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二十九話 アイリスの怒り

 二日後の事である。


「ねぇ止めなよ」


 イレイナはズンズンと大股で歩いていくアイリスの背中を追いかけながら制止の言葉を投げかけてみたが、その実、絶対に止まらないだろうなということも理解していた。

 それでもそんな言葉をかけたのは友人という意識もあったし、アイリスがこれから会おうとしている生徒のことを考えると最悪学園を追い出される可能性だってあるからだ。


「あんたが何か言って解決するような話じゃないって」

「それでも! 私は許せないんです!」


 イレイナの言葉を振り払うようにアイリスは学園の敷地を突っ切っていく。女子寮の向かいの方角、校舎とを間に挟んだ反対側には男子寮があった。様々な事情を考慮して、男と女の棟は大きく離されていた。

 しかしほぼ一直線の道は未だに学園内部を把握できていないアイリスであっても迷うことなく進めていたのだ。


 ややして、女子寮と全く同じ構造の男子寮が見えてくる。違いをあげるとすれば色合いがほんの少しだけ黒味がかっていることだろうか。そして、当然ではあるが男子生徒の数が多くなっていく。


 通常、男子及び女子が互いの寮の敷地内に入ることに規制はないのだが、そこには暗黙の了解としてあまり立ち寄らないようにというものがあった。男が無遠慮に女の園に足を踏み入れるのは白い目で見られるし、女が男たちの中へ乗り込むなど淑女としてはあまり良い顔をされないという、とにかくいつごろからか出来た奇妙な考えの下にそういう決まりが出来ていた。


 だが、アイリスはそんな決まりなんて知らないし、知っていたとしても関係なかった。

 男子寮周辺にたむろしている男子生徒たちはそうして現れたアイリスとイレイナに好奇心を向けるが、アイリスの浮かべる無表情ながらも怒気をはらんだ顔に気おされて道を譲っていた。

 イレイナはその後ろを少し申し訳なさそうについていく。


「エミリオ・ヴァングラジオンとかいう人はどこですか!」


 男子寮の入り口にたどり着いたアイリスはその両脇に立つ警備兵に詰め寄った。

 イレイナはアイリスの背後から苦笑を浮かべながら「すいみません、ちょっと用事が……」と言って取り繕う。

 対する警備兵の男は少しだけアイリスの勢いに押されそうになったが、咳ばらいをして「彼は今、謹慎中です」とだけ答えた。


「だから部屋を教えてください! あってはいけないというわけじゃないんでしょう!」

「そりゃそうだが、私の一存じゃ決められない。そういうことをやるのはもっと上の方だ」

「わかりました。じゃあ自分で探します!」


 ぷいっと警備兵から視線を外したアイリスはそのまま彼の横を通り抜けていく。

 警備兵の男は慌てて、彼女の進路をふさいだ。


「お、おい」

「なんですか! 女子生徒が男子寮に入ることは禁止ではないんでしょう?」

「禁止ではないが、君……」


 警備兵の男は暗黙のルールのことを言っているのだが、アイリスはそんなものは知らないので、この押し問答を鬱陶しく感じていた。

 アイリスはとにかくエミリオに合わないと気が済まなかったのだ。そして文句の一つでも言ってやらないと気が済まないのだ。


 しかし、警備兵の男もあまりアイリスを中には入れたくなかった。確かに規則では妨げるものなどないが、かといって今まさに問題を起こそうとする生徒を中に入れて責任を問われるのは自分である。

 だから、彼にしてみれば面倒な貴族の娘が来たなという感じなのだ。


「何をしている」


 ちょっとした騒ぎになりつつあった現場に野太い声が響いた。

 その声に先に気が付いたのは問答に参加していないイレイナであった。彼女がハッと後ろを振り返ると、そこにはグレイシオが困惑した顔を浮かべながらこちらに歩み寄ってくる姿があった。


