4 ヴァルハラの日常(表)4
「アルマ様、どこに行くです?」
「とりあえず少し休んでから、まずは第四階層ですね」
そう話しながらボクとすずちゃんは冷えたオレンジジュースをちゅうちゅう飲んでいた。くねくねとねじれたストローが見た目に楽しい。
ここはギルド支部と同じ階層にある食堂だ。
朝食と昼食の間である今の時間帯は誰も使っていないし、冷房が利いているので休憩するには持ってこいの場所だった。
厨房で働いている人たちも休憩中なので気兼ねなく使える。ちなみにジュースも自分で生成したので無料だよ。
「すずちゃんはもう、ヴァルハラには慣れましたか?」
こうして休憩しているのは、ただ疲れたとか暑いからじゃなくて、彼女の近況を聞いておきたかったという理由もある。
雇って一週間。そろそろ不満なり文句なり出てもおかしくない。
事実、ついさっき薬師ギルド支部の態度に苦言が零れていたからね。そういうのを見逃したら、いつ愛想を尽かされるかわからない。
従業員が働く環境を改善するのも、ダンジョンの主であるボクの務めなのだ。
「問題ないのです。アルマ様のダンジョンは、他のダンジョンと比べても快適なのです。ずっとここに置いて欲しいです」
「それは嬉しいですけど、他のダンジョンでも雇われていたんですね。どんなところだったか教えてくれませんか?」
「色々なのです。ダンジョンの主によっては、お城みたいなところや、ただの大森林の中、お墓もあったのです」
いわゆるダンジョンの特色みたいなものらしい。
これはダンジョンの主が、どんなタイプなのかで大きく変化して、現れるモンスターすら統一されているそうだ。
例えばお城だったら鎧型のモンスターだったり、森だったら昆虫や獣、墓場だったらスケルトンやゴースト系ばかり登場する。
もっとバランス良く配置すればいいのにと思うけど、自分好みダンジョンで、好きなモンスターばかり揃える主だらけらしい。
ボクもそんな感じだから、ダンジョンの主とはそういうものなのだろう。
「でも、他のダンジョンはみんな辞めちゃったんですよね。やっぱり、なにか不満があったりとか……?」
「最初から短期契約だったのです」
すずちゃんが首をふるふると小さく振って否定する。
見切られてしまう理由を聞き出しておきたかったんだけど、本当に不満とかじゃなくて、淡々と契約通りに仕事をするだけのドライな感情が見え隠れする。
「あれ? でもボクとの契約では無期限でしたよね?」
たしかに一週間前、すずちゃんとの契約で期限の設定はなかった。それどころか格安の雇用条件だったので、本当にいいのか何度も確認したくらいだ。
もちろん辞めたければ、いつでも言って欲しいとは伝えてあるし、本人もそれで了承しているんだけど……。
「すずはアルマ様の近くにずっといたいのです。辞めたくないのです。でも、アルマ様がすずをいらないなら……すずは我慢するです」
「いります! 超いりますよ! というかいてください!」
しゅんと目を伏せて、耳と尻尾まで項垂れるすずちゃんに、ボクは誤解を招いてしまったかと慌てて弁明する。
「すずちゃんのおかげでポーションの作り方もわかりましたし、それが終わってもお願いしたいお仕事はいっぱいありますから、ボクもずっといて欲しいですよ」
「それなら良かったのです。すずはアルマ様のため頑張るのです」
「あはは……この話はやめにしましょう! おいでー、ヌマネコちゃんたちー」
――にゃーん。
ボクが呼べば、どこからともなく現れるダンジョンに解き放たれし獣たち、イレブンキャットのもふもふ共。
その魔性から逃れる術はない。
「ほーらすずちゃん、もふもふですよ」
「…………」
抱き抱えて胴体が伸びた三毛猫のミケを見せびらかしていると、すずちゃんの視線が鋭くなっていく気がした。
ボクはもふもふする手を止められないまま戸惑ってしまう。
あれ、なんか怒ってる……というか、今まさに不満な顔してない?
