残恋
演奏会が始まる3日ほど前のことだった。私……ジルはお父さんと南部や戦争について人通りの少ないバーで話し込んでいた。
ついワインを飲み過ぎて少し夜風に当たりたくなった私は、少しだけ外に出ることにした。
バーから外に出た途端エリックの後ろ姿を見た。他の人ならわからなかったかもしれないけれど、私にはわかる。エリックの後ろ姿をいつも見ていたから。
彼は顔が半分以上もおおわれるようなフードを被っていた。
普段なら話しかける勇気なんてないかもしれないけれど、驚きのあまり思わず彼の名前を読んでしまっていた。
「え、エリック……」
コミュ障である私は声が裏返ってしまった。
しまった。呼び捨てにしてしまった。
彼が振り返った。
背筋が凍りつくような冷たい目をしていた。
こんなエリックは知らない。
こんな目を向けられたことはない。
初めて彼の群青色の瞳を恐ろしいと思った。
彼は私を切り捨てるような目をして私を見つめている。
沈黙が辺りを支配する。
「あ、こ、こ、今夜は星が綺麗ね」
エリックは私を観察するようにチラリと見た後、何も言わずに風のように去って行った。
あ、私……無視された。
………。
……。
辺りでほんのりと血の匂いがした。それは一瞬ですぐに匂いは風と共に消えてしまった。
ゾクリ。嫌な予感がした。
次の日、マドレーヌさんが殺されたという噂を聞いた。
銃で撃たれて殺害されたらしい。
弁護士であるマドレーヌ・カルボンさんは、傲慢なところはあったが友人も何人か彼の死は多くの人に悲しまれた。
私は彼のことが嫌いだった。なぜならマドレーヌさんは、何人もの黒人奴隷に大してひどい扱いをさせたからだ。言うことを聞かない奴隷には平気で暴力を振るう男だった。女性奴隷のミーナは彼の欲望処理の道具とさせられた。チフスにかかった奴隷に自殺を命じて殺したことさえある。
誰がマドレーヌさんを殺したか警察は必死に捜索したが、手がかりはつかめなかったらしい。彼の手帳に示されていたN計画というものも不明らしい。
ふと私は昨夜のエリックを思い出した。
もしかしたら……いや、証拠もないのに人を疑うことはやめよう。
何も見なかった。何も知らなかった。
そういうことにしておこう。
いよいよ演奏会の日がやってきた。
そしてエリックや他の男の子達との別れの時期が近い。
発表の時間になると手が震えて嫌な汗をかいていた。
「曲名は『残恋』です。お聞きください」
周りには大勢の人がいた。
だけど不思議なことに私にはエリックしか見えていなかった。
弾きなれた曲をリュートで奏で始めた。
「人は幸せになれないようにできていて
後悔の海で溺れて助けを求めても
誰も過去に拾い上げてくれない
失ったものや落としたものを
必死に取り戻そうとしても
その想いは報われることはなく
傷は癒されることはない
どうしたらいいのかわからなかった
そんな思いが胸をしめつけ
その目が脳裏に焼き付いている
失敗の連続
それを肯定できるほど
まだ大人に離れない
優しい嘘の裏側には
どんな言葉が潜んでいたの
思いは報われることなく
やり直すことはもうできない
それでも消えない
夢のような光景と自分だけの気持ち」
エリックはどこか飢えたような瞳でノエルを見つめていた。
もうそろそろ報われないこの恋から自分を解放させてあげたくなった。
独りよがりの恋。独りよがりの失恋。
そんな運命が一人で生きてきた私にはぴったりじゃないか。
傷つくことが怖くて踏み出せず、打ち明けられず、
最初から無理だと諦めていた恋。
報われず、叶わない恋だったけれど、もうこんな恋は二度とできないだろうと思うと不思議と温かい気持ちになった。
歌い終わった途端脳裏で様々なエピソードが駆け巡る。
「男にとってかわいいってことは正義だ」
「好きな人なんていないよ」
「すごくかわいかった」
あの子に向けられる最高の笑顔。
無視された言葉。
何度も何度も頬からつたう涙。
女の子に囲まれて楽しそうなあなた。
私は苦しくって痛くって歪んでいて
全然かわいくなくって
それでも本当はずっとあなたの隣であなたの音楽をきいていたかったんだ
素直になれたことなんてあの時から一度もないけれど
17歳。
私は失恋をした。




