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コアワルツ・リィンカーネーション  作者: 彷徨南無
幽玄、或いは無限

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12/12

Be the one ④

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 私の身体は私のものではなかった。私のなかにはみんながいる。常に観察されて、管理されてきた。


 奇妙なことだけと、規定されたステップを組み合わせて踊るコンペティション・ダンスをしている時だけ、私は自らの身体性を取り戻していた。ダンスフロアで私は器である必要が無かった。皆が器ではない私を見て喜んでくれた。


 アリカ姐とダンスを踊れること。これは本物の神様がくれた猶予なのだろう。みんなのために私を棄てなければならない私が、私でいられる少しの時間。私に巻き込まれるアリカ姐はたまったものじゃないけど、彼女だけは私が私だった時間を覚えていてくれるだろうか。


 エレナは壊れた。カムリも―――今しがた、私の一部になった。






 私は愛しい人の亡骸に手を伸ばした。確かに伸ばした。


 私の触手が私の手より早く彼に触れた。私は確かに触れた。それも私の一部には違いなかったから。

 潰すようにのしかかった触手に亡骸が飲み込まれ、溶けていく。すぐには分からなかったが、理解に長い時間はかからなかった。彼もコアを失っていたのだ。


 心臓が脈動し太い触手が急激に膨張することで、彼の生命の残滓と、先の儀式で飲み込んだ大量の生命が喚き出す。何かがこみあげてきて、私はまた吐いた。硬い床に、何の固形物も残っていない吐瀉物が広がっている。そうか。私、何にも食べてない。


 ふと腹部に意識が向く。私は飢えている。いつから食べていないのだろう。締め付けるような空腹感はいつになれば満たされるのだろう。


 最も愛しい人のうちの一人を飲み込んでしまったのに。たくさんの人を喫したのに。


 早く終わりにしたい。世界を取り巻く全てが緩慢だ。早く、早く速くはやく早くはやく早くはやく速くはやくはやく早


「早く死んでおけば良かった?」


 エリィは自分の声を聞いて、胡乱な眼差しを向けた。そこには自分が立っている。エリィは擦れた喉で小さく声を出した。


「私が選んだんだよ……」


「また、悲しいフリ。ポーズをとるのはやめてよ」


 自らの姿をした幻影はにこやかに言った。その言葉によってようやくエリィは自分の頬に涙が伝っていることに気づく。幻影に触手は無く人間の脚だけが生えていて、その裸足の脚でこちらに歩いてきた。跪いて、へたり込んでいるエリィを抱きしめる。


「私達はあなたの味方だよ」


「やめて……」


 全身の血液が逆流するように迸る不快感を、かつての誰かのような温もりで幻影が覆い隠す。これ以上自分に都合の良いことを言って欲しくは無い。本当に自分が正しいように思いこみたくなる。


 罰してほしかった。自分が飲み込んだ人間達から。罵られて、痛めつけられて、それを甘んじて受け入れたかった。


 それでもエリィに飲み込まれた魂は自らの色を失い、忘れ、路傍の礫に成り果てていた。だから彼女のためにどんな言葉も平気で吐いた。


「大丈夫。だって、私達、おいしかったんでしょう」


 最低なことに幻影は今まで出会った誰よりエリィを温めていた。胃の辺りが捻られるように痛む。


 胃、か。私にはまだ残っているんだろうか。空鯨、蛸、磯巾着、電気鰻、提燈鮟鱇、そして多種多様な有脳体が混ざって、まだ人間の皮を被っていることが奇跡だろう。


 エリィは垂らしていた腕を持ち上げ、幻影の背中に回す。


「……うん。おいしかったよ。ちゃんと、連れて行くね」


 幻影を騙すためにできるだけ莞爾として笑ったつもりだが、本当にそう出来たかは分からない。分からないが、幻影は安心した様で、そのままエリィの中に入り込んで溶けた。


 もう少し。あと少しで全て終わる。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 黒い翼を丸め防御態勢に入ったハリア達を強い衝撃が襲う。羽が突き刺さるのを物ともせずに白く太い触手がしなった。