「す、すずちゃんも、もふもふしますか?」
「アルマ様は、動物を触るのが好き、なのです?」
「え? あ、そうですね。触り心地がいいのです」
つい口調が移ってしまった。
「わかったのです」
「え、えっ……なにがですか? どうしたんですか?」
無言で立ち上がると近寄って来るすずちゃんに、ボクはよくわからないまま怒らせてしまったのかと慌てふためいてしまう。
そしてすずちゃんは、すぐ隣に立った。まっすぐボクを見る表情からは、なにも考えが読み取れなくてボクもまた目を離せない。こわい。
「あの……」
「どうぞ、です」
すずちゃんがくるりと背を向けて前かがみになると、ふわりとした物体がボクの膝に差し出された。
それは少し灰色も混ざった黒くて艶がある毛玉……尻尾だ。
実にもふもふのふわふわで、きっと丁寧に手入れをしているんだなと見た目でわかるくらい高級毛玉である。ごくり。
「えっと、それでこの尻尾をボクはどうすれば?」
「触るといいのです」
「あ、そういう意味ですか」
ボクが動物を触るのが好きって答えたから、自分の尻尾を触らせてくれようとしたようだ。あまりに唐突だから驚いちゃったよ。
それに、さっきの不満そうな顔はいったい……。
とりあえず触っていいのなら、存分にモフらせて貰おう。
前からすごく気になっていたので。
「では失礼しますね……おわぁ!」
ボクの指先が天国への扉を開いてしまった。
そう……もふもふに覆われたすずちゃんの尻尾、その内こそが極楽である。
存在するのに存在しない、相反した二つの要素は色即是空への導き。まるで空気を掻き分けているかのようにボクの手は一切の抵抗を感じず沈み込んでいく。
ああ、もふもふに抗えない。なんという魔性。なんというモフみだ。
このままでは吸い込まれてしまうぅぅぅ。
――にゃーん。
はっとした。聞き慣れた鳴き声に振り向いて見れば、すずちゃんとは反対側に別の毛玉……ではなくミケが澄ました顔をしている。
まるで、もっとモフれと言いたげな表情だ。
「こ、これは両手に花ならぬ、両手にもふもふ……?」
右手にすずちゃんの尻尾、左手にヌマネコちゃん!
二つ合わせて最強の『極大ふわもこ毛玉』が完成してしまった!
「アルマ様、すずには耳もあるのです。どっちの手も使わないとなのです」
えっ、そっちもいいの!?
見ればぴくんぴくん、と誘うように耳が揺れる。
喜んでミケから手を離そうとしたら……。
――にゃにゃーん。
「あれ、ミケちゃん?」
抱き着くようにしてボクの腕を離してくれなくなってしまった。
もふもふで気持ちいいけど、すずちゃんのもふ耳に触れない……。
そう思っていたら、すずちゃんの尻尾までボクの腕に絡み付くような動きを見せた。まるで全自動もふり毛玉だ。おわぁ。
「……猫には負けないのです」
――にゃふーん。
「すずちゃんに、ミケちゃんも、どうかしたんですか?」
「なんでもないのです。アルマ様、もっともふもふしていいのです」
「うひょぉ」
とうとう尻尾は腕どころか首筋にまで到達し、柔らかな毛でくすぐられる。
するとミケまでも本性を現して、ぐにゃりと骨が溶けて液体になってしまったような状態で腕を包み込みながら這い上がって来る。
情け容赦ないもふもふ攻撃に、ボクの精神に重大な障害が発生してしまう。端的に言うと脳がとろけそうだ……!
「あー、あー、もふもふー、あー」
「……いずれ決着を付ける必要があるのです」
――にゃふふーん。
不可視の火花が両者の間で散っているような、気のせいのような。
きっと譲れないなにかが、もふもふ同士の間にあるのだろう。
ボクは魂が抜けかかって意識が途切れる寸前、最後にそう思考した。




