アレンデルが輝くとき
「私の本当の名前は、ヴォルフラム……ヴォルフラム・レウコス・ナヴィガトリアです」
「……そう、ですか」
自然と、言葉が溢れた。
そうか、神父様が……。
「神父様が……ヴォルフラム様、だったのですね」
自分で口にして、よりはっきりと、その言葉が胸に広がっていくのがわかった。
「あまり、驚かれないのですね」
少し拍子抜けしたように、神父様……いえ、ヴォルフラム様は言った。
まるでいたずらがバレてしまった子どものような顔をしていらっしゃって、つい笑顔が溢れる。
「そう……ですね。お二人とも、私のことをとてもよくしてくださいましたから……その方が、お一人だった……というだけです」
「……嬉しいことを、言ってくれますね」
私を見つめながら、ヴォルフラム様も笑った。
きっといつも……いつもこの方は格子戸の向こうで、こうして微笑んでくださっていたのね。
実際にその表情を目の当たりにして、嬉しさから、つい手にしていたハンカチに力がこもる。
けれど……。
どうしても、ヴォルフラム様の火傷の痕が目についてしまう。
比較的新しいその痕は、どう考えてもあの日できたものだろう。
「……やはり、気になりますよね」
私の視線に気づいたヴォルフラム様は、自分で顔の火傷の痕に触れた。
「す、すみません……!」
謝罪をしながら、私はつい目を逸らしてしまう。
「いいのですよ。これくらいですみましたし、何より、あなたを失わずにすみましたから」
「ッ……!ではあの時、私を助けてくれたのは……!」
身を乗り出す私に、ヴォルフラム様は優しく微笑んだ。
それが、答えだった。
「あれは……ヴォルフラム様、だったのですね……」
どうしよう。
また、目元が熱くなる。
「えぇ。まったく……ニアはどうしたいのですかと、再三言ってまいりましたが、まさか燃え盛る教会の中に入って行かれるなんて……。あの時は肝が冷えましたよ」
「も、申し訳ありません……あの時は教会の中に神父様がいらっしゃると聞いて、無我夢中で……」
「本当に、無事で何よりでした。……私は後々、シリウスにこっぴどく怒られましたが……」
「シリウスに?」
「はい。ただでさえ、あの時は私も深手を負っていましたので……」
そう言って、ヴォルフラム様は脇腹を撫でた。
「兄……レグルスが私の暗殺計画を立てていることは知っていました。なので、シリウスには兄の兵に紛れてもらい、私を討ったように周囲に見せてもらったのです」
「まさか、討ったようにというのは……!」
「レグルスのことはご存知でしょう?中途半端ではバレてしまう。ただ……正直、あれは少々堪えました」
「そのような状態で、ヴォルフラム様は私を?!」
思わず、口元を覆った。
なぜ……なぜ、そこまでしてヴォルフラム様は……?
はらりと、堪えていた涙がこぼれ落ちてしまう。
その様子を見てか、ヴォルフラム様はまた困ったように笑いながら、私の頬を流れる涙を拭ってくださった。
「……放っておけるわけがありません。あなたは、私の大切な方なのですから」
「えっ……」
そう言って、ヴォルフラム様は私の前に跪く。
そしてそっと、手を握って下さった。
「懺悔室の中で、少しずつあなたのことを知るたびに、惹かれていく自分がおりました。……私は、神父失格です」
「そんな……それは、私だって……」
そう言いかけて、私は目を閉じて下唇を噛んだ。
もっと、言わなければならないことがある。
私はゆっくりと、口を開いた。
「……神父様。いえ、ヴォルフラム様」
真っ直ぐに、ヴォルフラム様を見る。
「なんでしょう、ニア」
ヴォルフラム様も同じように、私を見て下さった。
レグルス様と同じ金色の瞳なのに、ヴォルフラム様のそれは、月明かりのように優しい。
ヴォルフラム様の手を握り返して、背筋を伸ばす。
だってこれは……。
「私は、この国を出ます」
他でもない、私が決めたことだから。
「ヴォルフラム様が亡くなったという知らせを受けた時から、決めていました。ここには、私の居場所はありません。それで……」
……だめだ。
声が震えてしまう。
けれど、ヴォルフラム様は黙って、私の話を聞いてくださった。
そして優しく、手を握り返して下さる。
一度、息を吸って、吐く。
最後まで、言うんだ。
「それでもしも……もしもヴォルフラム様さえよろしければ、私と一緒に、この国を出ていただけませんか?」
ヴォルフラム様が……神父様がいないと、不安だから、ではない。
私は……。
私はこれから先、この方と、ヴォルフラム様と……。
共に生きたい。
そう、思ったからだ。
「まったく、あなたという方は……」
私の手を握ったまま、ヴォルフラム様は小さくため息をついた。
やはり、まずかっただろうか……。
世間的には、亡くなったということになっている。けれど、ヴォルフラム様は一国の王子。そのような方に、この国を捨てろだなんて……。
と、私があれこれ考えていた、その時だった。
「それは……私が言うつもりだったのですよ?」
「えっ……?」
ヴォルフラム様は握ったままの私の手を、そっと持ち上げる。
そしてゆっくりと返すと、手のひらに、柔らかな熱が触れた。
それだけなのに、そこから熱が一気に全身へ広がっていく。
(これが、キス……?)
