第三十八話 魔槍、輝く時
(こ、れは…………)
眩いほどの黄金の光に、手にした槍が包まれたかと思った瞬間、シャノンは白い空間の中で浮いていた。上下左右、感覚も距離感も無い中で、しかし不安に思うことはなかった。何故か、どこか懐かしさを覚えたからだ。
(暖かい…………)
手足と言わず、身体と言わず、心がそう感じる。ほんの少し前まで戦闘中だったというのに、その熱が徐々に落ちていき、まるで寝落ちする前の心地よい微睡みのようだった。
シャノンがその不思議な感覚に身を委ねていると。
『おわった』
「え?」
『のろいをこわした。もうそれはほんとうのちからをはっきできる』
眼の前に、拳大の黄金の蜘蛛が現れた。そう言えばさっき、マリアーネと一緒にいたような? とシャノンが首を傾げていると、両前脚を掲げ、その先に映像が投影された。
そこには、二人の少年と少女がいた。
一人は、黒髪の眼鏡を掛けた少年だ。そんな理知的なアイコンを持っているのにも関わらず、その口元はまるで悪ガキのような皮肉げで挑むような形を刻んでいた。
もう一人、長い鳶色の髪を一つに纏めたその少女は、俯いて涙していた。一体何の愁嘆場だろう、とシャノンが首を傾げると、黒髪の少年が吠える。
『日本のオタク舐めんなよ! 好きになったんなら男の娘だって受け入れて見せらぁ!!』
「え?」
男の娘、とそう聞こえた。いや、正確にはオトコノコと発音が聞こえたはずなのだが、どういう訳だかそういう意訳がすっとシャノンの脳内に入ってきたのだ。
少女に見えた少年が、はっとしたように黒髪の少年を見つめている。
『これはきおく。ばるとろめおの、はじまりのきおく。だからつかいてのおまえにはわかる』
黄金の蜘蛛の補足を受けて、ふと右手に視線を落とすと、いつもの蒼の魔槍があった。その鈍い光が、心なしか懐かしむような輝きに思えた。
『女に生まれたかったんだろ? ずっとそれを否定されて、悩んで、嫌になって、それでもそれを捨てきれないから未練がましく女の格好してたんだろう? だったら俺の魔眼をやるよ。事象反転の権能を』
黒髪の少年はそう告げて眼鏡を外し、指を右目に突っ込んで眼球を引き抜いた。
「うっわ…………」
急にスプラッタなシーンが差し挟まれ、思わずシャノンは引いてしまうが、鳶色の髪の少女────いや、少年も驚いて慌てたように黒髪の少年の身を案じていた。
だが、黒髪の少年はその痛みも意に介した様子もなく、抉り出した眼球を握りつぶすと硝子体が飛び散り、しかし液体のように地面に落ちること無く空中で固定された。
やがてそれは形を作り始め────。
『その性別を反転して、お前は女になれ。で、俺の嫁にする。問答は無用だ。逃げたって攫いに行くぞ。なんたって俺は、そうあれって嫁達から言われてるからな!』
そして、シャノンのよく知る魔槍へと姿を変えた。血の涙を流しながら、回復術式か何かで復元した目を確かめるようにしぱしぱさせ黒髪の少年は呵々と笑う。
だから気づく。この魔槍の謂れを思い出す。メクシュリア文明より少し後の時代にあったおとぎ話。七つの魔眼に対応した、七つの魔装器の伝説を。
『気にすんな。TSだってオールドオタクにとっちゃフツーのキャラ付けさ。かつて未来に生きてた昔のオタクにしてみりゃぁ、LGBTだの多様性だの、グッダグダしょーもねぇことで騒がしい世間の方が周回遅れなだけだっての。そんな歴史も知らんと偉そうに文句をつけるノータリンにゃぁ、「今更何様だ貴様等謝罪と賠償をした上で死ね!」と中指立ててやれ』
自らの権能を、七人の嫁に分け与えた事から始まった七つの魔装器。
その主役であり、中心人物でもあり、やがてこの世の全てを手にいれたとされる魔眼の王。
映像の中、蒼の魔槍を鳶色の髪の少年へと渡す魔王は、挑むような笑みを浮かべて。
『どこまでだって付き合ってやるっての。それが、好きになるってことなんだから』
この黒髪の少年は────。
「魔王、ユースケ」
