1話 第五特異、旅に出る
新作 異世界×百合ファンタジー
ジナ・クリシュ・クシャトーリは、深い暗闇の中にいた。
カラカラと石が崩れる音。
身体を起こそうとすると、あちこちに鈍い痛みが走った。
「何が起きて……」
意識が朦朧とする。
割れた額から滴り落ちる血。
無意識に額を押さえると、べっとりした血糊が手を汚す。
なぜ、怪我なんて。
記憶が曖昧なせいで、自分の置かれた状況がいまいち理解できずにいた。
「クラリスたちと遺跡調査に……それで、崩落に……」
視界が歪み、胃から酸っぱいものがせり上がってくる感覚。
思い出した。
ジナたちは遺跡調査中に、崩落に巻き込まれたのだ。
はっとして、周りを見回す。
身体を引きずって暗闇の中、ジナは恋人の名を叫んだ。
「クラリス、クラリス!どこなの!?」
何度叫んでも、返事はない。
ジナの声が、洞穴内で虚しく反響するばかり。
暗転───
突然、場面が切り替わった。
視界に映るのは血溜まりに沈む恋人の変わり果てた姿。
崩落に押し潰された下半身は無惨にひしゃげ、意識はなく、浅い呼吸音だけがやたらと耳について離れてくれない。
そして『月の星霊』を名乗る銀髪銀眼の少女。
───こんにちは、私はカグヤ。
カグヤは言う。
その子、治してあげよっか、と。
───代わりに、あなたをちょうだい?
◇◇◇
「───クラリス!クラリス!ぐぇ!?」
伸ばした腕は空を切り、ジナは無様に椅子から滑り落ちた。
潰れた蛙のような悲鳴を上げてお尻を摩る。
論文を片手にいつの間にやら、寝落ちしてしまったらしい。
所狭しと積み上げられた古今東西の書籍。
部屋中に散乱する歴史や魔術に関する論文たち。
「なんか嫌な夢を見たわね……」
寝汗でじっとりとシャツが身体に張り付く。
悪夢を見たせいで、寝覚めは最悪だ。
髪を掻き揚げ、散らかる紙の束を拾い集める。
資料やメモを机の上に投げおくと、ジナは青みがかったボサボサの銀髪を輪ゴムでひとつに束ねた。
もう何日も家には帰っていない。
大学の研究室に泊まり込み、論文と格闘する日々。
目の下には深いクマができており、整った顔に疲労が滲んでいる。
いつもは学生や助手君に整理整頓を頼んでいるのだが、あいにくとここ数日は顔を見ていない。
締め切りに追われ、缶詰のジナに気を使っているのだろう。
「紅茶でも入れようかな」と、立ち上がると外が騒がしい。
「だから、ジナ・クシャトーリに会いたいの!」
「関係者の方しか入れませんって」
何かあったのだろうかとドアを開け、顔を出そうとした瞬間、転がり込むように女性が部屋に飛び込んでくるではないか。
かなり慌てて来たらしい。
額に汗を浮かべ、肩で息をしている。
「だから、ダメだって!」
守衛の静止を振り切ってここまで。
その背に隠れ、ジナを盾に守衛を睨む恋人のクラリス。
「すみません。私の客なので」
「先生の、ですか?」
疑いの目を向ける守衛の人。
視線に腹を立てたクラリスが吠える。
「だから、何度も言ったじゃない!」
「はぁ、約束もない。合わせろの一点張りで通せるわけないでしょ。部外者を」
「何よ!」
ジナは呆れ、ため息をついた。
「まぁまぁ、クラリスに落ちついて。すみません、私からも言っておきますから」
「まぁ、先生がそう言うなら……これっきりですよ」
ジナが頭を下げると、不承不承と守衛の人は引き下がり、持ち場へと帰っていく。
「何よ!あの態度。私がちょっと大学に圧力をかけたら、あんなやつすぐにクビなんだから!イーッだ」
守衛が見えなくなると、クラリスは思い切り悪態をついて、腕組みをする。
「クラリス。急にどうしたの?」
ジナの声にハッとして、クラリスは叫んだ。
一通の手紙を胸元に突きつけ、「これは、どういうことッ!」と。
