5 黒い狐と白い狐4
白巫狐のクーコはすっかりヴァルハラを気に入っていた。
出てくる料理は今まで食べたこともない美味しいものばかりで、おまけに食べ放題だ。御殿そのものな和風旅館も、まるで物語に登場する貴人になったかのようで夢心地である。広くて綺麗でゆったりとくつろげる大浴場も好みだ。
そしてなにより、アルマの存在がクーコの癒しとなっていた。
幼少の頃より甘やかされながらも、白巫狐の使命について言い聞かせられて育ったクーコにとって、その使命とは生きる意味であり、同時に自身の存在価値として捉えるまでに至っている。
もしも使命を果たせなければクーコは、その瞬間から無価値となり、生きる意味さえなくしてしまうと恐れるほどだ。
故に黒巫狐のすずと出会い、力量の差を知った時は愕然とした。
厳しい修行によって身に着けた技術と、常に冷静さを失わない精神力は、まさしく巫女に相応しい屹然とした姿だと、目が覚める思いだったのだ。
修行を疎かにしていたクーコは、ようやく危機感を抱いて周囲の者に相談するのだが、誰もが無責任に励ますばかりである。
長い歴史の間に、白狐氏族は巫女を輩出する特別な一族だと慢心し、腐敗してしまっていたのだ。
そんな楽観視する雰囲気に引きずられて、ずるずると問題を先延ばしにしてしまった結果が、今のクーコであった。
すずは能力的な問題からクーコを故郷に帰すべきだと考えていたが、それは誰よりもクーコ自身が痛感していた。
待ち焦がれていたはずの使命の時が、重圧に感じてしまうほどだ。
それでも逃げ出そうという考えすら思い浮かばなかったのは、使命の重要さを正しく理解して、背負う覚悟ができていたからだろう。
例え足手纏いだろうと、その身を削る決死の覚悟があったからクーコはヴァルハラを訪れたのである。
……だがヴァルハラの様子は、想像と大きく異なっていた。
なぜか人間たちがダンジョン内で暮らし、店まで構えているのだから、驚くのも無理はない。
事態を把握するために、こっそり紛れ込んで調べていたクーコは、やがて匂いに引かれて食堂に入ってしまい、例の騒ぎを起こしてしまう。
ダンジョンで魔界の通貨が使えないわけがない、人間に騙されている。そう早とちりしてしまったのが原因だった。
そうしてクーコも内心では認めているすずと再会し、心細かったので実のところ嬉しかったのを照れて隠しながら、このダンジョンの主……アルマと出会った。
アルマはとても優しく、クーコを迎え入れてくれた。
騒ぎの原因であるクーコに怒ったりもせず、それどころか快く和風旅館で暮らすことを許可したのだ。
通常ならばダンジョンに雇われる身として、なんらかの働きで貢献してから褒美として与えられるのが当然のところを、クーコにできる得意なことで手伝ってくれたらいいと、寛大な言葉までかけている。
強く自信家のように高慢な振る舞いを見せるクーコだが、それらは虚勢だ。
実力不足の自分が情けなくて、つい本当の気持ちを隠してしまうのだが、自分自身までは欺けない。
もし本当はダメダメだと知られたら、見限られてしまうのではないか、なにもするなと言われるのではないかと、密かに不安を抱いていた。
なにもしなくていい。それは使命を果たせないに等しく、クーコにとって死刑宣告も同義だ。
だからこそアルマの言葉にクーコは喜び、奮起した。
必ずやアルマの力となって、すずの隣に並び立てる白巫狐になろうと。
すずからは巫女の使命に関しての話と、アルマがダンジョンの主という正体については、口外禁止と言い付けられている。
あまり物事を深く考えられず、物覚えも悪いクーコは、すずが言うのなら間違いないだろうと頷いた。
決して間違えないように、その『一点』だけに集中して……。
アルマがダンジョンの主という正体を隠している件を、うっかり忘れていた。
完全にやらかしてしまったクーコは、今度こそ見捨てられると涙を流しそうになったが、それでもアルマは責めたりもせずに許してくれる。
気付けばクーコは、思い切りアルマを抱きしめていた。
以前のクーコであれば、ここでも上から目線の言葉を吐くばかりで素直に心を開かなかっただろう。
それが反省からか、アルマに懐いたからなのかは本人も理解できないが、ただアルマの近くにいると変に飾らず自然体でいられた。
すなわち、つい可愛いものを見ると愛でてしまうのだ。
さっきの失敗もどこへやら、あっという間に上機嫌になると膝の上にアルマを乗せて思う存分に撫でる。
気付けば使命への緊張感も薄れ、アルマと一緒なら自分でも使命を果たせそうだと心の底から安堵して、猫カフェにいるかのような癒しを堪能するが……。
この直後、すずから本気で叱られてしまったのは言うまでもない。
しばらくして、ほとぼりが冷めた頃だと判断したアルマたち。
支部長室を出てゆっくりロビーへ降りると、先ほどよりも人影は少なく閑散としていた。
近くにいた何人かはアルマたちに気付いてぎょっとするも、ゲオルクにきつく注意されたことで黙って見なかったフリをしてくれる。
「今のうちに脱出しましょう」
「わかったのじゃ!」
「静かにするのです」
悪びれた様子もないクーコに、すずは何度目かの溜息をつく。
