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四十五話 情愛が至るもの

 やはり、自分はどこかおかしい。

 ふと自室で目が覚めたウェンディーズはむくりとベッドから起き上がり、窓の外を見上げる。床に就く前にはまだ瞬いていたはずの星や浮かんでいた月はすっかり暗雲に隠されていた。


 それでも学園の敷地内がある程度の灯りを保っているのは魔力を用いたマナ灯があるおかげだ。

 空気中に漂う少量の魔力だけで、ぽつぽつと小さいが確かな灯りをともしてくれる。この装置の開発のおかげで、少なくとも夜間の治安は多少なりとも保証されていた。


 同時に、異性の部屋に忍び込む学生の数も減ったので、その事で少なからず文句を言う色の多い学生もいるにはいたが、ウェンディーズは関係のない話だ。


「明日は決勝だというのに……」


 ベッドから降りて、窓際まで移動する。どれだけ眺めても分厚い曇り空が晴れることはない。雨雲とも違うようだが、どちらにせよ好きになれない空模様だ。

 明日の試合、天気の程は心配はない。学園の教職員たちもそれぞれが腕の立つ魔法使いたちだ。天候操作を行えば無理にでも晴れ空を作ってくれる。

 だから、そのあたりは心配がない。この世界のよい所は、少なくとも天候不良で行事がなくならないことだ。


 しかし、真面目な神官たちの中にはあまり天候操作を多用するなという意見もある。天の動きは、天に任せるべき。つまる所は、神様の言う通りにしておけというものだ。驚くべきは学者たちの中にもその意見に賛同するものが多いということだ。彼らの場合はもっと具体的で、環境に大きく作用するものであるから、よほどの天変地異でもなければ、天任せにするべきというものだ。


 それが受け入れられているのかどうかは定かではないが、一応、魔法による大規模な天候操作はそうそう行われるものではない。こういう、催しがなされない限りはその通りだ。


 しかし、だ。この曇り空を眺めていると、まるで自分の心の内を現しているようだなとウェンディーズは思う。今の自分はなんとも重たく、暗いのだ。ガーデンデュエルは確かに所詮は行事だ、親善試合だ。それでも、各国の先鋭が集まり、その頂点を競うという場所だ。

 そして、自分は今まさにその頂点に挑もうとしている。相手はノーザ。あの強い娘だ。いかなる素質であるのか、幼き日に垣間見たあの不思議な少女は美しく、そして強く成長していた。


 特にガーデンの操縦に関しては目を見張るものがある。些か、騎士道というものから大きく外れているような気がしないでもないし、あのような不作法な戦い方は到底容認できるものではない。それでも、認めるしかないのも事実だ。あの奇怪な動きは、見切れるものじゃない。


 油断ならない相手。間違いなく強敵である。そんな相手との戦いに胸を躍らせているからこそ、眠れないのかと思ったが、どうやらそうではないないらしい。

 ウェンディーズは自身の中にくすぶる卑しい感情を自覚していた。それが、どうにも奇妙なのだ。

 思えば、ガーデンデュエルが開催されてからずっとだ。寝ても覚めても、アイリス、アイリス。彼女のことが頭から離れない。無意識のうちに彼女に惹かれていた……というのであれば、それもいいだろう。だが、決勝に進出したとわかった瞬間、いや違う、アルダンとの戦いの折りから、どうにも自分はおかしくなったようだ。


 異性に惚れる。それは良いだろう。思い起こせば、自分は幼い頃、乳母に情愛を抱いていたことがある。あれは、幼子特有のたんなる憧れであったと思うが、アイリスに対してはそれに似た初々しい感情と、しかしあまり直面したくない生々しい感情があった。

 アイリスの肢体を思い浮かべると、胸が熱くなる。それは、男のさがと言ってもいいのかもしれないし、それを破廉恥の一言で切り捨てるのもどうかなと思う。しかし、この思いの膨れがありようはなんだ。自分は、そうまでして、アイリスという少女に心惹かれてしまっているのか。