「こんな場所で騒ぐなど、往来の邪魔になるだろうに。何が原因だ」


 グレイシオは警備兵とそれに噛みつかんとする勢いで迫るアイリスの間に立ち、両者を見渡した。

 それにならうようにイレイナもアイリスの肩を掴んで落ち着かせている。アイリスは少し納得がいかないが、暴れるのをやめた。

 それでもじっと前を睨んでいる。

 グレイシオはそんなアイリスの視線を見て、色々と悟った。そして、どうしたものかとこめかみを抑えて、小さく唸る。


「ウーム」


 だが、ただでさえ大きい声のグレイシオである。その唸りは普通の会話と同じ声量で聞こえた。


「大方、ノーザ嬢の事でエミリオ王子に合わせろということなのだろうが」


 グレイシオは二人の少女のことを知っている。よくノーザと一緒にいる者たちだ。友人なのは間違いない。そして、このアイリスという少女は確か変な娘として男子生徒の間でもそれなりに噂にあがったことがあるはずだ。

 と、なれば彼女たちが乗り込んできた理由も察しが付くというものだ。


「そうです! あの人はぜぇったいにノーザ様に謝ってもらいたいんです!」


 アイリスの答えにグレイシオはやっぱりなと内心で呟く。そしてまた大きな声で唸った。


「ウーム。俺が同席するという形であれば、合わせてやらんこともないぞ」

「え! 本当ですか!」


 その返答に、アイリスはさっきまで怒りの顔だったのに今度は一転して目を輝かせていた。グレイシオはころころと表情の変わるアイリスをまるで小動物のようだと思いながら、頷いた。


「だが、問題と判断すれば叩きだす。それでいいか? 何かあれば、それは俺の責任ということで、この娘たちを入れてやってはくれないか」


 グレイシオはちらりと警備兵に目配せをする。返答に言い淀んだ警備兵だが、グレイシオは彼の肩に手を置いて「ここで追い返しても鬱憤が溜まってまた同じ事の繰り返しだろう」と耳打ちする。


「しかし……」

「気にするな。俺の方でも見張っておくし、許可を出したのは俺だ。あなたが責任を問われることはない」


 それだけを言うと、グレイシオは二人の少女を招き入れるように腕を広げた。

 グレイシオの案内で、二人は全くの未知の領域である男子寮へと足を踏み入れた。アイリスは再び顔をこわばらせ、イレイナはこうなってしまっては最後まで付き合うかと腹をくくる。

 女子寮もそうであるが、学園の学生寮はちょっとした高級ホテル並みの設備がある。広さもそれに似合うものである。エミリオは謹慎処分を下されたとは言え、一国の王子である。彼の部屋は個室であり、寮の最上階に位置していた。


「ここだ」


 ダンスホールにでも通じているのかと思うぐらいに仰々しい門が三人の前に現れる。その部屋の向かいには同じ構造の門を構えた部屋がもう一つあった。

 そこはウェンディーズの部屋となるのだが、それをアイリスたちが知るのはもっと後にことである。

 

「あー、最初に言っておくが、無駄骨でも怒るなよ」


 頬をかいたグレイシオがアイリスたちに視線を落とす。

 でもアイリスは関係ないという勢いでその門扉を押し開けた。思いのほか勢いよく開かれた門扉、しかし、その先にエミリオの姿はなかった。


「え?」


 拍子抜けしたアイリスを目を丸くして、きょろきょろと部屋の中を見渡す。どこかに隠れているのかもしれないと思ったが、どうやらそういうのではなく、そもそもいない様子なのだ。