「あれだけ削ったのに―――いや、削ったせいか一本あたりの鋭さが増してますよ!一旦撤退するべきです」


 イエローがそう喚起する間にも攻撃は止まない。ハリアの腕の中にはアリカがいる。アリカとエリィがその精神を亜空間に飛ばしていた短い時間で、ハリア達連合軍は聖遣の触手の大半を赤外線銃で撃ち抜いていた。万軍内部の人間が操る有脳体達によってその上半身は守られていたが。


 銀色の巨大な腕がハリア達に伸びる触手を掴んだ。聖遣は舌打ちする。今の彼女には強い攻撃を加えることができない。


「私が殿をやる!」


 ナターシャが叫んで赤外線銃を撃つ。断裂した触手が離れ有脳体が襲いに来た。


「アリカは動けねえぞ」


 ハリアが忠告しつつ翼を広げ聖遣から離れるように羽ばたく。ナターシャはアリカと接続している限りある程度自律的に動くことが出来るが、彼女に導かれている時よりはその精度は落ちる。


「大丈夫……私への攻撃はあまり強くない」


 ハリア達を庇う迫撃機巧は低い声で言う。差し向けられる有脳体の追撃は先ほどアリカに向けられたそれと比較すれば緩慢とすら言えるほど差があった。



 聖遣への攻撃をファーストアース軍の戦闘機とコアギア使い達にバトンタッチし、ハリア、イエロー、アリカは周囲を確認しながら発電所の影に着地する。遠くに万軍と爆撃の応酬が見えた。


「で、どうだったんだ?もう説得不可能か?」


 一息ついたハリアが彼女にそう聞くが、彼女を地面に降ろすとそのままへたり込んでしまった。


「わり……ちょっと、待……」


 全身に汗をかき地面に手をついて項垂れたアリカは抑えきれずに嘔吐した。黙って彼女を待つハリアだったがイエローに促され、跪いてその背中をさする。



 胃の中のものを吐き切って、青ざめた顔でアリカは微笑んで見せる。


「ありがとう、ハリア」


「吐ききったか?」


 極地の風がアリカの熱を攫う。肩で息をする彼女はハリアに向き直った。


「あぁ。それで、さっきの事なんだけど……エリィは、好きなものに暴力を振るうように脳を改造された、らしい。嫌いな物には弱くなる、って……」


 想定していたよりずっと非人道的な真実と、それを知り語ったアリカの顔にハリアは暗澹とした気分になる。


「えげつねえな」


 イエローも打ちのめされたように沈黙したのち、気づく。


「では、迫撃機巧に対して攻撃が緩むのは……」


 彼等と少し逸れた方向に逃げ、有脳体の攻撃を捌き続けるナターシャが哀しく静かに答える。


「嫌われちゃったみたいね」


 アリカは落ち着くために汗と涙で濡れた顔を拭う。そして彼女達のことを想起した。


「……フサマキ達は」


「衛生兵に引き渡した。もう治療を受けてるはずだ」


「そう、か……」


 せめてもの安堵にアリカは息を吐く。


 ハリアもしばしの休息に息を吐き、ヘルメット越しに空を仰ぐ。戦艦と有脳体と爆弾による光が星のそれを凌駕していた。ナターシャと接続を続け憔悴しているアリカに対して、静かに声をかける。


