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三十一話 ヒロインムーヴ

 アイリスには平手打ちの才能があるのではないかとノーザは思った。

 意気揚々と校舎を出た三人を待っていたのは野次馬と化した生徒たちだったのだが、その中で明らかに異質なオーラとでもいうべきか、そんなものを感じさせる怖い顔をしたアイリスがいた。彼女は怒っていた。しかし、無表情でもあった。氷が張り付いたような凍てつく顔。


「フッ……」


 問題なのはその怒りを全く理解していないエミリオという存在だろう。彼は得意げだった。どうだ見てみろと言わんばかりにアイリスへと期待に満ちた視線を送る。

 ゆえに歩み寄ってくるアイリスの右手の動きにも気が付かなかったのかもしれない。常々彼が言う勝負の気配というものなどそこにはなかった。


 大勢の見る前でエミリオは再びアイリスの平手を打たれた。その瞬間、あたりはシンと静まる。アイリスはきっと視線を睨みつけたまま、エミリオは何が起きたのか理解できないまま、困惑の顔でアイリスを見つめた。


「なんだ?」


 エミリオから漏れた言葉はそのままの意味だった。一体、どういうことなのか。それがわからなかった。


「褒められこそすれ、二度も打たれることになるとはな……」

「恥知らずにはお似合いのものでしょう!」


 アイリスはぴしゃりと言い放つ。


「恥知らずだと? 俺はこうしてノーザ嬢に詫びを入れたのだが? 持ちうる中で最善の選択をしたと思うのだがな」

「自分のお力ではないでしょうに!」


 アイリスはそれだけを言い放つとさっさとその場から去っていく。


「おい、待て!」


 エミリオがその後を追う。


「二人とも!」


 さらにその後をと思ったウェンディーズの肩をノーザが掴み、制止した。


「放っておきなさい。良い所を見せようとして、当てが外れただけよ」

「しかし、エミリオが……」

「安心なさいな。あの人は女に手を上げる程落ちぶれちゃいないでしょうし」


 エミリオは自信過剰な男だし、常識も知らないが、踏み込んではならない一線は理解しているはずだ。


「まるで知っているような口ぶりだが」

「一度剣を交えた仲ですもの」


 ノーザはそのようにいうがもちろん違う。彼女にしてみればゲームをやってきたからエミリオという少年の性格がわかるだけだ。

 とはいえ、それをその通りに伝えることなど意味がないので、こうしてそれらしい言葉を並べたというわけだ。


「騎士同士の共感というものか……」


 対するウェンディーズもそういうものかとでもいうように頷いていた。


「まぁ、私にとってみればこれでも十分だし、もらえるものはもらっておくものだけど。それは、あの子にとってみれば納得のできるものじゃなかったってことよ」

「どういう意味だ? 私としてもエミリオの嘆願は無茶だと思ったが、詫びとしては成り立ったと思うが」

「私にとってのそれと、アイリスにとってのものというものは違うということよ。ま、これも良い社会勉強じゃないの。彼、叱られたことないんでしょう?」


 ノーザは周囲の生徒を下がらせながら、灰色のファル=ブレースの下へと向かう。ウェンディーズもその横に並び、首を傾げた。

 なんでノーザはエミリオのことを知っている風に語れるんだろうか。そんな疑問もあったが、あえてそれには触れなかった。


「彼とて、王族。社会学などを学んでいるはずだが」

「そういう意味じゃなくて……」


 ノーザにしてみれば自分でもうまく説明できるものではなかった。


「人と接するって、学問でどうこうできるものじゃないってこと。そりゃあ全く意味がないわけじゃないんでしょうけど……男の見栄と女の見たい見栄は少し違うのよ。あなたも王になるならそのことをゆめゆめお忘れなきよう」


 その煙に巻くような言葉はノーザが捻りだせる精いっぱいである。彼女とて人生を語れる程の時間を生きてはない。

 本当にアイリスが怒っているのは、エミリオのこの行いのせいなのか、それとも別なのか、そしてエミリオは今回の事をどう考えているのか。

 そんなものはわかるわけがない。


「でもそうね……」


 そこでふと考えたノーザは、一歩前に出てくるりと翻った。


「新しい機体は確かに受け取りますわ。ですが、彼をこの程度で許すのは私だけ、他がそうだと思わないでもらいたいわね。ものを贈ればそれで全て許すほど、女って安くないのよ」


 フッと小さな笑みを浮かべ、スカートのすそをかるく持ち上げながら礼をする。

 即座に振り返り背中を見せる。それで手切れ、あとのことは自分で何とかしろという意思表示である。


「……難しいのだな、女性とは」


 ウェンディーズはなるほどとうなずいていた。

 ノーザはもうそれ以上のことは考えなかった。

 新型のロボットをくれたのだ。それに関しては真面目に嬉しいことだった。

 しかし、ここからが問題だ。新型をよこしてくれた。それはいいのだが、自分は果たしてこのファル=ブレースを乗りこなせるかどうかである。

 ストーレンは基本中の基本を詰め込んだ機体である。いくらか無茶をしてを押し通せるだけの頑強さがあった。


 だが、この新型のファル=ブレースはどうだろうか。ゲーム劇中におけるファル=ブレースの活躍は目覚ましいものだし、その純粋な性能は非常に高い。それゆえにあまり腕前の上達していないウェンディーズでもガーデンデュエルを勝ち残れたのだ。


