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34 春と冬

 聖女とは女神に仕える『神殿』の最上位に君臨する、人類最高峰の武力を持つ者のひとりだ。

 神罰の代行者ともされる彼女たちの矛先が、モンスターではなく人間に向けられることなど滅多にない。

 だが、もし敵対してしまえば神罰から逃れる術はないだろう。

 ……それが一般的に伝わっている話だ。


 闇のギルドの刺客たちも同じ程度の情報しか持たなかったが、ボスだけは裏社会の深い部分にまで入り込んでいたため、聖女の武威を支える『神器』の存在まで把握していた。


 女神から与えられた『神器』は、大雑把に分類すれば魔道具の一種として考えられる。

 基本的には魔力を込めることにより、特別な効果を発揮するからだ。

 しかし明確な違いとして、その規模や威力が桁違いであり、なおかつ聖女にだけ扱える点が挙げられる。

 まさに『神器』とは聖女の証と言える代物だ。


 最初にボスは目の前のモニカを名乗る者を、自分たちと同じく『春の聖女』を騙っている偽者ではないかと睨んだ。

 だが、彼女が携える双刃の大剣に覚えがあったので……諦めた。

 すべての作戦を放棄して、ボスは逃げだしたのだ。


(本物の聖女に勝てるはずがないっ!)


 ――――なぜ聖女がここに。逃げてどこへ。配下は見捨てる。裏切り者には。自分の命が。どの道。そんなの知るか。


 そうした、いくつもの疑問や迷い、葛藤が脳裏をよぎったボスは、やがて考えることをやめて一目散に走る。

 決して振り返らず、すれ違った配下が目を見開いているのを尻目に、背後で悲鳴があがり始めても。

 心中に湧き起こる恐怖と絶望にフタをして、あっという間に息があがり、それでも足を止めずに逃げようとあがく。


「ひっ、ひっ、ひぃ、ひぃぃ……!」


 もはや呼吸もままならないボスだったが、その必死なまでの逃げっぷりが功を奏したのだろうか。聖女の気配が遠ざかるのを肌で感じ取った。

 このまま五体満足で窮地を抜け出せる……そんな希望すら見え始める。


 たしかに唯一、ボスが助かる道があるとしたら、このタイミングしかなかっただろう。

 それも逃げる先に、白い少女が現れるまでの話だったが……。


 ボスからすれば、ただ道をふさぐだけの邪魔者だ。

 例え人質にしても、相手が聖女では分が悪い。

 余計な考えだと切り捨てかけて……しかし聖女なら、負傷した少女を見捨てたりはしないだろうと、咄嗟に閃いてしまう。


 隠しナイフを、少女の薄い胸に突き刺すだけでいい。

 普通なら助からない致命傷だが、聖女ならば救えるはずだ。

 治癒に専念せざるを得ず、悪党をひとり逃してしまうとしても……。


 にやりと暗い笑みを浮かべ、少女の目前まで迫る。

 獣のように駆け抜ける勢いのまま、手にした凶刃を突き出し、少女の白い服と肌と顔を鮮血が染める……はずだったが、奇妙な感覚がボスの手足を止めた。


(……白い顔?)


 少女は髪も肌も服も、雪みたいに真っ白だった。

 ただ一点、普通なら顔だけは眼や鼻、口といった部分が違うだろう。生き物である以上、そこに必要な物がなければならない。


 ぼやけていたボスの視界が、ゆっくりと鮮明になる。

 その目に映し出されたのは雪の結晶のように儚く可憐な少女……ではなかった。


 眼も、鼻も、口もない。

 顔が白く、白く ただ白に塗り潰された少女が、そこに立っていた。


「な、顔が……ひっ!?」


 真白い顔にぎょろりと二つの目玉が見開かれた。

 子供の落書きめいた瞳は空虚でありながら、細かに描き込まれた目蓋が生々しくて身の毛がよだつ。

 異形の少女を前にボスは後ずさってしまうが、その視線から逃れられない。


 ふと気付けば、周囲は雪の平原だった。

 どこまでも続く白い大地は、遥か彼方で地平の線を引いている。

 白い空の下に立つのはボスと、少女だけ。


「な、にが……どうなって」


 どこを振り返っても変わらない景色。

 ただ白い少女だけが、見ている。


 ずっと、ずっと、ずっと、ずっと見ている見ている見ている見ているみてみてみてみてみてみた――――。


「あ……」


 最後にぽつりと呟いたきり、ボスの意識は白く染まり、白目を剥いて動かなくなるのだった。






「いぇーい! 黒巫狐ちゃん! いぇーい!」

「そういうのはアルマ様だけなのです」

「もう、つれないなぁ」


 びくんびくんと痙攣する倒れたボスの前で、ハイタッチしようと腕を上げる白い少女は、すずに拒否され口をとがらせていた。


 とはいえ、きちんと白い平原を幻影術で映し出した辺りから、最低限の指示には従う意思表示をしたすず。

 白い少女もそれで今は良しとして、侵入者を足でげしげしと蹴る。


「完全に意識が飛んでるね」

「なにをしたのです?」

「ちょっと精神を揺さぶっただけなんだけど、ホラー耐性が低かったのかな」

「そっちじゃないのです。顔なのです」

「ああ、さっきのやつ?」


 言いながら白い少女の体は急成長し、あっという間に白い美女へと変わった。


あの子(アルマ)は知らなかったみたいだけど、ダンジョンの主ってエネルギーを使えば肉体を操作できるんだよ。まあ、さっきみたいな使い方は特別だから、あまりやりたくないけどね」