「どうすんだ、大将。もうあんたの役割は十分に果たされたぜ。殺すしかねえなら、俺達が何とかする。アリカが戦うことはねえんだ」


 その言葉に少し驚いて、その後アリカは微笑む。


「ハリア、水、少しもらってもいいか」


 イエローが背嚢の一部を開けて、水筒を取り出す。ハリアがそれを手渡した。


「おらよ」


 アリカは両手に受け取って、一気に水を口に含む。しかし胃がそれを拒絶し、咳き込むようにそれを吐き出してしまった。


「おい、まだ吐き気残ってんじゃねえか」


 責めるのではなく呆れるように言ったハリアに、口端を拭ったアリカは水筒を返す。


「いや……すすげたからいいんだ、ありがとう」


 気力を取り戻したようにまた閃く彼女の瞳からその意図に思い当って、ハリアはニヤッと笑う。


「まさか……やんのか、アレ」


 アリカもニヤッと笑った。


「あぁ。もう一度エリィの所に行く」


「え、アレって、アレですか⁉無茶ですよ⁉」


 動揺するイエローに続いてナターシャも猛反対する。


「アレなの?そんなの作戦ですらないわよ⁉」


 彼等の静止を振り切るようにアリカは勢い良く立ち上がる。


「あーうるさいうるさい。アタシはアレをする。絶対する!」


 もうそんな彼女を止める術は無いと知っているナターシャは嘆息した。


「馬鹿……」


 愉快そうにハリアは胡坐をかいてアリカを見上げる。


「俺は大将に従うぜー」


 イエローは険しい声色でアリカに覚悟を問うた。


「……上手くいかなかったら、どうするんです」


「アタシごと撃ってくれていい。ってより、すぐに死ぬと思うけど」


 黒いコアギアに真っ直ぐに言ったアリカの背中を、立ち上がったハリアが強く叩く。少しだけよろめいたアリカに空を見上げたまま彼は言った。


「死なねえよ。愛し合ってんだろ?」


「……うん。大好きなんだ」




 戦場に、爆風の中を駆ける鎌鼬があった。どんな有脳体もその速さには敵わず、赤い光線で次々に穿たれていった。もう温存する必要は無い。


 フサマキはかつてのハリアのように部分的にオランの性能を乗っ取り、外部への通信を遮断している。救護室で応急処置を受けた後、抜け出して押されている兵士の元へ駆けつけては視認される間もなく有脳体を蹴り次の戦場へ跳んでいた。


 死に近づいているからだろうか、リミッターの外れたフサマキの身体は今までのどんな時より自由闊達に動いた。彼女は心地良く微笑んで黒い血の雨を受ける。


 オランの叫びを無視しながら。


「アリカ、もう私との接続は切ってていいわ。疲れるでしょ」


 発電所内の廊下を走るアリカにナターシャが声をかけた。


「え……平気か」


「えぇ。アリカはそっちに集中して」


「わかった。ありがとう」


 ハリアの後ろを走りながら、アリカはナターシャを信じゴーグルについたボタンを押した。


 迫撃機巧はコアロボットでもある。パイロットとの接続を切ると俊敏さは失われるが機能自体に問題は無い。何より、アリカの前で有脳体を殺さないようにナターシャはセーブしていた。


 アリカの視界の外でナターシャは向かってきた有脳体を踏み潰す。先ほど聖遣は自らの触手ではなく有脳体を使って攻撃を行った。迫撃機巧は発電所の円周に蠢く聖遣を標榜する。この程度なら相手にできそうだった。



「グソク機がポポラスを狙って来ます!」


 しかしイエローが万軍の動きを察知する。アリカは咄嗟にゴーグルに手をかけるが、その手を降ろした。心配そうに彼はアリカに声をかける。


「いいんですか」


「ファーストアース軍もバックアップしてくれてる。今はナターシャ達を信じる」




 身体が重くて、遅い。まるで人間みたいだと気づいて、ナターシャは笑う。右手の拳から赤外光線を撃った。赤い光と共に万軍の尾に小さく損傷が起きる。自分より速い戦闘機達も隊列を組みつつ万軍に攻撃を仕掛けた。地対空ミサイルも続く。


 巨大マシーンは先ほどより鈍い。有脳体が赤外線銃以外の方法で殺され続けたために万軍は歪ながら着実に肥大化しパワーを増していた。特効兵器以外は有脳体で攻撃を受ければこちらが強くなるサイクルが加速する。グソクは畳み掛けられる攻撃を回避しながらカウンターの光線を放つ。接近しすぎた戦闘機の一機を噛み砕き酸で溶かした。ハナガサにも指示を送る。


「聖遣の後方に空挺を降下させろ。有脳体の提供を絶やすな」


 セカンドアースの空挺のうち七隻が既に対流圏間近まで降下していた。聖遣と万軍の後方に配置すれば両方への補給が行うことができる。発電所上空に滞空し、それらを盾にとりながらもファーストアース軍が攻撃を行うのであれば聖遣と万軍が返り討ちにすれば良い。


