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五十六話 黒いヤツが追って来た

 あれから幾日が過ぎた。


 パタパタと城なしの喧嘩は決着がつき、パタパタ像が転げ落ちる音は止んだ。もちろん、パタパタ経由で城なしに見えない鎖を伸ばしてもらい空を飛ぶこともできる様になった。


 一時は空を飛ぶことを諦めかけていたけれど、見えない鎖は今となっては城なしとの絆かな。


 なんて思ったりもする。


 この見えない鎖、結構便利だし。


「んっ……。そりゃっ!」


「おおっ、また釣れたのか。これはスズキかな?」


「いや、サバなのじゃ。主さまは色々知り得ておるのに魚の見分けは不得意じゃのう」


 俺たちはその見えない鎖を最大限利用して、新たな食材の確保に努めている。


 海水を汲むことも出来るので塩にも困らない。まあ相変わらず俺は海水に漬かっているのだが。


 もっとも、俺もいつまでも釣り餌に甘んじてなどいない。壺を型抜きの要領で魔法を連写して巨大な釣り針を作った。


 それを見た城なしが、石で釣り針を作り、その釣り針は縄で俺の足にぶら下がっている。


 そう、俺は浮きになったのだ。


 まあそれはそれとして、このダイナミックな釣りには致命的な欠点がある。


 それは。


 あっ、いかん考えたら……。


 グギュルルル。


「し、シノ。城なしに戻ろう。急きょ、お花を摘みたくなった!」


「そろそろ昼に差し掛かるしよい頃合いなのじゃ。しかし、そうするとまた、主さまはご乱心召されるのかのう?」


「あれはもう、忘れてくれって……」


 わざわざ、痛い思いと怖い思いをしてまで城なしに覚えてもらった帰還の合図は必要無くなった。


 その訳は。


『あー。もしもし? パタパタ聞こえるか? トイレに行きたいから引き揚げてくれって、城なしに伝えてくれないか?』


『うん。分かった! 任せて!』


 強く頭のなかで想ったことが、パタパタに伝わるようになったからだ。俺が何をしたいのか良くわからんからと城なしがこんな事を出来るようにしてくれた。


『うっ、いかん。かなりヤバイ。間に合わないかも』


『えっ!?』


 ただし、伝わらんでも良いことが主に伝わる。


 仕組みは糸電話みたいなもんらしい。鎖で繋がった者同士で通信が可能だ。でも、鎖に触れられないので制御とかは無理。


 これに俺は『鎖通信』と名付けた。


「む。主さま。あれはなんじゃろうか」


「ん? どれどれ……」


 俺がひとり、己との戦いに身を投じている最中も城なしは鎖を巻き上げ、今はすでに雲の上だ。


 そこで、シノが何かを見つけたらしく、そちらを確認するよう促してくる。


 シノの指し示す遥かむこう。


 そこには黒い点があった。


 鳥? いや、この高さまで飛んでくる鳥なんぞおらんだろう。酸欠で墜落すると思う。だとすれば、ツバーシャみたいなお客さんかな?