見るとそれは、セレストリア共和国にある大学からの書状だった。
「まさかあなた、この国を出ていくつもり?」
そう言って、ジナへと詰め寄るクラリス。
内容は共和国大学に招聘したい旨が綴られている。所謂、引き抜きのお誘いだ。
どこからこんなものを手に入れてきたのやら。
「まぁ落ち着いて。座ったら?」
ジナはまあまあ、と紅茶を勧める。
「……いただくわ」と言って、クラリスは渋い顔をしたまま、ソファーに浅く腰掛けた。
クラリスはずっと落ち着かない様子で、ジナが紅茶を準備している間もずっと部屋の中を行ったり来たりしていた。
紅茶をテーブルに置くと、慌ててソファーに座り直すクラリス。
無造作にテーブルに置かれた手紙。
クラリスがここまで握りしめて持ってきたのだろう。だいぶくちゃくちゃになっている。
「その紅茶、美味しいでしょ」
「ええ……」
竜胆色の瞳が不安に揺れている。
ジナはバレないように心の中で静かなため息をついた。
「最初に言っておくけど、向こうの大学に籍を移す気はないよ」
「本当に……?いや、でも……」
一瞬身を乗り出したが、またすぐに表情を暗くしてクラリスはソファーに座り直した。
クラリスはどうしてもジナの言葉を簡単に信じることができないでいた。
(私、捨てられてしまうのかしら……)
胸に毒のように広がる恐怖。
大切な恋人が去っていくかもしれない焦り。
心に茨が巻きついていく。
視界がどんどん暗くなっていく。
(あぁ、行かないで……)
遠ざかっていくジナの背中を幻視し、たまらずぎゅっと目を閉じる。
「クラリス、クラリス───」
自分の名を呼ぶ温かく、優しい声。
「ジナ」
「恋人である君に何の相談もなしにこんな話、進めたりしない。もっとちゃんと話すべきだったわ。心配させてごめんなさい」
ジナは恋人の手を取り、そっと包み込んだ。
「私、あなたに置いてかれる、そしたら捨てられちゃうって思って……」
「そんなこと絶対にしない。大丈夫だから」
涙ぐむクラリスを自分の元へと引き寄せる。
「ジナぁぁ……」
胸に顔を埋めたクラリスは、ジナだけに聞こえる嗚咽を洩らしていた。
こんな儚げで汐らしい姿を見てしまったら可愛くて、つい何でも赦したくなってしまう。
だけど、クラリスの持っていた書状の出処については確認しなければならない。
抱き締めていると、クラリスがそっと顔を上げた。
少し腫れた瞼。涙を拭うと、クラリスはごめんなさい、と小さく呟いた。
「落ち着いた?」
「うん……」
今度は自分の横にクラリスを座らせ、紅茶を注ぎ直す。
「で、この手紙はどうしたの?お父さん?お母さん?」
「……」
「黙ってちゃ、わからないよ?」
「怒ってる?」
「大丈夫だから」
「……お母様」
それを聞いてジナは深々とため息をついた。
しゅんとして、小さくなっているクラリス・ヴァンシュタインとは学生時代からの付き合いだ。正確には、群星連邦の連邦学術アカデミー時代から。
彼女の母は連邦議会議長で、国のトップ。
父は国内最大の商会の会頭で、連邦経済界のトップ。
そんなふたりは娘であるクラリスにとことん甘い。
「それで議長、エリザベートさんはなんでこんなことを?」
「それは───」
昨夜、ヴァンシュタイン家屋敷にて。
「お母様、何かしら?こんな遅くに」
「ごめんなさい。あなたの顔が見たくなったの。最近、忙しくて中々会えなかったから」
だからって、こんな夜にとクラリスは微笑んだ。
「私もお母様に会えて嬉しいけれど」
「あぁ、私の可愛い天使クラリス」
そう言って、エリザベート・ヴァンシュタインは娘を猫可愛がりし、抱き締めた。クラリスも少し控えめに抱き締め返す。
「そうだ、あなた。恋人とは上手くいってるの?」
「順調よ。急にどうしたの?」