 戦闘機達が予想外に粘るので赤外線砲の破壊に至っていないことは歯がゆいが、長引くほど有利になるのは此方だ。


 ハナガサの送った指示により、白く光る空挺達が極地へと差し迫っていた。




「あと五十メートルで外壁が途切れます」


 アリカに向けてそう注意したイエローの言葉の直後に轟音と地響きが続いた。アリカとハリアは急いで外を見る。


 遠くの空には鯨型の戦艦が複数、その手前には万軍と戦う迫撃機巧が見えた。


「ナターシャ!」


 迫撃機巧の左手の拳が光線に焼かれたのか失われていた。周囲に十機ほどいたはずの戦闘機も三機しか確認できない。アリカの叫びにナターシャが無線で答える。


「先に進みなさい、アリカ!振り返らないで」


 後腐れのない爽やかな声だった。こんなナターシャの声は久しぶりに聞いた気がする。だからこそアリカは立ち止まりたくなった。しかし迷う暇も無く全体に新たな無線報告が流れる。


「未確認戦闘機がオゾン層通過!宇宙速度を超えています、落下予測はB-7地点、三分後。周辺の兵は上空に注意!」


 アリカは立ち止まり、空を見上げる。落下の予測される地点は迫撃機巧がいる辺りだった。イエローは暗闇を流星のように強く発光しながら落下する戦闘機の異様さに警戒心を抱く。


「これは……特攻でしょうか」


「違う」


 アリカは覚えがあった。一般的な拉致型とは異なる、暖色の光。


 万軍も未知の戦闘機に警戒し距離を取る。光に包まれた戦闘機は何よりも俊敏にその下に潜り込みミサイルを発射した。久しぶりに直撃を受けグソクは苦々しく歯を食いしばる。


「人間が耐えうる速度ではない……オートパイロットでないとしたら、コアロボットか?」


 ハナガサが戦闘機の中に有脳体反応があることに気づき、すぐに解析する。彼女にも覚えがあった。疑念が確信に変わり声が震える。



「陛下、あの有脳体、幽霊(ウスバ)のものです」


 想像の埒外からの言葉に思わずグソクはハナガサを振り向き怒鳴る。


「馬鹿を言うな!彼奴の(コア)はカムリが破壊したはずだ!」


 光がゆっくりと消え発電所の屋根に戦闘機が着地した。灰色の戦闘機はファーストアースのものでもセカンドアースのものでもない。万軍の音声回線を無理やりこじ開け、女性の嬉々とした咆哮が鳴る。


「ハーーーーッ!このボクが!!よりによってッ!心臓の位置に(コア)を入れるわけないだろっ!」


 ハナガサの目が韜晦と怒りに見開かれる。カムリが破壊したのはウスバの胸部だった。デブリとなったウスバの頭部を確認しつつもハナガサをそれを回収しなかった。王府に開発されたコアロボットのコアは胸部に格納されている。カムリですら気づけなかったウスバの改造にハナガサが気づけるはずもない。


