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33 稲荷ずし

「ねえ聡志君、焙じ茶をお願いできる?」


「わかりました」


 僕は焙烙に神ジイが持ってきた茶葉を入れた。

 焙じ茶はなんと言っても焙じたてが一番おいしい。

 苦みもなくなんとも言えない懐かしい香りが最高なのだ。


「今から作るからちょっと時間がかかるんだ。冷たい麦茶ならすぐ出せるよ?」


「そう? じゃあそれも頼める? ついでに私のもお願いしていいかな」


「オッケー」


 サト子ちゃんの肩がビクッと揺れた。

 失敗した……オッケーなんて敵国語だよね。

 僕は冷蔵庫から麦茶を出して、把手の付いたマグカップに注いだ。

 指も癒着しちゃってるからこの方がきっと飲みやすいよね。


「ありがとうございます」


 本当にこの時代の子は礼儀正しい。

 この純粋さを戦争に利用したのは、いったいどこのどいつなのだろうか。


「冷たい……冷たいです!」


 そりゃ冷蔵庫で冷やしたからね。

 この時代ってどうしていたのだろう? 井戸水とかかな?


「一度に飲んじゃうとお腹が痛くなるわ。時間はたっぷりあるからゆっくり飲もうね」


 さすが裕子先生だ。

 スルッと古村さんが戻ってきた。

 そのタイミングで炊飯器のスイッチを入れる。


「レシピ通りで良いですよね?」


「うん、料理研究家を信じよう」


 半分に切って油抜きをした油揚げを、ザルに移してしっかりと絞る。

 へぇ……酒と味醂と醬油と水って同量なんだ? 砂糖も? 知らなかった。


「これだけあれば百人分くらい作れるね」


「酒のつまみになるし、あの子に腹いっぱい食わしてやろうと思ってな」


「うん、そうだね。百個くらい食べさせたいよね」


 炊飯器がピィピィと音を出し、炊き立てごはんの香りがした。

 手早くすし酢を混ぜ込んで、少し炒ったゴマを入れてバットに広げて冷ます。

 焙じ茶は良い感じの色になり、温めにおとした湯でじっくりと香りを引き出した。


「良い香りじゃのう。ワシにも淹れてくれ」


 さすが神ジイ、本当にドンピシャのタイミングで来るよね。


「ねえ神ジイ、狐さんは?」


「おるよ? 今は二階の三沢狐と話しとる」


「今日ね、お稲荷さんを作るんだ。狐さんも好きかなって思って」


「そりゃ好きじゃろう。だが、やつに食わすと絶対に足りんぞ? 千人分はペロリじゃ」


 マジで食べそうだと思った僕は、慌てて作ったばかりのチキンハムを大皿に並べた。

 稲荷ずしはサト子ちゃん最優先だもの。


 とても喫茶店とは思えない甘辛い香りが店内に漂ってきた。

 このまま冷やせば出来上がりのはずなんだけど、どうだろう……少し不安だ。


「どうじゃの? 痛みは薄らいだかの?」


 神ジイがサト子ちゃんに話しかけた。

 目が見えなくなっているサト子ちゃんには、誰の声かわからない。


「どなたですか?」


「ワシか? ワシは神じゃよ」


 サト子ちゃんはニコニコしながら小首を傾げた。

 まあ、神だと言われて『ああ、そうですか、神様ですか』とは思わないよね。


「ワシは焙じ茶をいただくが、サト子ちゃんも付き合わんか?」


「はい、ありがたく頂戴いたします。神さま」


 え? 素直に認めちゃったの?

 ケラケラと笑っているサト子ちゃん。

 本当はお茶目で明るい子なのだろうね。

 神ジイも一緒になって笑っている。


「聡志、焙じ茶五つだ」


 神ジイがこちらを向いて言った。

 まあ、客だし? 金払いは最高だし? でもなんだか気に入らない!

 そうこうしているうちに三沢さんもやってきた。


「この匂いは反則だ。狐を餌付けしてどうしようって言うんだ? 聡志」


「どうもしませんよ。サト子ちゃんと一緒に食べようと思って」


「いいね」


 そう言った三沢さんが裕子さんを手招きした。

 代わりに古村さんがサト子ちゃんの前に座って、まだ熱い焙じ茶をふぅふぅと冷ましてやっている。


「どうしたの?」


「狐が言うには、あの子は君の関係者らしい。前々世の君はあの子の家のお手伝いさんをしていたんだってさ。血縁ならすぐにわかったのだけれど、さすがに使用人だとわからなかった。覚えていないだろうけれど、君があそこに惹かれていたのはそういう理由だと思うよ」


