4 来客
迷子の子供を古書店の店長に預けたあの日から、もう二週間は経っただろうか。
あれからどうなったのかを古書店の店長に聞こうかとも考えたが、他人の僕が立ち入り過ぎるのも良くないだろうと思っているうちに、その子の顔も忘れてしまった。
八月も半ばになると、海水浴客も少しずつ減ってきて、土日の昼時以外は閑散としている。
曜日にかかわらず、一番売れるのは焼きそばで、その次はかき氷だ。
しかし日本人っていうのは無類の麺好きだと思う。
暑くてもうどんの注文は減ることが無いのだ。
「今日も客が少なくて楽だな」
先輩が僕ではないもうひとりの子に話しかけた。
その子は聞こえないのか返事をしない。
よく見ると耳にイヤホンを突っ込んで、小刻みに膝を揺らしていた。
「なんだよ、仕事中に」
先輩は自分もおしゃべりがしたかったくせに、返事をしなかった子に悪態をついている。
人という生き物の身勝手さに笑いが込み上げた。
「先輩ってあの本屋に入ったことあります?」
僕は思い切って話しかけてみた。
「ねえよ。本なんて読まねえもん」
先輩は僕に背を向けたままでぶっきら棒に返事をした。
「そうですか」
言葉を返してくれただけで嬉しくなったけれど、元来僕は人と話すのが苦手だ。
それ以上の会話は続かない。
ふと見ると店長さんが僕たちをニマニマしながら見ていた。
サボってると思われただろうか。
僕は慌てて砂浜に転がったままのコーラの空きビンを片付け始めた。
「おい、お前ってマジで本とか読まねえの? せっかく近くに本屋があるのにさぁ」
空き瓶についた砂を洗い流している僕の横で、店長さんが先輩に話しかけた。
さすがに雇い主を無視するわけにはいかないと思ったのだろう、先輩は慌てて振り向いた。
「マンガしか読まないっす。あそこの本屋はマンガとか置いてないっしょ?」
「ああ、無さそうだよな」
「だから行ったことも無いっす」
「そうか」
どうやらこの店長さんも、実は口下手なようでちっとも会話が続かない。
先輩はまだ膝でリズムをとっている子の背中を押して、その場から離れていった。
「まあマンガを読むだけマシかもな」
店長さんは自嘲するような声を吐き捨ててから僕に近寄ってきた。
「お前って今日残業できる?」
今日は平日で客も少ないから、残業するような仕事は無いはずだ。
「良いですけど、何かありましたっけ?」
「ああ、夕方に知り合いが来るんだ。サザエの壺焼きでも出してやろうかと思ってね」
自分で焼けばいいのに、僕に仕事をくれるつもりなのだろう。
稼ぎたい僕に否は無い。
「わかりました。やります」
「頼むよ。まあ、それまでは適当に休んでくれていいから」
店長さんはひらひらと手を振って店の中に戻って行った。
その日は数人の客が来ただけだったし、夕方には店長の知り合いが来るからだろう、どうやら早じまいすることになったようだ。
二人の先輩たちは大喜びで帰り支度をしている。
僕はひとつの七輪にだけ火を残し、他の燃え残りはドラム缶に移して水をかけた。
「そろそろ来る頃だぜ」
店長さんがビールを片手に店の裏口から顔を出す。
風が急に冷たくなり、海岸に残っている人もほとんどいない。
「焼くのはここで良いですか?」
「ああ、知り合いっていっても爺さんだから、特に気を遣う必要は無いよ。一個でも食えりゃ御の字だろう」
そんなことを言う店長の背中を見ながら、僕は新しい炭を七輪に注ぎ足して火を強めた。
風がますます冷たくなっていく。
僕がでたらめな鼻歌を歌いながら炭の加減を見ていたら、海岸に続く階段をがっしりとした体格の男性が降りてきた。
「店長さん、あの人じゃないかな。お客さんが来たみたいですよ」
僕が店に声を掛けると、店長さんがのっそりと出てきて階段の方を見た。
「ああ、あいつだよ。すまんがサザエを焼いてくれ」
僕は頷いて、程よく焼けた網の上に大き目のサザエを五個並べて置いた。
店長さんが手を振ると、その人は一瞬だけ怯んだような素振りを見せたが、気を取り直したのかゆっくりと歩いてくる。
「やあ、久しぶりだな。遂に年貢を納めるか」
どう見ても年下の店長さんが、揶揄うような口調で言う。
その人は酷く悪い顔色のままでにっこりと笑った。
「ええ、少しお待たせしましたが、ほぼ予定通りですよ」
「三沢には伝えたの?」
「後で行くとは伝えてあります」
「そう。聡志がサザエ焼いてるから、食ってから行きなよ」
「サザエか。久しぶりですね、ありがとうございます」
炭火の上でカタンとサザエが動いた。
あの固い蓋が押しあがってきたら、醬油を注すタイミングだ。
良い匂いが漂って来て、僕の腹の虫が騒ぎ始める。
何かを食べたいと思ったのはいつぶりだろうか。
「もうすぐだな。ビールでも飲む?」
「ああ、良いですね。いただきます」
店長さんは笑顔で頷いて店の中に消えていった。
その男性は僕の方を見て、ゆっくりと口を開いた。
「こんにちは」
「あっ……こんにちは。いらっしゃいませ」
「君が聡志君か? 大きくなったね」
なぜこの人が僕を知っているんだろう。
僕の胸が急にざわめいて、ひどく居心地が悪いような気持ちになった。
海から吹いてきた風が、僕たちの間を走り抜けていく。