「大きくなったのです」

「私が成長した姿をイメージしてみたよ。その気になれば翼とか角とか尻尾とか出せるけど、あまり本来の形は崩せないんだよね」


 身長が百七十センチほどとなり、豊かな胸を両腕で持ち上げる白い美女。

 着ていた服も以前アルマが作ったダンジョンの主としての正装を、サイズが合うように仕立て直した物に変わっており、杖を携えた姿は聖女に相応しい威厳と清楚な雰囲気を纏っている。


「それはともかく……改めて自己紹介が必要かな?」

「こちらこそ初めまして、と言っておきましょう」


 白い美女の前に、モニカが立ちはだかる。

 相変わらず神器である両刃の大剣を手にしており、剣呑な空気が漂う。


 即座に反応したすずが両者の間に割って入ろうとしたが、白い美女は杖を軽く持ち上げトンッと一度だけ地面を叩くと、周囲に人間大の氷柱が生成された。

 邪魔をするなとでも言うかのようで、すずだけではなく、こっそりアルマを護衛するヌマネコたちも動きを封じられてしまう。


「それが神器ということは、やはりあなたが冬の聖女だったようですね」

「あー、そこは込み入った事情があってね。今の私はダンジョンの主を担当しているアルマだけど、聖女のアルマはいつもの『あの子』だから間違えないでね」


 白い美女が簡単にアルマとの関係を説明すると、モニカは納得すると同時に不可解な顔をした。


「聖女がダンジョンの主ですか……」

「やっぱり知らなかった?」

「神殿の場所すら定かではありませんでしたからね」


 同じ聖女でもモニカは冬の聖女について、まったく情報を持っていなかった。

 これは、そもそも過去の冬の聖女が表に出ず、また人間たちも死を司る冬の女神を敬遠していたことも関係している。


「それで? 春の神殿としては、このヴァルハラをどうするつもり?」


 春夏秋の各神殿はダンジョンを滅ぼすべしと教えを広めている。

 しかしアルマはヴァルハラを人間の味方をするダンジョンだと表明し、実際にいくつもの支援を行っていた。

 その件は神官見習いであるノーラからも報告されていたが、最終的に神殿としてヴァルハラの存在を認めるかどうかは、モニカの判断に委ねられていたのだ。


 実のところ、アルマの内側からすべてを見ていた白い美女は、春の聖女の存在を感知していた。

 アルヴィトの目すらも欺いて冒険者に成りきっていても、同じ聖女ならば感覚的に感じ取れるのだが……肝心のアルマは微塵も気付く様子がない。


 声をあげる手段のない白い美女は、やきもきしながらも、モニカが様子見をしている段階だと諦観していたのだ。

 そして今、春の聖女としての判決が下されるのだと身構える……のだが。


「……そうですね。ここはやはり派手派手のキラキラ系で攻めようかと思います」

「そう、派手派手のキラキラ……なんて?」


 想像とはかけ離れた言葉に、思わず聞き返してしまう白い美女だったが、モニカは構わず続ける。


「最近は大人しめでしっとり清楚系が続きましたが、ここで冒険者として活動するうちに、やはり春の聖女に求められるのは活気よく騒いで楽しめる『舞』だと感じました」

「あ、うん……」

「このヴァルハラには明かりを一点に集中させる道具がありました。衣装のデザインも画期的でしたし、あれらを用いれば今まで以上に派手派手でキラキラ感が演出できるでしょう」

「ごめん。なんの話?」


 付いていけない白い美女が聞けば、モニカは当たり前のように答える。


「こちらに建てさせていただく神殿(ステージ)の設計ですが」

「え? それって……あー、そいういうことか」


 つまりモニカには、初めからヴァルハラをどうこうする意図などなく、ただ新しい神殿(ステージ)の下見にお忍びで訪れていただけであった。

 そんな下らない真相に辿り着いた白い美女は、自分だけがマジメに悩んでいたようでバカらしくなってしまう。


「それならそうと先に言ってよ……」

「ああ、申し訳ありません。身内の醜い派閥争いを表に出すようで、少々ためらわれまして」

「その派閥って、さっき言ってた清楚系か、派手派手キラキラ系じゃないの?」

「どちら言い分にも一理あり、甲乙つけがたい難題です」


 春の聖女は『舞』を披露し、人々の心を慰撫することで惹き付ける役割を担っていた。

 しかし神殿も一枚岩ではなく、美しく厳かな『舞』にするか、かわいらしくきらびやかな『舞』にするか……どちらも似合う聖女のため会議が紛糾してしまい、神殿建設計画は大いに遅れていたのである。


 ならば実際に見て決めようとモニカ自身が動き、ついでにかわいい教え子のノーラの様子も見ようと訪れたところ、なぜかダンジョンの主だというアルマから聖女の気配を感じ、不思議ダナー、と思いつつ観察していたのだ。


「いや不思議で済ませちゃうの?」

「危険はないと報告から判断していましたから。ところで神殿(ステージ)のほうは……」

「わかってるから。今さら断ったりしないよ」

「安心しました。よろしくお願いしますね」


 にっこりと微笑んでお辞儀をするモニカ。

 あまりに警戒心が薄く、白い美女は聖女ってちょっと緩いものなのかと思い始めていた。


「あーでも、ヴァルハラって実は、冬の神殿そのものだったりするんだけど、その辺はいい?」

「見た目こそが重要でしょう。ダンジョンにしか見えませんし、わかりやすく冬の神殿も建てられては?」

「……それもそうだね」

「ついでに他の神殿を建てる土地も残しておくと、後で揉めずに済みますよ」

「……来るの?」

「確実です」


 いずれ訪れることが確定した厄介事に、白い美女は端正に整った顔を嫌そうに歪めるのだった。

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