第五章 進行方向は二つございます③
二方向へ分かれる道の手前に、キャスケットを被った少年が立っていた。馬車から降り立ったロザンヌを見つけると、帽子をとって頭上でぶんぶんと振った。
「あら、マイクですわ」
ロバートが現場に青少年記者クラブの者をひとり派遣すると言っていた。どうやらロザンヌに面識のある者が選ばれたらしい。
マイクはロザンヌたちが路上に現れたところで近づいてきた。ロザンヌはサンドラと侍女に彼を紹介した。サンドラは彼の服装で、彼が平民だとわかったらしく、鷹揚にうなずいた。そこは上位貴族、平民に丁寧にあいさつはしないという態度は間違いないが、ロザンヌとしては心に引っかかるものが残った。だが、そこをとやかく言う場ではないことも承知している。ロザンヌはサンドラの分までマイクに丁寧に挨拶をした。
マイクはサンドラの態度を気にしていないということをロザンヌに見せるかのように、何事もなかったように話し始めた。
「エルシー嬢の馬車は、右手の道からこの分かれ道へ出て、そのまま左手の道へ進みました」
マイクが指をさしながら、進行方向を説明した。
「右手の道は慈善会や劇場街方面へ通じています。左手が、エルシー嬢の馬車が進んだ道です」
ということは、右手へ進めば倉庫もあるということだ。ロザンヌは手にしていたノートへ書き込んだ。
「襲撃があったのは、ここではありませんの?」
「左の道へ少し入ったところです。歩いて確かめられる距離ですよ」
マイクは左手の道を指した。
「曲がってすぐに道幅の狭い場所があって、その先が少し開けています。止まっていた馬車があったのは、その開けたところです」
「では、ホプキンスさんが荷車を先に通したというのは?」
「この、道幅の狭い場所でしょうね」
ロザンヌは分かれ道から左手の道を見た。緩く曲がっているため、その先までは見通せない。
「まずは、襲撃があった場所を見てみたいですわ」
四人はマイクに案内され、左手の道へ入った。曲がり角を過ぎると、左右の建物が迫るようにして立ち、道幅が急に狭くなった。荷車と馬車がすれ違うには、どちらかが端へ寄って待たなければならないだろう。
「ホプキンスさんが馬車を止めたのは、このあたりです」
マイクの言葉に、ロザンヌは周囲を見回した。建物の壁に遮られ、分かれ道にある店からはここを見通せない。
そこからさらに進むと、道幅が再び広くなった。
「あのあたりに、もう一台の馬車が止まっていたそうです。ホプキンスさんが倒れていたのも、その付近です」
路上には、すでに事件当日の痕跡らしいものは残っていなかった。
「荷車とすれ違った場所から、さほど離れていませんのね」
「ええ。馬車なら、すぐです」
ロザンヌは二つの場所と、その間の距離をノートに書き留めた。
「では、分かれ道まで戻って、近くの店で聞き込みをしてみますか?」
「ぜひ」
ロザンヌが口を開く前に、サンドラが前のめりで答えた。マイクはひとつうなずくと、すぐそばの金物商店を指さした。
「あそこの店主に聞いてみます」
「ついて行きますわ」
サンドラはマイクの後を歩き始めた。ロザンヌとメリーとサンドラの侍女も、一緒に後を追った。
店主は恰幅の良い五十がらみの男だった。店先の丸椅子に腰かけて煙草をふかしながら、奇妙な団体に胡散臭そうな目を向けていた。
「ご店主さん、先日の失踪事件のことなんだけどさ」
マイクはにこにこしながら天気の話から始めて競馬の話に移り、店主が好きだという銘柄のたばこをひと箱、ポケットから取り出して彼の手に乗せながら話を始めた。店主はとたんに愛想のいい笑顔を浮かべた。
「何を知りたいんだね」
