16 ヴァルハラの日常(裏)4
日が暮れる頃、アルマ食堂は開店した。
準備段階から行列が形成されていたので、いつもより少しばかり早い時間の開店だったが、すぐに席の半分ほどが埋まる盛況ぶりである。
不思議なことに広場の奥側は満席であるのに対し、入口側はがらりと空いていたが、その理由は大きく二つある。
まずアルマ食堂の広場は、奥に厨房兼カウンターとも呼べる屋台のテントが設置されている。
当然そこには店主たるアルマが陣取り、忙しそうにしながらも輝かんばかりの笑顔で大量の料理を提供しているのだが……この間、アルマは移動しない。
配膳をアルバイトに任せて、自身は注文された料理を出すのに集中するためなのだが……これをアルマ愛好者は見逃さない。
普段であればアルマがあちこちに動き回っていたり、周囲の目もあったりで長く見ていられる機会は少ないのだが、屋台に近い席を取ればゆっくりとアルマを眺めていられる。
おまけに食事をするという自然な形で堪能できる奥側は、アルマ愛好者たちから非常に人気の席だったのだ。
そしてもうひとつ。
今日はアルマに加えて、もうひとつ客の興味を引く物体が出現している。
それは屋台の隣でじゅうじゅうと空腹に響く音を奏でている鉄板だ。
音だけではなく、その匂い、見た目に至るまで、鉄板の上で踊る食材たちは腹を空かせた若手冒険者のみならず、他のギルドの者たちを魅了する。
端的に言えば、おいしそうな料理が焼きあがるところを近くで見たくなるのだ。
もちろん見るだけではない。
いつもなら財布を気にして我慢するが、本日は食べ放題。
若手冒険者たちの食欲は、かつてないほどに猛り昂っていた。
「えっと、ハンバーグとから揚げ二人分と、オムライスをデミグラスソースでひとつと、この焼き鳥を十本!」
「フライドチキン三人分。あとハンバーガーのチーズ入り三つ!」
「こっちはフランクフルト五本、それからピザ二人前にグラタンとスパゲティのミートソースは三つでいいかな?」
「フィッシュアンドチップス十人前で!」
次々に注文が飛び交い、その数十秒後にはすべての料理が運ばれる。
通常なら考えられない早さでも、このヴァルハラではアルマちゃんのお店だからと納得されてしまう。
そうした中でヴィオラもまた、ひとり隅っこで料理に舌鼓を打っていた。
ちょっと屋台から離れてしまう席だが、その位置からだとアルマがよく見えることを調べあげていたのである。
だがヴィオラの視線は、アルマではなく五人のアルバイトに向けられていた。
それぞれ各ギルド支部の受付係で、この食堂では主に配膳と片付け、掃除といった体力のないアルマでは足りない部分を補っている。
ちょっとした副業扱いであり、給料がいいだけでなく賄い割引など様々な特権も付いてくる厚遇っぷりから、追加で雇って貰えないかという期待の声が今でも多く聞こえるほどだ。
もし追加の人手が必要ならば、ヴィオラはそこに食い込めないか思案する。
訓練所に在籍している内は副業などしているヒマがなかったが、卒業して再びヴァルハラに戻れば自由だ。
金を稼ぐだけならギルドに拘らずとも良い。そしてアルマに雇われて働くというのはヴィオラにとって理想でもある。
(でも、私には無理か)
愛想よく注文を受けている姿を見て、ヴィオラは早々に諦める。
別にヴィオラは会話が苦手なわけではない。傭兵時代では報告や連絡など当たり前だったのだから。
だが接客業は、それら事務的なやり取りとは違った能力を求められる。
(他には大浴場とか?)