「エミリオ、アルダン、エリック……なぜ私は彼らがアイリス争奪戦から外れたことをここまで喜んでいるのだ?」


 ガラス窓に映る自分の顔を見た瞬間、ウェンディーズはぎょっとした。笑みを浮かべていた。それは、普段から自分が作り上げている顔そのものだが、それ以上に作り上げられた、まるで仮面のような無機質な笑みだった。

 ウェンディーズは思わず頭を振る。気味が悪い。


「全く、ゲスな……心の乱れか? いかんな、師匠に叱られる」


 騎士団長バルクムントの顔を思い浮かべ、気を引き締める。が、すぐさま彼の顔は消え失せ、遠間で眺めたことのあるアイリスの笑顔に上書きされる。そして、自分がそのアイリスを……


「くっ……!」


 ウェンディーズはパチンと両頬を叩いた。気を抜くとすぐこれだ。一体なんだというのだ。劣情に近い何かを思わせる自分の心に戸惑いを隠せない。

 その瞬間、立ち眩みのようなものを感じた。こめかみを軽く抑えるとその感覚はすぐに消えていった。曇り空のせいか、ほんの少し肌寒い。


「いかんな、風邪か……それとも戦いに沸き立っているのか?」


 そうだ。明日は早い。明日は決勝だ。万全を期さなければいけない。なぜなら、明日は大事な日だ。下手は打てない。


「あぁ、そうだ……決勝戦だ」


 ウェンディーズは深く笑みを浮かべる。


「そして、俺はアイリスを手に入れる」


***


 エリックのお誘いの帰り道、ノーザは立ち眩みを感じた。例のカフェテラスから女子寮までは少し、距離がある。とはいっても足早に歩けばものの数分でたどり着くものだが。

 それでも、ノーザは道中に設置されたベンチに腰掛けることにした。明日は決勝戦、早く休んでおかないといけないというのに。


「……なに、さっきの」


 曇り空が冷ややかな空気を運んできたのか、うっすらと肌寒い。ノーザは軽く両腕をさすりながら、先ほどの感覚を思い出していた。立ち眩みなんて、この体になってからもう何度経験したことか。意外なことに、お嬢様生活というのは規則正しく、キツイ。朝早く起きるのは当然だし、身だしなみの用意もある。

 特に、自分の場合は日々の鍛錬もあるから、さらに早い。今更それに文句もないし、後悔もないが、それでもやはりキツイものはキツイ。


 だが、先ほどの立ち眩みは違う。そんなものではない。しかし、ノーザはあの感覚のことを覚えている。忘れるはずもないし、忘れてはいけない感覚だ。


「お兄様が死んだ時に似てる」


 気が付くと、ノーザは時分の腕を強く握りしめていた。


「魔王の感覚だ」


 幼き日の記憶。領地を襲うドラゴンの出現、そして復活。あの時に感じた奇妙な感覚。ノーザは間違いなく断言できる。あれは、そしてこの感覚は同一のものだ。嫌な予感がする。ただ無意識にそう感じるものであり、そう確信できるものだ。

 これは魔王の気配だ。自分がなぜそんなものを感じ取れるのか、そんなことはわからないが、とにかくこれは魔王の気配だ。

 だとすれば、もう既に奴はこの学園で何事かを始めようというのだろうか。いや、しかしそれは早い。ゲームにおいてはそんなシーンも描写も皆無だった。当然、この世界、この状況がもうゲームとは微妙に食い違った歴史を歩んでいるのは理解しているが、それでもだ。


「まさか、いきなり学園にドラゴンを送り込んでくるなんてことはしないでしょうね……」


 魔王の狙いは世界の破滅。トゥルーでありハーレムルートを除けば、どのルートにおいても魔王は、必ず世界を滅ぼすと公式設定では明言されていた。七面倒臭い話だが、ノーザが知る魔王の行動理由はそれだけだ。そして、バッドエンドでは世界は滅びるのだから、なんとしてでも阻止せねばならない。