レグルス様にされたものとは、全然違う。
熱で、どうしたらいいのかわからなくなる。
わけがわからないまま、私は指先からヴォルフラム様に視線を移した。
そこには、まるで許しを乞う信者のような目で私を見つめる、ヴォルフラム様がいらっしゃった。
「私からも、お願いします。……ニア」
握った私の手を、ヴォルフラム様は額につける。
「この教会の地下には、祖母の命で作られた隠し通路があります。そこを抜けて、祖母の母国へ、私と一緒に来てくれませんか?」
祈るように、今度はヴォルフラム様が、私に問う。
そんな風に祈られる立場に、私はいないというのに。
「顔を上げてください……ヴォルフラム様」
そっと、私はヴォルフラム様の顔に触れた。
その手に、ヴォルフラム様もご自身の手を重ねる。
「まったく……私の答えは、わかっていらっしゃるはずですのに……」
ゆっくりと、体を傾ける。
そして私は、答えの代わりにヴォルフラム様の唇にキスを落とした。
***
その後、私たちはヴォルフラム様の言っていた地下通路を通って、王都を出た。
教会の通路を抜けた先では、シリウスとクロエが馬を用意して待っていた。
「ミア様!」
「クロエッ?!」
私に抱きつくクロエに、どうしていいかわからず、シリウスに助けを求める。
「少しそうさせてやってください。こいつ。心底心配していたので」
「やっぱり、あれはミア様ではなかったのですね!よかった……!よかった……!」
「クロエ……あなた、いつから?」
いつから、クロエは私がミアではないと気づいていたのだろう。
「今朝、お会いした時です。ですが……最初は驚きました。別の方がミア様を名乗って、ミア様がメイドの姿をしていらっしゃいましたから……」
まさかすぐに気づかれていたとは思わず、私は目を丸くする。
「さ、あまり長話をしている時間はありません。王宮内は今、花嫁が別人だったと大混乱ですので、今のうちに行きましょう」
「花嫁が?」
ということは、レグルス様にもわかったのだ。
ミアがニアではないことに。
クロエもだけれど、まさかこれほどあっさりとわかってしまうだなんて……。
「誰も、あなたにはなれないということですよ。ニア」
私の驚きを察してか、ヴォルフラム様が後ろから私を抱き抱える。
「おい、いちゃつくのは後にしろ」
「わかっているよ」
そう言って、ヴォルフラム様は用意されていた馬に乗ると、私に手を差し伸べる。その手を取って、私も馬に乗った。
「では、お気をつけて。私たちはもうしばらくしてから北へ向かいます」
「すまない、シリウス。クロエも、巻き込んでしまって」
「お気になさらずに、ヴォルフラム様。必ず後を追います」
「クロエ……!」
挨拶を交わす中、私はクロエに手を伸ばした。
「ミア様?」
「クロエ、本当にありがとう。私、あなたに伝えなくてはいけないことがあるの」
私の手を握って、クロエはきょとんと首を傾ける。
「私、本当はミアではなくて、ニアというの」
「ニア様……ですか。素敵なお名前ですね」
微笑むクロエに、私も微笑みかえす。
「では、そろそろ行きますよ」
「はい。クロエ、シリウス……あなたたちも、気をつけて」
「えぇ」
「はい」
名残惜しみながら、私はクロエの手を離す。
そして私たちは、そのまま東へ向かった。
途中、休憩をはさみながら、それでもどんどん東へ進む。
南天にあった太陽は、次第に西へ傾いていく。
「あの……しんぷ……いえ、ヴォルフラム様」
「神父様でも構いませんよ、ニア」
騎乗する私の後ろから、ヴォルフラム様が包み込むように手綱を掴む。
それだけのことなのに、体が熱くなってしまう。
自分が前に乗っていてよかった。
後ろだったら、この心臓の音に気づかれてしまう。
でも、今伝えたいのはそんなことではない。
私は小さく息を吸った。
「いいえ、きちんと名前を呼ばせてください」
だって、自分の名前を呼ばれない辛さは……私が一番よく知っている。
「ヴォルフラム様、私……実はやりたいことがあるんです」
「やりたいこと?」
「はい」
ぎゅっと拳を作って、胸に当てた。
伝えるのは、今ではなくてもいい。
けれどどうしても、今、ヴォルフラム様に伝えたかった。
「私……物語を書こうと思うのです」
それは、小さい頃の夢。
見るだけで、決して叶えられるわけがないと、諦めていたもの。
でも、今は違う。
私は、自分で選べる。
それはきっと。
「それは、素敵ですね」
常に私のそばで、こうして微笑んでくださった、ヴォルフラム様のおかげだ。
「実はもう、最初に書く話は決まっているんです」
「では、国へ着くまでの道中で、その物語を語っていただけませんか?」
「えぇ、もちろん」
私は喜んで、自分の作った物語を話し始めた。
元になっているのは、私が昔……手帳に綴った物語。
「むかしむかし……迷子の星屑が、空から降りてきました……」
星屑の妖精が、狼と恋に落ちるお話だ。
……ねえ、あの時の私。
星屑は、一人ぼっちじゃなかったわ。
深い森に住む狼が、ちゃんと星屑を見つけてくれたの。
……いいえ、違うわね。
星屑が、自分で狼を見つけたの。
だからもう、泣かないで。
あなたにはちゃんと、名前を呼んでくれる人がいるのだから。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!
またどこかでお会いできますと幸いです。