シャノンが呆然と呟くと、どくん、と手にした魔槍が鼓動のように震えた。その歓喜のような反応に、シャノンはやっと察した。
(そうか…………これは…………蒼の魔装器は…………魔王ユースケの…………彼の愛の証だったんだ)
やがて少女へと変わった少年────愛する者へと贈った、彼の血肉で出来た槍。それが蒼の魔槍、バルトロメオの正体だ。
(ボクに使いこなせない訳だ。これは、彼の…………いや、彼女のためだけに作られた槍なんだから)
映像が流れていく。
反転の権能を手にした少年は、己の性別を変えて女として人生を歩む。戦乱の中だから、望まぬ戦いも多かったが、それでも多くの安らぎもあった。
やがて戦乱を収めてこの世の覇者となった魔王との間に子を成して、女として生き、そして天寿を全うした。その最期には、彼女が残した多くの家族に囲まれて。
(美しい…………)
老婆となった彼女のその死に顔は、しかし少女のようなあどけない微笑みを浮かべていた。その顔を、シャノンは心底美しいと思ったのだ。
苦難の果て、それでもと愛する人と結ばれることを望み、大願成就へと至った彼女は、まるでシャノンの理想であった。だが同時に、きっと彼女のようには成れないだろうな、と思う。
最早シャノンはどちらも選ばない。
女であることは自覚しているし、しかし現実、男としての力も欲している。これからもルミリアを守っていくためには、男の体は必要だ。それを捨てて、ただの女に戻って家の血を繋いでいくような人生は選べない。
だから、全てを手に入れた彼女が少しだけ羨ましい────そう苦笑していると、魔槍が震えた。それはまるで、だからどうした、と挑むような鼓動だった。
「ボクは、きっと彼女のようにはなれないけれど…………それでも、いいの?」
構わない、と輝きが返ってくる。同時に、この魔槍が歩んできた数奇な運命、その記憶も。
女になりきれぬことも、男になりきれぬことも、シャノン・イルメルタの色である。
どちらが良いか悪いかではなく、どちらが正しいのかを世間に問うでもなく、己がどうありたいかこそが重要で、それこそが魔槍の創造主の願いであった。
故に、本来はそれを掲げられる資格ある者であれば、誰でも使える仕様だ。ただ、事象反転という概念干渉兵器────下手をすれば神器を超えるそれを、悪戯に後世に遺すわけにもいかず、魔王ユースケの子供たちによって強固な封印と試練が施されていた。本来であれば手にした者に相応の試練を与えるという封印は、しかしデルガミリデ教団の手に渡って弄くり回された結果、呪いへと歪められた。
そう──自らの姿と魂を、その者の願望から最も遠い者へと反転させる呪いだ。
シャノンが中途半端に男性化する形で済んだのは、魔槍を手にした時の彼女がまだ八歳の少女で、望んだ未来がルミリアのお友達でいたいという幼く優しい願望であったが為だ。
男女の友情は成立し得ないという魔王ユースケの偏った思想によって作られた魔槍は、シャノンの純真とも言える願望をそう解釈し、TSする身体を授けたのだ。そしてそれに試練が組み合わさった結果、女と男を行き来し、己の心を懊悩させる────という結果となったのである。
尚、それ以外の使用者は皆、最強とは程遠い最弱の化物になったり、誰かを救う度に己を含めた誰かを殺す業を背負ったり、軒並み非業の運命を背負わされている。
その呪いがミシャンドラによって砕かれ、そして己の答え────男でも女でもなく、ただのシャノン・イルメルタとして生きるという覚悟を得た今、魔槍バルトロメオはシャノンを真の主と認めた。
「これは…………」
槍を通して、加減を知らないほどの力の奔流がシャノンを駆け巡ってくる。それはまるで、今までの苦労に対して報いようとしているようであった。
バルトロメオに意思があるか分からないが、主を助けるべく生まれ、しかしその性質を歪められて意図せず周囲に迷惑をかけて来てしまったのだ。もしそれに準ずるものがあるのだとすれば、罪悪感から全力で助けに来てもおかしくはない。
