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第十話 俺とお前の仲なら

田中仁志

温泉旅行から三日。

現実に戻った。

月末。

会計部は地獄だ。

朝から資料。

電話。

修正。

確認。

また資料。

ようやく一息つけたのは午前十時過ぎだった。

コーヒーを淹れるため休憩室へ向かう。

扉を開けた瞬間。

嫌な予感がした。

会計部の連中が何か盛り上がっている。

そして。

俺が入った途端に静かになった。

最悪だ。

絶対俺の話だ。

「なぁ」

佐々木が言う。

「最近思うんだけどさ」

「何がですか」

「田中と黒崎部長って最近仲めっちゃ良いじゃん?」

吹きそうになった。

コーヒーが気管に入りそうになる。

「昼飯一緒」

「帰りも一緒」

「この前なんかエレベーター前で待ってたぞ」

「迎えに来てるらしいし」

やめて欲しい。

本当にやめて欲しい。

「別に普通ですよ」

「そうかもな?」

(ニヤニヤしてる)

「田中って元々そんなタイプじゃないじゃん」

「確かに」

「昭以外とはあんまりつるまないしな」

昭。

その名前が出た瞬間。

嫌な予感が強くなった。

「そういえば」

誰かが言う。

「昭先輩ってゲイなんだよな、彼氏の話とか女子とよくしてるし」

空気が変わる。

嫌、俺の吸っている空気だけが悪化する。

「・・・」

「・・・」

やめろ。

その先は言うな。

「田中もだったりして」

言った。

言いやがった。

こいつにはなんも関係のないことを。

そしてまるで俺が空気になったかのようにこいつらは話を続ける。

「いやでも」モブ1だ

「昭先輩とずっと仲良いし、田中は入社してからずっと独身だし」モブ2

「黒崎部長も独身だし」またモブ1

女は噂をするのが好きだと言った奴は、多分男同士の話を聞いたことがない。

「最近急に仲良くなったし」モブ3まで入場 

「・・・」俺は何も言わない

「付き合ってたりして」佐々木だ、リーダーの

俺の頭は真っ白になる。

高校時代の事が浮かび始める。

何も言えない。

言いたくない。

俺はゲイじゃないと嘘をつけば話は多分ここで終わる。

人事に知らせれば二度とこの話は俺のいる所では起きない。

でも。

自分を否定するような嘘はつきたくない。

そしてこいつらの日替わり噂話のネタにもなりたくない。

その瞬間。

後ろから声がした。

「付き合ってねぇよ」

全員振り向く。

昭だった。

「アキ先輩」

昭はコーヒーを取りながら続ける。

「俺が保証する」

「え?」

「仁志とは高校からの付き合いだ」

「十年以上だぞ」

「もしあいつが男好きだったら俺が真っ先に知ってる」

(嘘ではない。俺と黒崎さんは現実的に付き合ってないし、俺が男好きって最初に知ったのは昭だ。でもその理論大丈夫か?)

昭は気にしない。

「黒崎の事は知らねぇけどな」

「なんか空気悪くなってきたなここ。俺らはただ黒崎部長がゲイバーから出てくる所目撃したって話してただけだろ?」

自分たちが始めた話なのに勝手に昭のせいにし始める。

「ゲイバーなんて今どき珍しくもねぇだろ」

「いやでも」

「俺だって行くし」

「そりゃそうでしょう昭先輩はノーカウント」

「だったら俺の彼氏も行く」

「話にならねぇ」

昭はため息をつく。

「じゃ、そんなに気になるなら本人に聞けばいいじゃん」

「・・・」

「聞きづらいなら俺が聞いてやってもいいけど?」

嫌な予感しかしない。

「『黒崎部長、うちの部員たちが部長がウケかタチか気になって気になってもう俺の仁志を気まずくさせて働けないんですけどぉ~、彼らにはどう報告すればいいんですか?』って」

