一人で千人、千人で一人
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怒りが心を占めるとはこういう事なのだと知った。お母様にリンダ様を任せて侍女の方を介抱していたら急に騒がしくなって、外へ出てみると、リンダ様は私の目の前で悪魔に連れ去られてしまった。
何か思い出されたのだろう。あの時のリンダ様の無念そうなお顔。嫌がっておられる。それなのに、お助けできない自分の無力さ。リンダ様を良いようにできる悪魔への妬み、嫉み、怒り。私の中にこれまでに無かった思いが業火のように溢れた。
侍女の方を送ってリンダ様のお屋敷に行くと、ベルゼ様とリンダ様の婚約を告げる使者とかち合った。使者は高らかに
「未来の王妃様とそのご一族に栄光あれ!」
と、言い残し去って行った。
惨めだった。力が欲しい。力が欲しい。この現実を変えるだけの力が欲しい。
公爵家は婚約の喜びに包まれていた。ご本人の意思を無視した祝福。今、リンダ様はどんな目にお会いになっているのかと、私は泣きながら、家に帰るしかなかった。
家に帰って母様にリンダ様のご様子を聞いた。更に知っている事を全て教えてと詰め寄った。母様は私の迫力に押されたように知っている事を教えてくれた。
実は世界は球体で宇宙という空に浮いているという。その宇宙も幾つかあって、この世界は二つの宇宙がぶつかって地続きになった珍しいもの。故にそれぞれの宇宙出身の神や悪魔がいるのだという。
母様もその一人で有らざるものと呼ばれる女神。なぜ有らざるものなのかと言うと、創造神の息子の神の従兄妹と言われているが、創造神は世界の始まりであり、その兄弟がいるとは思えない。故に有らざるものだという。
それなら従兄妹でないだけでは?と思うものの、母が生まれた時、自分は創造神の息子の従兄妹という確信があったらしい。話が進まなくなるので、それはそういう事で納得しておく。
母様は女神といってもそれ程強くはないらしく、自らも魔女と名乗ることの方が多いという。母様をはじめとする魔女たちには、ジュブ=ニグラス様と言う大いなる女神様がいて、その方こそリンダ様に違いないと母様は考えている。ジュブ=ニグラス様には偉大な精霊が仕えていて、それがどうやらジオル様だったらしい。ジオル様……ちゃんとお守りしないどころか悪魔に操られて私に迫るなんて。偉大なる精霊が、ああ、情けない!!
ジュブ=ニグラス様は母様の元へ最後においでになって、悪魔ベールゼブブに力を奪われたため人間界にいると仰った。母様は女神に変わらぬ忠誠と愛を誓って悪魔の動向を探り、この世界にやってきたらしい。
「なかなか、誰が誰なのか分からなくて苦労したわ。マデリーンのお陰で、多分ベルゼ様がベールゼブブ。リンダ様が我が君と言うことが分かって、リンダ様がこられて、精霊がジオル様だと分かったのよ。」
随分分かったわ。でも、もう一人の人外が登場していない。
「母様、アルス様は何者でしょうか?」
母様は顎に手を当てて考えた。
「なんとなく我が従兄弟殿を思わせる方だけれど、分からないわね。」
仕方がない、母様が知っていることは全部話してくださったのね。
「母様、リンダ様をお救いするにはどうしたら良いでしょう?母様はどうするおつもりですか?」
「私はまずはリンダ様の記憶を戻すお手伝いを続けるわ。記憶が戻れば御心のままに何でもするつもりよ。貴方は、そうね。夢の魔法の続きをすると良いわ。創造神の眠りが浅くなっているようなの。そのせいで、リンダ様はそこに引き込まれた。フルート奏者が集められているのも創造神を眠らせるための子守唄だわ。貴方は、そこに行けたのよね?そこには私の従兄弟も居るはずよ。会って情報を聞き出せるかもしれないわ。」
「母様の従兄弟はアルス様ではないのですか?」
「従兄弟はたくさんいるのよ。一人にして千化身を持つとか。名前は、ニャルラトホテプが有名だけど、名前を呼ぶのはあまり良くないわね。顔のないおじさん、いえ、お兄さんとでも呼ぶと良いわ。」
千の化身?なんだか凄いのね。でも、そんなに分かれていたら一人一人は弱くなってしまわないのかしら?
「ありがとう。お母様。私、フルートも練習して、そこで吹いてみますわ。創造神を眠らせる事が出来ればリンダ様のご不快の一つを無くすことができるわ。」
母様は嬉しそうに微笑んだ。
「それは良い考えね。二人で我が君をお助けしましょう!!」
私はとりあえず伯爵家に帰って自室に閉じこもった。部屋には水晶玉がたくさん。侍女達がきみ悪がるくらい増えてしまった。
でも、水晶があると落ち着く。紫水晶、黄水晶、針水晶、灰水晶、もちろん透明のものもベッドの周りにぐるりと配置し、フルートを側に置き、ベッドの上でリラを奏でる。水晶玉からあえかな煙が立ち上っているように見え始める。ランプに振りかけた香水が気化して甘い匂いを強くする。
「ああ、我を誘え。夢の中、偉大なる闇世の宮殿。」
音と匂いと視覚で軽いトランス状態になって、即興で歌う歌は呪文に代わると母が言っていた。呪文は力の弱さを補う補強剤。見えてきた幻覚、星のような模様を指でなぞれば、指から血が流れ、血はその模様を浮かび上がらせる。その紋章が大きくなり、私は闇世の宮殿に吸い込まれた……。
「おやあ?新しいフルート奏者ですか?この闇の中、金の髪が輝いてお美しいですね。ゆっくりして行ってくださいな。よければ良い感じに気が狂うまでごゆるりと。ふふふ。」
着いた途端に声をかけられた。その人は顔がなかった。あ、そうだわ。顔のないお兄さん。母様の従兄弟の方!
