第十八話 牛にひかれて
フレティア歴 274年 10月17日
フレティア王国 トルド村より東方に三里
爽やかな秋晴れの元、この国では街道という名を持つ酷道を、西へと向かう牛車の一団があった。牛車の数は三台、いずれも二頭立てで飾り気はないが、大きな車体に、堅牢なリム付きの車輪と、このフレティアで使われる一般なそれに比べ、格段に豪華で高性能なものだ。
先頭の一台には、若い男たちが腰に物騒な物を下げ、後ろの一台には、野営のためだろうか、それに使う小さめの天幕や食料などが乗せられている。そして、中央の一台には御者と、三人の男が腰を下ろしていた。
三人の内の一人は荷台の片側の座席、すべてを使い切るように、どかりと腰を下ろしているのる。この男が、この牛車の一団を仕立てた張本人アンドリュー・フォードである。
そして、その向かい座るは、彼の客人ガス・ワイルダーとイーデン・マッカローの両名だ。
先日のテスカウェル砦での一件で、この三人はフレティアを巡る旅に出ることとなり、今は最初の目的地であるポート・ヴァールへ牛に曳かれて、西へ西へと向かっている。
この三人が乗り込む牛車の荷台では、能弁なアンドリューがフレティアの文化、風俗、経済政治など様々なことについての説明を行っている。
マッカローは副官として長らく軍務に服していたからか、非常に聞き上手なようで、アンドリューの説明に、時折質問を交えながら、ふむふむと何度も相槌を打ち、アンドリューの自尊心を満足させつつ、自らの知識を蓄積させている。
そしてワイルダーは元々、無口なためアンドリューの説明に頷くでも、反応するでもなく、ただ眼を据え、思考の海で溺れている様であった。
そして、今の話題は大陸では長耳族を語る上では欠かせないと言っていい、弓についての話題だ。
「へぇ、それでは長耳族ってのは、生来、弓が得意というわけではねぇんですね」
「ああ、じゃが得意な奴が多いというのは間違っとらん。フレティアに生まれれば、誰しも弓とは関わっとるからな。狩人は元より、農民も自衛や農閑期の収入源として、わしら貴族や町民は娯楽や嗜みとして、ある程度は使えるようになっとる」
「はー、ってーことはフォードの旦那も?」
「勿論、と言いたいとこだが…… 若い頃からあまり好きになれんでな、今も昔も前に飛ばすので精一杯じゃよ」
こんな、ふたりの会話を、尻に直接襲い掛かる牛車の振動に耐えつつ聞きながら、ふと自らがこのような境遇となった原因である戦いを、ワイルダーは思い出す。
(あのモウサル共和国との戦の時にいた長耳族の弓兵…… いくら奴隷の兵とは言え、潰走が早いと思っていたがそういうことか。元々、弓が引けるということは殆ど訓練もなしに戦場に放り込まれ、故郷では見ることのない獣の突撃、弓を捨てて逃げ出すのも無理はないな)
ワイルダーは戦いの自己分析を終え、不憫な元敵兵に哀れみを覚えると共に、これから教練する連中が、この哀れな連中と同じか、毛の生えた程度の違いしかない者達だと思うと、気が滅入るとまではいかないまでも、いささか不安を感じる。
(このフレティア軍たちを、如何に大陸の軍、うちのような騎馬主体の軍と渡り合わせるか。攻勢に出るのは無理として、正攻法で戦えば、あの時の戦のように側面や背後に付かれて潰走。消極的な策としては砦を幾つか建てて、守勢に徹した後に疲弊した敵と会戦、それでも勝率は五割といったところ…… 相当な難事を引き受けてしまったものだな、これは)
ふぅ、と大きな溜息を吐き、迷路に陥りそうになった思考を払うべく、牛車の外に目をやれば、収穫が終わった田に、いくつも並んだ稲茎が目に入ってきた。
故郷ではあまり見かけることのない作物にワイルダーが目を細めていると、アンドリューが敬語で話しかける。
「随分悩んでいたようですが、何についてお考えで?」