だが、シャノンはこうも考える。
最初に望んだ形ではないけれど、今歩いているこの道もそんなに悪いものではない。いや、これから先、きっと良い方に変えていける。
だから、渡された詫びのような力に対して掛ける言葉は一つだ。
「ありがとう…………一緒に征こうか、バルトロメオ!!」
戦ぐ蒼の風が、シャノンの心を満たす。
遠い子供の日、ルミリアを守ると立てた誓いを────今こそ果たすために。
●
蒼い奔流がバルトロメオから立ち昇る。
やがてシャノンを包んで、蒼い旋風が彼を中心に巻き起こった。膨大な魔力の爆発。シャノン自身のものと、蒼く輝く魔槍からのものが重なって、さながら逆しまの大瀑布のような生の力が天を貫いた。
それはまるで、蒼い世界樹のように神性に届きうる輝きを持っていた。
「何を…………何をした! 一体コイツに何を与えた!?」
『まそうののろいをこわしただけ。もともとおまえをころせるやつに、ついかでちからをかすのはかじょう』
急激に脅威度が跳ね上がったシャノンに対し、アルベがそう叫ぶが、マリアーネの肩に戻ったミシャンドラがそう念話を周囲に伝播させた。その言葉に乗った感情は、飽きであった。ミシャンドラにとっては、決まり切った質問とその返答であったのだろう。
ルミリアには戦う力が無かったし、それを危ぶんだ主が望んだからそうしたが、最初から神殺しの一つを持っているシャノンに、一々力を貸し出す必要性など無いのだ。
ミシャンドラがしたことと言えば、それを十全に使えるようにしてやっただけ。それで十分だ。
「シャノン」
「はい、ルミリア様」
シャノンが溢れ出る魔力を制御し終え、短く整息をしていると、ルミリアが近寄ってきて静かに耳打ちした。
「踏み込んだら、追撃しないで待っててください。落ちてきますので」
「はい」
主の予言にシャノンは即答した。意味は分からない。だが、確信があった。必ずそうなると。だからシャノンは槍を構えて腰を落とし、ルミリアに微笑みかけた。
「さっさと終わらせますので、そうしたらやり直しましょう。告白も────ボク達の関係も、最初から、もう一度」
「…………はいっ!」
そうして前を向くと、最早語ることもなくシャノンは加速した。
踏み込む速度はシャノンの人生の中で、記録的なほど最大戦速であった。だが、それ故に読まれやすかったのだろう。アルベは背中の羽を羽撃かせで上空へ飛び上がった。
「バァーカ! そんな見え見えの一撃なんか────ごっ!?」
そしてその直後、何処からか棘付きの金棒が飛んできて、墜落。シャノンは視界の端に、無駄に洗練されたフォームで残心を取っている聖女を認めた。その聖女の唇が動く。
「ブチかませ」
「言われずとも…………!」
降ってきたアルベへ向けて、槍を一突き。だが、貫通すること無く穂先が埋まる程度で止まってしまった。
「こんなもので刺された程度で…………!」
そう。霊龍を取り込んで、その属性を持つアルベは、言ってしまえばアンデッドの極地。霊体でもあるその身体に物理攻撃の意味は限りなく薄く、魔力を纏った攻撃を加えた所で、多少かき混ぜて霧散することはあっても本質的なダメージにはならない。
「知ってるさ。だから────」
だがそれを崩す力が、今のシャノンにはある。
正確には、彼女が持つ概念干渉兵器、蒼の魔装器────バルトロメオの権能が。
「────反転!!」
「がっ!?」
シャノンがそれを行使した瞬間、アルベの全身に異常なまでの疲労感と、刺された部分から尋常ではないほどの激痛が走った。
「ご、ぎ…………!?」
それどころか、口元から血を流して身を崩す。大半が霊体であるアルベが、だ。
「お前が不死身みたいな身体をしている理由は、霊龍の属性があるからだろう?」
何故だ、とアルベが絶句しているとシャノンが静かに告げる。
「だから、それを反転させた」
「!?」