背後からアルマの肩に手を添えて、体を密着させながら歩いているため少し歩き辛そうだが、当のアルマは拒否しないどころか受け入れている節すらあった。これでは注意しようにもできない。
また大きな失敗をして取り返しのつかない事態になる前に、近いうちにクーコを懲らしめておこうと決心するすずであった。
「あっ、まだ外にいますね……」
ギルド支部を出ようとしたところで、外を覗き見たアルマの動きが止まる。すぐそこに、若手冒険者たちが数人ほど残っていたのだ。
とはいえ無視して通れば問題ないはずだと、すずは疑問を抱く。
「どうして隠れるです?」
そう口にしつつ、すずもこっそり外を窺って得心する。
ギルドの外にいた若手冒険者たちの顔に、見覚えがあったからだ。
最近になってヴァルハラの訓練所へ送られてきた若手冒険者は、それ以前の若手と比べて後回しにされたのに明確な理由があった。
単純に実力が高めで優先度が低く、加えて素行に問題があったからだ。
初期の頃はアルマに危害を加えないよう大人しく、素直な者が優先して選ばれていたのだが、そこにいた若手冒険者たちは違う。
年齢は十三歳前後と若手の例に漏れず、まだ少年とも呼べる若さだ。
彼らはアルマがダンジョンの主だと知る以前から、一緒に遊ぼうよ、などとしつこく声をかけて誘っていた。
それを仕事があると断れば、今度は手伝うと付きまとう始末である。
毎回毎回これを避け続けているアルマにとって、実はちょっと苦手に感じているタイプなのだ。
もし悪意を持ったものであれば断固として拒否し、すずも排除しようと対応するのだが、上辺だけを見ると遊びに誘ったり、仕事を手伝おうとしてくれただけなので、しつこい点を除けば小さい子を気遣っているとも考えられる。
しかし、すずは鋭い洞察力から看破していた。
その少年たちのアルマを見る目に、劣情が宿っていることを。
もう少し穏便に言えば、かわいい子にちょっかいをかける軟派な連中である。
特に最近のアルマはイーリス監修によってかわいらしく着飾られており、ダンジョンの主ではなく、遠い国のお姫さまだと言われたほうが信じられるほど容姿に磨きがかかっていた。
すらりと伸びる肌荒れひとつない白い手足に、月の光を宿すかのような髪がふわりとなびくと、ほのかに甘い香りが漂い、高く澄んだ声に振り向けば、愛らしい笑顔を向けられる……。
だというのに本人は同年代の友人みたいに、やたら親し気に話しかけてくれるのだから、年齢も近い少年らが、うっかり心を射抜かれても不思議ではない。
現に過去の若手たちも、似たような状況なのだから。
問題は、彼らが今までの若手と違い、積極的に近付こうとするところか。
現にアルマが怯えの色を見せて、自由に動き難くなっている状況は、すずの目に害悪としか映らない。
そろそろ動くべきか。すずが静かに暗い考えを巡らせていると、外の様子に動きがあった。
「あれ? あそこにいるのってヨハンじゃないですか?」
アルマの言葉にすずも見れば、半年前に訓練所を卒業してダンジョン攻略に遠征していたはずのヨハンが、大通りを歩いてやってくるのが見えた。
少しだけ顔付きが逞しくなったような、あまり変わらないような。半年前と比べて大きな成長は見受けられないが、その元気そうな様子にアルマも柔らかい笑みを浮かべる。
無事に帰って来たのだと、安心したからだ。
当然ながらヴァルハラと違って、他のダンジョンは侵入者を全力で殺しにかかってくる恐ろしい場所だ。そのダンジョンの主は、まさしく人類の敵だろう。
ここで訓練を積み、餞別の特殊ポーションを渡してあったとはいえ、アルマも気にかけていたのである。
「これで、あの時に卒業した人は、みんな帰ってきましたね……」
「アルマ様、全員無事で良かったのです」
「はい! 本当によかったです!」
すず自身はアルマとヴァルハラの関係者以外がどうなろうと興味なかったが、アルマが喜ぶので無事で良かったと、少し遠回りに喜んでいた。
これで一足早く戻って警備隊に加入しているヴィオラを筆頭に、訓練所の初期メンバー全員の無事が確認できたことになる。
早速ヨハンに声をかけようと、アルマが先ほどの軟派な若手冒険者のことなど忘れて飛び出そうした時だった。
「あれ、なんか話してる……というか言い合っていますね?」
通りを歩くヨハンに気付いたのはアルマたちだけではなく、若手冒険者たちも同じであった。
より近くにいた彼らが先に声をかけたのだが、その様子がおかしい。
どこか負の感情を察知したすずは、あまりアルマに見せるような場面ではないだろうと直感し、離れさせようとしたが――――。
「っ……アルマ様?」
「ど、どうしたのじゃ? アルマちゃん様よ」
感じたことのない寒気に、すずとクーコは尻尾を丸めて耳をぺたりと伏せる。
その冷気の出所は、なにかの間違いかと目を疑ってしまうが、紛れもなくアルマから発せられていた。
すなわち、アルマが怒っていたのだ。
同時にすずは、その原因にも思い至る。
ちょうど下品で蔑むような笑い声が、はっきりと聞こえたからだ。
雇われてからの半年間、アルマが怒るところなど目にした記憶がなく、すずはクーコと一緒になって狼狽えるしかない。
そんな二人を尻目に、アルマは冷めた表情のまま沈黙を貫いて歩き出す。
少し迷いながら、遅れて二人も付き従うのだった。