「やっぱりか……」


 大きなため息をついたグレイシオは三度目の唸り声を出した。


「謹慎だというのに、あの男め……」

「ど、どういうことですか!」


 詰め寄るアイリス。納得ができないと顔に書いてあった。


「抜け出すんだよ、あの男は」


 無駄だろうと思いながらもグレイシオは通路側の窓から下を覗く。


「寮の敷地内からは出ないし、別に他に悪さをしているわけじゃないが……おいっ!」


 状況の説明を続けようとしたグレイシオだったが、そんな彼の言葉など聞かずにアイリスは踵を返して、階段を降ろうと駆け出していた。

 あっという間に姿を消したアイリス、その状況を唖然と眺めていたグレイシオは取り残されたイレイナへと視線を向ける。

 するとイレイナもこちらを見ていた。


「……外まで送ろう」


 この少女はあの警備兵に預けておこう。グレイシオはそう判断しながら、頭をかいた。アイリスとかいう娘がさらなる面倒を起こさなければいいが。


「そうします」


 イレイナもまた友人の思い切りの良さに驚きつつも、今は自分にできることはないと理解していたので、グレイシオの言葉に従った。


***


 寮施設を抜け出したアイリスは敷地内の庭園を駆け巡った。ムッとした表情を浮かべて、無言のまま縦横に歩き回る女子の姿を見て、敷地内に残っていた男子生徒は何事だという視線を向けていたが、アイリスはそんな有象無象の視線など無視して、エミリオという男を探し求めた。


 だが、この時、アイリスは忘れていた。そもそも彼女はエミリオの顔など知らない。特徴は聞いていた。この世界において黒髪は珍しい色だ。ともすればすぐに見つかりそうなものだが、どこを見てもそのような人物は見当たらない。


「どこにいるんだっ!」


 テラス、噴水、スポーツ用の運動場、とにかく見て回れる場所は全て探してみたが、特徴と一致するものはいなかった。時折、魔族の男子生徒を見かけたが、黒髪ではなかった。

 一体どこにいるんだ。卑怯者め! アイリスはそんな感情を思い描きながら、諦めることなく捜索を続ける。


 そうして彼女が選んだのは裏庭の方角だった。敷地内の区画でまだ探していなかったのがここだった。庭と言っているが、そこはちょっとした丘のようになっていて、いくつかの木々がぽつぽつと生えている。

 

 アイリスは最後の望みをかけて裏庭へと突き進む。数本の樹木以外に視界を遮るものはなにもなく見渡せば方々まで捉えることができる場所だが、そこに人影のようなものはなかった。


「いない……どこかで入れ替わったのかしら……」


 ここに至ってアイリスは男子寮から出ていこうとは考えていなかった。


「エミリオ・ヴァングラジオン……絶対にノーザ様に謝ってもらうんだから」


 とにもかくにも彼女の意識はそこに固執していた。それ以外のことなど考えてすらいない。

 アイリスは怒っているのだ。せっかく試合を勝ち進んで、実力でガーデンデュエルの参加権を手に入れたノーザの前に突然現れて、ストーレンを破壊し、ノーザに参加を取りやめさせたことが許せないのだ。


 これが正式な試合でればアイリスも怒りはしない。ハイメタルガーデン同士の戦いだ。機体が損傷するのもいい。そんなのは直せばいいだけだ。

 だが、今は違う。不意打ち、乱入のあげくの所業だ。そんな卑怯な真似を許しておいていいはずがない。

 だから、絶対に謝らせる。その意気込みだった。


「どこにいるのよ!」

「俺を探しているのか?」


 その刹那、アイリスの頭上から声が響いた。

 ハッとアイリスが見上げると、木の枝の上で読書をしている男の姿があった。真っ黒な制服を着こんだ生徒の髪の色は黒、そして青白い肌は魔族特有のもの。

 アイリスは確信した。この男がエミリオだと。


「フン、騒がしい女だ。鳥が逃げてしまった」


 木の枝に腰掛けるエミリオはパタンと本を閉じた。その傍を一羽の小鳥が飛んでいく。エミリオはその小鳥を視線で追いながら、見えなくなると今度は眼下にいるアイリスを見下ろす。


「あなたがエミリオですね!」

「そうだが?」

「降りてきなさい! そしてノーザ様に謝ってください!」

「フン……」


 アイリスの怒声などまるで通じていないのか、エミリオは鼻で笑いながら、木の枝から落ちる。


「え、あぁ!」


 思わず悲鳴を上げたアイリス。

 しかし、落下しているように見えたエミリオはくんと身を翻し、何事もなく着地した。しかもその場所はアイリスのすぐ傍であり、エミリオはぐいっと顔を彼女のもとへと近づけた。


