婚約者の語尾が大変なことになった件について
呪われたオルベルトと色々あって、もう5日が経過した。色々の結果、何故か呪いが私に移された。
オルベルトはこのことを知らない。色々の直後、余裕がなくて私はなにも喋れなかったし。大事な任務があると言っていたのに、わざわざ気を遣わせるのも悪いと思ったし。……気まずいし。
というわけで、私はこの忌まわしい呪いとの共同生活を余儀なくされていた。
師匠の知人だという呪術の専門家には既に手紙を送ってある。あとは返事を待つしかない。
私だって、一人前の魔術師だ。ただ与えられる情報を待つのではなく、自分なりに呪いについて様々な分析・検証を行った。そして、1つ分かったことがある。
この呪いは、正確には『語尾ににゃんがつく呪い』ではない。『語尾ににゃんをつけずにはいられなくなる呪い』である。
例えば、この呪いが語尾ににゃんをつけるだけの作用しか持たないのなら、私が「最悪にゃん」とはじめからにゃん言葉を口にしようとした際、「最悪にゃん、にゃん」という台詞が飛び出てくるはずである。
しかしそうならなかった。
なんとこの呪い、自分の意思でにゃん言葉を話すと、語尾に不自然なにゃんが追加されなくなるのだ。
おそらく、対象者の意識に作用して、言葉を発するとき、どうしてもにゃん言葉を使わないと気が済まなくなるような仕組みになっているのだろう。逆に、自分で語尾ににゃんをつければ、既ににゃん言葉の条件は満たされているから、呪いの強制力は働かなくなる。
つまりこの呪いは、はじめからにゃん言葉を駆使する人間には、まるで意味のないシロモノ、ということになる。
いや、そんな特殊な人間がこの世に存在するのかは分からないけれど、少なくとも呪いの一部詳細を解明することはできた。
“辛くなければ呪いじゃない”、という師匠の言葉は、このことを意味していたのだろうか。
5秒後に死ぬ人に死の呪いをかけたり、魔力を持たない人に魔力封じの呪いをかけても、呪いは存在しないも同然である。
同様に、常日頃からにゃん言葉を使用する人に『語尾ににゃんをつけずにはいられなくなる呪い』をかけたところで、なんの意味も効果も現れない。
——そう。自らの意思でにゃん言葉を使用すれば、私は呪いを無効化することができるのだ!
「何ッの進歩もない話にゃん……」
導き出された無意味な結論に、思わず自分でツッコミを入れてしまう。
「し、師匠……」
「ティジレ、まだいたのですかにゃ。今日は魔術学校の授業でしょうにゃ」
「そう言われましても……」
にゃんにゃん唸りながら1人呪いの検討を続ける私を、扉の隙間からティジレが不安そうに見つめていた。
今回、ティジレにはかなり世話になった。この通りのザマなので、私は街に出られず、家にも帰れずにいる。だから食料や生活用品の用意は幼いティジレにお願いすることになった。
何だか自分の弟子時代を思い出してしまう。昔は、食事もとらず風呂にも入らずだんだんと書物の山と一体化していく師匠を引きずり出して、その口の中に適当に食材を詰め込んだものだ。師匠のおかげで、お嬢様暮らしが長かった私も少しは家事を覚えた。
……だらしない師匠を世話する度に、自分はこうはなるまいと強く誓ったのに。
せめて私は、ティジレの学びの機会を奪わないようにしなくては。
「いいから行きなさいにゃん。私を理由に授業をさぼることは許しませんにゃ」
「はい……」
ティジレはしばらく抗議するように私を見つめたが、鋭い視線を向けると力なく項垂れてとぼとぼと私の部屋を後にした。
◇
奇跡を願ってあらゆる薬品を飲み干したけど、貯蔵棚がすっきりしただけでミラクルは起きなかった。
暇になるとついつい「もう私は一生にゃん言葉のままじゃないのかにゃん」と悲観的な考えに浸りそうになってしまうので、次なる検討へと私は移った。
「あ、にゃん。あ、にゃん。あ、にゃん。あ、にゃん。あ、にゃん。あ、にゃん。あ、にゃん。あ、にゃん。あ、にゃん。あ、にゃん……」
私はひたすら、呪いによるにゃんを繰り返す。
別に気が触れたわけでも、にゃんのある生活に慣れようとしているわけでもない。
師匠は手紙で、呪いは消えることもあると言っていた。それはつまり、呪いに使用された魔力が枯渇するか、呪いの術式が摩耗して効果を発揮できなくなってしまう、ということではないかと仮説を立てたのだ。
どんなに便利で丈夫な道具も、使い続ければいつかは壊れて使用できなくなる。同じように、呪いも何度も発動すれば、いずれ作用できなくなるはず。形あるものはいずれ、壊れるさだめにあるのだ!