「ああいえ、考えてはみてみましたが答えという、答えは出ませんでしたので、外でも見て気分を変えようかと……」
屈託も、嫌味も無い朗らかな笑顔から繰り出された、アンドリューの問いに、ワイルダーはつい本心を答えてしまう。
「そうでしたか、あまり根を詰めても仕方ありません、もう少しで宿場に着くでしょうから今晩にでもまた考えればいいでしょう」
この旺盛な好奇心を持つ、老いてなお盛んな商人が、簡単に身を引いたことから、なんとなく察しはついたのだろう、自分の専門外には出来るだけ手を出さない。それがこのアンドリュー・フォードという男だ。
「はっ、ではその様にさせて頂きます」
軍での癖が抜けない返事でワイルダーは答え、宿場に着くまで間、またマッカローと共にアンドリューの講釈に聞き入るのだった。
フレティア歴 274年 10月17日
フレティア王国 トルド村
日が傾き、空が赤みがかる頃には牛車の一団は今日の目的地であるトルド村へと到着した。
トルド村はフレティア王国の王都と商港ポート・ヴァールを結ぶ街道の間にある村でのため、宿場としての機能も持ち合わせている。更にこの地域一帯を治める地方貴族が住む村であり、必然的にこの地域の中心地となっている。フレティア王国では比較的栄えている部類の村であると言えるだろう。
牛車を降りて今日の宿の手配をアンドリューが行っていると、村の奥から慌てた様子で他の村人と比べ身なりのいい壮年の男が出て来て、フォードに話しかける。
「お久しぶりですフォード殿」
アンドリューは彼を顔を見ると少し、悩みながら答える。
「ああ、えーと…… 確かバゼット伯の御子息でしたかな? 今日は一晩この村に世話になりますぞ」
アンドリューの答えを聞いた壮年の男は満面の笑みで答える。
「お会いしたのはもう、五年も昔の事でしたのに、そこまで覚えておられましたか。改めて自己紹介させて頂きます。ロジャー・バゼットの子、シリル・バゼットです。今は父が隠居したので私が爵位を継いでおります。本日は、宿に泊まらずとも、我が屋敷にお泊りください、大したもてなしは出来ませんが、ここの宿よりは良いもてなしはできますので」
アンドリューはバゼットと名乗った男の申し出に、喜びつつも少しためらいの表情を浮かべる。
「それは、有難い申し出ではありますが、今回の旅は私用のもの、伯爵のお世話になるのわけには……」
「いやいや、私用だろうと公用だろうと、フォード殿であればいつであろうとお泊りください。我が家は歓迎いたします」
「そうですか、では今日はお言葉に甘えて、泊まらせてもらいましょう」
「そうと決まれば、どうぞ我が屋敷へ、少しですが酒の用意もさせますので今晩は、そちらの、従者の方も含めて飲みましょう」
「あ、いや、こちらの方は……」
アンドリューがワイルダー達を従者と言ったバゼットの言葉を訂正しようとする間も無く、バゼットはアンドリュー達を屋敷へと案内していった。
バゼットの屋敷は、地方に住む貴族らしい、古く質素な造りではあるが、何処か気品の様なものを漂わせる屋敷であった。
招かれた一行は、それぞれ部屋をあてがわれた後、食堂へと招かれる。机には鹿肉であろうか、大きなチョップを主菜にやや粗野ではあるが、食欲をそそる料理が多く並べられていた。そして、一番奥の席に腰掛けていたバゼットが入ってきた面々に着席を促した。
「粗末なもてなしで申し訳ない、それではどうぞ皆様ご賞味ください」
銘々に料理に手を付け始める中、約二名料理に手を付けられない者がいる。ワイルダーとマッカローだ。
二人共、フレティアに来て日が浅い、このような酒宴の席での作法には暗いのだ。ましてや伯爵という高位の貴族が主催する酒宴だ。固くなるなという方が、無理というものだ。
耐えかねたマッカローが隣のワイルダーに目線で指示を仰ぐ。
(……隊長、どうしやすか?)
