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3話 特異点、神霊に遭遇する


 奥に進むにつれて魔力は徐々に濃くなっている。

 喉を締め付けられるように息苦しい。

 

 森全体に染み付いた鼻を覆いたくなるような腐った臭い。

 生者を拒むかのように満ちる濃密な死の気配に尻込みしてしまいそうになる。

 

 「用心して……」と声を潜め、ジナは喉を鳴らす。

 クラリスも黙って頷くと、魔銃ベオウルフの引き金に指をかけた。


 「この辺にも結構、いるね」

 「できるだけ戦闘は避けたいわね」


 茂みに身を隠しながら、ふたりは周りを窺う。

 ひたひたと湿り気を帯びた足跡を残して徘徊する死体。


 最初は人間や動物のゾンビだけだったのに、今はもっと強いオーク・アンデッドやスケルトンがうろついている。


 身体にまとわりつく嫌な風が吹く。


 「止まって!何かある!」

 

 地面にできた大きな亀裂。

 底の方は暗く、何も見えない。

 裂け目からは絶えず、禍々しいヘドロのようなものが噴き出していた。


 ジナは無意識に口と鼻を手で覆い、クラリスの肩を掴んだ。

 ジナの直感が、ここは危険だと囁いている。

 カグヤの加護を注ぎ込んでもらい、障壁で自分とクラリスを覆った。

 

 「これって、瘴気しょうき?」

 「あれが瘴気……。文献で読んだことがある。冥府特有の負の魔力で現世との境界が揺らぐと時折、こちら側に漏れ出すことがあるのって」

 「じゃあ……あの裂け目、冥府と通じて!?それなら、アンデッドが這い出てきたのも説明がつく……」


 全部が繋がった。

 クラリスの顔からは血の気が引いていく。

 ジナの声も僅かに上擦っていた。


 「見てあれ……」


 暗き地の底から次々と這い出てくる亡者の群れ。

 姿を現した冥府の軍勢は、裂け目を囲むようにして集まり、一斉に膝をついた。


 この疼くような感覚。

 大きく脈打つ心臓。

 加速する血潮、滾る戦意。


 感覚が冴え、どんどん研ぎ澄まされていく。

 

 スキル【不倶戴天】───


 特異点に覚醒したジナだけの能力。

 強敵と相対したとき、自動的に全ての能力が限界以上に引き上げられる。

 

 (不倶戴天スキルが発動した。居る……怪物が……)


 ジナの肉体が、精神が、戦闘の準備を済ませてしまっていた。

 高揚する戦意。

 自然と口元が歪み、可憐な容姿も獰猛さを隠し切れていない。



 ◇◇◇


 現世ではないどこか───


 「誰かしら……面倒なことをしてくれたのは……」


 身体を横たえたその少女は、気怠げに溜息をついて黄金の杯を傾けた。血よりも赤い貴腐ワインが、喉を潤す。

 だがどんな美酒を口にしても、憂鬱は晴れない。心に霞がかかったように全てが億劫に感じる。


 生と死の境界の乱れを感じる。


 主人の問いかけに応えようと、カラカラと必死に身体を鳴らす下僕たち。


 「あぁ……ただの独り言……。答えなんて求めちゃいないのよ」


 そう呟いて彼女は、身につける闇夜を溶かし込んだ烏黒のドレスを翻して立ち上がった。金杯を白く健康的な骨格の下僕へと放ると、普段は決して開くことのない黄泉の門を開いた。


 現世へと続く長い階段。彼女より二回りは大きい骸の肩に乗り、無数の死霊を引き連れて生と死の境界を目指す。

 そこは本来、あってはならない現世と冥府の綻びが生まれた場所。現世に近づくほどに射し込む陽光。


 「日差しが憂鬱……」と心底不快そうに端正な顔を歪ませ、日傘をさして顔を隠す。


 「はぁ……根を離れるなんていつぶりかしら」


 ジナたちの見つけた冥府と繋がった裂け目から這い出ると、浴びた光で目が眩む。冥府の住人にとって太陽は天敵だ。不快指数は頂点に達し、忌々しげに太陽を睨んだ。


 「ほんと……じゃま」  


 来訪者はそう愚痴って、指揮棒のように指先を振るうとゆっくりと世界が夜闇へと呑まれていく。

 

 太陽は姿を消した。


 暗き闇に閉ざされた世界。

 誰もが空を見上げて不安を募らせていた。

 

 太陽消失事件───


 のちに、そう語り継がれる大事件の幕開けでもあった。 



 ◇◇◇



 暗き冥府より現れた、少女の姿をした尋常ならざる怪物は、ジナとクラリスが見ている眼前で、容易く世界を闇夜で塗りつぶしてみせた。

 待機していたアンデッドたちは跪いて動かない。彼女が引き連れてきた骸や死霊もだ。


 現れた魑魅魍魎と先導者。


 考えうる最悪のシナリオ───最強種による侵攻。


 「絶対に私のそばを離れないで!あなたは私が守るから……」

 

 危機的状況にも関わらず、頬を赤らめる恋人を自分の背に隠し、前を向いたジナは思考を切り替えた。立ちはだかる不死者たちに立ち向かうために。


 「また珍しいものがやってきたわねぇ」

 「私は───」

 「───大丈夫、わかっているから。それで何か、御用?」

 「この瘴気も、アンデッドたちも、こちらと冥府を繋げたのも、太陽を消したのも!あなたの仕業?」

 「はぁ……騒々しい」

 

