五話 お兄様と一緒
こんなことなら前世で剣道でも習っておくんだった。
今更すぎる後悔を思い起こしながら、ノーザは兄ジークによる剣術の修行を続けていた。
ノーザの姿はドレス姿ではなく、兄のお古であるハーフパンツにベストだった。サイズが全く違うので少々ぶかぶかとしていたが、スカートはいて剣を振るうよりはマシだった。
剣術の修行はノーザが想像していたものよりキツイものだった。
心のどこかでそんなものは余裕で乗り越えられるといううぬぼれがあったのは確かだが、いざ始めてみると想像以上にしんどいのだ。
ジークはまだ肉体が幼いノーザの事を考えて筋力をつけるようなトレーニングは課さなかったが、それでも訓練用の木刀ぐらいは振るえる程度の腕力を求めた。
それで、始まるのが素振りだ。
一刀、一振りが必殺の一撃に繋がるという信念の下に開かれたクラスベール剣術の稽古だった。
その剣術は古くよりレクーツァ王国に伝わる流派であり、その一撃は大地を割るとまで伝えられる程だ。
元々は大剣を振るう為の流派だったが、それが巨大な機械騎士であり、八メートルを越える巨大な剣を振るうハイメタルガーデンにとっては一番フィットする動きであると言われ、そのままパイロットを目指す騎士たちにとっては必須科目のような存在となった経緯がある。
とにもかくにも一振り、それに集中し、力を込める。敵の防御をその上からたたき割り、神速に迫る一撃により回避すらさせない。理想論ではあるが、確かにわかりやすい剣術だ。
だが、刃筋がしっかりとしていなければ敵を両断すること敵わず、安易な腕力は腕を壊す。故に単純な動作である素振りを繰り返し、剣の軌道を極める必要がある。
それが、キツイのだ。いくら軽い木刀を用意してもらったとは言え、何百と振り続けていたら腕が鉛のように重くなってくる。
(腕が棒みたいだぁぁぁぁ……)
ノーザは自分の体力がまさかこれほどまで低いとは思わなかった。前世の自分の方がまだ持続力があったはずだ。
子どもの体力というものを少し高く見積もりすぎていたのかもしれない。しかもそのせいでハイペースになってしまった部分もあった。
しかし、途中で投げ出すのも少し尺だった。ノーザは頑固だ。例え外れゲームを引いても値段分は遊ぶぐらいにはやり通す。
理屈はさておき、ノーザは何事もやり始めに感じる苦痛で全てを投げ出す程、ヤワな精神を持っていなかった。
それゆえにジークの修行にも何とかついていけていたのだ。
剣の修行を始めたことに対する両親の反応は両極端であった。まず、父エーゲスは気が動転でもしたのか、「どういうことだ」、「なぜそんなことを」、「怪我でもしたどうする」とちょっとしたパニックだった。
対する母は「まぁいいじゃありませんか」といつもの調子だった。
「よし、今日はこのあたりにしようか。だいぶ剣筋がしっかりしてきたよ」
ぱんぱんとジークが両手を叩く。それが修行の終わりを告げる合図だった。
待ってましたと言わんばかりにノーザは木刀を放り投げ、地べたにぺたんと座り込んだ。
「こ、この稽古はいつまで続けるのですか……」
ぱたぱたとベストのボタンを少しだけ外し、襟を仰いで風を送るノーザ。もうその動作だけでも腕を使うのがキツイ。
「んーそうだなぁ。ノーザの体力と相談かな。今の体で、無理に剣術の修行をすると変な癖がついて、逆に悪くなる。しっかりと体が出来上がってからだ。それまでは慣らしの期間だな」
「もう少し手っ取り早い稽古はありませんの? 魔法で体を強化するとか……」
「できなくもないが、ノーザ。君、ずっと魔法を使うことを考えながら剣が振るえるかい?」
ジークが言うのは全く異なることを同時に二つ行えということだ。
ノーザは無言で首を横に振った。
この世界の魔法は呪文を唱えればそれで発動するわけではない。かと言ってイメージだけで発動できるわけでもない。言ってしまえばそのどちらもが必要となるのだ。