「この距離じゃ何だか分からないけど、用心した方が良さそうだ。こんな海のど真ん中を飛んでいるなんてただ者じゃあない」


「なら、戻ってからも注意深く観察してみるかのう」


「そうしてくれると助かるよ」


 ツバーシャに同族がここを襲撃する予定なんかが入っていたりするのか聞いてみるかな。


 グギュルルル。


 うっ、まずはすべきことを迅速に成さねば。


 俺は城なしに戻ると急いでお花畑へと向かった。



 ゆっくりとお花を摘み。そして、その帰り道。


「あ。ツバサ。トイレ間に合った?」


「えっ、お前、それ聞いちゃうの? 間に合って無かったらとても気まずいだろう」


「ご、ごめん。間に合わなかったんだね……」


 ほーら言わんこっちゃない気まずくなったぁ。


「って、間に合ったからね! そんな大それた事態に陥ってないから」


「でも……」


「いや万が一そんな事になったら鎖通信で俺の悲痛な叫びが届くだろうよ」


 俺のプライバシーとは一体どこに飛んでいったのだろうか。


「あっ、そろそろ時間だから壺を引き揚げなきゃ」


「氷か。あれからどうだ? 上手く作れる様になったか?」


「うん! 日時計って便利だね。これがあるから凄く楽になったよ」


 わざわざ、細工を加えた日時計を喜ばれると少し後ろめたい。


 そんな俺の気持ちはさておき、パタパタが壺を引き揚げ始めた。


 二本足で立ち、前足で網を手繰り寄せる姿はまるで熊だ。よもや、狼としての自覚など微塵も感じられない。


 そんなパタパタの姿を眺めていると、俺を見つけたラビがこちらに向かってとてとてと掛けてきた。


「ご主人さまおかえりなさいなのです!」


「ああ。ただいま。おっと髪の毛がボサボサならだぞ?」


「えっ? ひやぁぁ」


 すでにボサボサならとわしわしと撫でてやる。


 大方昼寝でもしていたんだろうな。目もしぱしぱしている。


「よいっしょー」


 パタパタが勢い良く壺を引き揚げた。

 空の上の極寒で冷やされたそれらの表面には霜が張り付いている。


 素手で触れたら火傷しそうだ。


 なんて考えていたら、折り畳んだ布を何処からともなく取り出して壺にあてがい、冷蔵庫へと移していく。


「もはや、お前にオオカミ成分は残っていないな」


「えっ? 突然何のはなし?」


「いや、何でもないよ」


 パタパタに呆れつつも、ラビと一緒にウエストポーチからトマトを取り出して冷蔵庫に移していく。


「ご主人さま。冷蔵庫を増やしてもトマトが無くならないのです」


「次から次へと毎日収穫しているからな。やっぱり一辺に大量に消費しないとダメだ」


「どうするのです?」


 うーん。そうだな。ジュースにでもしてみるか。


 トマトを一抱えほど残して他は全て冷蔵庫に移すと俺はかまどに向かった。


「ラビ。トマトジュースを作るから手伝っておくれ」


「トマトを握りつぶすのです?」


「うん。でも、少し丁寧にやろう。俺は道具を用意するから、ラビはトマトのヘタを取って水で洗ってきておくれ」


 真っ赤なトマト。でも、亀裂が入って見た目は美しくない。どうしても木になったまま完熟させるとこうやって割れてしまうのだ。


 こうならないように農家では真っ赤になる前に収穫するのだが俺はやらない。


 完熟してから収穫した方が青臭さが消えるからだ。


 トマトに十字の切れ目を入れ、綺麗な布に包んで絞る。


 最後に少し塩を振って完成だが、少しカッコ着けようと思う。トマトを注いだ壺の口の所に、塩を薄く塗るのだ。


 飲みながら塩分調整も出来て良い。


「ラビ、これで完成だよ。飲んでごらん」


「んー……。とっても濃くて美味しいのです!」


「そうかそうか」


 ラビの絶賛を得られたので、トマトジュースを他の皆にも持っていこう。


 おっといかん。ツバーシャには聞きたいことがあったんだ。


「俺はツバーシャとシノにトマトジュースを持っていくから、ラビはパタパタに持っていってあげておくれ」


「分かったのです!」


「こぼさないように気を付けてね」


 そこで、ラビと別れ、ツバーシャの引きこもる穴へ向かう。



 ツバーシャにトマトジュースの入った壺を渡すと興味深そうに中身を見詰めた。


「血? ツバサの血かしら……?」


「ち、ちがうぞ。トマトを潰してジュースにしたものだ」


「そう……」


 いや、なんでそんなに残念そうなんだよ。


「ツバーシャは俺の血が飲みたいのか?」


「飲んだら強くなれるかも知れないわ……」


「そんな訳があるか。それにそれ以上強くなって何をするんだ? 俺との再戦を望んでいるのか?」


「残念ね。人間たちはこぞって龍の血を求めて来るものだからてっきり自分より強い者の血を飲むと強くなれるものだと思っていたわ……」


 ちびりとトマトジュースを口にして、ふっとため息を吐く。


「それとツバサとの再戦は無理だわ……」


「ツバーシャが望むなら受けて立つぞ?」


「そうじゃないのよ。私も何度か挑もうと考えたのだけど、その度に地面に突き刺さってみっともない姿を晒す光景が浮かんで震えて来るの……」


「そ、そうか……」


 トラウマって奴だな。


 何で強くなりたいのかって問の答えは返って来なかったけれど、ちょっとこれ以上は聞けないな。


「それより、話ってなんなのかしら……?」


「ん、城なしの後をつけて飛んでくるやつがいるんだがツバーシャのお仲間かと思ってさ。一応ツバーシャにも見てもらおうと思ったんだ」


「そう。そうなの……」


 ツバーシャは、何やら歯切れが悪くうつむいてしまう。


 なんだ? なんで沈んだんだ? ただちょっとツバーシャの同類か確かめるために確認してもらえれば良かったんだが。


 と、そこまで考えてふと思い当たる。


 そうか。仲間になんて会いたくないよな。なんたってツバーシャは引きこもり飛龍ワイバーンだ。


「すまん。考えが足りなかった」


「いいえ、見てみるわ。どうせ近付くまで私には気が付かないだろうし……」


「ツバーシャ……」


「同類なら、近付くまえに撃ち落としてしまうのも悪くない……」


「ツ、ツバーシャ!?」


 何てことを言うんだ。いや、もしかしたら、強がりを言っているだけかもしれない。きっと勇気を振り絞ったんだ。


 ツバーシャの言うとおり、まだ距離があるしな。


 そう言う事にしておこう。


 取りあえず、確認だけしてもらおうと、シノのところへ。


「シノ。何か変化はあったか?」


「特に無いのう。あまり速くは飛べぬようなのじゃ」


「そうか」


 急に襲撃されるのも嫌だが、付かず離れず追いかけられるのも嫌なもんだ。


 シノにトマトジュースの入った壺を渡すと、ツバーシャに声を掛ける。


「ほら、ツバーシャ。あの黒い点だ」


「小さすぎてわからないわ。ハエとかその辺りじゃないかしら……」


「いやいや、距離離れてるから小さく見えるだけだからね!?」


 どんだけデカいハエだって話だ。


「そうね。燃やして来るわ……」


「まっ、まて、平和にいこう」


「燃やしてしまえば平和になるわ……」


 そんな物騒な平和があってたまるか。


 何とか、ツバーシャを説得し、その場は何とか収まった。




 ただ、少しあとに。


「ツバサー! トマトジュース美味しかったよ!」


「うわっ。パタパタなんで血塗れなんだ!?」


「ラビが転んでトマトジュースをぶちまけてしまったのです……」


 真っ赤に染まったパタパタが駆けてきたりもした。

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