 彼の目的を邪魔するもの。それは聖光女であり、彼女を守護する四人の騎士。そしてこの学園にはその末裔、生まれ変わりが揃っている。叩き潰すのであれば確かに好都合かもしれない。

 なぜなら、この状況では、彼らはまだその使命にすら目覚めていないし、アイリスも聖光女に覚醒していない。


「やるなら今のうちって考えるのは当然だろうけど……」


 ならばと思い立ち、ノーザは立ち上がり、移動を始める。目的は女子寮ではない。彼女が向かった先は、格納庫、ハイメタルガーデンが眠る場所だ。

 もし、このタイミングで、魔王が何かアクションを起こした場合、対抗できる可能性があるのはガーデンぐらいだ。

 もちろん、それ取り越し苦労であってほしい。本来ならば、魔王が行動を起こすのはもっとあとだし、そもそもターニングポイントである戦争だって始まってない。


 それでもノーザは気がかりであった。この奇妙な感覚。何かが蠢くこの感覚を放っておくことはできない。確実に、何かが起きている。それは間違いないのだから。

 夜の学園を駆けていくノーザ。格納庫までは女子寮よりも遠い。


「……?」


 マナ灯が揺らめく通路の先、走るノーザは前方に人影を見つけた。先ほど別れたエリックかと思ったが違う。彼ならば翼があるはずだ。その人影は、少なくともそれがない。誰だと目を凝らすノーザ。それと同時にその人影が動いた。


「誰だっ!」


 闇の奥から聞こえる声、それはアルダンのものだとすぐに分かった。獣耳を逆立て、明らかに警戒した表情を浮かべるアルダンの目は人のものではなく、猛獣のように鋭く、ぎょろりとしていた。


「アルダン……!」

「お前……ノーザか!」


 が、アルダンは相手がノーザだと認識すると、フッとその警戒色を納めた。それでも、ぴくりと獣耳が蠢いているあたり、完全に安心している様子ではない。

 ノーザとしても、なぜここにアルダンがいるのだろうか。それが疑問であった。だが、それがアルダンにしても同じ事なのだろう。


「お前、なぜこんな夜中に……明日は試合だろうが」

「色々あるのよ、女には。あなたこそ、こんな真夜中に……何をしているの? また女性に抱きつこうとでも?」

「するか! 俺はみさかいなしではない!」


 くわっと大きな口を開け、反論するアルダン。フンと小さく鼻を鳴らし、腕を組みながら、「気分転換だ」と付け加えた。


「試合には負けたし、アイリスの争奪戦も脱落したし、それになーんか気分が悪いからな。ひとっ走りしてストレス発散してんだよ」

「なにもこんな真夜中に……」

「わりぃかよ。目が覚めちまったんだよ。それに、なんか眠れねぇし、嫌な匂いもしやがるからな」

「匂い?」


 そういえば、アルダンは匂いに敏感である。その鼻のせいで、彼はアイリスに亡き母の面影を感じ取ったりしていた。そういえば、彼との初対面の時、自分が変な匂いがするとか言われたことを思い出す。


「わ、私じゃないでしょうね」

「あ? あぁ、そいやあんたも奇妙な匂いがするな。フン、今もする。けど安心しな。お前のはそう悪い匂いじゃねぇ。それでいら立ってるわけじゃねーよ」

「相変わらず、匂いはするのか」


 それはそれでちょっとショックだ。

 だが、今はそんなことで落ち込んでいる場合ではない。


「悪いけど、先を急ぐの、じゃね」

「……さっきの奇妙な感覚のことか?」


 アルダンの傍を通り過ぎようとする瞬間、ノーザは引き留められた。思わず「え?」とアルダンへと振り向く。


「もう匂いはしねぇ、感覚もねぇ……ぷっつりと消えちまったぞ」


 そういうアルダンの獣耳はもうぺたんと折りたたまれるようにして倒れていた。これはつまり、もう警戒をしていないということだ。


「あなた、どうしてそれを?」

「どうしてって、目が覚めてからずっとまとわりついてた奴だからな。嫌でも反応しちまうのさ。強烈な匂いだったぜ。俺たち獣人はお前たち人間より鼻が利くが、つまりは敏感でな。思わずひん曲がりそうだった」