「そう……」
顎に手を当てて黙りこくる母の姿に、クラリスは固唾を呑んで、次の反応を待った。
エリザベートは悩んだ末に、執務机の引き出しから一枚の紙を取り出し、クラリスに見せた。
「これは?」
「いいから、読んでみなさい」
「『ジナ・クシャトーリ氏に是非、我がセレストリア共和国大学で教鞭を取って頂きたい。』って、何これ!?こんなの聞いてない!!」
青ざめ、金切り声を上げるクラリス。
かわいそうにと嘆くエリザベート。
ショックでどうしたらいいかわからなくなり、クラリスは母に縋りついた。
「お母様ぁ……ジナが、ジナがいなくなっちゃう……」
「よしよし、私の可愛いクラリスを泣かすなんて。ジナちゃんも悪い子よね。すぐに連邦裁判にかけて、処刑しましょう」
「いやぁ、やめてぇえ!!」とまた、クラリスの耳をつんざくような叫び声が響く。
母の権力なら、簡単にできてしまう。
恐怖のあまり、クラリスは、よろよろとへたり込んでしまった。
「───それで、朝一でジナに会いにきたの」
クラリスが血相を変えて、ここまでやって来た理由に納得がいった。
「それで、ジナが、国を捨てるって……。だからすぐにやることやって、逃げられないようにしてきなさいって……」
「なっ!?もうや……って、そうじゃない!」
娘に何を吹き込んでいるのやら。ジナの開いた口が塞がらない。
「はぁ……やっぱり少し連邦を離れたほうがいいのかもね。身の危険を感じてきた。あの人なら軍の情報部を使った監視くらい平気でやりそうだわ」
「お母様でも流石にそれは」
「本当にそう言い切れる?元情報部のクラリス・ヴァンシュタイン大尉殿?」
「うッ……」とクラリスは、言葉に詰まった。
これは本当にだめかもしれないとジナは思い切って、予てからの計画を打ち明けることにした。
「クラリス、少し旅に出よう。ネビュラ帝国にでも行って、帝都観光でもしてこよう。そうしよう」
「本気?」
「スキルを使って変身すれば、多分バレないよ。もしバレても、議長の耳に入る頃には国外さ」と軽い感じで、ジナは魔力を込めた。
すると背中まであった美しいプラチナブルーの髪は、みるみる肩口までの黒に近い濃紺に。
アイスブルーの瞳は魔力で灰銀色へと変わっていく。
「それならジナだってすぐにはわからないかも。性別は変えなくていいの?」
「女の子の私は嫌い?」と少し揶揄うと、クラリスは顔を覆って、頬を染めながら「好き」と呟いた。
◇◇◇
「じゃーん!!」
ジナが満面の笑みで嬉しそうに、披露してくれたのは大型魔導バイクだった。
「すごい!これ、どうしたのッ!?」
魔導バイクに目を輝かせるクラリス。
この驚く顔が見たくてジナは、このバイクを手に入れたのだ。
連邦が誇る魔導バイクの最新モデル『スレイプニル』。
ボディにはミスリル合金製のレッドフレームを採用。
耐久性はもちろん、アブソーバーとしても非常に優秀で、どんな悪路も走破するタフさと乗り心地を兼ね備える。
動力は魔石と大気中の魔力のハイブリッド。
燃料の心配がなく、環境に左右されず走り続ける魔導工学の作り出した、まさに優駿。
「この子で、クラリスを乗せて走るのが夢だったの」とジナは、バイクシートに頬擦りしていた。
「これで帝国に行くのね」
「まずは国境沿いのメローペを目指そう」
ジナがアクセルを回し、バイクのエンジンを吹かすとブォンブォンとパワフルな音が響く。
スレイプニルも広い大地を駆け回るのを待ちわびているかのようだった。
空っぽになったジナ・クリシュ・クシャトーリの研究室のデスクの上に残された休暇届。
こうして、旅は始まる───。
読んでくれてありがとう
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