「あの、私はマデリーン・スミス。マイノーグラの娘です。貴方は母の従兄弟の顔のないお兄様なのですか?」
すると顔のない人は首を傾げる。
「あれー?有らざるものマイノーグラ嬢の娘ですか。へー?ふむふむ。」
「あの、不躾ではございますが、分からない事が多くて色々お教えいただければと参ったのです。」
「ほうほう。従兄妹の娘。では貴方は私の、いとこめいと言うやつですね。うむうむ。他人ではないし、良いですよ。私も退屈ですし。でも、その前に、お父様をアヤしてやってくださいな。本格的に起きられたら私も面倒なんですよ。」
顔のない親戚は奥の闇の濃い方を指さす。
「あ、はい。ではフルートを。」
まだ練習をしていないけれど、吹ける曲はある。私はフルートを持っていた事に安堵しつつ唇に当てた。
「もっと近くで吹いてあげてください。最近、フルートの音がたくさん聞こえるんですけど、遠い上に結界まで挟まれちゃ父上に届きませんよ。ほら遠慮せず、父上の中でどうぞ!!」
「え?!」
私は凶悪な力に飛ばされた。真っ暗な神が迫る。ビチャビチャと音が鳴る。見てはいけないと言われていたけれど、もう見渡す限り創造神の暗黒だ。私は創造神の中に投げ入れられた……。
「え?なんとも無い??」
ブチョブチョした黒いものの真ん中に立っているものの、特別痛くも苦しくも無い。
「へー?マイノーグラの娘さんは母親より才能が有りそうですね。さすが私のいとこめい。ではさそっそく、そこで一曲お願いします。」
ここで?神の只中。ある意味踏んでる状況なのですが……。
何となく釈然としないものを感じつつ、私は再度フルートを唇に当てた。吹くのは簡単な子守唄。単調なメロディーで眠りを誘う曲だ。
吹き始めると、神はボコボコと波打ち始めた。足元が覚束なくなり、座り込みながら吹き続ける。
神が喜んでいるように感じる。だから、何度も同じ曲を繰り返す。しばらくすると、足元が静かになった。私は吹くのをやめて、波撃たずビチャビチャという音も止まった神を撫でてみる。プニプニしていてなかなか可愛い、気がする。
その後、私の体は浮き上がり、神から離れて顔のない親戚の前に来た。
「お見事ですね。いやいや、熟睡してますよ。これで一安心。うーん、良い曲でした。私も少し眠りましょうかねえ。」
と、本当にゴロンと横になった。
「いえいえ、お待ちください。お話を聞かせてくださいませ。」
私は焦って止めた。創造神が熟睡してくれたのは、とても嬉しいけれど、情報収集ができないのは困る。
「あー。そうでしたね。何をお聞きになりたいので?」
顔のないお兄さんはのんびりと応える。お兄さんは全身黒く、服を着ているのか裸なのか判然としない体に蒼いマントを付けている。顔の部分は大きなリンゴ飴というか、苺ゼリーというかそんな色だ。
「あの、ベルーの国アルス様が何者かご存知ですか?貴方のご眷属ですか?」
「あーあー、あのやたらフルートが聞こえる国ですね。ベールゼブブがいる。」
「はい。そうです。」
「アルス、アルス、えーっと、じゃあちょっと私の眷属を光らせてみますね。あはは、千人が光ってなかなかの超常現象。映像オーン」
王宮の中庭だろうか。アルスが映し出される。
そして、アルスはピカッと光った。
「うんうん。私の眷属というか私の化身の一人ですね。で、気付きました??」
お兄さんは青くなっている私に機嫌の良さそうな声をかける。
気づいている。そう、そう、私も同じ時、同じように光ったのだ。
「はーい。貴方も私ですね。ふふーん。やはりお父様を眠らせる事ができるのは私なんですね。」
私も人外。ショックを受けつつも、ならばベールゼブブに勝ってリンダ様を取り戻せるかもしれないと希望が生まれる。
「それなら、私はベールゼブブに勝てますか?リンダ様をジュブ=ニグラス様をお助けしたいの。」
「ベールゼブブと対決する気ですか?いや、まあ、ただの人間に比べれば勝率は上がりますけど、ちょーっと相手が悪いかなー。ジュブ=ニグラスがどうしたんです?」
「ベールゼブブに力を奪われて、妃にされそうになっているのです。」
お兄さんは大袈裟に手を広げた。
「ジュブ=ニグラスの力を奪った?やめましょう。やめときましょう。ベールゼブブだけでも強いのに地母神ジュブ=ニグラスの力まで持ってるんでしょ?」
「そんな……」
「まあまあ、ジュブ=ニグラスは美と愛と豊穣の女神。幸せにお妃になるんじゃないですかね。はいはい。眠くなってきましたので、話はまた今度。時々来てフルートを吹いてください。その後、情報を差し上げましょう。」
私が蹴っ飛ばしたい衝動を覚えた時、お兄さんは指を鳴らし、私は現実の世界に吹き飛ばされた。