元は大半が霊体────比率で言えば、9:1であった。だからこそ、少ない魔力で即座に治せるし、無限とも言える回復力を見せていたのだ。それが反転の概念干渉を受けて9が肉体、1が霊体になってしまった。つまり、今のアルベはほぼ生身の生物であり、血を流しもすれば呼吸もしている。
そして生きているのなら────例え神であろうと殺せてしまうものだ。
その上で。
「この広場でボク達は結構長いこと戦ったよね。────さて、いくつ残光が残ってると思う?」
不可視の設置斬撃────それが『残光』である。穂先の軌跡を置くことによって設置するこれは、シャノンが防戦一方であった時期にかなりの数を仕込んである。
一撃一撃は完全状態のアルベの腕を切断する程度であるが、それを生身の今の状態で受けたらただでは済まない。問題は、設置攻撃である残光をどうやってアルベに当てるかだが────不意に、自分に刺さった魔槍に目が行く。
だから気づいてしまう。今、眼の前の脅威に。シャノンがやろうとしていることに。
概念干渉兵器────事象反転の権能。
もしも、もしもだ。
設置という事象を反転させたのなら────それは撤去という。
残光を出力した、という事象を反転させたのなら────それは入力という。
では、穂先から出力された残光のベクトルを反転させた場合、果たして何処へ入力されるのだろうか。
答えは、アルベの腹に埋まった魔槍の穂先にあった。
「────やめろっ!!」
「反転!!」
気づいたアルベが叫んだ瞬間、シャノンは事象反転を発動。周囲に張り巡らせた待機状態の『残光』が、一斉に自身を生み出した穂先へ向かって反転して収納されるべく、アルベの腹に刺さった魔槍へと戻っていく。
「あぁぁあああぁあぁっ…………!!」
その道中にいる、生身のアルベを斬り刻みながら。
さながら全身をフードプロセッサーに掛けられたが如くひき肉にされたアルベは、喉もすぐ引き裂かれてしまって僅かな断末魔しか許されず────やがてその力を失い、灰になって風に流れていった。
●
「さ、じゃぁ行きますわよ」
『きづいた?』
「私を誰だと思ってますの?」
邪妖精アルベの最期を見届けたマリアーネは、肩に乗ったミシャンドラにそう告げた。
『じゃぁ、あとかたずけする?』
「ですわねー。二度とこの国に関わらぬよう、きっちりと始末しなくては」
あの手の小者の手口は、今生と言わず、前世からよく知っている。他の者は騙せても、根っからの商人を自覚するマリアーネを騙せるはずもなかった。そしてここで始末をつけないと、後々祟るということも。
「じゃぁ、頼みましたわ。ミシャンドラ────いいえ、ミーシャ」
『かしこまり』
ミシャンドラが頷くと、マリアーネの視界が歪んで白く染まった。
●
黒く、何も無い空間に妖精が一匹、胡座をかいてつまらなさそうな表情をしていた。
「全く。茶番に付き合うのも疲れるものだね」
アルベだ。
先程までのような巨体ではなく、三十センチ程度の小さな妖精の姿をしていた。あの姿になろうと思えば可能だが、それよりも今は節約するために元の妖精の姿へと戻っているのだ。
「上手く逃げれたけどさぁ…………はぁ、クッソ。どうすっかなぁ。結構使っちゃったよ、魔力」
霊龍の権能を使った亜空間転移もそうだが、トカゲの尻尾切りとして残した分体に結構な力を持っていかれた。ハリボテでも良かったが、黄金の蜘蛛もいたのだ。生半可な御霊分けでは直ぐに看破される。ちょっとずつ力を削られている────そんな演出をしつつ、実際にはこの空間に逃げ込むだけの魔力を抽出していた。
そして最後にやられた振りをするために、実際に分体を殺されてやったのだ。ひょっとしたら黄金の蜘蛛にはバレているかも知れないが、顕現するのが手一杯の人間では亜空間まで追撃することは不可能だろう。
兎にも角にも、どうにかイレギュラーから逃げ切った。今一度大きくため息を吐いて、アルベは気持ちを切り替える。
