6話
ペルセポネーが日傘を振ると、夜闇を押し固めたような魔力の刃が駆け抜ける。
レイピアを使って受け流しても、受け流してもキリがない。
ジナの立つ周りの岩肌には、弾かれた刃の爪痕がいくつも刻まれていた。
漆黒の刃は次から次へと飛んできてはジナの白い肌を切り裂いて、衣服に赤い染みをいくつも作る。
「くぅっ……」とジナの口から低い呻き声が洩れた。
特異点となって、ジナの身体は人間を遥かに超える頑丈さになった。
骨格はアダマンタイトのように丈夫で、筋肉はオリハルコンの鋼線のように強靭で、しなやか。 ミスリルのように魔力との親和性が高く、魔術耐性も上がっている。
そんなジナに笑いながら傷を負わせる女神の攻撃は反則すぎる。
嬉々として追撃を加え、わざと浅い傷を刻んで楽しんでいる。
悪趣味なヤツめとジナは、肩で息をしながら冥府の主人を睨んだ。
「これも耐えてしまうのね。じゃあ、次。今度はもっとすごいのにしてあげる。ちゃんと人の子の流儀に則って、詠唱はしてあげる。省略もしないから、安心して?」
格の違いを見せつけるペルセポネーは、心底愉快そうに微笑んだ。
子供が蝶の羽をもぐ遊びでもするように、試練を与えて嬲り殺す気らしい。
ジナの背筋に冷たいものが走った。
「遠き地より、北より吹き荒ぶ冷酷なる氷原の風───」
宣言通り一字一句、省略なしに奏でられていく詠唱。
ペルセポネーが言霊を吐き出すたび、熱を喰らうかのように温度が急降下する。
「───其は万象を閉ざす白き闇」
息は白く変わり、細氷が散らつく。
寒さに身体が悲鳴をあげ、奥歯がカチカチと音を立てる。
ジナの紡いだ【鶴翼抱擁・光癒】の障壁に護られているクラリスに変化はない。
今は自分自身の心配だけしていればいいと、ジナは横たわる恋人の傍らに転がる魔銃【ベオウルフ】を拾い上げると、躊躇なく引き金を引いた。
「吹雪け、凍てつけ───。魔法が完成する前に、私の喉を潰したい?でも、だーめ」
放たれた魔力弾は烏黒色の日傘に当たって、甲高い音を立てる。
ジナの行動は完全に読まれていた。
このくらいでは、ペルセポネーを傷つけるまでには至らない。
詠唱を止めることもできず、ジナは激しく舌打ちをした。
「儚き生命に数多の爪を立てよ──飛雪千里」
完成した大魔法。
ペルセポネーを中心に四方八方に広がる銀世界。
荒れ狂う風雪に、舞い踊る氷華。
生命の有無を問わず、万物が等しく氷の彫像へと変わっていく死の風が吹き荒れる。
生き物は冷気を取り込んだ瞬間、肺が凍てつき、死に至る。
まさしく冥府の顕現にほかならない。
ジナの身体も例外ではない。
死の息吹に晒される前に、ジナは息を止めてクラリスの眠る鶴翼の結界に飛び込んだ。
さらに障壁を増やす。
二重、三重と補強してやっと、冷気を遮断することができた。
雪華乱れ舞う死に彩られた世界。
少女の姿をした怪物だけが、烏黒のドレスを翻し、嗤っていた。
「さぁどう凌ぐ?」
くるくると小気味よく回る黒い日傘。
女神が舞曲を楽しむように、ステップを刻むと、地面から顔を出した無数の氷柱がふたりを包む結界を一斉にノックする。
何度も、何度も繰り返し、杭を打たれる障壁が悲鳴をあげる。
もう我慢できないとばかりに、ジナが叫ぶ。
「手加減いただきどうもありがとう!悪いけど、そんな簡単には死なないから!我は太陰の加護を刻み、死生を巡るものなり!」
月の力を引き出す詩篇を唱え、眩い魔力の光に包まれていく。
自分の死の権能に真っ向から抗い、皮肉まで宣うジナの豪胆さに、「貴女、素敵よ」とペルセポネーは、くすくすと面白がっていた。
世界を塗り替えるに等しいペルセポネーの大魔法に対抗するためには、【雷霆万鈞】を超える仙術を放つ。
ジナはカグヤに語りかけ、魔力を練る。
(カグヤの魔力を。私のに合わせて)
(行くよ!あんな根暗、ぶっ飛ばしてやるんだから)
鼻息荒く、カグヤは胸の前で小さく拳を作った。
カグヤの魔力を感じる。
流れ込んでくる膨大な魔力。
こうして、念入りに準備する間もペルセポネーは一切動かない。
ジナの仙術が完成するのを待っている。
それは絶対的強者であるが故のペルセポネーの慢心。
(勝つために、それも利用させてもらうわ)
ジナとカグヤの膨大な魔力が混ざり合い、頭の先からつま先に至るまで、身体中を駆け巡っていく。
「その魔力……太陰に類する力を感じる。だから貴女、私の権能に耐性があるってわけ……直接、出てこないところを見ると、貴女の中にいる何処ぞの神か星霊は、相当なヒキニートなのかしら?」
(あの根暗女ー!私を依代に白道二十八宿の姉妹を召喚して、陰府ごと滅ぼしてやろうか!)