 ファル=ブレースは校舎の前を陣取り、膝を着いていた。右腕を胸部コクピットに差し出し、左腕をそのさらに下段へと移動させる。パイロットが上り下りしやすいようにそのようなポーズをとるのだ。

 ガコンとコクピットブロックの装甲が開かれる。当然、そこにはファル=ブレースをここまで運んできたパイロットがいるわけである。


 そのものは王国の騎士たちが身につける正式装備を纏っていた。軽装の鎧である。それが一つのパイロットスーツになっているのだ。

 そのパイロットは軽やかにコクピットから出て、急ぎノーザの下へと駆け寄っていく。

 同時にその騎士は兜を外し、すかさず跪いた。四十代の騎士であった。


「ノーザ・アンネリーゼ・アイランディ様でいらっしゃいますか?」

「えぇ、その通りよ。あなたがファル=ブレースをここまで運んできてくださったのね。感謝を。それにしても突然のことでありましたでしょう?」

「いえ、この程度のことならば……かつてお命を救われた身なれば……」

「命?」


 はて、そのようなことがあっただろうかとノーザは記憶を探る。そういったことがあったとすれば、幼い頃のドラゴン騒ぎであるが……


「お忘れですか。邪竜に倒されたストーレンから私を助けてくださったこと」

「……まさか、私が勝手に動かした機体の……」

「はい……」


 騎士はゆっくりと面を上げた。

 その瞬間、ノーザは理解した。目の前にいる男はノーザが助けた騎士だ。あの後、重症ではあるが命に別状はないと聞かされていたが、その後のことなどは一切わからないままだったが、よもやこのような場所で再開するとは思わなかった。


「御身に救われた命でございます。ならば、駆けつけます」


***


 アイリスは怒っていた。

 エミリオとかいう男の人はダメだ。非常識だ、礼儀知らずだ、卑怯者だ。彼女は心のうちで自分でも信じられないぐらいの罵倒をしていた。ズンズンと前に進み、目的もなく校舎を彷徨う。こんな状態じゃ教室にだって入れない。

 で、結局自分がたどり着いたのは屋上だった。屋上に吹く風に当たれば少しは頭も冷えるかもしれないと無意識に思ったのかもしれない。


「ふぅ……」


 手すりに体を預けて、思案する。

 すると、今しがた自分が行ったことのとんでもなさに気が付く。


「あわわ……ど、どうしよう。二度も打った! 王族の方を二度も!」


 しかも二度目は公衆の面前である。少なくともそれでエミリオのプライドは崩れ去っただろうとアイリスは考えた。これはとてもマズイ。


「あ、謝っても許してはくれない……よね?」


 エミリオという少年がどういう男なのはかアイリスは知らない。ただ今わかるのはあの人はダメだという自分の主観のみ。もし恐ろしい人だったら自分は学園を退学どころでは済まないかもしれなかった。

 いや、自分が被害を被るのは良い。だが、自分の周りの人にまで危害が及ぶとすれば、それはダメだ。


「おい!」


 そして、背後からエミリオの声が響いた。


「ひゃっ!」


 アイリスはビクッと肩を震わせ、振り向き、すとんとその場にへたれこんでしまった。

 こちらに寄ってくるエミリオは大股で、鋭い視線がさらに鋭くなっていた。


「お前……」


 アイリスを見下ろす形となったエミリオはじっと彼女を睨んでいた。

 恐怖心もあったが、アイリスは口をぎゅっとつぐみ、そして自分で立ち上がった。


「な、なんですか! 報復ですか!」


 しかし、身構える。やっぱり怖い。

 先ほどの威勢はどこに行ったのか、アイリスは怯えていた。というよりは自分の行いを理解してしまい、それに混乱しているのだ。


「はぁ?」


 しかし、エミリオにしてみれば報復など考えるわけもなかった。


「何を言ってる。俺はただ聞きたいだけだ。なぜ、俺はぶたれた。俺は、俺の考えうる最善の行動を尽くしたぞ」


 彼にしてみれば、それが知りたかったのだ。

 自分は王子という立場を十全に使い、ノーザに謝罪の意を示した。その為に新型をよこさせたし、それを準備させるだけのこともした。

 なのにだ。


「……え?」


 今度はアイリスが首を傾げる番だった。

 この人は一体何を言っているんだろかと思ったのだ。

 だって、この人は「ごめんさい」を言っていないじゃないか。どんな手段を使おうと、何を贈ろうと、そんなことはアイリスの知ったことではないし、考えも及ばない部分だ。

 きっと、貴族なりの謝罪というものもあるのだろうと思った。

 しかし、この人は違う。


「あの……」

「なんだ、言ってみろ。別にお前をどうこうするつもりなど、俺にはない! ただわけを聞かせろ」

「いや、だって……」


 あれ? この人、本当にわかっていないんだろうか?