 不敵に笑って見せるアルダンだが、言われて見れば彼の顔色はうっすらと青白く見える。


「あんたも、それを感じたってわけか。ま、確かに気にはなるけどよ、もうここにはいねーぜ。マジで、どっか消えていった。最初からいなかったみてーにな」

「確かに、あの感覚はもうないわね……でも、安心してもいいのかしら」

「知らね。つーか、お前、血相変えてたが、なんか知ってんのか?」

「そういうわけじゃないけど……なんだか気になって、不安だったのよ」

「ふぅん」


 よもや魔王の気配がするなどといっても、この時期のアルダンでは信じてはもらえないだろう。今だ魔王は御伽噺の存在なのだから。

 どこか、言い淀んだ空気を感じさせるノーザの返答に、アルダンは少しだけ考えるそぶりを見せるが、すぐに興味がなくなったのかそれ以上の追及はなかった。


「ま、いいけどよ。第六感っていうのか、俺たちの間じゃそういう感覚は馬鹿にできねぇんだが……」

「女の勘とだけ言っておくわ。それでも、いいわ。あなたの言う通り、もう反応もないし……どうにも気が昂ったいた様ね」

「昂りね。そういや……あんたは、アイリスのことはどう思ってんだ?」


 それは突然の質問だった。脈絡のない質問にノーザは少し戸惑う。


「なに、急に」


 しかも似たような質問を受けていたような気がするぞ。


「あぁ、いや……気が付けばさ、なんだ。アイリス争奪戦ってのが始まってて、俺たちはその当事者だろ? まぁ残ってるのはお前とこの国の王子サマなわけだが……なんか、な。今に思うと、俺はなんであんなに熱くなってたんだろうって思うんだよ」

「……熱く?」

「俺は戦いが好きだし、それは誇りであると思ってる。良い女がいれば欲しいと思うし、実際アイリスはなんつーか……俺好みっつーか……」


 アルダンは意外と初心である。勢いが付けばそうでもないが、意外と素面の時は好意を口にするのは恥ずかしいと思う少年なのである。


「ま、それはさておいてだ。今でも、俺はアイリスの事が気にはなるんだが、なんか前ほどそこまで執着心はないっていうかさ。好ましいは好ましいが……何が何でもって程じゃねぇんだよなぁ……」

「随分と勝手な理屈じゃない」

「うるせぇ。俺だってよくわかんねぇんだよ。つーか、なんでお前にこんなこと相談してんだ俺。チッ、もういい。俺ぁ部屋に帰る。おめーもさっさと休めよ。気ぃ張り詰めると毒だぜ」


 恥ずかしさを誤魔化すように、アルダンは話をうやむやに打ち切って跳躍しながら、木々の上を伝っていく。まさしく嵐のような少年の背を見送りながら、ノーザはその場に残された。


「百年の恋も冷める……ってわけじゃないようね」


 そしてノーザはちらりと格納庫の方角を見る。

 アルダンの言葉を信じるなら、一先ずの危機はないらしい。ならば、彼の言う通り、明日に備えた方がいいだろう。

 しかし……そうであったとしても、あの奇妙な感覚、魔王の気配……あれはなんだったんだ?

 不可解なしこりを残しつつ、ノーザは女子寮へと戻ることを決めた。それでも、後ろ髪を引かれるような、何かは心の中でくすぶり続けていた。

 何も起きてくれるな。そう、願いながら、ノーザは歩き続けた。

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