第二話「告解の椅子」
それは奇妙な光景だった。
教会の中央、赤い絨毯の上に、猫が静かに座っている。
次の日の朝、村人たちはざわついていた。
誰が鳴らしたわけでもない鐘の音。鳴り響いたのは、ちょうど朝の礼拝の時間だった。
「まさか猫が……?」
「奇跡だって言う人もいるけど、馬鹿げてる」
「でも、鐘は……鳴ったんだよな」
その猫は、まるで教会の主のように振る舞っていた。
咥えていた杖は、かつて神父が使っていた小さな祈り棒。もう誰も手を触れていなかったはずのものだ。
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マリアは、その猫を「フィリクス」と名付けた。
古い聖書の登場人物の名から取った。
「フィリクス、今日も来たんだね」
教会の隅で、少女は微笑んだ。
フィリクスは何も答えない。けれど、じっとマリアの目を見つめた。
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ある日、ひとりの老婦人が教会に訪れた。
腰が曲がり、足をひきずるようにして歩いていた。
「……あの子に、祈ってもらえませんか」
老婆は、フィリクスの前にひざまずくと、震える手でその頭を撫でた。
数日後。村で噂が広まった。
老婆の足が、すこし軽くなったと。
「まさか、猫が……神の使いなのか?」
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その日から、ぽつりぽつりと村人が教会に戻ってくるようになった。
誰も言葉を発さない。
ただ、フィリクスの前に座り、じっと静かに過ごすのだ。
まるで、彼にだけは“すべてを聞かれても構わない”と、そう言っているように。
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夜。マリアは誰もいない教会にぽつりと残った。
告解室の木の扉が、わずかに開いていた。
そこには、古い書きつけがあった。
――「神は人の声を聞くとは限らない。だが、時に“しっぽ”を通して語りかける」
マリアはその言葉を見て、ふとフィリクスに目をやった。
彼はいつものように、静かにマリアのそばに座っていた。
少女は初めて、ほんの少しだけ涙をこぼした。
誰にも言えなかったことが、彼には届いたような気がしたから。
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こうして“猫神父”は、名もなき町の懺悔を静かに聞き続けていた。