「あ、にゃん。あ、にゃん。あ、にゃん。あ、にゃん。あ、にゃん。あ、にゃん。あ、にゃん。あ、にゃん。あ、にゃん……ううっ」
目からしょっぱいものが流れてくる。虚しい。これは虚しい。
何やってるの私。馬鹿じゃないの。
この検討は、結果的に私を追い詰めただけだった。目標100万回だったけれど、もう無理だ。1万回しかにゃんを繰り返していないけど、ここまで続けた自分を褒めてあげたい。
——そんな風に、1人で悶々としていたものだから。私は部屋の外がばたばたと騒々しいことに、すぐに気がつくことができなかった。
「アトレイア!」
ノックもなしに、扉が勢い良く開け放たれる。同時に黒い岩のような人影が、部屋の中へと押し入ってくる。
無遠慮な闖入者の正体は、私に呪いを移した張本人、オルベルトだった。
「お、オルベルト、どうしてここに!……にゃん」
ついにゃんを漏らしてしまい、私は慌てて口元を抑える。
しかしオルベルトの耳にはしっかり聞こえてしまったようで、彼は瞳を驚愕で見開かせた。
「本当に……お前に呪いが……」
呟くオルベルトの後ろには、びくびくしながらこちらを伺う小さな影がある。
どう見ても、私の弟子だった。
「ティジレ、学校はどうしたのですかにゃん!」
「ごめんなさい……」
「他言無用と言ったでしょうにゃん! 師の言いつけを守れないのですかにゃ!」
「でも、でもぉ……」
ティジレは両目に涙をいっぱいためて俯いた。
「これ以上、師匠をこのままにはできなくてっ……」
それだけ辛うじて言うと、嗚咽を漏らしながらティジレは涙をぽろぽろ流し始めた。
肩を震わせひくひく泣くティジレの頭に、オルベルトは気遣うように大きな手を置く。それから非難の目をこちらへと向けた。
「ティジレはお前が心配で、俺に助けを求めに騎士団本部まで走って来たのだぞ。それなのに彼女を責めるのか」
「……っ」
だからって、よりによってオルベルトに助けを求めなくても。いや、安易に師匠を頼らなかったあたり、ティジレは本当に思慮深い子だとは思うけど。
こちらとしては色々主張したいことがあったけれど、幼い弟子を泣かせたという罪悪感と、オルベルトの前でにゃんを連発したくないという恥じらいもあって、私は余計なことは言わず、渋々頷く。そして真っ赤に目を腫らした弟子に、ゆっくり謝罪の言葉をかける。
「ごめんなさい、ティジレ、にゃん。私のことを思って行動してくれたのに、少し感情的になりすぎてしまいましたにゃん。……許してくれる?……にゃん」
「は、はい……」
まだ私のにゃんに恐怖しているのか、ティジレは怯えながらも小さく頷いた。
師弟の和解を見届けたあと、オルベルトはティジレの頭に手を置いたまま、ため息をついた。
「まさかお前に呪いが移っていたとは。どうして俺に知らせなかった」
「知らせたところで何になりますかにゃん。それに、貴方が大事な任務を控えていると知っていましたし、にゃん」
「任務がどうこうと気にしている場合ではないだろう!」
「その任務を気にしてにゃんにゃん困っていたのは貴方じゃありませんかにゃん!」
「それはそうだが。それこれとでは話が違う」
筋の通らぬ理論を振りかざしてオルベルトは首を振る。
何が違うのかわからなかったけれど、それを追及するだけの元気は私に残っていなかった。
「……心配をおかけしたなら、謝りますにゃ。けど、師匠が紹介して下さった呪術の専門家にはもう手紙を送りましたし、あとはもう返事を待つだけなんですにゃ。貴方にできることなどないので、さっさと騎士団に帰ってくださいにゃん」
「しかし、そんな調子ではまともな生活が送れないだろう」
「身の回りのことは、ティジレが手伝ってくれていますにゃん。別に問題などありませんにゃ」
「でも師匠。明日は前々から予定していた依頼人との面談があります」
