掌の上
「寝ているな」
左近がぼそりと言う。
「えぇ。深く、静かな呼吸音です。こんなところに入れられているのに図太い性格ですね。自分がどういう状況に置かれているのか分からないのでしょうか」
「危険を感じていないのだろう。事実、一姫様は安全だ」
「究極の箱入り娘ですね。自分も運命の糸に絡めとられていることに気づいていない、愚かなお姫様だ」
「気づかないだろうな。なんといっても彼女を絡めているのは竜樹様……いや、足垂家と言うべきか」
「それに本家の竜の子も」
左近が小さくため息を吐いた。
「一姫様が生まれた時、この姫君は安寧に暮らせることなどないだろうと思ったが」
「竜樹様はよくお守りになりましたよ」
「十六か……。そうだな。その年まで足垂の外を巻き込む事件がほとんど何もなかったのが奇跡か」
「竜の子に比べれば」
「最悪の鬼子と比べるな」
右近も左近も口を閉じた。
ぴちゃん、ぴちゃん、という水音が辺りに響いている。
ゆら、と橙色の灯りが揺れた。と思うと格子の向こうに人影が立った。青灰色のスーツを着た、十代と思われる人物である。癖のある短めの黒髪で、肌は健康的に焼けている。眉が太く、少々吊り上がった大きな黒い目が左近、それから右近を見た。
「……今の貴方はどちらの使いですか?」
雲雀は右近を睨んだ。
「無粋でしたね。睨まないでくださいよ。それともまだ根に持っているんですか? 一度は対峙しましたが、その後は協力したんですよ」
右近が困ったように笑う。
「見ていなかったとしても碧緒姫様から聞いているだろう。我らは協力者だ」
牢の奥に引っ込んでいた左近が格子の前まで出てきた。
雲雀はもう一度右近、それから左近を見てから仕方がないといったように肩を下げた。それから黙って右近に近付き、指先に摘まんだものを彼の顔の前に掲げた。
鍵であった。牢にかけられた錠の鍵であろう。
右近が指を出すと、雲雀はその指に鍵を引っ掛けた。
「伝言は?」
左近が聞いたが、雲雀は首を横に振った。話すつもりはないらしい。
「分かりました。ちなみにこちらは上手くいきそうですよ。一姫様が碧緒様の考えに背くことはないでしょう。時が来たら動かせますよ」
雲雀はこくりと頷いた。そして音もなく、牢を出ていってしまったのだった。なんとも短い滞在だった。
「彼女は本当に優秀な方ですね。いつか本家の妖滅部隊にも抜擢されそうです」
手の中でくるくると鍵を弄びながら右近はぼそりと呟いた。
「ここに入って来られるのだからな。半分は碧緒様のおかげだろうが」
「碧緒様……。この間まで青梅姫様にも蒼春姫様にも及ばない、一姫様にさえ見劣りするような姫様だと思っていたのですが、とんだ勘違いでした」
「碧緒様も足垂の家の子ということだ。怖ろしいところだ、足垂という家は」
「本当に。一度絡めとられたら逃げ出せないでしょうね」
「そうだな」
それきり二人は黙った。
ぴちゃん、ぴちゃんと水が跳ねる音がする。隙間風がひゅう、と音を立てる。湿り気を帯びた冷気が肌を撫でる。
嵐の前の静けさ。そんな言葉が二人の頭の中に浮かんでいた。