「・・・」

流石に言い過ぎだろう昭。

でも。

嬉しい。

今こいつがいて本当に良かったと思う。

「最近仲良いのは知ってるけど」

昭は最後に言った。

「ただの友達だよ」

全員が微妙な顔をする。

納得したような。

してないような。

「ほら仕事戻れ」

昭が追い払う。

会話は終わった。

・・・終わったはずだった。

「仁志」

「・・・ありがとう」

「貸し一つな」

面倒臭い男だ。

     ◇

昼休み。

いつもの公園。

いつもの弁当。

ただ。

今日は少し違った。

俺が公園に行くと。

黒崎さんは既に待っていた。

そして。

開口一番だった。

「今朝の話聞いた」

やっぱり。

昭が言ったな。

「別に大丈夫です」

弁当を開きながら言う。

本音じゃない。

でも。

大事にもしたくない。

すると黒崎さんは少し眉をひそめた。

「大丈夫そうには見えないけど」

「大丈夫です」

「そうか?」

「はい」

嘘だった。

でも。

これ以上誰かに気を遣わせたくない。

すると黒崎さんは小さくため息をついた。

「謝られただろ?」

そこで気付く。

「あれ黒崎さんだったんですか」

午前中。

佐々木たちは全員俺に謝ってきた。

不自然なくらい真面目に。

「そりゃそうだろ」

当たり前みたいに言う。

「何で何も言わなかった」

「めんどくさかったからです。黒崎さんと俺の仲が良いって思ったからああなったんだと思います」

「でも仲いいじゃん。え?思ってるの俺だけ?寂しいなぁ~」

「そういう話じゃなくて」

「嫌な思いさせられたんだから“めんどくさい”で済ますな」

黒崎さんの声が少し低くなる。

「お前にアイツらの相手をするのが面倒なら俺に頼れ。何とかする」

一瞬。

言葉が出なかった。

「・・・別にそこまでしなくても」

「する」

即答だった。

「会社でそういうのは駄目だ」

いつもの軽い口調じゃない。

部長の顔だった。

「俺がどう思われるかは別にどうでもいい」

「・・・」

「でもお前が迷惑するのは違うだろ」

少しだけ。

胸が軽くなった。

昭も。

黒崎さんも。

俺を守ってくれた。

それが分かるから。

「ありがとうございます」

そう言うと。

黒崎さんはようやく笑った。

「で?」

「何ですか」

「昭がどんな火消しした?」

思わず吹き出す。

「聞きます?」

「聞く」

「絶対後悔しますよ」

そして。

昭の“ウケかタチか”発言を話した瞬間。

黒崎さんが盛大に吹き出した。

「アイツ本当に最低だな!」

「ですよね」

「ってかあの状況での“俺の仁志”って何だよ」

「知りませんよ」

二人して笑う。

ようやく。

朝から張っていた緊張が少しだけ抜けた。

笑いが落ち着いた頃。

何気なく聞いた。

「何で黒崎さんには別にどうでもいいんですか?黒崎さんだって俺と同じで会社員には何も言ってないじゃないですか?」

「俺は本当に隠してないからなぁ。前にも言ったろ?」

「・・・」

「でも強いて言うなら」

「?」

「噂が俺とお前の仲の事だから」

あまりにも自然だった。

まるで当たり前みたいに。

だから。

少しだけ安心してしまった。

     ◇

その日の夜。

残業が長引いた。

時計を見る。

二十一時。

(待たせたな)

スマホを見る。

『先に帰っててもいいですよ』

送ろうとしてやめた。

どうせ待っている。

黒崎さんはそういう人だ。

コンサル部へ向かう。

部長室。

ガラス越しに見える黒崎さん。

だが。

何かがおかしかった。

ノックする。

返事がない。

もう一度。

返事がない。

仕方なく入る。

目の前まで来て。

ようやく黒崎さんが気付いた。

「うわっ!」

本気で驚いている。

「大丈夫ですか」

「お前いつ入ってきた!?」

「二回ノックしました」

「・・・悪い」

声が重い。

「帰りますか」

「・・・ああ」

それ以上何も聞かなかった。

     ◇

帰宅後。

夕飯はコンビニ食だった。

黒崎さんはほとんど喋らない。

携帯ばかり見ている。

何かあった。

それだけは分かった。

その後。

黒崎さんはソファに座ったままだった。

ネクタイも外していない。

ただ前を見ている。

俺は近付いた。

そして。

彼の前にしゃがんだ。

目線を合わせるために。

「黒崎さん」

「・・・ん?」

「何かあったんですか」

長い沈黙。

そして。

「母さん」

その一言で分かった。

「病状が悪化したらしい」

静かな声だった。

「来週来る予定だったんだけどな」

「・・・」

「楽しみにしてたんだよ」

沈黙。

そして。

「まぁ大丈夫だろ」

大丈夫じゃない。

数時間前まで仕事も手につかなかった。

その顔を俺は見ている。

だから。

俺は彼の膝に手を置いた。

彰吾さんが少し驚く。

「黒崎さん」

「ん?」

「大丈夫そうには見えませんよ」

沈黙。

「いや、大丈夫だって」

彼はそういう人だ。

「無理に大丈夫って言わなくても」

「・・・」

「心配なら心配してください」

長い沈黙。

やがて。

「参ったな」

小さく笑った。

「そう言われるとお前に負担かけることになる」

そこで俺は少し首を傾げた。

「別にいいじゃないですか」

彰吾さんが顔を上げる。

昼と同じ言葉。

「良くねぇよ」

「俺たち仲いいんですから」

「・・・」

「思ってるの俺だけでしたか?」

「・・・」

「俺の事頼りにしてもいいですよ」

「・・・」

「黒崎さんなら面倒じゃないので」

「…」

「俺と黒崎さんの仲なので」

言った瞬間。

彰吾さんが固まった。

昼。

自分が言った言葉だからだ。

その時。

電話が鳴った。

社長からだった。

「掃除と片付けはやっておきます」

「仁志」

「今日は休んでください」

立ち上がる。

「明日のお弁当作れなくなりますよ」

「お前は鬼か」

少しだけ。

彰吾さんが笑った。

その笑顔を見て。

俺も少し安心した。

キッチンで洗い物を始める。

電話をする彰吾さん。

その間。

何度も視線を感じた。

振り返らない。

でも分かる。

見ているのだ。

俺のことを。

そして彰吾は思う。

(俺とお前なら)

数時間前。

自分が言った言葉。

それを。

今度は仁志が返してくれた。

嘘から始まった関係なのに。

気付けば。

こんなにも支えられていた。

そんなことを思いながら。

彰吾は静かに電話を続けた。

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