第三十四話:鳥になってこい!
ブーン、ブーンッ。
そう叫びながら、フィーオが飛行機模型を片手に走り回っている。
ほほぅ、珍しい物を手に入れたもんだな。
「ふんごー(ありゃあ、なんですかね)」
「飛行機ダ。空ヲ飛ブ玩具ダヨ」
「ふんごー(はっはっはっ。空を飛ぶ? そんなの魔術師の仕事でしょ)」
オークのポークが、そう言って一笑に付した。
まぁその気持ちは分かる。俺だって実物を見るまでは、信じられなかったしな。
「フィーオッ」
俺が名前を呼ぶと、エルフの少女は「なぁに?」と声を上げて近寄って来た。
手に持っている少し歪な十字型の飛行機を借りると、風の吹くタイミングを見て投げる。
それは、まるで見えない波にでも乗るようにして、森の隙間を縫って飛んだ。
「わぁ! マルコって上手に飛ばすのね」
「ふんごー(うわぁあ! も、モビルスーツが飛んだぁぁ!)」
「飛行機ダッツッテンダロ、鳥頭カ」
ポークの頭をピシャリと叩いて黙らせる。
緩い弓なりに飛んだ飛行機は、最後に軽く旋回して地面へと着地した。
ふむ、なかなか良い翼をしているようだな。重心が安定している。
「飛行機の鼻に紐を巻いてるのよ。なかなか良い重りでしょ」
「ウム、フィーオハ賢イナ」
頭を撫でてやると、少女は嬉しそうに「うへー」と呟いた。
褒めてやらねば人は育たじ。
「ふんごー(飛行機くらい、俺にだって作れますよっ)」
いつの間にか、ポークが自作の飛行機を持っていた。
なんでそんなの持ち歩いているの? てかさっきまで飛行機を知らなかったし。
「ふんごー(ふっ、このポークには造作も無い事です)」
「よぉし、じゃあ私の飛行機とどっちが飛ぶか勝負よっ」
「ふんごー(このプロジェクト、俺が頂くっ)」
なにやら盛り上がっているようで、何よりだ。
せっかくなので、俺が離陸の音頭を執る事にした。
「クリアードッ、フォー、テイクオフッ、ランウェイ、フォレスト」
「ラジャー!」
「ふんごー(ブラジャー!)」
二人が同時に飛行機を投げる。
森から差し込む細い陽光を翼に受けて、光と影の縞模様の陰影が飛行機を彩る。
木立を通り抜けていく風で、二つの飛行機は遠く、森の果てを目指して飛んでいった。
* * *
紙飛行機を飛ばす事に夢中となった二人は、どんどんエスカレートしていった。
より遠く、より大きく、より高く……人の意志は、時に不可能を可能とする。
遂に『飛行機に乗り込んで、鳥になって来い!』を目的としたコンテストの開催に至った。
「さぁー、ビールッ! 冷えたビールあるよー」
「ブヒヒィ(焼鳥あるよー。かき氷もいらんかねー)」
「心から茹でたタマゴもあるよー。鳥にもなれるよー」
街から帰って来たヌケサクが『焼き鳥人ジェット』と書かれた屋台で物を売っていた。
いやまぁ、別に構わないけど、俺達以外に誰が買うんだ?