(ちょっと静かに!今から集中してるから!)
「まったく……陽は陰に。陰は陽に転ず───」
ジナはため息をついて、もう一度集中して魔力を練り続ける。
陽の光を浴びて輝く月を頭に思い描く。
そうした月の性質を利用し、月の星霊たるカグヤの魔力を呼び水にジナが紡ぐのは、日輪の波動。
「三千世界を遍く照らす日輪。ある朝は微笑み、ある昼は嗤う」
冥府の存在が最も嫌う太陽の輝きを呼び戻すために。
「滾れ、燃えよ。恵みの輝きと天地を焦がす閃熱。それは原初の火」
氷雪を溶かし、厳冬を引き裂く暖かな光が蝶のように舞い始め、光差すべきところを指し示す。
「原始の陽。顕現せし天地を刺し貫く眩き光柱───旭日昇天」
東方の太陽を司る神霊の一角の名を冠した大仙術。
ジナが指し示した太陽嫌いのペルセポネー目掛け、彼女の張った日除けの天蓋をも刺し貫いて、東の空より燃え盛る白狼の姿をした陽光が天を翔ける。
彗星のように眩い光の尾を引いて、『飛雪千里』の魔法が生み出した銀世界を切り裂き、氷雪を踏み砕き、ペルセポネーへと突っ込んでいく。
「やってくれるわね」と心底、忌々しげに吐き捨てるペルセポネーは、白熱する神狼の咢に呑み込まれる。
渦巻く豪炎。
闇を裂く閃熱。
炉にくべた薪のように勢いよく燃え上がるペルセポネーの身体。白磁の肌は焼け焦げ、手足の先に亀裂が走る。
象牙色に滾る焔の中で、女神は朗々と詠唱する。
「幾多の怨嗟、幾多の苦悩を束ね、鏃と成す。疾く翔けよ───嘆きの矢」
鈍く揺らめく濡羽の矢が一斉に放たれた。
(───危ない!!)
頭に響く、カグヤの叫び。
【旭日昇天】の制御に全神経を注ぐジナは反応が遅れる。
降り注ぐ雨矢。
ある矢はジナの肌を裂き、ある矢は四肢に突き刺さる。
しまいには、その胸部を撃ち抜いた。
「────!?」
心臓を掠め、深々と突き刺さった魔弾。
焼けるような激痛に、ジナは悲鳴をあげた。
「うぐっ!あぁぁああッ!!!」
さらに冥府に渦巻くあらゆる負の念が溶け合い、混ざり合い、矢を通してジナの中に流れ込んでくる。
肉体と精神を同時に襲う、耐え難い苦痛にジナは激しく地面をのたうち回り、喉を掻き毟った。
(痛い、苦しい、ツライ、苦しい、イタイ、イタイ、ぐるじぃ、変なのが頭に……響いてッ!変なのッ!!おかしくなるッ!おかじくなりゅ!)