それに気付いたワイルダーも同じく視線で指示を出す。
(……知らん、とりあえず酒でも飲んで誤魔化せ)
そう意味を込めて手元の酒をちびりと呷ると、マッカローも続けて酒を呷る。
そんな、二人の様子を見てアンドリューはワイルダーにそっと耳打ちをする。
「ワイルダー殿、そう固くならんでくだされ、多少の無作法は気にしないのがこの国の流儀ですので」
「はぁ……、ありがとうございます」
アンドリューの助言とも励ましとも取れないような言葉に困惑しなから、ワイルダーはとりあえず食事を始め、隣のマッカローもそれに倣う。
せっかくのご馳走の味も何が何やらと言った様子で食事を続けるワイルダーを尻目にアンドリューはバゼットと会話を続けている。
「そういえばバゼット卿、お父上の姿が見えませんが、もしやご病気でしょうか?」
バゼットはアンドリューの言葉に少し、ドキリとした表情となるが慌てて作り笑いを浮かべて答える。
「え、ええ…… 秋とは言え少し寒くなってきて、風邪をもらってしまったようです。いやぁ、年甲斐もなく、狩りによく出るからでしょう」
バゼットの言葉を聞いたアンドリューは心配そうに彼の父の身を案じる。
「それはいきませんなバゼット卿、年を取ると少しの風邪が大きな病を招くといいますし、ここは見舞いと一緒に、牛車に積んでいる薬を……」
「いえ! ご好意はありがたいですが、心配には及びません。なにせただの風邪ですので、それに旅の途中であるフォード殿に移すようなことがあれば大変ですので」
バゼットは言葉を遮り、見舞いなど滅相もないと言った様子で、強く遠慮する。その勢いにただならぬ様子を感じたアンドリューは深追いせずもバゼットの父を気遣いつつ話す。
「それならば、薬だけでも差し上げましょう。そうですな、明日の朝にでもお渡ししましょう」
「ありがとうございます、父も喜ぶでしょう。そういえば、話は変わりますが、今日は何故街道での旅を? フォード殿であれば、船を仕立てるのも容易でしょうに」
バゼットはホッとした様子で謝意を表すと同時に露骨にと言っていいほど話を逸らす。これ以上立ち入るのも失礼だろうと感じたのかアンドリューは、その質問に答える。
「ああ、それはこの二人にフレティアを見せようと思いましてな」
そう言って隣に座るワイルダーとマッカローを見る。
ようやく食べ物の味が分かってきたのも束の間、ワイルダー達は慌てて形を正してバゼットの方に向き直り、自己紹介をする。
「お初にお目にかかります伯爵閣下、ガス・ワイルダーと申します」
「イーデン・マッカローです」
二人の自己紹介に苦笑を交えながらバゼットは少し砕けた様子で話す。
「ははっ、閣下とはまた、田舎貴族には過分な呼び方ですな。いや、失礼。何せ領地からあまり出ないもので慣れていないのですよ。もっと違う呼び方でも結構ですよ」
「はっ、申し訳ありません。それでは、フォード殿に倣いバゼット卿と呼ばさせて頂いても?」
堅くなっていいる客人を和ませようとした言葉も、この客人には通じないことを悟り、苦い笑顔のまま応える。
「ええでは、そのようにお願いします。ワイルダー殿」
「はっ、分かりました」
お堅い客人にやや辟易したようで、助けを求めるようにアンドリューへと目配せすると、アンドリューも少し困ったような顔で肩をすくめる。
まぁ、こういう人なのだろうと心の中で言い聞かせたバゼットは、話題を変えてみる。
「ところでワイルダー殿はこの国の生まれではないようですが、エイウスの方ですかな?」
「いえ、エイウスではなくシュローニュの方から……」
シュローニュと聞いたバゼットは少し驚く。
「シュローニュ! それは珍しい、この国ではあまり聞くことのない国ですな。失礼ですが、どうしてこんな辺鄙な国へ?」
少し困惑したような表情を作りワイルダーは応える。
「少し恥ずかしい話なので詳しくは言えませんが家の方がごたついておりまして……」
ワイルダーの言ったことはもちろん嘘である。自らの身分を偽るために、車上でアンドリューと考え口裏を合わせたものである。
