未来の視点:0日目:お嬢様
「え?」
玄関を出た私は、思わず声を上げた。
目前には、そこにいる筈の無い葉子さん。
「なんでいるの?」
浮かんだ疑問をそのまま口にする。
「私は未来さんと一緒に登校する為に来たのです。先に行っては意味がありませんわ」
葉子さんは、右手で耳にかかった髪を触っている。葉子さんが拗ねた時に見せる、ちょっとした仕草。
「で、でも、今からじゃ遅刻……」
「そうですね。未来さんの寝坊のせいで、このままでは完全に遅刻です」
私の言葉を受け、葉子さんは一変した。
両手を腰に当て、威厳を示すような体制をつくり、強い口調で私の失態を言葉にしている。
「……ま、でも、私が遅刻するなんてありえませんわ」
「え?」
やっぱり怒っているのかな? そう感じた時に続けられた、意外な一言。
葉子さんの表情は、先程とは替わって、柔らかくて優しい表情をしていた。
しかし、私にはいまいち理解できない。今から全力で走ったとしても、遅刻はほぼ確実だからだ。しかし、葉子さんはその場からまったく動こうとする事なくただ一点を見つめている。
遅刻に焦っている私とは明らかに違った様子。
葉子さんが眼差しを向けている先、それは学校とは反対方向。
何かあるのだろうか? 私も同じ方角を見る。しかし、何も無い。山々に囲まれた殺風景な景色が広がっているだけ。
「葉子さん?」
不安になって声を掛ける。
「お待ちになって」
「でも……」
『このままじゃ遅刻どころか授業にも遅れちゃう』そう続けようとした瞬間。視線の先に、一台の車が姿を現した。
この辺りは滅多に車なんて通らない。それだけに、とても目立つ。いや、どんな所でも目立ちそうな、真っ黒で高級感漂う車だった。
そして、その黒い車は、私達の目の前で停止した。
目の前の車。その運転席のドアが開く――。
と、運転席から身を乗り出したのは初老の男性だった。整えられた白髪に黒のスーツ。髭も切り揃えられていて、身形は清楚で気品があり、紳士という言葉が似合う。
「さ、お嬢様」
初老の男性は、葉子さんに向かって一礼すると、後部座席のドアを空け、葉子さんを招き入れようとしている。
何? この展開は? 葉子さんって何処かのお嬢様だったの? 言葉遣いが独特だとは思っていたけど……。
葉子さんと知り合ってから一ヶ月。思わぬ形での新たな発見です。
「未来さん、さ、行きましょう」
葉子さんが私の名を呼び、手招きしている。
どうやら、車に乗って行くという事らしい。私も一緒に。
「これ、に? 乗るの?」
状況を整理する為に聞いてみる。
「車なら、今からでも間に合いますわ」
葉子さんは、私の言葉を肯定し、私の手を取ると、車内へと引き入れた。
確かに、確かに間に合います。……たぶん余裕で。でも、それって、ずるくないですか? 額に汗して、自らの足を駆使して、学校という名の城を、決められた時間内に目指すのが学生の本分ではないのでしょうか?
「……」
……そうでした、私の寝坊が、それを妨げた原因でした。私のせいで葉子さんを学生の本分から外してしまったのでした。
ここは、黙って受け入れる以外の術を行使してはいけません。文句を言う事、それは万死に値します。
「ごめんね、葉子さん」
私は、積み重なった謝罪の念を、小さく言葉にした。