「お前、名前は?」

「アイリスです!」

「く、ははは!」

「何がおかしいんですか!」


 名乗ったのに笑われた。アイリスは更に怒りの炎が燃え上がるのを感じた。

 だがエミリオは笑い続けたまま、「素直すぎるだろう」といった。


「いや、なに、素直なのは美徳だからな。だが、怪しげな男相手によくも素直に名前を名乗れるものだ。警戒のなさはいかんともしがたいな」

「はぐらかそうとしないでください」

「そういうつもりはない。しかし、ノーザとやらに謝れか。あれはお互い同意の上での戦いだと思うのだがな?」


 その言葉を聞いた瞬間、アイリスはカッとなった。


「確かに俺は乱入したが、戦いをしたくないというなら、そのまま撤退すればよかった。だがノーザとかいう女は俺の誘いに応じた」


 アイリスはそれが詭弁だと思う。


「よくもそんなことが言えますね!」

「戦場においてはあの程度の襲撃は常だと思うがな」

「これは戦じゃありません!」

「では遊びだな」


 鬱陶しい女だなとエミリオが思いかけた瞬間、バチンと右の頬に衝撃を感じた。


「貴様……」

「レディとの会話では失礼を行えばビンタが飛ぶのは常です」

「皮肉のつもりか?」

「もう一発ぶちましょうか」

「チッ……」


 それは勘弁だというようにエミリオは後ろに下がり、木にもたれ掛かって、腕を組んだ。一回だけぶたれた頬を撫でながら、その視線はアイリスの瞳を見つめていた。


「お稽古、ままごと、ごっこ遊びなのは変わらんだろうが。此度のガーデンデュエルの本質は親善試合ではない。各国の技術力、そして騎士の腕を見せつける場だ。あんなちまちまとした戦いなど無意味極まる」

「ルールに従えない癖にえらそうなことを言わないでください。そんなの、真正面から戦って勝てないからの言い訳です」

「あぁそうだ。はっきりというが、俺はあのノーザとかいう女を強者だと感じた。そして打ち合ってみて確信した。俺は機体性能に助けられたとな」


 あっさりとこちらの言い分を認めたエミリオにアイリスは威勢を削がれた。


「女にぶたれたのは二回目だな。一回目は俺のガーデンごしに殴りつけてきたノーザとか言う女、そしてお前。色々と自信がなくなりそうだよ」


 エミリオは肩をすくめて皮肉げな笑みを浮かべた。


「だがまぁ、こんなところに乗り込んでくるとはな。アイリスとか言ったか。正直、貴様面白い女だな。俺がエミリオ・ヴァングラジオンだと知っていながら平手打ちとはな……国際問題だぞ?」

「うっ……」


 勢いでやってしまった後にアイリスも気が付いてしまった。自分は今やレクーツァ王国の貴族の娘、そして目の前の男は同盟国の王子。王族に平手打ちをしたとなれば、大ごとだ。そんなこと、言われるまで気が付かなかった。


「安心しろ。その程度でことを荒げる程の気の小さい男ではない」


 カラカラとエミリオは笑う。


「謝罪か。俺はまっぴらごめん、やるつもりもないが、そうだな……詫びの一つは行わないと卑怯者とののしられる。そうだな……二日、待て。確実な結果をもってお前たちが納得する返答をしようじゃないか」

「……信じると思いますか?」

「事実でなかったら俺は公衆の面前で土下座をしてやってもいいぞ? 誓約書だって書いてやる」

「……そんなものいりません。わかりました。ひとまず、あなたの言葉を信じます。ですが……嘘だとわかった暁には平手打ちじゃすましませんからね!」

「おお、怖いな。ならば、俺も努力しようとするか」


 エミリオはひょうひょうとした態度のまま、歩き出す。アイリスの横を通り過ぎる際に肩を軽く叩き、そして笑いながら去っていった。

 アイリスはそんな彼の背中を見送りながら、「嘘ついたら絶対に許しませんからね!」と叫んだ。

 エミリオは無言のまま、しかし、片手を上げて答える。


「俺を飽きさせない学園だな、ここは」


 エミリオは心底楽しそうに呟いた。


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