実際、貴族や大店の商人がお家騒動で身の危険を感じるほどになった場合、ほとぼりが冷めるまで他国に身を潜めるというのは、このフレティアでもそこまで珍しいことではない。最もフレティアでは辺境の地ということもあり、出ていく者より入ってくる者の方が圧倒的に多くなっている。
アンドリューほどの商人ともなれば国外の知り合いも少なくはなく、それを匿うことも無くはない、さらに言えば国外の者を匿ったとしても珍しくもない。そして、ワイルダー達が本名を名乗ったのは、シュローニュの罪人の情報が、そうフレティアまで伝わることはないだろうというアンドリューの助言から「ボロがでるので」とワイルダーが言ったため、本名のまま通すことにしたのだ。
バゼットはこの嘘に信じてくれたようで、疑うような仕草をせず、ただただ悪いことを聞いてしまったというようなバツの悪い表情だ。
「……これは申し訳ないことを聞いてしまいましたな、まぁこんな辺境の地では大したもてなしはできませんが、今晩はどうぞ楽しんでいって下さい」
そう言うと自分の傍にあった酒瓶をワイルダーに傾ける。
ワイルダーはこの気の良い田舎貴族をだましてしまった良心の呵責を一瞬感じ、それを心の奥底にしまい込むと、出来るだけ口角を上げるように努め、盃を突き出しそれに応える。
するとバゼットは嬉しそうにそれに酒を注ぐ、「許された」そう感じたのかもしれない。あるいは、ただの社交的な意味合いかも知れない。
「頂きます」
一言謝意を述べた後、一気に呷る。それを見て、バゼットは「おおっ」と声を上げる。
「いい飲みっぷりですな! どうぞもう一杯、今日は飲み明かしましょう、幸い酒だけは多くありますので」
楽しそうなバゼットにつられワイルダーは注がれたら注がれただけ飲んでしまう。マッカローもアンドリューもかなり出来上がり始めた時にバゼットが「ところで」とアンドリューに話しかける。
「祖父の代に植えた赤松が上手く育ちまして、炭にしようと切り出したのですが、炭焼きの小屋が先日の大雨で崩れてしまい、材木が遊んでいるんですが……」
どうやら商談のようだ、それならばこの歓待ぶりも納得がいくというもの、バゼットの話を耳にしたアンドリューは今までのほろ酔い気分を感じさせないほど、真剣な表情になり「ほう」と興味を示し、何やら交渉を始める。
蚊帳の外となったワイルダーとマッカローはボロを出さないように小声で何やら話し始めている。
「た……ワイルダー殿、あっしらそろそろ、お邪魔じゃないですかい? 旦那の」
虚ろな目をしてワイルダーは応える。
「……ここで席を立つのも失礼だろう?」
いつものワイルダーからは感じられないただならぬ様子からマッカローは思い出す。
(そういや隊長の酒飲んでるところはみたことねぇな……)
何とかしてこの下戸を寝台に放り込まねば、そう考えたマッカローは何とかワイルダーをこの場から立たせようとする。
「まぁそりゃそうですが…… ワイルダー殿、強くないでしょう? 明日にゃ出発です、差支えますよ」
「…………」
悩んでいるのか聞いていないのかワイルダーは黙りこくる。マッカローがこのまま無理やりにでもと考えた時、ただならぬ様子に気づいたのかアンドリューとバゼットが商談を止めてこちらに話しかけてくる。
「あー、これは完全に出来上がってしまったようですなぁ」
「隙のない方と思っていましたが、案外こういうところが弱かったようですなぁ。申し訳ないがマッカロー君、ワイルダー殿を寝所の方へ運んでくれんか?」
二人の言葉はしっかりと聞いてようで、マッカローが運ぼうとする前に、ワイルダーは捻り出す様な声で話す。
「……お見苦しいところを……お見せしてすみません」
「いやいや」と言いながらバゼットが水を渡しつつ気遣いを見せる。
「元はと言えば私が飲ませすぎたのが原因です。部屋は用意していますのでどうぞゆっくりお休みください」
「……ありがとうございます」