「エルシー嬢の姿を見なかった?」
「地味な格好をしていたっていう?」
「そう」
男はマイクから渡された煙草の封を早速開けて、口にくわえた。すかさずマイクがマッチを擦って火を差し出す。
「ありがとよ。……で、本人を見たか、だったっけ」
マイクがうなずくと、男はううん、と唸って店の奥へ体を向けた。
「おおい、母さんや! ちょっと来てくれ」
呼ばれて現れたのは、ぽっちゃりした丸顔の女性だった。
事情を聞いた彼女は、ああ、とうなずいた。
「あのときちょうど店先で隣の奥さんとおしゃべりしていてね。分かれ道へ差しかかった馬車の窓に、地味な外套を着た方が見えたのよ。その方の姿が窓に見えたまま、馬車は左の道へ曲がっていったわ。丸くて大きな眼鏡をかけて、帽子をずいぶん深く被っていたわね」
「顔は見えましたか?」
マイクが聞くと、女の人は肩をすくめた。
「ぜんぜん。ただ、眼鏡をかけているのは見えたのよ」
ロザンヌは彼女の言葉をそのままノートに書きつけた。
サンドラがロザンヌの横で、
「馭者の話と同じですわね」
と、つぶやいた。ロザンヌも、ええ、とうなずいた。
「ご店主、どうもありがとう」
店主は煙草の煙をくゆらせながら、
「またな」
と、笑って手を振った。
そのとき、さっきの女性が声をかけた。
「忘れてたわ! あのとき、ちょうど町じゅうの教会で日暮れの鐘が鳴ったのよ。それで隣の奥さんと祈りの言葉を言い合ったんだよ」
「それは神様も喜んだことでしょうね」
マイクの言葉に、女性はにこりとした。
次に向かったのは反対側にある書店だった。
そこへ向かう途中、ロザンヌはマイクに質問した。
「あの店主が競馬好きだって、なぜわかりましたの?」
マイクはちょん、と自分の耳をつついた。
「ここに赤鉛筆が挟まれていたでしょう? あれで新聞に印をつけるというなら、競馬好きです」
「なるほどそうなのですね」
またひとつ、知らないことを知った。彼といると、いつもの世界では知らないことを知ることができる。新鮮な驚きに、ロザンヌの心は高揚した。
「煙草はなぜわかりましたか?」
サンドラが質問する。
「ちょっといい銘柄のものは聞き込みのときにはいつも用意しています」
「なるほどねえ。素晴らしいわ」
書店の店主をはじめ、常連の客たちにマイクは次々と声をかけていった。彼の人の懐に滑り込む上手さに感心しながら、ロザンヌは話してくれた人たちの言葉をノートに書きこんだ。だが、ほとんど馭者の証言と同じようなものだった。
サンドラが落胆し始めたところで、マイクが彼女に声をかけた。
「まだまだ先は長いですよ。ここから先は、ロザンヌ様と二人で行ってきましょうか?」
サンドラはキッと険しい目をマイクへ向けた。
「私はどこまでも参ります。侮らないで」
マイクは肩をすくめた。
その日は、夕刻近くまで通りに面した店の人たちに聞き込みをしていった。目新しい証言は得られず、サンドラの表情が曇っていった。西日に照らされた彼女の横顔に、くっきりと疲労感が浮かんだ。
「お嬢様、そろそろ帰りませんと」
サンドラの侍女が気遣うように声をかけた。サンドラは無言で小さくうなずいた。
「私はもう帰ります。お父さまがお帰りになる前に帰るよう、お母さまに言われておりますので」
ロザンヌはサンドラの手を取った。
「本日はご一緒いただき、ありがとうございました。ゆっくり疲れをとってくださいね」
サンドラは小さく微笑んだ。
「あなたもね」
それからマイクへ顔を向けると、
「いろいろと世話になったわね」
マイクはキャスケットを取って、ちょこんと頭を下げた。
「どういたしまして。ごきげんよう」