食堂ではなく他の仕事ならばと考え直すも、やはり同様の結論だった。
そもそも性格的に向いておらず、だからこそ傭兵をやめてからは冒険者になったのだから、初めから答えは出ていたと思い知る。
(いや、そもそも私がいては……)
やがて、あれこれ悩むのに疲れたヴィオラは食事を再開する。
どうせ金が必要になるのは、他のダンジョンを攻略してからで、しばらく先の話になる。ならば深く考えずに食べ放題を楽しむことにしたのだ。
そうすると心に余裕ができたのか、普段とは違った様子も見えてくる。
以前のアルマ食堂にはなかった明かりがロープから吊り下げられており、おいしい料理にうるさいほどの喧騒も合わさって、お祭りの雰囲気を漂わせていた。
そこへ一際大きな声がヴィオラの耳に届く。
「だーかーらぁ! ここで酒は出さないって言ってんだろう? そんなに飲みたきゃ料理の持ち帰りもできるんだ! 自分の部屋でのんびりやりな!」
「そ、そこをなんとか……」
酒を飲みたいと頼む男と、それを断るアルバイトのエマだ。
ヴィオラも前に何度か見かけた光景だったが、男はいつもより食い下がっているようで、エマが呆れながらあしらっている。
結局は言い負かされた男が退散して笑い話に終わるのだが、最近はこうした陳情が多いと、ゲオルクが零していたのをヴィオラは思い出す。
(人が増えたら……抑えきれるか不安)
まだ人数も少なく却下できるが、酒を好む者は男女を問わず多い。
これから先、そうした者たちが勢いを増したらどうなるか、少しだけヴィオラはアルマの身を案じる。
視線を巡らせると個室席とも言えるタープが張られた席から、商人ギルド支部や職人ギルド支部の長たちが一連の様子を窺っていた。
支部長クラスになると生活に余裕もあるため、毎日欠かさずアルマ食堂に通っており、こうした場面にも何度か遭遇している。
酒などの嗜好品の需要を再確認し、商人ギルド支部は今後も街から持ち込む量を増やすだろう。
一方で職人ギルド支部は、ヴァルハラ産の酒を造れないか試しているとの噂も流れており、より酒飲みたちの勢力は拡大すると予測できた。
(このままだと危ないかも……)
冒険者ギルド支部で牽制できないか、ゲオルクに相談しようとヴィオラは新しい悩みを抱える。
責任感が強い性格の彼女は、割と苦労性なのだった。
日によって差こそあるが、アルマ食堂の営業時間は短い。
基本的には夜六時から八時までの二時間ほどだ。
これはアルマたちの夕食や、その後の入浴、引いては就寝が遅くなってしまうなどの理由があるため、これ以上伸ばすのは難しい。
もし食べ損ねたとしても、隣の大衆食堂がまだ開いている。それすら間に合わないなら自業自得である。
少なくとも今までに食いっぱぐれる者は出ていないため、営業時間にこれといった不満の声は聞こえない。酒に関する文句が精々だろう。
閉店間際まで楽しんだヴィオラは、続けて大浴場へ向かう。
都の高級浴場と比べても遜色ないほど立派な建物は、アルマが運営している浴場として知られており、その利用者は常連が多い。
というより、一度でも大浴場の各種施設を体験してしまったら、他の浴場では物足りなくなるのだ。
ヴィオラもそんな常連のひとりである。
まずは洗い場でしっかりと全身の汚れを洗い流し、頭のてっぺんから足の先までぴかぴかに磨き上げていく。
それは随分な念の入れようだったがヴィオラに限った話ではなく、多くの利用者が同様に手間をかけている。
というのも……やはりアルマが関係していた。
――――発端は、とある日のアルマ食堂である。
ひとりの若手冒険者が数日ぶりに訪れたのだが、面倒だからと連日に渡って入浴せずにいたため、不快に感じるほどの臭気を放っていたのだ。
もちろん近くの者は眉をひそめるも、冒険者ならそんなものだと一種の諦めから距離を置くだけに留めてしまう。街ではありふれた光景だろう。
だが、そこはダンジョン『ヴァルハラ』のアルマ食堂である。
まだ距離があったにも関わらず、アルマの鼻孔がほんの僅かに感じ取ったソレへの反応は顕著なものであった。
まるでキュウリを目にした猫の如く飛び退いたアルマは、鼻を押さえたまま近くにいたエマに涙目で相談し、冒険者の出入り禁止を本気で訴えたのである。
どうにかエマが落ち着かせ、ひとまず問題の若手を追い出し、冒険者ギルド支部の協力の下、懸命な説得によって二度と不潔なままアルマに近づかないよう言い聞かせたことで、この一件は大事にならずに済んだ。
しかし……アルマ愛好者へ与えた影響は大きい。
どうやらアルマは嗅覚が鋭く、特に悪臭に対しては強い嫌悪感を抱くと判明したからだ。