 暗闇に妖しく浮かび上がる緋色の双眸に睨まれたジナは胸を押さえて膝をついた。


 「ジナ!?」


 クラリスの声が遠い。

 身体から滲み出る脂汗、刺し貫くような痛み。

 そして悲鳴をあげるジナの心臓。

 一瞬、心臓が痙攣し、鼓動が止まりかけ、死の恐怖が身体を支配する。


 カグヤの加護がなかったら死んでいた。

 彼女は脆弱な人間など視線のみで呪い殺すことができてしまう。

 恐ろしさが骨身に染みる。


 「ふぅん。連れの人間はクラリスというのね。彼女は貴女の弱みになるのかしら?」

 「なっ!!」

 「いい反応。分かりやすくて助かるわ」


 「うっ……」とクラリスはうめき声をあげ、地面へと崩れ落ちる。

 「クラリス!」


 (───舞い踊る光鶴)


 ジナは心を鎮め、愛しき人を思い、呪文を紡ぐ。淡い光の粒子が綺羅星のように瞬き、夜闇を照らし出していく。

 光に過敏な配下たちが戦慄し、隊列を乱す。

 主は同様の不快感に耐えながら、これから起こる期待感に口角を吊り上げた。


 (一機ひとはた二機ふたはた───)


 虚空より引き抜いたレイピアを構え、地を蹴った。心の内では詠唱を進め、浮き足立っているアンデッドの群れに切り込んでいく。 


 (光を紡いで、織り上げて)


 無数の輝きは翼を広げた一羽の鶴を象り、空へと舞い上がった。

 ジナは風となって駆ける。

 敵の腕を、足を、首を。刃が触れた部分を問答無用に突き刺し、斬り飛ばす。痛みは感じなくとも四肢を失えば動きは鈍るし、攻め手も止まる。


 (あなたを包み癒しましょう)


 「ふぅん。中々、良い見世物ね。戦闘しながらの術の行使……。芸が細かくて好きよ」


 終始、気怠げにしていた少女がジナの奮戦に、愉快そうに表情を崩していた。

 まったくもって、劣勢を感じさせない余裕綽々な態度の怪物にクラリスは蹲りながら戦慄していた。


 (鶴翼抱擁かくよくほうよう光癒こうゆ───)


 光翼の羽ばたきに合わせて降る無数の羽根。クラリスの身体を優しく包み込む完成した仙術。

 その輝きは呪詛を、瘴気を、アンデッドを。『愛する人を傷つける全て』を退けていく。

 

 まだ顔色は悪いが、息づかいは落ち着いている。効果はしっかりと届いていた。

 

 「大切な!恋人ヒトに!」


 怒りに任せてアンデッドたちを切り裂きながらジナが吼える。


 「手を出して!許さないから!」


 霊光ひかりを纏ったレイピアは、斬ったそばから次々と敵を浄化していた。

 

 「あなたたちもう帰りなさい」との主の一言に、アンデッドたちは一斉に反応し、出てきた裂け目へと撤退を始めた。


 「天より来たれ、幾億の霹靂。劈き、瞬き、邪悪を討ち滅ぼす───」


 今度は足を止め、一言一句声に出し、言霊を込めながら詠唱する。仙術の威力を最大限に引き出すために。


 「神鳴る鉄鎚───。雷霆万鈞ヴァジュラ!!!」


 駆け巡る数え切れない紫電。ジナが撃ち出した赤黒い雷霆は大気を焦がし、冥府と繋がる裂け目を衝いた。大地をも溶解させて、裂け目へと逃げ込む冥府の軍勢を蒸発させた。


 衝撃で巻き上がった土煙が風に流されて徐々にはれていく。


 これは何かの冗談か。


 姿を現した少女は、ジナの雷撃魔法ヴァジュラを受けても平然としていた。

 所々ドレスは焼け焦げているが、陶磁器のように白い肌には傷ひとつ見当たらない。

 

 「ドレスが台無しじゃない」と唇を尖らせ、ドレスの埃をはらう。


 先程までは持っていなかった烏黒の日傘をクルクル回して遊びながら、時間が巻き戻るかのようにドレスは修復されていく。そして全部なかったことのように微笑んだ。


 「あれが効かないなんて……。とんだ化け物ね……」


 今のジナにはこうして悪態をつくことしかできない。震える手。抱える薄ら寒さ。

 スキル【不倶戴天】で底上げされている仙術ヴァジュラを叩き込んでやったはずなのに。


 「化け物なんて失礼ね。何一つ傷をつけられなかったのは私が化け物だからではなくて、あなたたちが弱いから。責めてるわけではないの。だってそれが人の子、なのだから」


 なんて頭に来る物言いだ。

 スキルの能力補正が付いていても届かない。

 認めるしかない。あの神霊は格上だ。

 ジナは血が滴り落ちるくらい強く唇を噛んだ。


 「でも……まだ!負けてない!我が名はジナ・クリシュ・クシャトーリ!最も新しき特異点にして、最強種だ!」


人間ジナ』としてではなく、最強種の『特異点オメガ』として、対峙する。


 その覚悟を、高らかに示した。


 「いいわ。名乗ってあげる。私は神霊ペルセポネ───冥府の女主人。生と死の境界を統べる者。どうぞ、お見知り置きを。特異点オメガさん」

 

 勇敢なる者よ。

 私を楽しませて───

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