「そうですか。お手伝いさん……だとしたらその私ってかなり責任感が強かったのね。だってずっと気になって気になって。その時の記憶がサト子ちゃんを探させていたのね」


「まあ、それだけじゃないけれどね。でも会えてよかったじゃない。それで本題なのだけれど、やっぱり言葉は無かったよ。父親は戦死で母親もほぼ即死。母親の方が合葬で送られたから無事に成仏しているけれど、あの子はずっとあそこで迎えを待っていたってわけだ」


「その時の私ってどうしていたのかしら」


「それはわからない。生きていたら聡志のばあちゃんくらいの年だけれど、生きてないから今の君がいるんだもの。でもきっと死の間際まで気にしていたのだろうね」


 裕子さんがそっとサト子ちゃんを見た。

 神ジイが傷を治しているのかなんて思ったけれど、そういうことはしないみたいだ。


「ちょっと聞いてみる?」


 三沢さんがいたずらを思いついたような顔で言った。

 

「ねえ、サト子ちゃん。君の家にはお手伝いさんがいたよね?」


「はい、千代さんです」


「どんな人だったの?」


 裕子さんの背筋が伸びた。


「千代さん? すごく優しいお姉さんです。いつも遊んでくれたし、お手玉も千代さんから習いました。でもね、鎌倉にお嫁に行って会えなくなって……」


「ああ、そうなのか。君はなぜ鎌倉にいたのかな?」


「お母様と一緒に千代さんの家に行く途中で……警報が出て……お母様が建物の下に……きゃぁぁぁぁぁぁぁ!」


 どうやら全部思い出したみたい。

 裕子さんが駆け寄った。


「お嬢様! サト子お嬢様! 千代ですよ。よく頑張りましたね。えらかったですよ。もう大丈夫ですからね」


 サト子ちゃんを抱きしめたまま、裕子さんが号泣している。


「千代さん? 千代さん……千代さん……お母様が……おかあさまがぁぁぁぁぁぁぁ」


「お嬢様……本当によく頑張りましたね。千代は感心致しました。奥様はすでに向かわれました。もうすぐサト子お嬢様もそこに行くのですよ。もう大丈夫でございますからね」


「お母様の? お母様に会える?」


 裕子さんは、一度唇を嚙みしめてからゆっくりと声を出した。


「いいえ、奥様にはお会いになれません」


「どうして? お母様はお会いになって下さらないの?」


「違いますよ。奥様はすでに亡くなっておられるのです。ご主人様もすでにおられません。ですから、いくら会いたくても会えないのですよ。お二人は素の魂になられたのです。そしてお嬢様も同じ場所へ行くのです」


「千代さんも?」


「千代はずっとお嬢様を探していたのですよ。いいですか? サト子お嬢様、そこへは一人でしか行けないのです。ご主人様と奥様の娘ですもの、サト子お嬢様も立派に成し遂げられますね?」


 サト子ちゃんは俯いて考えてから顔を上げた。


「はい、サト子はお父様とお母様に恥をかかせるような真似は致しません」


「ご立派です。では皆さんで一緒に食事をしてから参りましょうね。千代がお見送りをいたします」


 コクンと頷いたサト子ちゃんは、涙を流すこともできなくなった顔をくしゃくしゃにしながら、裕子さんにもう一度抱きついた。


「千代さん。一人で行くのは……怖い……」


 裕子さんが大粒の涙をぽろぽろと流す。


「そうですね、一人は怖いですね。でもサト子お嬢様は、あそこでずっと一人で頑張っておられたのでしょう? なぜあそこに?」


「あのね、最初は横浜の駅舎にいたの。そうするとね、たくさんの子供たちがサト子の手を引いて連れて行ってくれたの。サト子だけ逃げちゃダメって思ったのだけれど、あそこにいれば迎えに来てくれるって……黒い着物を着た尼御前様が仰るから……」


「そうですか、でもそれでよかったのです。千代と会えましたでしょう?」


「うん、千代さんと会えたね。嬉しかった」


「さあ、聡志君が作ってくれたお稲荷さんをいただきましょうか。たくさんありますからね、もうお腹に入らないっていうほど召し上がってくださいね」


「聡志君? あの兄さん? 千代さんの旦那様なの?」


 千代さんになり切っている裕子さんの頬が真っ赤になった。

 つられて僕の頬も赤く染まる。

 賑やかな夕食が始まった。

 ルナール古書店の扉から、数人の子供が覗いているのが林越しに見える。

 あの子たちにもお稲荷さんを食べさせてあげようかな。


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