「ボクの心は脳に入れてあるっ!ずっと昔っからなァ!」


 グソクはあまりの憤怒に言葉が出ない。再び嘲るように発光したその機体を狙い撃つが残光を追いかけるばかりだった。



 万軍を翻弄する光にアリカは呼びかける。


「ウスバ……ユーニ……」


 距離をものともせずにウスバはアリカを見つけたようだった。発電所の屋根に着地したことでサードアース軍の無線も手中にしたのか、すぐに答えが返ってくる。


「やあアリカ。キミはまたボロボロだな。ユーニも心配してるぞ」


「心配はこっちの台詞だろ。……みんな、この戦闘機と乗ってる小さな拉致型はサードアースの味方だ!くれぐれも撃たないでくれ!」


 アリカは目元を拭いながら連合軍に向けてそう言った。こんな都合の良い戦力を撃つわけないだろう、と思いながらこの破天荒な展開にパシェはほくそ笑む。


「アリカ!あなたはエリィのとこに行くのよ!」


 砂塵の向こうからナターシャの力強い声を聴いて、アリカは笑顔で応える。


「あぁ!任せた!」


 ハリアはウスバ達の戦闘機の様子を一瞥してからアリカを抱え羽ばたく。


「諸悪の根源さんは働き者だぜ」


「ハリア」


 皮肉っぽく言う彼をイエローが窘めるが、アリカはその言葉に少し笑った。



 万軍を前にして迫撃機巧は再び跳ねる。攻撃を仕掛けようとした口腔型を踏みつけ、脚の裏から赤外光線を発しその肉を蒸発させた。ウスバ機の赤外線銃が万軍の一つ目を掠る。互いにマルチタスクに慣れたコア達が言葉を交わした。


「あなたに助けられたのは二度目ね。礼を言うわ、ウスバ」


「お、キミはナターシャか。思っていたより元気そうだなァ」


「おかげさまでね。こいつの足止め、手伝ってくれる?」


「んに!元からそのつもりさッ!」


 ファーストアースとサードアースで構成される連合軍。ここに、新たに奇妙な戦力が加わった。




 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 白い天井。私は水の上で眠っていた。ここはどこだっけ。


「ごめん……ごめん、アタシが下手だったから」


 アリカ姐が泣いてる。こんなの、どうってことないのに。私、どんな怪我だってすぐに治るんだよ。そんなに泣かないで。


「なんだか、お母さんとお父さんみたいね」


 ドレスを着た私が言った。確かに私の形をしているから私なんだろう。


「違う……あの二人は神の器に傷がつくのが嫌なだけ」


 これも私の声。怒ってるの?それとも泣いてる?


 でもアリカ姐だって、私のこと見てない。これは私の声。


「違う……アリカ姐は私の中身を見てくれる」


 ほんとうに?


「アリカ姐は自分のことで手一杯。お父さんに認められたくて、一番踊れる私を利用してるだけ」


「違う……」


 ちがうの?きっと、アリカ姐も私になっちゃうよ。こう、溶けちゃうんだ。


「違う……違う……アリカ姐は私のヒーローだもん。いつでも私を見つけてくれるもん。私を分かってくれるもん」


 あれ、でも、アリカ姐がヒーローなら……


「私は化け物だよ」


 そう。そうだよ。少し、想定していた配役が変わっただけ。アリカ姐は、私のヒーロー。化け物の私を必ず斃してくれる。


「グソクの作った舞台で、アリカ姐と踊れるなんて」


 きっと、素敵だよね。


「楽しみだね、私」


 うん、みんな。みんなもきっと、つれて行くからね。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 グソクの命により小型の空挺が聖遣の背後に迫る。背中から黒い触手が伸びてそれを丸ごと覆い飲み込んだ。有脳体とコアを抽出された人間だけが乗せられた空挺はみるみるうちに溶けていく。血塗れのスカートから新たな触手が何本も生えた。


「ね、ほら、早くしなくちゃ」


 地上の兵士達を相手取りながら聖遣は少し苛立ちを見せる。もう聖遣は有脳体を吸収しても吐寫することは無かった。極地の烈寒に凍えることも無かった。ただ仮初の肉体を操って自らが斃されることを待っている。


 コアギアを纏った兵士もそうでない兵士も疲弊していた。動きの鈍くなった兵から触手に打たれていく。何度建物を破壊しても人間を吹き飛ばしても弱い彼等は立ち向かってくる。エリィは顔を歪めて頭を抱えた。