「まぁ、いい。消耗はしたけれど、霊龍を取り込んで俺の器は広がったんだ。時間経過で回復はする。問題は…………俺が回復しきる前に、アイツ等の寿命が来そうなんだよねぇ」
考えるのは意趣返しだ。このままやられっぱなし、というのはどうにも性に合わない。
「全く。人の邪魔をしてくれちゃってさぁ。ただじゃ置かない、と言いたいんだけど…………」
何にしても、消耗した魔力の回復が第一だ。とは言え、これに関しては楽観視している。何しろ、むき出しになった龍脈が王都の直下にあるのだ。そこから拾ってくれば問題ない。
ただ、霊龍を取り込んで器を広げてしまったので、完全回復するまでに百年近くは掛かりそうだと見立てている。直接縊り殺してやりたいところだが、シャノンのあの魔槍が厄介だ。中途半端な状態で事を構えれば、分体の二の舞になることだろう。
しかし完全回復まで待てば、その頃にはただの人間であるルミリアやシャノンは寿命を迎えてこの世にはいないだろう。如何にアルベとて、この世を去った命に意趣返しは出来ない。
「うーん。となると、やっぱ搦手かなぁ。誰かを支配下に置いて、国の中枢に送り込むか。絶世の美男子とかどうだろうか。それで、あの二人の仲を引き裂くのも面白そうだなぁ…………。ぐっちゃぐちゃの愛憎劇で国が滅ぶんだ。ザマァ見ろだね」
戦闘中ですらいちゃついていた胡乱な連中だ。その関係性を壊すというのもまた一興だろう、とアルベはニマニマと悪辣な笑みを浮かべた。
「よっくも俺をこんな目に合わせがって。今に見てろよ。うんと絶望を味あわせてから殺してやるからな」
さぁ、次はどんな遊びをしようか────と、彼が思った時だった。
「そう来ると思ってましたわよ」
虚空から声を掛けられたかと思うと、蜘蛛の糸がアルベを簀巻きにして拘束した。
「な…………!?」
驚愕するアルベが声がした方に視線を向けると、銀髪の少女がいた。その肩に、黄金の蜘蛛を乗せて。
「な、何故お前がここに!?」
「何って、追っかけてきたに決まってるでしょうに。大体、百合を引き裂こうとする大罪人を、この私が見逃すと思いまして?」
『やーい、にんげんにすらみやぶられるだいこんやくしゃー』
じっと赤の複眼で見つめられ、そして念話に乗った神性にアルベは身を竦めた。
「ふ、触れずの、神…………」
「あら? ミーシャ、あなたの知り合いですの?」
戦慄の表情を浮かべるアルベに、マリアーネがそんな疑問を覚えてミシャンドラに水を向けるが、彼は小さく前脚を横に振って否定した。
『しってるけどしりあいじゃない。ただのこもの』
「小者て。貴方から見れば、誰だって小者でしょうに」
何しろ原初の神である。その気になれば、この世界の記憶を消して世界丸ごと無かったことにすらできる存在からしてみれば、大体小者である。
『ちがう。たましいのありかたのもんだい。みずからをかえりみれず、くなんのみちもあるかず、たしゃにあたえられ、あるいはうばうだけで、おのれじしんのたましいのかがやきをみせぬものは、みんなおなじまつろをたどる。くちをあけてえさをまつだけの、こもの。そのじかくもなく、わきまえもしない、あんぽんたん』
「アンポンタンて。今日日中々聞かない評価ですわ。それにしても、随分と言いたい放題ですわねぇ。…………つまり?」
『てんぷれ。くっそつまんない。ちらしのうらにでもかいてろ。まじふぁっきゅー』
はっきりと不快だ、と思念を向けられてアルベが、ひっと喉を引きつらせた。
「まぁ、確かに。少し捻れば、小悪党にも小悪党の美学が出てきますものねー」
『びがく?』
「信義、流儀、仁義に礼儀。それらを一つに括って美学と呼ぶ────その人の在り様を決定づける重要なファクターですわ。ひょっとしたら、意外とそいつにもあるのかも知れませんわね?」
『…………いえ。おまえのもくてき。きいてやる』
擁護したわけではないが、一方的なのは良くないですわよ、とマリアーネが道を示してみると、ミシャンドラはしぶしぶと言った様子でアルベへと聞いてみるが────。