手渡された水を飲み、マッカローに肩を借りつつ立ち上がったワイルダーは謝意を表し、千鳥足になりながら、バゼットの家人に案内され食堂を後にする。
アンドリューとバゼットはそれを最後まで見届け、また商談に戻るのであった。
フレティア歴 274年 10月18日
フレティア王国 トルド村
ひどい頭痛と吐き気に襲われ、ワイルダーが目を覚ますと、先に起きていたマッカローが気を利かして戸を少し開けて新鮮な風を部屋に入れていた。
ワイルダーは痛む頭を抑えながら、昨日のことを思い出そうとするが、バゼットに酒を注がれたあたりから先の記憶がどうも怪しい。
風にでもあたりながら考えようと体を起こすと、気付いたマッカローが声を掛けてくる。
「ああ、隊長おきましたか? いやぁ、隊長があそこまで弱いとは思いませんでしたよ。おかげで昨日は大変だったんですぜ」
マッカローの口ぶり、にワイルダーは背中に冷たいものが走る感覚をおぼえた。
(何か要らん事を言ってしまったか…… 駄目だ思い出せん)
深刻な顔をして悩みだしたワイルダーの様子を見てマッカローは笑顔で先ほどの言葉を訂正する。
「いや、そんなに深刻に並んでも大丈夫ですよ隊長、隊長が考えているような大変ってわけじゃありませんでしたから。まぁあそこまで前後不覚になった隊長を見たのは初めてみましたがね」
「……変なことを言ってなかったか?」
変なことと聞いて、マッカローは破顔する。確かにワイルダーは変なことは言ってもいないし、してもいなかった。だが、兵たちからは鉄仮面と称され、その気になれば馬上で曲芸も行えるような男が、呂律も怪しく、千鳥足という見事な醜態を初めて晒したのである。長らく副官であったマッカローにとっては思い出しただけで破顔せざるを得ない状況であったと言える。
「その顔は、良い意味でとらえていいのか?」
マッカローの表情を見て自分の醜態を思い浮かべたのか、苦虫を何匹も噛み潰したような顔だ。
「ええ、口を滑らせたなんてことは無かったと思いやすがね。にしても、隊長があそこまで酒に弱かったとは長いこと一緒にいやしたが知りませんでしたね。よくよく、考えてみりゃ隊長が酒を飲んでる場面なんかは……」
「もういい、外に出てくる。少し風に当たりたい」
したり顔で話すマッカローに苛立ちを覚えたのだろう、少し語気を強くして話を遮り寝台から飛び起きると、最低限の身なりを整えあてがわれた部屋を出ようとするが、扉を開けた瞬間動きが止まる。
自らの舌禍でワイルダーを怒らしてしまい、申し訳ない顔をしていたマッカローであったが、その奇妙な動きに違和感を感じ、その意味を悟り、またもしたり顔で話しかける。
「隊長、出口まで案内しやしょうか?」
「…………頼む」
二人が外の出ると、この村に着いた時には気付かなかった、村ののどかな風景が広がっていた。山際から広がる田畑、その間でせせらぎを聞かせる水路、そしてそこを生き生きと動き回る農夫たち、この牧歌的な風景を眺めながら歩いていると、二日酔いの頭を冷やす気持ちのいい秋風が吹き抜けてゆく。
「中々いい村だと思いやせんか、隊長?」
出口までと言ってついてきたマッカローはちゃっかりとワイルダーの後ろについてきて話を振ってくる。どうやらこの男も、部屋に閉じこもるより外に出たかったのだろう。
「そうだな、もっと荒んでいるかと思っていたが畑も家も綺麗だ。まぁ、この国すべてがそうなのか、それともこの村だけがそうなのかは気になる所ではあるな」
「この村だけだとすりゃ、あのバゼットとかいう貴族さんは相当優秀でしょーね」
「違いないが、それもいずれは分かることだ」
そんな話をしながら歩いていると、前から遠目から見ても分かるほど痩せた牛を曳いた老人が一人歩いて来た。
二人はその老人とのすれ違いざまに軽く黙礼をしようとしたときに、老人が振り向いて「御客人」と一言で呼び止めた。
ワイルダーはその老人を訝し気に眺める。連れている牛のように痩せてはいるが、焼けた肌と、骨にこびり付いているような筋肉がその生命力を表し、顔を見れば長耳族にはよくある金髪碧眼、頬は歳のせいかこけてはいるが、落ち窪んだ瞳からは老人とは思えない鋭さを放っている。