魔法を発動する為のキーである呪文詠唱、これはどんな魔法をどの規模で、どのように放つかをまとめて言葉にしたものだ。そのキーである呪文を唱えながら、その言葉通りのイメージを行う必要がある。
片方が欠けてはいけないのである。
「そう焦らなくてもいい。ノーザはまだ小さいじゃないか。何も十歳やそこらで騎士団に入れるなどとは考えてないだろう? 私ですら十四の頃に入団して下っ端扱いだったというのに」
そうは言うものの、ジークは今十七歳。たった三年で近衛騎士団でも上位に食い込んだ男だ。やはり才能が違う。
「それと、明日に疲れが残らないようにな。なんせ、明日はゼラ陛下の即位十周年記念のパーティーだ。我がアイランディも参加せねばならないし、お前としては初の社交界だ。むしろ、遅すぎるぐらいだがな」
さらにノーザの頭を悩ませるのは貴族としてはいつかは行わなければいけない社交界への参加であった。ノーザとしての記憶を辿れば初めて両足で立った瞬間にはダンスの稽古、言葉を発した瞬間には言葉使いのお勉強だ。
「うぅーダンスなんてできませんわよ?」
剣術の稽古と並行してダンスの稽古。取り敢えず教えてもらったダンスの動きは出来ないこともないが、ダンスホール的な場所で優雅に踊るなんて恥ずかしいこと、今の自分にはちょっと出来そうにもなかった。
自分としてもロボットに乗ってやると息巻く癖にと思うが、それとこれとは話が違ってくる。ロボットは好きで目指すものだし、それが生き残る確率を上げる為の必要な手段とすればダンスなんてこの先、どれほど必要になるか……
などと言い訳をしていても、本番は明日なのだが。
「そういう時は相手のせいにすればいいさ。レディはそれが許される」
そんなことを言う兄はそんな言い訳をされたことがあるのだろうか。
思えば、ノーザは自分の兄の事を全く知らなかった。いや、優しい兄ということ、好物や好みの女性の趣味などは知っている。それはノーザの知識だ。
だが、そういう表面的なものではなく、内面的なものがいまいち理解できていない。
いずれ死ぬ兄。理由はわからないが、命を落とす兄。
こうして剣の稽古をつけてくれるのも、メタな話をすればあと数年だ。詳しい年月はわからないが、ジークは王を守って戦死する。
「ん? どうした、ノーザ」
自分を見つめる妹の視線がいつもと違うことに気が付いたのか、ジークは首をかしげて尋ねた。
「いえ、お兄様はダンスについて女性と何かあったのかなと」
うまく話しは誤魔化せたと思う。
その話を切り出した瞬間、ジークはわかりやすく戸惑い顔を浮かべ、うぅむと唸りながら、ノーザの隣に座った。
「うっ。まぁ、私がお前頃の頃だが、初めてダンスに誘った子のドレスのすそを盛大にふんずけてしまってね……ドレスが破れるならまだしも、そのまますっぽりと行ってしまってね……」
「えぇ!」
それはちょっと洒落にならないのではないかとノーザは思う。
すっぽりって、つまり、そういうことなんだろう。
「いや、あれは申し訳ないことをした。そうそう会うこともないのだが、社交界でばったり会うと、未だに向こうからは殺意の眼差しを感じるよ」
「それはどう考えてもお兄様が悪いですわ。レディに恥をかかせるなんて」
もし自分がそんな目に合ったら相手をたこ殴り確定だ。
できるかどうかはさておくが。
「反省しているよ。父上は笑い話にしているが、母上はいまだにネチネチと言ってくるんだから……」
それも、知らない話だった。
でも、この一見完璧そうに見える兄の可愛らしい欠点が見つかったのはちょっとした収穫だったかもしれない。
「まぁもしノーザがそのような目にあったら、私は相手を切り殺すかもしれないがね」
ジークはわずかな微笑を浮かべている。
「自分は棚に上げて?」
「そりゃそうさ。可愛い妹だからな……フム、そう思うと私はよく生きているな……」
「不吉なことは言わないでくださいまし」
「おいおい、冗談だぞ?」
「あら、女の恨みはしつこいですわよ?」
「それは身に染みてるよ」
そんな他愛もない会話を続けながら、兄と妹はあけすけにどっと笑いあった。