「何なんだ、お前らは! どうして俺の邪魔をするんだ! 俺はただ、気ままに壊したいだけだ! 気持ちよくなりたいだけだ! 苦痛なんかいらない! 反則を振り回して気楽に生きたい! 頭空っぽで遊ぶのの何が悪いんだ! 頭使うの疲れるじゃないか! 俺が俺の都合の良い世界を求めて何が悪い!!」
敵意ある神性を前に、アルベは半狂乱になってそう叫び、見るに耐えない醜態を晒してしまった。
『…………のうし?』
「在り来りですわねー。人様に迷惑かけないなら、それでもいいんでしょうけど」
『つまり?』
「ギルティ」
『あいあい』
最早処置なし、と判断した二人の気配を察し、アルベが叫ぶ。
「やめろ! また俺を封じる気か!?」
「封じる? いいえ。感謝してほしいものですわねぇ。貴方に自由に破壊できる新しい世界をプレゼントしてあげるのですから」
どういうことだ!? と彼が叫ぼうとするが、向けられた神威に強制的に黙らされる。
『おまえのかみきどり、とてもはなにつく。こんなもの、そんなにおもしろいものでもないのに、なぜのぞむのか。なら、おまえをかみにしてやるからすきなだけあそべ。はかいするしかのうがないのなら、じごくだけど』
マリアーネが両手を掲げると、その先に白い球体が出現した。渦巻く白のそれは、白というよりはむしろ無垢であった。それだけでアルベは恐怖する。
あの先には何も無い。
壊すべき者も、物も、モノも、何も。
彼が望む玩具は、その形すら保てない。
そして無いなら作る、という精神を育てて来ず、あるものを奪うことだけしかやってこなかったアルベには、玩具すら作れない。
ただ、無謬の時間だけが刻まれる世界の中で、一人だけ取り残される。
「積み木遊びをしたいなら、壊すものも何もない、そして誰もいないしょっぱい世界で気の済むまでやっていればいいのですわ。一人ぼっちで寂しくね」
『きおくもちからもなくして、もういちどさいしょから────』
それは、断絶の祈りの本質。
他者がいるからこそ、自分が分かる。
対幻想を互いに重ねるからこそ、理解が生まれる。
ならばその前提────他者を無くした時、自分という個がどこまで強度を保てるのだろう。
ミシャンドラは生まれながらの神性故に、飽きはしたものの、耐えるという概念すら知らないほど強固であった。逆を言えば、神性を以てしても他者を求めざるを得なかったのだ。
未知という断絶が、どうかこの世にあって欲しいと────心からの祈りとなって。
では、アルベはどうだろうか。
妖精種ではあるが、生き物だ。ならば彼を生んだ母がいて、家族があって、怨敵がいて、玩具があって────常に他者と生きてきた彼は。
『今度は、その精神が滅びるまで』
「ひぃっ…………!!」
事ここに至って、アルベは察する。
マリアーネとミシャンドラは新しい世界を作って、そこに自分を送り込む気だと。だが、その世界には何も無いのだ。アルベが果たすべき復讐相手も、楽しむための玩具も、快楽も、愉悦も、何もかも。
そして壊すことしか知らないアルベには、何のために存在しているのか分からない世界となるだろう。やがて指先を動かすことすら億劫になって、考えるのを止めて、そして無謬の永遠の中、心が死ぬ。
魔力は当然、音も色も何も無い世界だ。自力で抜け出すことは叶わない。そして、そんな小さな世界を誰も見つけ出せはしないだろう。
待っているのは、無感地獄という永遠の孤独だ。
「やめっ…………!」
そんな死刑宣告を前に、アルベは簀巻きにされたまま身じろぐが、それにマリアーネが激怒した。むんず、とアルベを手づかみすると、白の球体へと向かって。
「やかましい! ただのヤラレ役なら、往生際ぐらい弁えてろ! 百合にNTR死すべし慈悲はない! ────小さき新世界!!」
そのままぶん投げ、白い球体は内側に畳まれるようにして消滅した。
そして、そのまま開くことは────もう二度と無かった。
次回、終章とお知らせの二本立て。