彼の子分のオークであるピッグも、その隣でかき氷屋を始めてるし。
『まぁまぁ、楽しまなきゃ損じゃない。こういうお祭りってのはさ』
「……何故ココニ、オマエガ居ル」
俺の目の前には、熱々の焼鳥とかき氷を頬張る猫獣人が居た。
彼女はエルフ狩りの魔術師、その使い魔の猫で獣人に変身する能力を持つ。
尤も、魔術師自身、猫が獣人に変身出来るとは知らないのだが。
「魔術師ハ街ニ帰ッタハズダロウガ」
かき氷をスプーンも使わず、楽しそうにハクハクと齧っていく。
味云々よりも、氷が口の中で解けるのが楽しいのだろうな。
『だって面白そうじゃん。街でノンビリしてられないよ』
「フリーダムナ使イ魔ダナ、オマエ」
『ま、リュートもこっちに来てるけどねー』
リュートとは魔術師の名だろう。
確かエルフ狩りギルドへ攻め込んだ時、そんな名前を耳にした覚えがある。
『彼のお師匠さんも助かったようだし、もう敵じゃないから気楽に行こうよ』
「ドウダカナ」
『疑わない、疑わない。僕は楽しければそれで良いんだからさ』
俺は猫女から差し出された焼鳥を受け取りつつ、視線で威嚇だけは忘れなかった。
「トイウカ、一口モ食ッテナイダロ、コノ焼鳥。俺ノ為ニ買ッタノカ?」
『僕、猫舌だから熱いの駄目なんだよ』
「何故ニ買ッタ……」
勿体無いので焼鳥を頬張りながら、俺はコンテストの規約に目を通した。
コンテストは川沿いで行われる。
幾つかのチェックポイントを用意し、そこを超えた段階で飛距離を計測される。
つまり、あらぬ方向へと飛んでいけば、どれだけ飛んでも記録には繋がらない。
『パパ~、私達、ちゃーんっとチェックポイントを見張ってるからねー』
マンドラゴラの少女達が、各々受け持つ箇所で手を振っている。
それに対して、屋台で忙しなく働くヌケサクが両手で振り返した。
多くは観客になっているマンドラゴラだが、運営に協力もしてくれているらしい。
うーん、良い子達である。誰かにも、彼女たちの爪の垢を煎じて飲んで欲しい。
伝説の秘薬とも言われるから、なんとも健康になりそうだ。
『どっちの飛行機が一番飛ぶかなぁ? ねぇ、ママはどう思う?』
『そうねぇ。やっぱり、ゴラちゃんの友達のフィーオちゃんを贔屓しちゃうかな』
『うんっ! フィーオちゃんってスッゴク賢いんだよ。きっと大人にも負けないよっ』
観客となっているドリアードの膝の上で、マンドラゴラがはしゃいでいた。
彼女はフィーオの友達で、その身贔屓があるとしても、良い目の付け所である。
俺だってフィーオとポークのどちらかと問われれば、まぁどっちを選ぶかは明らかだ。
「ブヒヒィ(いやいや、ポークもアレで結構頭は良いです)」
「ソウイヤ、オマエハ以前、ロボヤギトカ弄ッテタナ」
「ブヒヒィ(俺たちゃ魔導都市出身ですしね。舐めたら痛い目に遭いますぜ)」
ほぅ、なかなかの自信家な所を見せたな。
フィーオの圧勝で終わるかと思ったが、これは楽しめそうだ。
「ブヒヒィ(おっ、選手入場っすよ)」
川岸に特設されたジャンプ台の上で、フィーオとポークが相並んだ。
二人ともヘルメットを装着し、黒いグラサンを掛けている。
随分と本格的だな。
『わー、フィーオちゃん格好良いー!』
『ポーク君、負けるなー!』
割れんばかりの応援と拍手が轟いた。
なんだ、一方的な応援かと思ったら、きちんと競ってるじゃないか。
「ブヒヒィ(ポークを応援すると、抽選で無料焼鳥券が貰えるんです)」
「言ワナクテモ良カッタナァ、ソンナ哀シイ現実」
フィーオとポークはお互いに向き合って敬礼すると、そのままジャンプ台の裏手に廻る。
そして、ゆっくりとフィーオの乗る飛行機が姿を表した。
『わーーー!』
それは先端にプロペラを付け、左右に翼を大きく広げる人力飛行機だ。
中央にはフィーオが座る骨組みがあり、そこにペダルが付いていた。
あのペダルでプロペラを廻して推進力を得るのだろう。
お、思ったよりもシッカリしたの作って来たな。
「ブヒヒィ(ハング・グライダーじゃありませんね)」
「オウ。俺モソンナ感ジノヲ想像シテイタガ……」
「ブヒヒィ(でもアレじゃあ、ひんたぼ島に着地できませんよ)」
「ソンナ島ハ、コノ川ニ無イ」
「ブヒヒィ(え? でも釜茹でされて「このままじゃワタルが死んじゃう」と言わなきゃ)」
ピッグがどんな妄想を抱いているか知らないが、そもそも知りたくもない。
人力プロペラ機に乗り込んで、フィーオは各動力をチェックしている。
『凄いねぇ、あの子! 弟子に欲しいくらいだよっ』
「フンッ。マイッタカ」
『いや、アンタを褒めてる訳じゃないんだけど』
猫女が目をランランと輝かせて、フィーオの飛行機を眺めている。
それは彼女だけでなく、観客席に居る全員の共通する視線だったろう。
今か今かと、スタートの合図を待ち侘びていた。
『テイク・ユア・マークッ』
審判員の姿をしたマンドラゴラが、いよいよ号令を掛ける。
騒がしかった観客席も、シーンっと静まり返った。
『セットッ……』
フィーオの顔が引き締まる。
跨った椅子からスラリと伸びる足の爪先で、ペダルの位置を確かめた。
いよいよだ。
『スタートォッ!』
バッとフィーオの飛行機がジャンプ台から勢い良く飛び出す。
機首がやや下がり気味だ。そのまま墜落するっ!
