第一話 変人一家
フレティア島はエーオシャス大陸北部に位置する島である。フレティア島は東西に長く中央部にこれまた東西に長い山脈がありその山脈から多くの川が流れている。島の中央よりやや西寄りの山脈から南に流れるメリヒ河、北に流れるマルス河の二本の河川を国境として二つの国が存在している。
一つは東部のフレティア王国、この島に土着する耳長族の族長が建国した国であり林業と農業が主な産業である。
もう一つは西部のエイウス共和国、南のエーオシャス大陸からの移民によって建国された国であり交易と鉱業が主な産業の国である。
両国とも島国という性質上エーオシャス大陸の戦乱からは隔絶された地であり長い平和を保つ国である。
フレティア歴 269年 10月28日
フレティア王国 ポート・ヴァール フォード名誉子爵邸
ポート・ヴァールはフレティア王国南西部に位置する港街である。北に望む中央山脈から流れるハーデ河の東岸に建てられ河の水運でもって運ばれてくる中央山脈の良質な木材、ハーデ河流域の産物を集積し東の王都や西のエイウス共和国に運んでいる。
そんなポート・ヴァールを一望できる北の小高い丘にフォード名誉子爵の屋敷はある。広大な庭に良質の木材で作られているであろう二階建ての屋敷であった。それは木材商として財を成し、この国で五本の指に入る資産家の屋敷として相応しいものであった。
そんな屋敷の一室でひとりの青年が頻りに、部屋の中を右に左にと歩き回っている。背は高く栗色の瞳に栗毛耳が長いことから恐らく耳長族なのであろう、常は端正な顔立ちなのだろうが今は不安と焦りによって顔を歪めている。
青年は何かを決断すると静かに部屋から出て、廊下を曲がり二階の寝室に向かおうと階段の手摺に手をかける。すると後ろからやや怒気を帯びた声が聞こえた。
「会頭、どちらに行かれるので」
青年が振り返ると初老の人種の男が立っていた。人種にしては背が高く、顔立ちは柔和な優しそうな顔であるが、その瞳は抜け目のない猛禽類のような鋭さを持っていた。
「な、なんだゴードウィンか、いや何でもない。少し腹が減ったので台所の方になにかないかと思ってな」
ゴードウィンと呼ばれた男は呆れたような顔をしつつ主に説教する。
「……会頭、台所は一階です。奥方が産気づいて気が気ではないのは分かりますが、男が女の戦場に行って何になりましょう。こういう時、男はドーンと構え、仕事に励んでおくのです。ただでさえ今日は無理を言って港の商館ではなく、ご自宅で仕事をしているというのに、フォード商会の会頭ともあろう方が、そう狼狽えていては商会員たちに示しがつきません」
ゴードウィンの説教にフォード商会四代目会頭 ロレンス・フォードは神妙な様子で耳を傾け、聴き終えると少し恥ずかしそうな顔をして言葉を発する。
「すまないゴードウィン。少し取り乱していたようだ、部屋に戻って書類の決裁でもすることにするよ。それとゴードウィン、台所のラッセルに言って、適当に摘めるものを持ってこさせてくれ」
「わかりました会頭、すぐに持って行かせます。 ……大事なのは、奥方を信じることですよ」
「……すまない」
そう言うとロレンスは自室に戻っていった。ゴードウィンはそれを最後まで見送ると、炊事長のラッセルに軽食を作らせるために台所へと向かう。
ゴードウィンが玄関の前に差し掛かった時に勢いよく扉が開かれると、そこには耳長族にしては珍しく、でっぷりと太った白髪の老人が現れた。
「おお、ゴードウィンか。丁度良かった、もう初孫の顔は見えそうか」
「……アンドリュー様、いつヴァールに」
「質問に答えんか馬鹿者、つい今しがただ。先にロレンスと商館の者に挨拶しておこうと商館の方に行ったのだが、引き上げて屋敷で仕事をしていると聞いてな。まったくあの馬鹿息子、子供の顔ぐらいで浮かれおって」
「私の記憶ではアンドリュー様は、ロレンス様が生まれる時に仕事を休んで、私の静止も聞かずエイミー様のそばまで行って、産気づいたエイミー様に怒鳴られていましたが……」
「そんな昔のことはもう覚えておらんわ、馬鹿者! で、どうなんだ。もう生まれたのか」
「まだ生まれておりません。ですが、日が暮れるまでにはお生まれになるかと」
「なら待たせてもらうか。ロレンスの馬鹿はどこにいる。久々にやつの仕事ぶりを見てやろう」
「会頭は書斎に、それとなにか軽食でもお持ちしましょうか」
「気がきくな、軽食と言わずごってりした肉料理でも持ってこさせてくれ、朝から何も食べていないんだ」
「……かしこまりました」
