第四話「鐘の鳴る日」
春の終わり、ミカエル村には不穏な噂が流れていた。
「教会が閉鎖されるらしいよ」
「もう誰も神父もいないしな」
「猫が神父だなんて――あんなの、冗談でしかない」
村の行政から届いた通知には、古びた教会の「役目の終了」と書かれていた。
それは、マリアにとって“父の居場所”を失うことだった。
それは、フィリクスにとって“祈りの家”を失うことだった。
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その日もフィリクスは、祭壇の前にじっと座っていた。
静かに、ただ静かに。何かを待つように。
マリアは言った。
「フィリクス。もしこの教会がなくなっても……あなたはどこかに行ってしまうの?」
フィリクスは、なにも答えなかった。
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翌朝、空は不思議なくらい晴れ渡っていた。
マリアは、鐘楼の階段を登っていた。
古びた木製の階段を、ひとつずつ踏みしめながら。
そこには、父が残した鐘と――
フィリクスの姿があった。
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猫は、ロープを見つめていた。
まるで、そこに「過去」がぶら下がっているかのように。
マリアは、そっと手を添えた。
ふたりの力で、ロープが引かれる。
――ゴォォォォン……
何年ぶりかに、教会の鐘が鳴った。
音は、空の高みにまで届くように、町中に響いた。
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村人たちは外に出て、空を見上げた。
教会の鐘が鳴っている。誰が鳴らしたのか、わからない。
ただ、鐘楼の上には、一匹の灰色の猫と、ひとりの少女の姿が見えた。
誰かが言った。
「やっぱりあの猫は、神の使いなんだよ」
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その日、行政は教会の閉鎖を一時中断した。
理由は記されていない。ただ、“地域の要望により保留”とだけ。
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夜。マリアはフィリクスに聞いた。
「あなたは、神さまなの?」
フィリクスは、ゆっくりと瞬きをして、彼女のひざの上に頭をのせた。
あたたかくて、やさしくて、でも少しだけ悲しいような重さだった。
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祈りが叶うとは限らない。
でも、祈りを受け止める誰かがいるだけで、人は生きていける。