そんな未来も幻視されたが、実際のフィーオの飛行機は……。
『ママ見て、プロペラが廻ったよー』
『機首が上向いてるっ。翼が風を掴んだわ』
フィーオの乗る飛行機の翼が水平になった。
「ブヒヒィ(おおーー! と、と、と……)」
『と、飛んだぁっ!? あの子、やっちゃったよ!』
フィーオの飛行機が、力強く川の上空を滑空していく。
プロペラはフィーオのペダリングと同調するように回転し、確かな推力を生み出した。
彼女は、今、鳥になったのだっ!
『わぁああああーーーー!』
「良クヤッタゾォ、フィーオォォッ!」
観客の歓声に負けぬような大声が、俺の腹の底から飛び出した。
高度を保ちながら一つ目のチェックポイントを抜けて、二つ目を目指す。
舵取りは手元のハンドルを捻る事で、両翼の角度を変えているらしい。
進路が変わりそうになる度、翼が上下に捻られて目的地に修正される。
『わーい、二つ目も通り過ぎたよぉ!』
「ブヒヒィ(その者、蒼き衣を纏いて金色の野に降り立つべし……)」
『白のワンピースでしょ、どう見ても』
「フィーオ! フィーオ! フィーオ! フィーオォォォ!」
『なんかこっちも盛り上がっちゃってるなぁ。まぁ僕も楽しいから良いけどさ』
三つ目のチェックポイントを抜けた所で、徐々にプロペラの回転が弱まっていく。
疲労によるペダリングの限界だろうか。翼の姿勢制御も難しそうだ。
「頑張レ、頑張レ!」
「ブヒヒィ(そうだ、オマエはエースなんだ。ゴーゴーフトシ! 頑張れ、フトシー!)」
『誰の応援してんのよ、君』
俺達の声援が届いたのか、プロペラの回転が少し復調する。
それを見て全員が喜びの声を上げたのも束の間、飛行機は遂に川へと胴体着水した。
『わーーーー!』
だが悲鳴は上がらない。
見事な着水で飛行機の損害は最小限だ。
それ以上に、フィーオの豊かに飛行した姿は感動的であった。
『ヒュー。エルフっ娘もやるもんだね』
「ハッハッハッ! マイッタカ、猫女ァ!」
『だからぁ、アンタが偉い訳じゃないってばさ……』
飛行機を運営側のマンドラゴラ達が川から引き上げて、フィーオも地面に下りた。
そして、俺達に向けて会心のガッツポーズを見せる。
拍手喝采とは、この時の為に作られた言葉のようだった。
『ポーク選手の飛行が終わるまで、フィーオ選手は控えの場で休憩して下さい』
さぁ記録はチェックポイント三つだ。
最初の挑戦でこの素晴らしい成績、ポークも顔色を失っているに違いない。
俺はヌケサクにビールと焼鳥を注文しつつ、コンテストの進行を待つのだった。
* * *
『ポーク選手、入場です』
審判の声に合わせて、ズリズリとジャンプ台に飛行機が姿を表した。
皆、咳き一つせず、その飛行機に視線を集中させる。
それはフィーオの物とは、相当に違う形状をしていた。
『ヘリコプター……じゃないね、アレは』
「ジャイロプレーン、カ?」
自転車の背中にプロペラが付いている。それだけはフィーオの飛行機と同じ物だ。
だが明らかに奇妙な物として、そのプロペラが自転車の上にも水平に備わっていた。
『わーーー!』
観客席から、フィーオの時と同様に再び大きな歓声が上がる。
俺達も惜しみなく、自転車に座るポークへと声援を送った。
「イイゾッポーク! 良ク作ッタナ」
『飛行機の形状は自由ッ! 面白いのを持って来たじゃないか』
「ブヒヒィ(マッドジャイロッ! マッドジャイロッ!)」
もはや抽選による焼鳥無料券など、誰も興味は無い。
自主的に応援したい一心で、彼の空への挑戦を見守る。
『テイク・ユア・マーク……セットッ』
審判員が宣言する。
手を振り上げて、その両手を裏返しにした。
『スタートッ!』
「ブヒヒィ(頑張れ、ポークゥ! レッツゴー・ジャスティィィンッ!)」