「早く!早く斃してよっ!」


「そのつもりだぜ」


 今夜何度か聞いた男の声にエリィは顔を上げた。視界の端を黒い鳥と弾幕が横切る。何かを抱え、それを護るように翼で身体を覆いながら彼女の前に姿を現した。


「アリカ姐」


 触手に降り注ぐ爆炎に搔き消されるように呆然と呟いたエリィの思考はすぐに怒りに支配される。


「私を殺したいならロボットを連れてきてよ。未だに和解できるとでも思ってる?それともその飛ぶ兵器で何とかなると思ってる?」


「心外ですねっ!」


 ハリアとイエローは両腕に抱えたものを庇いながら飛び、次々に迫りくる触手を撃ち、切り、爆破した。そしてエリィの正面に切り込み、静止する。


「ジャーン!」


 ハリアが真っ黒な翼と怪我を負った両手を広げて叫ぶ。エリィの目が見開かれた。


「爆弾と偽物の『アリカ姐』の宅配だ!受け取ってくれよ!」


 彼は腕を曲げ翼でそれを覆っていただけで何も抱えていなかった。小さな拉致型有脳体は抱えられなくても彼にぴったり寄り添っていればよい。


 ユーニはハリアとエリィの眼前で瞬間的に強く、猛烈に光る。エリィの両目を焼くために。



 もろに閃光を食らったエリィは歯を食いしばる。操る触手と有脳体の動きが途端に緩慢になった。対象を認識していなければ好ましく思うことも憎むこともできない。それでも、待ちわびたその時が訪れないことに業を煮やす。


「早く撃ってよ……」


 兵達がどこにいるかも分からないエリィは意味も無く辺りを見回す。


「迷ってるの?」


 豪風が吹いた。近くに何かの気配を感じる。まだ視界は真っ白いままだ。いよいよ、舞台に幕を下ろすことができる。徐々に視界が戻って来る。少し声が震えた。


「私は醜い化け物。何の余地も無い。だから……はやく、」


「殺せ!」


 聖遣を注視していたグソクが焦燥交じりに叫び、聖遣は目を見開く。


 目の前に何があるか認識する前に、エリィは触れられた。すごく柔らかいもの。温かいもの。本当はずっと切望していたもの。


 アリカはエリィの頭にそっと手を回し、深く口付けをした。肉と肉が融けないままに触れ合う。ゆっくりと、アリカは彼女の唇を離した。目を開くと、未だきょとんとしている彼女に微笑みかける。


「エリィに心が無いって言うなら……アタシのを分けるよ」


 言葉は電気のようだった。口付けは涙の味がした。


 エリィの表情が崩れて、潰れた紙のように歪む。その瞬間を待ち焦がれていたように、大粒の涙が溢れた。でも、そんなことはどうでも良かった。それが拭おうともせず、エリィはアリカを抱き、その唇を奪う。


 アリカは目を見開いて、ゆっくりと閉じ、愛しい彼女に身を預けた。




「フッ。キミは良い名前を貰ったな、アリカ」


 少し遠くで戦闘機に乗っているウスバは、彼女等を視て笑う。どれだけ偽物の電気信号で人を操っても、他者から分け与えられる光を塗り替えることはできなかった。人間の脳など、どれほど研究しても分からないことが新しく分かるばかりなのだ。人間が完璧に操ることなどできない。


 心の在り処。心。それはどこから来るのか、いつから在るのか、どこに在るのか、二千三千年の今も解らない。しかし、それはコアなどに左右されるものでは無かった。コアを抽出した人間にも心は在った。有脳体にも。空鯨にも。無論、コアにも。



「何が起こっている……」


 グソクは傷つけ合うことのない二人を見て、茫然とした。聖遣が命令と改造に抗った。これでは全ての前提が崩壊する。


 聖遣が敵に回ったらどうなる?有脳体の指揮権を持ったままならかなりの戦力となるだろう。人間の兵達も混乱する。この状態の聖遣が生き続ければ生き続けるほどこちらは不利になる。早急に抹殺するしかない。敵の手にかけられたように見せかけられればこちらの士気も俄然引き出すことができる。しかし、どうすれば―――


 グソクが必死に思案を巡らせている間、ハナガサは聖遣の顔を見ていた。あの娘、あんな風に泣くんだ―――ぼんやりと、そう思っていた。




 極地の空中に二人の女が浮かんでいる。アリカはエリィの髪を撫でて白い息を吐いた。


「寒くない?」


「アリカ姐がいるから、平気」


 静かにそう言ったエリィにまた抱きしめられてアリカは万感の思いに胸が苦しくなる。生きてまた触れ合えるとは思っていなかった。自らの腕の中にエリィがいる。彼女の細い腕に抱かれているとアリカも浮遊することができた。自らが既に死んでいるのではないかと疑ったが、エリィの身体は暖かく、外気は刺すように冷えていた。


