37 魂の本質
静かな時間が流れる。
耳に届くのは波の音と、その隙間に割り込む食器が触れあう音だけだった。
じっと窓ガラスの向こうを見ていた山田さんが三沢さんの顔を見た。
「ねえ、三沢さんとは初対面なのに、どうして私はペラペラと……誰にも言えなかったのに。誰にも知られたくなかったのに……」
三沢さんがとろけるような顔を山田さんに向けた。
「それは玲子さんが人見知りだったって言ってるの?」
「違うわ。まあ、人見知りは子供のころからだけど。でもそれはダメだと思って自分から積極的に話しかける努力はしてきたの。でも内心はバクバクでね、焦って真っ赤な顔になるのが恥ずかしくて、お化粧も念入りにするようになったくらいよ。でも持って生まれた性質ってなかなか直らないわよね。今でも最初に話しかける時はものすごく緊張するの。自分の心臓の音で自分の声が聞こえないほどだもの」
「そうなの? それはすごく努力したのだね。玲子さんは頑張り屋さんなんだ」
三沢さん、その言い方は少しズルいぞ? それが大人のやり方ってやつ?
「そうよ、とても努力はしたわ。でも今言っているのはそうじゃなくて、三沢さんに自分のことを話しちゃったってことよ。全部墓場まで持っていくつもりだったのに」
「ああ、それはきっと私が狐だからだよ。ほら、誰にも言えないって気持ちも、ペットになら素直に言えたりするでしょ? それはね、人間以外の動物には『生きる』という以外の欲は無いからなんだ。彼らの行動は全て生き残るためのものだからね。無駄な動きは一切ない。だからこそ素直に心を開くことができるのさ」
「生きるため? 獲物を取り合って殺し合うほど争うのも? 猿山のボスになろうとするのも同じなの?」
「そうだよ、動物の生活は危険が多い。いわゆる天敵というものも存在するし、食糧事情だって酷いものさ。食べないと死ぬでしょ? だから同族でも争う。自分という個が生き続けるために必要なら、親でも夫婦でも、兄弟だったとしても争うよ。血が繋がっているというだけで生きていく上で『個』はあくまでも『個』だからね。でもね、人間みたいに宗教だとかの理由で相手を殺すなんてことは無いんだ。生きるという本来の目的とは関係ないからね。私からすれば愚の骨頂だよ。自分が信じているのならそれだけで良いはずだ」
「その通りね」
「生まれたらいつかは死ぬ。それは変えようがないでしょ? 人間も犬の猫も狐も鳥も魚も全部同じ定めの中で今を生きているんだ。人間って生まれてから死ぬまでの、ほんの短い時間をどう生きるかが大切だと思っていないか?」
「え? それは勿論そう思っているけれど……違うの?」
「違わないけど、本質は少し違うかな。もっと基本的な話だよ。玲子さんは魂ってどこにあると思う?」
山田さんは驚いたような顔をした。
「魂? えっと……ここ?」
山田さんが自分の胸に手を置いた。
「ああ、それが一般的だね」
「違うの?」
三沢さんはそれには答えず、空になったカップを僕の方に押した。
はいはい、お代わりですね?
「魂と心って同じだと思っているのかな?」
山田さんはますます混乱している。
「同じ……そうよね……同じかどうかはわからないけれど、近いものだと思うわ」
「うん、きっとそう思っている人が大半だろう。でもね、実は似て非なるものなのさ」
「どういうこと?」
「魂というのは不滅なんだ。玲子さんの体は魂の器なんだよ。そう、ただの器。その器に宿るのが心だ。わかりやすく言うと、体と心はいつかは滅びる。でもね、魂は消えないんだよ」
山田さんの目がひときわ大きくなった。
そりゃ驚くよね、僕もこの真理を理解するまで何年もかかったもの。
「死んでも魂は存在するの?」
「そうだよ、そして魂の故郷に帰っていく。そして少しだけ休んだら、また新しい器へと入って行くんだ」
「なぜそんな必要が?」
「修行だ。魂の修行のために器と心……感情といった方がわかりやすいかな? それを使っているのさ。そして人間以外の動物は、感情をほとんど表現しない。繫殖のための行動や行為だって、次の器を作るためのものだよ。見た目の美醜や心の貧富など、器の製作には全く関係ないでしょ? だからみんな同じ顔をしているんだ。ああ、まれにオスだけカラフルな鳥もいるけれど、あれは仕方が無いんだよ。あの種は極端にメスが少ないんだ。だから数の多いオスが自分を囮にしてメスを守るために工夫進化した。派手な方が目立つから捕獲対象になり易いでしょ? よく言われる繫殖のためのアピールだけではないんだ。むしろそっちはオマケ」
「なんというか……今までの知識というか、そういうのが悉く覆されている気分だわ。でも反論の余地もないほど納得できる。三沢さんって本当に不思議な人ね」
三沢さんがほわっと笑った。
「そう? まあ人じゃなくて狐だけどね」
クスッと笑う山田さん。
冗談みたいだけれど、本当なんだよ、これが。
「魂というのは胸の中にあるわけじゃないのさ。魂はそれほど小さなものじゃない。生まれたばかりの頃は、その体に見合った大きさだし、大人になればその大きさになる。大きければ成長しているのかといえば、それは違う。ただ器に合わせているだけだ。魂の修行は大きさとは関係がない」
「体全部が魂ってこと?」
「まあ、そうだね。だから死んでしまった体から離れた魂は、使っていた器と同じ姿をしているんだ。生きている者には見えないというだけでね。ああ、稀に見える人もいるかな? 理由はわからないけれど」
「その魂はどうなるの?」
「さっきも言ったように故郷へ帰るよ。そして待機状態になる。でも帰れない魂もいてね、そんな魂がこの星にはうんざりするほど漂っているんだ」
「幽霊のこと?」
「幽霊……まあそういう表現になるかな。私たちは『素の魂』と呼ぶけれど」
「素? 器を失くした魂が? じゃあすっぽんぽんの剝き出しってこと?」
え……そっち?
素の魂である僕の頬が赤らんだことは言うまでもない。