相棒であるピッグの叫びに合わすかの如く、ジャンプ台から飛び出した。
全力でペダルを踏み、二つのプロペラが回転をする。
「ブヒヒィ(行けるぞ、ポークも行ける!)」
「ふんごー(バトルタァァァァンッ!)」
掛け声と同期し、ジャイロが空を舞う。
非常にゆっくりながらも、それは前進を始めた。
『飛んだー! わーーー!』
マンドラゴラ達の拍手が響く。
だが顔面を真っ赤にしてペダルを漕ぐポークの苦労に対して、遅々として進まない。
チェックポイントも半分も行かずに、彼の高度は水面ギリギリである。
「ふんごー(ヌゥゥゥンッ! ハァッ! うぉおおおおおおおお!)」
皆が歯を食いしばって見つめる中、車輪が川面に触れた。
かと思った瞬間、彼のジャイロプレーンは一気に水没してしまう。
僅かな衝撃でも力尽きる、そこまで限界を越えた渾身のペダリングだったのだろう。
沈む彼の姿を、誰も音を立てずに最後のプロペラが止まるまで見守った。
『ポーク選手、記録ゼロ!』
審判員の言葉と同時に、ポークが水面に疲労困憊の顔を出す。
恥辱に歪んでいる、そんな顔だ。
『わーーーーーー!』
だが彼を待っていたのは、彼の努力を称える惜しみない声だった。
ヌケサクやピッグは、涙を流しながら拍手している。
『やるなぁ。いや、飛ぶとは思わなかった』
「ウム。人力デノ挑戦、見事ダッタ。手ニ汗ヲ握ッタナ」
『ポークおじちゃん、スゴーーイ!』
やんや、やんや。
初めは狐につままれる様な気持ちだったのか、ポークも妙な表情をしていた。
しかし笑みを浮かべ引き上げる運営のマンドラゴラや、観客の顔を見て信じたのだろう。
ここに彼を嘲る者など皆無で、誰もが心から彼の挑戦を讃えている事に。
「ふんごー(うぉぉぉ! 皆さん、ありがとうございましたーーーー!)」
直立不動の体勢から、全力で頭を下げてポークは感謝の言葉を述べた。
その姿に何度でも、何度でも、拍手が贈られる。
「ポーク、お疲れ様っ」
「ふんごー(フィーオの姐御……流石っすね、負けましたよ)」
颯爽と現れたフィーオに、少しだけ悔しそうな顔をして、ポークは言葉を絞り出した。
だが敗北を認めないような見苦しい真似はしない。
真っ向から自分で敗者を振る舞う姿は、また誰かの同情を買う為でも無い。
それは純粋な闘争本能、すなわち『次は勝つ』という決意の現れだった。
「私、二桁の記録を目指すわよ。貴方は?」
少女の挑発的な言葉と視線に、ポークは全く動じずに答える。
「ふんごー(勿論、二桁ッス。ただし、フィーオの姐御より一つ多い数字ですがね)」
「良い度胸じゃない。やってみなさいよっ」
敗北宣言と勝利宣言、そして再戦の誓い。
怖いくらいの拍手は冷めやらず、大興奮の悲鳴にも似た声が響き続ける。
第一回コンテストは、こうして夢と希望を残して終了したのだった。
* * *
暗い洞窟で、着々とパーツが組み上げられていく。
「前方の吸気口から空気とマナを取り込み……燃焼ガスを後方へ噴出……ふふっ、これだ!」
「にゃーん。魔術師殿、もうコンテストは終わったよ」
「え、嘘だろっ!?」
丸い甲羅に円筒を四つ付けた物体の前で、魔術師は絶叫する。
「うぉおお! 子供の頃から信じてた、この目に見えないマナパワーがぁ!」
この子は本当、阿呆なのが玉に瑕だよな。
ま、そこが可愛いんだけどねぇ……と心の中で小さく呟く。
頭を抱えて唸る魔術師に、猫の姿へと戻っていた猫女が溜め息を吐くのだった。
第三十四話:完
飛行機とは何時の時代も浪漫と夢と希望、そして絶望と恐怖を与えてくれます。
イカロスの翼が教えてくれる、色褪せない教訓です。
それでもいつか人類の翼は、太陽にまで届く日が来るのでしょうか。
楽しんで頂けたなら幸いです。ありがとうございましたっ!