そうとわかれば訓練後に汗を拭う手にも力が入り、浴場で本格的に身を清めるとなれば、たっぷりと時間をかけて一点の洗い残しも見逃せない。
ここで助けとなったのはアルマが提供する品々だ。
備え付けのシャンプーやボディソープは、街で売られている石鹸と比べれば遥かに泡立ちが良く、さらにボディタオルが効率的に垢を落としてくれる。
ちなみに大浴場では料金に含まれているため使い放題で、公衆浴場やヴァルハラ外でも使いたい人は、同じものが商人ギルドに卸されている。
気になる水質汚染も、アルマが不思議なエネルギーで生成したシャンプーなので安全安心だ。
すでに貴族や富裕層を中心に、ヴァルハラ産として認知されつつあったが、そのヴァルハラがどこの土地を意味するのかは、今はまだ公表されていない。
(さて、今日ものんびりしよう)
身を清めた後は、大浴場の湯を存分に楽しむのみだ。
熱いお湯を張った浴槽からぬるい浴槽と、好みの温度を選べるのはもちろん、ジェットバスやサウナ、岩盤浴に電気風呂といった変わり種まで揃った大浴場は利用者を飽きさせず、日々の疲れを癒してくれる。
そんな中でヴィオラが特に好むのは、岩盤浴だった。
(ただの暖かい岩なのに……)
妙な心地よさがあり、他にも何人かが通っている密かな人気スポットである。
体の芯まで温まって満足したら、今度はぬるい浴槽へ入ってゆっくりするのがヴィオラの楽しみ方だ。
熱いお湯に浸かり、さっさと出て行く者もいるが……それではもったいない、できるだけ長く楽しみたいと考えれば、自然と流れが決まっていた。
そうしてリラックスして心身共に癒されていると、やがて真の目的が現れる。
「みなさんは気に入ったところとかありますか?」
「私は温かい岩のベッドですね」
「……びりびりするの、ちょっとすき」
「お湯がぶわーって出てるの楽しいかもです」
浴場内に響く四人の声。
さりげなくヴィオラが視線を向けた先に、タオル一枚を巻き付けたアルマと、その友人たち一行が入って来たところだ。
アルマは魔術師ギルドの公衆浴場ではなく、自身が運営する大浴場をいつも利用している。
つまり、この時間、この大浴場でのみアルマはその美しい肌を晒すのだ。
……ひとつ語弊がないように補足するなら、これは特筆するほどヴィオラがおかしい趣味の持ち主という話ではない。
雪の妖精や天使もかくやと類稀な容姿を持っているアルマの裸体は、それが同性であろうと興味を引かれるのだ。愛好者ならばなおさらである。
事実、姿を見せるなりアルマは注目の的となっていた。気付かないのは鈍い本人だけだろう。
「くはー、この瞬間がたまりませんねぇ」
「本当に……疲れが取れる気分です」
「……ちょっと熱いけど、それもいい」
「ごくらく、なのです」
溶けるように表情を緩ませるアルマと、それに同意する三人。
少しマジメな顔に戻って話し合っていたのも束の間、すぐにアルマを挟むように二人の少女が密着してじゃれあっていた。
「……アルマちゃんすべすべ」
「アルマ様、失礼するのです」
「いやいやいや、なんで二人とも触るんですか!? 失礼しないでください! というか二人のほうがすべすべじゃないですか! もー!」
そんな微笑ましい光景をヴィオラは羨望の目で見つめていた。
叶うならば、自分も混ざりたい……と。
……重ねて補足すると、ヴィオラに特異な趣味はない。
アルマだけに対しては並々ならぬ感情を抱いているものの、あくまでアルマ愛好者として親愛の念であり、思慕であって恋慕ではないのだ。
なので、自分もアルマをすべすべしたいと考えてしまうだけであり、リーゼロッテやすずに思うところはない。
もっとも……ヴィオラは少女たちの柔肌とは違い、がっしりと筋肉が付いた固い肉体に、武器を振り続けた手もタコですっかり硬くなっている。
(こんな手で触れたら、アルマちゃんの肌を傷つけてしまう……)
さすがにそこまで弱くはないが、ヴィオラからすれば雪の結晶ほど脆く儚いように感じてしまうのだ。
だからこそ、彼女は遠くから眺めているだけで満足するのだった。
こうして一日を終えて宿舎へ戻ったヴィオラ。
若手冒険者に貸し与えられる部屋とは思えないほど広く清潔な一人部屋で、ふかふかのベッドに四肢を投げ出す。外はすっかり涼しい風が流れていた。
これが朝方になると気温が上がり、寝苦しさから目を覚ますことも多くなる季節だが、各部屋にはエアコンが備え付けられている。
自動で調節する機能によって常に整えられた環境が、ヴィオラを深い眠りへと誘うのであった。
これは特別なことなどない日常のひとつ。
ヴァルハラで暮らす者の、ちょっとした一日である。
まだ日常(裏)は続きますが、ひとまずヴィオラ視点はここまで。