「……何でしょうか御老体?」
「この村はどうかね?」
「どうかねと言われましても……」
「あんたらの故郷と比べて」
「そういう意味でしたら、かなり良い部類だと思います。このように網の目に張られた水路は大陸ではあまり見ません。よく整備されているのでしょう」
「そうかね」
老人は満足げに頷く。それを見て安心したのか、ワイルダー達は深く一礼してその場を去ろうとするが、老人はそれを許さない。
「まぁ待ちなさい御客人、最後にあれは何に見えるかね」
老人が指さす方向に目をやると、山と山の間に大きな壁のようなものがあるのが見えた。よく見るとこの村にある水路の水がそこから流れてきているものだということが分かる。ワイルダーはそれがこの村の水を貯めるため池であることが分かった。
「あれは……ため池でしょうか?」
「そうだな、ため池だな」
そう答えた老人は、それから特に言葉を発することなくじっとため池の方を眺め、妙な沈黙が三人の間に訪れる。
先ほどから黙っていたマッカローが、好奇心からだろうか老人に向かって質問を飛ばす。
「爺さん、爺さんにはあれが何にみえるんだい?」
マッカローの不遜な物言いをワイルダーが諫めようとしたが、諫める前に老人が口を開く。
「わしかい? そうだな…… 人生…… そう、人生のすべてに見えるよ、あのため池は」
そう言う老人の顔は、さきほどとは打って変わり、神妙でどこか哀愁を漂わせている。
「……すまんな御客人、年寄りのつまらん話に付き合わせてしまって。どうぞ行ってくれ、お屋敷で連れが待っているんじゃないかね?」
ワイルダーは老人の言葉で、かなり長い間、村をうろうろしていることに気づいた。
「そうですね、それでは私達は失礼させていただきます」
そういって一礼したワイルダーとマッカローはそそくさと屋敷の方へと帰っていく。老人は二人をしばらく見送った後、また痩せた牛を曳いて道をゆっくりと歩き始めた。
屋敷へと戻った二人は、用意されていた朝食を胃に収め、食事中に用意されていた牛車に乗り込んでいた。急ぐ旅でもないはずなのに、いささか礼を欠くような急ぎ様は次の宿場が遠いためであった。
牛車の隣には見送りということでバゼットがアンドリューと別れの挨拶を交わしていた。
「世話になりましたな、バゼット卿」
「こちらこそ赤松の件で配慮していただけるようで、ありがとうございますフォード殿」
「ええ、良い商談をさせていただきました。このことは息子にしっかりと伝えておきます。 では」
「旅の安全を祈ります」
バゼットが一礼すると同時に三台の牛車はゆっくりと動き出し、また西へ西へと進み始めた。
荷台からバゼットが見えなくなると同時にマッカローが口を開いた。
「フレティアの貴族ってのはみんなあの御仁みたいなんですかね?」
その言葉にアンドリューが答える。
「地方にいる貴族の中ではまぁ普通の部類だな、あんな風に中央から来る連中に腰が低いのと、頑固な奴がおる。彼は前者の部類だな」
「へぇ、頑固な連中もいるわけですね。うちの国と一緒だ」
「ああ、彼の父親が頑固な地方貴族の典型だったな。だが、有能でもあった。村の水路を見ただろう?」
「ええ、よく整備された水路でしたね。ありゃ大陸でも滅多にお目にかかれませんね」
「それを作ったのが彼の父親じゃよ。おかげであの村はこの国では王都周辺を除けば最も裕福な村の一つじゃな」
「そりゃあうちの貴族とは大違いだ。うちのは威張り散らすのが仕事みたいな連中ばっかりでしたね」
「ははっ、安心せいうちにもそんな連中はいる、宮廷にいるのは大体がそんな連中だ。ほかにも法衣貴族といういけ好かん奴らもおってな……」
ワイルダーは黙って昨日に続いてまた始まったアンドリューの講義に耳を傾ける。牛に曳かれて西へ西へと向かいながら。
作成に時間を掛けすぎたから整合性が取れてない気がする、そのうち改稿します。