「そっか。服も持って来れたら良かったんだけど」


 はにかみながら言うアリカには上着も武器も義足も無かった。上目遣いにエリィが訊く。


「どうやってここまで来たの?」


「飛翔する武器、あったろ。あれの羽を借りたんだ。三枚重ねて手に持って、ブーツには五枚重ねてテープで巻いて……これだけじゃ支えきれないから、他のコアの武器を持った人達に風を起こしてもらった」


 イエローの羽を複数枚重ねようが人間を一人浮かべられるほどの推進力は無い。彼の数ミリ単位の羽の操作とハリアやその他のコアギア使い達が起こした豪風によってアリカはここまで来たのだ。


「……そんなの、飛べたとしても片道だけ、だし……本当に無茶だね」


 泣き止んだのにまた涙が出てしまって、エリィの言葉は詰まる。アリカはその目尻に唇を当てた。


「お姫様を救うには、多少無茶するもんだろ」




 聖遣の背後に降下したばかりの空挺には混乱が広がっていた。聖遣は敵軍の兵に縫い留められ、その触手は動かず、命令の送られていない有脳体達は待機状態となりただ周辺を彷徨している。聖遣に最も近く、先ほど有脳体を献上した小型空挺の母艦の船長であるアシロ中将は怒りに全身を震わせていた。船員達が動揺し何かを喚く中、彼だけは怒りの渦の中にいた。船長席の手すりを拳で殴り、言い放った。


「聖遣様はもはや聖遣様ではない。穢れてしまったものは雪がねばならない。照準を聖遣に合わせろ」


 憤怒の中にある彼にしては船員に配慮した命だった。それでも船員は怯えた声を出す。


「し、しかし」


「我々の信奉した聖遣様は!」


 アシロの怒号に全員の動きが止まる。


「我々にのみ福音を齎す。我々の同胞の命を以て」


 空挺の外殻に配置された複数の拉致型有脳体が、聖遣に向かって光を集めた。



 これ以上無い。グソクは内心そう歓喜しながらその空挺の様子を静観していた。もう一度聖遣の脳を焼けば支配の解ける前の脳に巻き戻る可能性がある。この様子であれば堕蛇(ラッセル)も巻き込める。聖遣に攻撃が防がれた場合は、明確に反逆の意思があると見做して全員で攻撃に移ることができる。もう王も中将も一度引き金を引いているのだ。どの兵も恐縮することはない。聖遣が敵の手に堕ちたのは限りなく痛手であるが、悔いるのは今ではない。聖遣への攻撃の先手を担うのが彼であることは、これ以上ない展開なのだ。まだ勝ちの目は消えていない。


 空挺の艦首に白い光が満ちていくのを、エリィは振り返る。


 その光よりも眩いビーム砲が、空挺を真っ直ぐに貫いた。爆発と共に爆音と爆風が発生するが、エリィが目を逸らすことはなかった。鯨のような空挺の欠片が海へ墜ちる。撃ったのはファーストアース軍の軍艦だった。


 エリィは後退しながら戦っていた。発電所の端は南極大陸の端であり、その先にはすぐに滝や海が位置している。グソクはファーストアース軍に上方から狙い撃ちされないよう発電所を盾にしながら空挺を降下させた。しかし、エリィがわざと発電所の周縁に設置された配電盤を狙い移動したため補給役の空挺は土壇場で海上に向かわざるを得なかった。



 グソクの判断ミスには違いなかったが、ファーストアース軍の反抗など予想外の事態が連続したこと、万軍の操作と全体の指揮を同時にこなさなければならなかったことを鑑みると選択を間違えることも仕方のないことだった。


 味方の空挺が撃墜され、降下していた空挺は聖遣がこちらを護ってくれないことを知りバラバラになって上昇を始めた。万軍の背後に控えていた空挺達もその必要がないが動揺から後退していく。



「待て!散り散りに逃げるな!護りきれんだろう!」

 必死のグソクの叫びも空しく海上に逃げた空挺から次々に撃墜されていった。


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