マイクの返答に、サンドラは目を瞬いて、今度は楽しそうな笑顔を浮かべた。
「あなた、平民にしておくにはもったいない人材ね」
「おほめにあずかり光栄です。今後とも、レマー新聞をごひいきに」
サンドラは軽く笑い声をあげて、馬車に乗り込んだ。
小さくなっていく馬車を見ながら、メリーはロザンヌに声をかけた。
「サンドラ様からロザンヌ様のお帰りの馬車の用意をご提案いただいたのに断られていらっしゃいましたが、どうなさるおつもりで?」
ロザンヌはマイクを見た。
「あら、わたくしたちはもう少し、聞き込みをしますものね?」
マイクは苦笑しながらうなずいた。
「ロバート様には日没までと言われていませんか?」
ロザンヌはつん、と明後日の方向を向いた。
「わたくし、どうしても気になることがございます」
「なんですか?」
ロザンヌは手にしていたペンで右手の道を指した。
「こちらの道が慈善会へ通じると聞いて、どうしても行ってみたいと思ったのです」
なるほど、とマイクがうなずいた。
「それは確かに気になりますね」
「でしょう?」
二人は顔を見合わせ、にやりと笑った。
「だからと言って、ここから歩いて向かうのは危険でございます!」
メリーが眼鏡の蔓を持ち上げながら叫んだ。
マイクが片方の耳を手で押さえ、顔をしかめた。
「そんなに大声で言わなくても……ここならすぐに辻馬車を拾えますよ、ほら」
左手から、小型の辻馬車がゆっくりとこちらに向かっていた。馭者の帽子に青いタイが巻かれている。
「あ、あの青色はスミスさんの馬車だ! おーい」
マイクが手を振って合図すると、馭者の男も気がついたらしく、片手をあげて応えた。
「彼は仕事に真面目で、誠実な人です。この馬車なら、お嬢様方がお乗りになってもロバートさんには怒られませんよ」
メリーが渋い顔をしながらも、うなずいた。
「あなたがそう言うのなら、信じるしかありませんね。どのみち、ほかに手段はないようですし」
ロザンヌはメリーが承知してほっとした。
そのまま三人は馬車に乗り、右手の道を進んだ。四半刻ほど馬車に揺られたころ、あたりが明るくなった。建物の明かりが増えたのだ。
「このあたりから、商業施設が多くなるんですよ。もうじき、慈善会の建物が見えてくる。……ほら」
西日に照らされて、慈善会はオレンジ色に染まっていた。エルシーはちょうどこのくらいの時刻に失踪した。
ロザンヌは馬車から降りて、あたりを見回した。
「お嬢様、これを」
メリーがつばの広い帽子を差し出した。
「その御髪は目立ちますから」
「そうね、わたくしのことを覚えている方に顔も見られないようにした方がよろしいわよね」
帽子を被るロザンヌに、マイクは無言でうなずいた。
そこへ、慈善会の戸口からスカーフを被った中年の女性が出てきた。服装から見て、ここの使用人のようだ。ロザンヌは女性が近づいてきたところで声をかけた。
最初、女性はロザンヌが貴族だとわかって警戒していたが、そこへするりとマイクが入ってきてからは、態度が軟化した。
「エルシー様のこと? あの日、エルシー様は手帳を持って職員の人と話して、手元の帳簿か何かに書き込みをなさってましたよ。ちょうど事務所の扉が開けられていて、廊下を通っていてつい、見ちゃったのよ。それでこんなに暗くなるまでお仕事をなさるなんて、貴族のご令嬢なのに熱心な方だと感心したの」
女性はうんうん、とうなずいた。
彼女の発言に、ロザンヌは目を開いた。
「あの――」
貴族の令嬢が慈善会の使用人に直接質問して、ロザンヌのことを記憶に残すのはまずいと判断したのだろう、マイクがロザンヌの言葉を遮った。
