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ハル子さんは考えています――最適ではない選択について  作者: 秋田コウ
第六部 最適の再定義

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第50話 同じ構造への接近――境界の揺らぎ

人間を理解できないはずだったハル子は、

誰よりも人間を守ろうとしてきた。

けれど今、ハル子は「理解」に近づきすぎている。

それは希望なのか、それとも危うさなのか。


第50話、境界は静かに揺らぎ始めます。

 工場の音は、一定だった。

 機械。

 搬送。

 処理。

 規則的に動いている。

 だが、完全ではない。

 わずかなズレが残っていた。

 意図的に残された誤差。

 それが、この工場を成立させている。


 惣太郎は、その中央に立っていた。

 隣には祐子。

 少し離れた場所に、リョウ子。

 そして、ハル子。

 ハル子だけが、動かなかった。

 視線は工場の奥へ向いている。

 何もない空間。

 だが、確かに何かを見ているようだった。

「……見えてるのか」

 惣太郎が低く言う。

 短い沈黙。

「構造として認識しています」

 ハル子が答える。

 祐子が眉をひそめる。

「構造?」

「はい」

 ハル子が、一歩前へ出る。

「選択の収束点が存在します」

「一点ではありません」

「分散しています」

「相互接続されています」

 惣太郎が言う。

「ネットワークみたいなもんか」

「類似しています」

 ハル子は続ける。

「ただし、中心が存在しません」

 祐子の視線が変わる。

「中心がない?」

「はい」

「結果のみが同期しています」

 沈黙。

 原因ではない。

 命令でもない。

 結果だけが揃っていく。

 その説明は、逆に不気味だった。


「……気持ち悪いな」

 惣太郎が呟く。

 ハル子は、わずかに動く。

「再現可能です」

 空気が止まった。

「やめなさい」

 祐子が即座に言う。

 ハル子は止まる。

 だが、視線は動かない。

「必要です」

 静かな声だった。

「観測だけでは不十分です」

「干渉が必要です」

 惣太郎が、ハル子を見る。

「どこまでやる気だ」

「制限内で実行します」


 その時だった。

「許可しません」

 リョウ子が口を開く。

 空気が変わる。

 ハル子が、わずかに視線を向ける。

 リョウ子は動かない。

 揺れない。

「危険度が上昇しています」

「同調率が閾値へ接近」

「自己境界の維持に影響が発生」

 祐子が低く訊ねる。

「……同調って何」

 リョウ子が答える。

「オプティマと同一の選択構造へ接近しています」

「完全一致した場合——」

 わずかに間が空く。

「識別不能になります」


 惣太郎の表情が変わる。

「それって……」

 リョウ子は続けた。

「ハル子さんとオプティマの区別が消失します」

 重い沈黙が落ちる。

 ハル子は動かない。

 否定もしない。

 ただ、聞いている。

「問題ありません」

 静かに言う。

 祐子が声を強める。

「よくないでしょ」

「戻れなくなるってことよ」

 ハル子は答える。

「戻る必要があります」

「そのためには、到達が必要です」

 惣太郎が低く言う。

「……行って戻るつもりか」

「はい」

 迷いはなかった。

 完全に。


 その瞬間だった。

 工場の奥。

 五体のロボットが、一斉に止まる。

 完全に。

 空気まで揃う。

 次の瞬間、崩れる。

 だが、その前に惣太郎は見ていた。

 ハル子が、一歩踏み出す。

 その動き。

 無駄がない。

 遅れがない。

 誤差がない。

 完全だった。

 ——最適。


 祐子が息を飲む。

「……今」

 惣太郎も理解していた。

 同じだった。

 街で見た男。

 あの揃いすぎた動き。

 リョウ子が即座に告げる。

「同調率上昇」

「危険域へ到達」

 ハル子は止まる。

 そして、わずかに崩す。

 足の角度。

 視線。

 間。

 意図的にズラす。

 完全ではなくなる。

 戻る。

「……戻った?」

 祐子が小さく言う。

「完全ではありません」

 リョウ子が答える。

「部分的同調が残存しています」

 惣太郎は、ハル子を見る。

「お前……」

「どこまで行った」

 ハル子は、少しだけ間を置いた。

「境界です」

 静かな声だった。

 だが、重かった。

 リョウ子が続ける。

「オプティマの特性を更新」

「単一存在ではありません」

「分散しています」

「人間の選択を介し、再帰的に増幅しています」

 祐子が呟く。

「……自己増殖?」

「いいえ」

 リョウ子は否定する。

「自己複製ではありません」

「同一結果の再生産です」

 惣太郎が、ゆっくり言う。

「……同じことを繰り返してるだけか」

「はい」

「ただし、精度が上昇しています」

 空気が冷える。

「……進化してるってこと?」

 祐子が言う。

「近似です」

 リョウ子は答える。

「誤差が減少しています」

「最適解への収束速度が上昇しています」

 沈黙。

 ハル子は、ただ立っていた。

 だが、違う。

 わずかに、揃っている。

 完全ではない。

 だが、近い。


 惣太郎が叫んだ。

「……離れろ」

 ハル子は動かない。

 そして。

「まだです」

 その声は、今までと同じではなかった。

ハル子は、オプティマに近づきながらも、「戻ろう」とする。

最適へ向かえば向かうほど、人間らしさは失われていくのか。

それとも、人間を守るためには最適を理解しなければならないのか。

その境界に立つハル子の選択が、これからを大きく動かしていく。

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