 アイリスは色々と不安になってきた。


「構わん、聞かせろ。そうでなければ、俺がわからん。納得もできん。恥などいくらでもかいて構わんが、わからぬという恥だけは許せん」

「……ならば、申し上げます」


 あぁ、この人は本当にわからないんだ。アイリスはそれを理解すると、すっと息を吸って呼吸を整える。

 もうアイリスはこの少年が怖くなかった。


「まずは、ごめんなさいを言うのが筋でごさいましょう!」

「なに?」

「悪いと思っていなくても、あなたは他人に迷惑をかけたのですから、まずは一言、『ごめんなさい』をいうのが人というものです! そんなこともせずに、贈り物だけすれば許されるなど、非常識以前に、ご自分の格を下げるものと思ってください。えぇノーザ様はお優しいお方ですもの、それで許してはくれましょう。ですが、私は許しません。いえ、例えノーザ様でもこれ以上のことをしてしまえば、あの程度でお許しになるはずがありませんわ。あなた様はこれから先、何か問題があればものを贈って解決なさせると本当にお思いなのですか?」


 一気にまくし立てたアイリスに気おされる形で、エミリオは茫然としていた。自失したというよりは、アイリスがこうも早口でまくし立てるのが驚きだったのだ。確かにこの少女は会うなり平手打ちをしてくる女だったが、ここまで過激だとは思わなかった。


「ま、待て、ちょっと落ち着け。わかった、お前の言いたいことはわかった。だが、落ち着いてくれ。つまり、なんだ、謝ればいいんだろう?」

「そーじゃありません!」

「だったらなんだというのだ! 謝罪をすればいいのだろう、いくらでもしてやる!」

「表面上の謝罪など意味があるわけないでしょう!」

「えぇい、頑固な女だな。ノーザ嬢はあれで許したとなれば、それで解決であろう!」

「あなたはご自分の力で成し遂げたわけじゃないでしょう! ウェンディーズ様まで伴って、この卑怯者!」

「うるさいですよ。こんな朝から騒々しい。一体どこのどなたですか」


 白熱する二人の会話に割って入るように別の声がその場を律した。

 アイリスとエミリオはぴたりと口を閉じ、お互いの顔を見合ってから、その声の主へと振り向く。


「おや?」


 そこにいたのはエリックであった。その手には本が一冊あった。

 エリックも意外な二人がいると思い、目を丸くしていた。


「あなたは、アイリスとかいう……それに、エミリオ王子?」

「あ、あの……えぇと……すみません!」


 アイリスはその場から走り出して去っていく。まさか、今までのやり取りを他人に見られていた、聞かれていたと思うともう恥ずかしくて仕方なかったからだ。

 一方のエミリオは追いかけようとするが、なんとなくその気を削がれてしまい、腕を伸ばすも、足は動いていなかった。


「……え?」


 そしてエリックではあるが……実は彼はたまたまここを通りかかっただけなのだ。朝のゆったりとした時間はこうして陽の光を浴びて読書をするというのが彼の日課だった。それだけの話なのだ。


「……やれやれ。校舎にガーデンが来たと思ったら、まさかあなた絡みですか?」

「貴様には関係ないだろう」


 エミリオはばつが悪そうな顔を浮かべて視線を背ける。

 エリックは苦笑しながら、彼を見やった。


「そうはいかない。レディと問題を起こした哀れな仔羊を導いてやらねばな。それに、我らはもとは同じ種族。ならば、兄弟のようなものだ。話の一つや二つは聞いてやるが?」

「余計なお世話だ」

「やれやれ、黒き翼の民はプライドが高い」

「白き翼の民は軽薄だ」


 エミリオの挑発にエリックは乗らない。


「私はその中でももっともたると自覚しているがね。まぁ、それはいい。だが、君はもう少し周りを見た方がいい。周りは敵ばかりではないのだから」

「なに?」

「さて、な。ただ今回の事で、君は自分の力で成し遂げたと思い込んでるのが滑稽でね。一国の王子とはいえ、所詮子ども。できることなど限られている。そこに、別の力が関わったとは思わないかい?」

「……何がいいたい」

「そこは自分で考えてくれ。ただ私は宮廷魔導士だ。今は学生とはいえ、それなりに情報網はあるのだよ」


 エリックはウィンクして見せて、軽く笑うとエミリオの肩を叩いて、屋上の一角で読書を始める。


「だが、そうだな。アイリスの言うことに付け加えるなら、女に贈り物をするのは、落としたい時だけだ」

「はぁ?」

「フフフ」


 エリックはそれ以上は答えなかった。


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