムが入っているためだ。それが、ふわふわした生地と滑らかなクリームと混ざり合い、絶妙なハーモニーを奏でている。


 と、ここまで真剣に分析したところで、クロヴィスは隣に座る主人が――アリシアの様子がおかしいことに初めて気づいた。


「アリシア様? どうかなさいましたか?」


 見れば彼女は、クロヴィスにフォークを差し出した姿勢のまま、ぽかんと口を開けて固まっている。空色の瞳はまん丸に見開かれ、フォークを握る手は感動を噛みしめるかの如くふるふると震えている。


 一体全体、どうしたというのだろう。首を傾げるクロヴィスだったが、アリシアはというと、なぜか再びフォークでケーキをすくいあげ、期待に満ちた顔でそれをクロヴィスに差し出した。


「これは?」


「ケーキよ」


「見ればわかります。これを、どうしろと」


「食べればいいのよ」


 はい?と。思わず、素の声が漏れる。


「私は雛鳥ではありません。あなたのお手を煩わせずとも、自分で食べれます」


「そうだけど。そうじゃなくて」


 なぜか一向にひく様子のないアリシアは、クロヴィスがケーキを食べるまでは梃子でも動かぬという構え。絶対食べなさい。今すぐ食べなさい。そんなプレッシャーをびしばし感じつつ、クロヴィスは仕方なく、もう一度彼女の手からケーキを食べる。


 途端、王女はぐっと両手を握りしめた。

 そして感極まったとばかりに、小さく呟く。


「この感じ、ものすごく恋人っぽい気がする……!」


 ぽかんと、今度はクロヴィスが口を開ける番だった。


 言われてみれば、先ほどの自分たちの行いは親密な男女間に見られるそれであり、彼女の言うように「恋人らしい」やり取りだ。とはいえ、アリシアはそんな些細なことで喜んでいたというのか。


(……まったく。この人は)


 自分にとってはなんてことのない、自然な動作。そのはずだったのに、今更のように気恥ずかしさとむず痒さが沸き起こる。


 彼女は大人びているかと思えば、変なところで年相応だ。そんなところを愛らしいと、いっそのこともっと甘やかして困らせてやりたいと思ってしまう自分も、相当重傷だと思う。


 さて、この初々しい恋人を、どう追い詰めてみよう。


 先ほどとは逆にフォークを差し出してやれば、真っ赤になって応じるだろうか。それとも、甘味ではなくあなたが欲しいと囁けば、慌てふためきつつも最後は目を閉じてくれるだろうか。


 表情だけは冷静沈着を装ったまま、クロヴィスはあれこれと思案する。と、己の補佐官がそんなことを考えているなどとは露知らず、ひとりでふわふわと浮かれていたアリシアだったが、ふとクロヴィスを見上げて「あっ」と声を上げた。


「クロヴィス、口の端にクリームがついてしまっているわ」


「なんと。それは困りました」


 慣れないことをしたせいで、ついてしまったか。そう思ってナプキンに手を伸ばしたが――その手に、アリシアの手が重なった。引き留めるような動きに真意を量りかねてクロヴィスが顔を上げると、なぜかすぐ目の前に彼女の顔が迫っていた。


「アリシ……」


 彼女を呼ぶ声は、途中で飲み込まれた。唇の端に柔らかな感触が触れ、ちろりと、冷たいものがそこを舐めたからだ。


(……なっ)


 今度こそ、クロヴィスは固まった。アリシアはというと、微動だにしない彼の前で顔を真っ赤にしつつも、なぜだかやたらと得意げに「ね、こうしたほうが早いでしょ?」などとのたまう始末。


 だが王女も、すぐにクロヴィスの異変を察して慌て始める。当然だ。苦笑のひとつでも浮かべて窘めてくると思った相手が、無表情のままだんまりを決め込んでしまったのだから。


 さすがにはしたなかっただろうか。

 子供じみていると、呆れられたのだろうか。


 そのようにあたふたとアリシアが慌てていると、ふいにクロヴィスが動いた。軽く少女の肩を押せば、あっけなく彼女の体はソファへと倒れこむ。恋人が逃げ出さないようにと身を乗り出して彼女をその場に閉じ込めてやると、何が起こったのかわからないアリシアはぱちくりと瞬きを繰り返した。


「く、クロヴィス……?」


「恋人らしい行いがしたい。そういうことだと、理解してかまいませんね?」


 次第に赤く染まっていく顔を満足げに見下ろしながら、クロヴィスは笑みを浮かべる。近くに鏡はなかったが、己がどんな顔をしているかは大体想像がつく。ちょっぴり意地悪で、ひどく楽しそうな表情をしていることだろう。


 身を屈めて小ぶりな耳に軽く歯を立ててやれば、腕の中でアリシアは小さく震えた。


「……いいでしょう。もっと、恋人らしいことをしましょう。蕩けるほどに甘美で、目が回るほどに幸せな時間を、俺と過ごしてください」


自分でも驚くほどに、掠れた声が耳を打つ。余裕のないことだと苦笑が漏れそうになるが、仕方がない。無邪気な振る舞いで己を狂わせるのは、いつだって彼女のほうなのだから。


 答えを待つクロヴィスの前で、アリシアが視線を彷徨わせていた。恥ずかしがりやで初心な彼女は、しばしばこういう態度をとる。そういう時、クロヴィスは辛抱強く待つ。理性の欠片にしがみつくこと十数秒、彼にとっては永遠にも思える苦行の後、アリシアはこくりと頷いた。


 視線を逸らし、頬を真っ赤に染め上げて、アリシアは小さく頷いた。


 受け入れられた安堵と、言い様のない幸福感とが、クロヴィスの胸を満たす。同意を得ることに成功した彼は、アリシアの背と足裏に手を回して素早く彼女を抱き上げた。


 せっかくのケーキも紅茶もまだ残っているが、目の前の恋人を味わうことが先だ。ふたりで分け合う喜びは、溢れんばかりの愛をたっぷりと伝えた後で、ゆっくりと楽しめばいい。




 可愛いですよと、彼女の耳に唇を寄せて囁けば。


 返事の代わりに、彼女はぎゅっと、彼の首にしがみついたのだった。




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