「イヤぁぁああッ!!やめてぇぇええ!!あ、
あ、ガッ……あがッぁぁ」
気が触れそうになる。
(壊れ切ることもできず、血塗れで赤子のように泣き叫ぶことしかできない可哀想なジナ。うふふ)
甘く蕩けるような声でペルセポネーが囁いてくる。脳を引っ掻くように、カリ、カリ、カリ、……繰り返し、繰り返し、念入りに。
(ふふ、苦しい?苦しいわよね?私の身体を陽の光なんて、この世で一番悍ましいもので、こんがり焼いてくれたのだから、これくらいは……ねぇ?)
「うっ……うっ……」
ジナはただただ、情けなく嗚咽を洩らした。
(もぉと、苦しませてあげられるけど?こんな風に)
『オカアサン、たすけて……ワタシのカゾク、カエシテ!!コロシテ?コロシテヤル!死なせて?イタイ、寒いよ……なんで?ナンデ、ワタシばかり、死にたくない、シニタクナイッ!!愛じてた、あ、あ、あ、なぜ、ウラギッタぁあああ、クダラナイ……ツライ……お腹空いた……私の身体はどこ?赤ちゃん、ドコ?ねぇ、ナンデタスケテクレナイノ?ネェ、ネェ、ネェ、ネェええええええ!!!』
愛する子を求める女の声。
今際の際の後悔。
受け入れ難い死に啜り泣く声。
自らを殺す者への怨嗟。
挙げたらキリがないほどの苦痛が幾度となく流れ込んでくる。
「うっ……うっ……もうキキタクナイ……」
精神攻撃は着実にジナを追いつめていく。
赤子のようにうずくまり、憔悴しきった姿は見るに堪えない。
(さっきまであんなに勇ましかったのに、噴飯ものね)
いつの間にか、灼熱の檻を脱したペルセポネーは、絶望するジナを罵りはするが哀れに思ったのか、その頭をそっと抱えて自分の膝に乗せた。
「やりすぎ?かしら。ほら、泣かないの。楽しませてくれた御礼に、ご褒美をあげるから」
赤子をあやす様にジナの髪をなで、優雅に微笑む。
ペルセポネは仕方ないわねと、気つけの代わりにジナの唇を無理やり奪った。
ゆっくり唇と唇を重ね、浅い息を繰り返しているジナの口内に強引に舌をねじ込ませる。
ねっとりと舌と舌を絡ませ、唾液を啜ってやり、余すことなく蹂躙し、味わい尽くす。
「んっ、んんッ!?」
口を塞いで、キスを通して、ジナに権能の一部を流し込んでいく。
「やっ……んんッ、んッ」
身体の中が熱い。ペルセポネーの魔力が体内で暴れ、お腹の辺りが酷く疼く。
「少し疲れたし、寿命でもいただいておこうかしら」
「うっ!?」と、ジナは生命力を吸われる感覚に顔を歪め、呻いた。
身体がどんどん鉛のように重くなり、倦怠感が広がっていく。
「ぷはっ……ご馳走様。そのチカラを上手く使うことね。地上での顕現を保つのは、そろそろ時間切れ───」
目を見開き、顔を真っ赤にするジナは、「……逃がす……かッ!!」と低く唸り、獣のようにペルセポネーの喉笛に喰らいついてみせた。
ジナの口の中に広がる不思議な味。
口元を伝って滴る女神の血。
不意をつかれた女神は一瞬ギョッとして、すぐ口元を愉快そうに歪めた。ひゅう、ひゅうっと、掠れた音が漏れる喉を押さえ、ジナの頭に語りかける。
(最後の最後でやられたわ。これは、傷が癒えるまで大人しくしているわ。今回は痛み分けってことにしましょ。また逢いましょう。愛しき特異点のジナ)
それにジナは最後の力を振り絞り、中指を突き立てた。
次、逢ったら絶対、潰す───
最後に「ふふっ」と小さな笑みを残して、ペルセポネーは闇夜に溶けて消えていく。
ジナにはもう追う気力はなく、大の字で地面に倒れ込んだ。
凍てつく風がジナの頬をなぞる
最強種同士の戦いの爪痕によって、森一つが死に絶えた。氷漬けとなり、消えぬ炎が燻り続けていく。
この土地はもう元の姿を取り戻すことはないのだろう。