「……!」
うわまずい。忘れていた。そう言えばそんな予定があったっけ。
「だから、早くどうにかしなきゃと思って……」
ティジレはそこまで考えて行動していた。ティジレはどこまでも良くできた弟子だった。
どうしよう。私の師匠レベルがみるみる低下していく。
「師匠がこうなったのは、オルベルト様がここへ来たあとのことですし……。オルベルト様なら、師匠がこうなった原因がわかるんじゃないかと……」
「……」
「……」
ティジレの言葉に、大人2人が追い詰められて行く。
ごほんと咳払いして、オルベルトはティジレの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「ティジレ、もういい。今からなら、まだ午後の授業に間に合うだろう。そろそろ学校へ行ったらどうだ」
「ですが」
「後は俺が何とかする」
ティジレは不安そうにオルベルトを見上げた。「心配するな」とオルベルトが力強く頷くと、彼女はおずおずと頷き返し、ぐしゅん、と鼻をすすりながら部屋を出て行った。
小さな足音が遠ざかり、工房玄関の扉がばたん、と閉じる音がする。
それを確認してから、オルベルトは私の方へと向き直った。
「……お前の強情さには、いっそ感心する」
「貴方に言われたくありませんにゃ。何もできないくせに居座られても迷惑ですので、さっさと帰ってくださいにゃん!」
「そういうわけにもいかないだろうが。とにかく、落ち着いて話し合おう」
そう言ってオルベルトは、勝手に椅子を1つ引き寄せて座り込む。
その様子になんだか脱力してしまって、私も彼に習って椅子に腰掛けた。座ると更に疲労がのしかかってきて、私はがくっと肩を落とす。
「……最悪ですにゃん。貴方のにゃん言葉を聞いたときには、世の中にこんなおぞましいものが存在するのかと思いましたけど、まさか自分がにゃんにゃん言うことになるなんてにゃん。こんな醜態、家族が見たらなんと言うか……にゃん」
「……言うほど悪くはないぞ」
「はあ? にゃん」
睨むとオルベルトはさっとあさっての方向を向く。自分がにゃんから解放されたからといって、何て無責任なことを言うのか。
でも、怒りは長く続かない。疲労のせいか、弱気な言葉がかわりに浮かぶ。
「この呪いを経験した貴方なら分かるでしょうにゃん。こんな無様な姿、あまり人に見られたくないのですにゃん。ほんとお願いだから帰ってくださいにゃん」
「だが、明日は大事な仕事があるのだろう。……幸いなことに、俺は明日非番でな」
「何が幸いですかにゃん。貴方が代わりに依頼人との面談をこなしてくださるのですかにゃん? そんなことをすれば、依頼人は二度とこの工房には来なくなるでしょうにゃ」
「そういうことではなくて……」
オルベルトは落ち着きなく腕を組んで、私の方へ向き直る。
「今回、お前に呪いが移ったのは……あれが原因だろう」
あれ、という言葉を聞いただけで心臓がぎゅわっと大きく跳ねた。
前回といい、どうしてこの男は人が避けている話題ばかりを口にするのか。
「……だったらなんですかにゃ」
「呪いは消えなかったが、呪いを移すことはできると分かったわけだ。本来なら、俺が再度呪いを引き受けるべきとは思うが……。もしお前さえよければ、今後しばらくはお互いの予定を確認して、色々やりくりするようにしたい」
「やりくり、とは、にゃ……」
「とりあえず、今日明日は俺に呪いを戻してくれ。それで明日の面談とやらはどうにかなるだろう」
「にゃ、にゃにを言って」
オルベルトはおもむろに立ち上がり、こちらへと歩み寄る。
彼の長駆が、固まる私に影を落とした。
「——嫌なら、ちゃんと言ってくれ」
大きな手が、恐る恐る私の両肩に置かれる。
嫌なんて、言えるはずなかった。