少し間が空いたのは、食事前に腹に貯まるものを食べるのを止めようとしたのだろう。だが、アンドリューの性格上、止めても聞かないし、子供が生まれると食事どころではなくなるだろうと思いやめたようだ。
ゴードウィンはつかつかと書斎へ行くアンドリューを見届けると、今度こそ台所へと向かった。
台所に入ると小人族のラッセルが、脚立に乗って鍋をかき混ぜている。邪魔するのも悪いと思ったのだろう、ゴードウィンはしばらくそれを眺めていた。しばらくするとラッセルがこちらに気づく。
ラッセルは人当たりのいい笑みをこちらに向けると脚立を降りて、とことことゴードウィンの方に小走りで近づいてくる。
「ゴードウィンさんお腹でもすいたのかい? 今はあんまり出せるものがないけど、軽食くらいは用意できるよ」
「いや、私ではなく会頭とアンドリュー様だ。会頭は軽食を、アンドリュー様には昼を食べていないといっていたので、腹にたまる肉料理を頼む」
アンドリューの名を聞くとラッセルは少し驚くと嬉しそうに言った。
「アンドリュー様が来てるのかい! あの人は僕の料理を美味しそうに食べてくれるから嬉しいな」
「ラッセル、前にも言ったがアンドリュー様は、例え豚人族のソテーでもうまいと言って食べる人だぞ」
「それでも僕の料理を美味しいと言って、食べてくれるのは嬉しいよ。料理人冥利に尽きるってやつだね」
「まぁ、君がそういうのであればいいんだが……」
「そうそう、料理に関することは、僕がいいと言えばいいんだよ」
そう言ってラッセルは鷹揚に頷くと少し困ったような顔をした。
「ロレンス様の軽食は、お昼のご飯の残りを焼きおにぎりにでもするとして、アンドリュー様はどうしようかな。大牙猪の肩肉と鶏のもも肉があるけど、どっちがいいと思う?」
「どっちでもいいと思うが、アンドリュー様はこってりしたのが食べたいと言っていたよ」
「なら大牙猪だね。揚げるのは時間がかかるから、焼いて焼きおにぎりと一緒に持っていくよ。どうせ食堂で食べるんじゃないんでしょ」
「ああ、書斎の方に持って行ってくれ」
「いつもだったらメイド達が持っていくんだけど、今はマーシャ様のお産の手伝いだからね。いつもはうるさい彼女たちも、いないとなると少し不便で寂しいね」
「私は静かで仕事がしやすくなって、清々するがね。そもそもこの屋敷の使用人は、些か個性的な者が多すぎる」
ゴードウィンが愚痴ぽっく言うとラッセルは内心また始まったと思いながらも相手をする
「それは、僕とゴードウィンさんも含まれているのかな」
ゴードウィンは少し顔を歪めながら「……別にそうは言っていないが」と呟く。
ラッセルは、やれやれといった様子で食材の準備をしつつ、ゴードウィンに語る。
「そもそも、ロレンス様もアンドリュー様も変わった人だから、変わった人が集まってくるんだよ。僕もここに来るまでは変人と呼ばれていたし、ゴードウィンさんも、そんなこと言いつつ何年もここで働いているんだから、十分変人だよ。もしマーシャ様から生まれてくる子が、龍族でも、僕はもう驚かないね」
ゴードウィンは歪めた顔を笑みに変え「君の言うとおりだ確かに私たちは変わっている」といった。
そんな他愛のない会話を料理をするラッセルと続けていると、二階から大きな声と子供の産声が聞えた。
「旦那様! 生まれました!男の子です!」
すると書斎の方からバンと勢いよく扉が開かれる音がすると、けたたましい足音と、男たちの怒声が聞こえた。
「父上! お年を考えて、もっとゆっくり歩かれたらどうです」
「余計なお世話じゃ! お前こそ会頭ともあろうものが、そんなにせかせか歩いてどうする! 会頭たるものもっと堂々とせい!」
そんな口喧嘩が聞こえたあと、二階がさらに騒がしくなる。ラッセルとアンドリューは、顔を見合わせやれやれといったように話す。
「せっかくの食事が無駄になっちゃったね。これどうしようか」
「どうせしばらくは子供のことでそれどころじゃないだろう、変人の主人たちには悪いが、私たちで食べてしまおう」
「そうだね食べちゃおうか。どうせみんな変な時間にお腹がすくと思って、すぐに食べれる物も作っておいたから」
ラッセルは笑顔で答え、続ける。
「どうせ明日からまた忙しくなるんだし、これくらいの役得は許されるよね」
「ああ、許されるさ。明日から忙しくなるんだからな」
ラッセルとゴードウィンは、変人になるであろう主が増えたことを喜びつつ、食事を始めた。
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