女性は微かに眉を寄せてちらりとロザンヌを見たが、何も言わずにマイクに顔を向けて話し始めた。
「そうよ。ちょうどこのくらいの時刻で……ほら」
その時、遠くで教会の鐘が鳴った。
「わたしが帰ろうとした日も鐘の音が鳴ってた。そうだよ、エルシー様の姿を見て、戸口から出てきたら鐘が鳴ったのよ」
ロザンヌはマイクと顔を見合わせた。
女性はぱちんと手を叩いた。
「あのあと、忘れ物があったから慌てて取りに帰ったとき、もう正面の戸口が閉められていてさ、困ってたところに裏口からエルシー様が出て来てさ、助かったんだよ」
「裏口」
女性はいたずらをした子どものように笑った。
「裏口って言ってもさ、すぐそこなんだけど」
彼女が指さした左手の壁に、小さな戸口があった。大人の男性なら少しかがまないと通れない、背の低い戸口だった。
「わたしが出てくるまで、エルシー様は鍵を掛けずに待っててくださったんだ。親切な方だよ。早く見つかるように、わたしゃ毎日お祈りしているのさ」
「忘れ物に気づいて戻ったのは、鐘が鳴ってからすぐ?」
「ああ。出てすぐ気づいたからね」
「それは本当にエルシー嬢が失踪した日?」
「もちろんだよ! 親切にしていただいたその日にあんなことになったんだ。まちがえるもんか」
ぷりぷり怒りだした彼女に、マイクが謝りながら差し出したいくばくかの謝礼を見て、彼女は態度をやわらげた。彼女はありがたそうに受け取ると、足取り軽く去っていった。
ロザンヌとマイクは、その後ろ姿を見ながら先ほどまで鳴っていた鐘の音を思い出していた。
「彼女の話を聞いて、エルシー様は二か所にいたのでは、と思ったのですが」
「僕もです」
ロザンヌはマイクに顔を向けた。
「先ほどの分かれ道からここまで、馬車で四半刻ほどかかりましたわね」
「ええ。歩けば、その倍はかかります」
ロザンヌは息をのんだ。
金物商の妻が、分かれ道を通る馬車の中に地味な外套の令嬢を見たとき、町じゅうに日暮れの鐘が鳴っていた。
だが同じ時刻、エルシー本人と思われる令嬢は、まだ慈善会にいた。忘れ物を取りに戻った使用人のため、裏口の鍵を開けて待っていたのだ。
分かれ道から慈善会までは、馬車でも四半刻ほどかかる。どれほど急いでも、同じ人物が双方にいることはできない。
「あの日、エルシー様は二人いたのですね」
マイクもロザンヌに顔を向けた。
「そうなりますね」
「以降の検証は馬車の中でしていただきます」
メリーの言葉に、ロザンヌはうなずいた。
「事務室の方と会わないようにしなくてはなりませんものね」
真顔でうなずくロザンヌに、メリーは眼鏡越しに鋭い視線を向けた。
「そうではなく、もうお帰りいただく時刻だということでございます」
苛立ちの混じったメリーの声に、ロザンヌは背中を伸ばした。
「あら、もうそんな時刻?」
「さきほど鐘が鳴りました」
ロザンヌの背中がますますぴんと伸びた。
「では、マイクを送ってから」
「あ、僕はこのまま走って帰りますから。さようなら!」
マイクはひょいとキャスケットを頭上に上げて挨拶をすると、くるりと背を向けて走り出した。
「逃げ足の速い……」
ロザンヌが口を尖らせた。横でメリーが不機嫌なオーラを放っている。
「お嬢様、スミスさんに待ってもらっています。お早く」
メリーの低い声に、ロザンヌは首をすくめた。
「わかりましたわ」
二人は道の脇で待ってくれていた馬車に乗り込み、家路についた。
馬車の中で、メリーから滾々と説教されたのは言うまでもない。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。よかったら、評価をお願いします!




