[第28話:侍のごとく、されど侍にあらず]
思い返せば、俺がこの世界で望んだ生き方は至ってシンプルだったはずだ。ただ演劇がしたかった、それだけだというのに。
どうしてシナリオがここまで脱線し、政治的陰謀へと発展してしまったのだろうか。おまけに……物語の果てに、なぜ俺はこんな瀕死の重傷を負って倒れているのだろう。
◇
その夜のオークション会場は、周りを取り囲む腐敗した貴族どもの歓声と雑音で満ちあふれていた。その表情は実に様々だ。新たな『玩具』を手に入れて満足そうに笑う者、思わぬ損害を被って苦虫をかみつぶす者、そして何か機会を伺うようにパニックの中で周囲をうかがう者——彼らが一体何を待っているのかは知る由もないが。
中央のステージ上では、オークションの司会者(MC)が仁王立ちし、魔法で拡張された大声で進行を仕切っていた。
「さあ! 最初の出品物の準備が整いました。皆様、最高の提示額をどうぞ!」
間髪入れず、貴族たちは競うように札を挙げ、あり得ないほどの高値まで価格を吊り上げ始めた。だが、ステージ中央に飾られたその一品目の名称は……『女神の涙』。豪奢な彫刻が施された金属製の cups(※カップ)に、ただの透明な水が入っているだけのシロモノだ。
その異常な熱狂を目の当たりにし、俺は再びこの場の連中の正気を疑わざるを得なかった。
まあ、俺はこの世界の人間ではない。この世界、あるいは少なくともここにいる連中の目には、あの物体にものすごい価値があるのかもしれないが。
オークションは次の商品へと進んでいく。魔法の杖、古風な絵画、そして握りこぶし大の奇妙な we-we(※石)。誰もその石に見向きもせず最安値まで値下がりした時、俺は遊び半分で番号札を挙げてみた。効果はてきめんだった。周囲の席から一斉に嘲笑が巻き起こり、路傍の石ころに金をドブに捨てた愚か者だと罵られたのだ。
「皆様! これを持ちまして、第一部オークションを正式に終了いたします……」
ステージ上のMCが長々と話し始めた。オークションの締めとしては無駄に長すぎるスピーチだ。
一部の貴族が席を立って会場を後にし始める一方で、新たな貴族たちがぞろぞろと入場してくるのが見えた。
「……そして! これより第二部オークションを、正式に開宴いたします!!!」
「イェアアアア!」
「これを待っていたんだよ!」
「俺の推し(嫁)の情報をくれえええ!」
第一部とは比べものにならないほど野蛮で狂乱めいた歓声が、突如として会場全体を焼き尽くさんばかりに爆発した。場の空気一瞬にしてガラリと変わる。
「第二部、記念すべき一品目! はるか遠くの異国より連れてまいりました! この者は決して言葉を発さず、何事にも頓着しませんが、その仕事ぶりは実に見事! ある者は彼をモンスターと呼び……またある者は、休息を必要としない殺戮マシンと称します!」
その説明を聞いた瞬間、俺の記憶は前世の地球で読んだとある短編小説へと突如として引き戻された。たった7話で完結する短編小説。そこに登場する非常に特徴的な主人公の名前……
「ご紹介いたしましょう……ノセスです!!!!」
マジかよ。あれ、実話だったのかよ!?
観客たちの地鳴りのような歓声が再び爆発した。ステージ中央、地下から巨大な鉄かごが競り上がってくる。籠の中には、ボロ布のような服を纏い、少し傾いた眼鏡をかけた華奢な青年が立っていた。その瞳はまっすぐ前を見つめている——空虚で、感情もなく、熱量もない。まさにあの短編小説の記述通り、世界からシャットダウンされた『不可変オブジェクト』そのものだった。
「登録された本名もなし! 家族の歴史もなし! しかしその腕力はモンスターのごとく、文句一つ漏らしません!」MCが灼熱の熱量で叫ぶ。「競り値は金貨一千枚から!」
俺は座席の肘掛けを強く握りしめた。胸が急激に締め付けられる。
俺は彼を知っている。彼がどれほど血塗られた人生を歩んできたかを。部屋の隅で座ったまま眠り、手袋の手を拭き、自分の過ちを一人で抱え込んで破滅していったことを。
あいつはモンスターなんかじゃない。ただ、誰かのために自分を壊してしまうほど優しすぎた人間なのだ。
なんでお前みたいな奴が、こんな腐敗貴族どものゴミ箱で行き着いてるんだよ、セス……!
「金貨二千枚!」3階の太った貴族が札を挙げる。
「三千!」
「四千!」
次々と飛び交う入札の声。周囲の連中はノセスを人間としてではなく、金儲けの道具かエゴを満たす奴隷として見つめていた。
俺は手の中の番号札に目をやった。伯爵から預かった手持ちの金は十分にあるが、最後まで競り落とせるか? そして何より……ノセスを買い取ったとして、今夜『商品』として引っ立てられているフェイはどうなる?
その時、俺の me(※視線)はステージ上の微細な動きを捉えた。
鉄かごの中、死んだような空虚な瞳の奥で、ノセスの細い指先が静かに動いていた……空中を一定の律動で叩く繊細な打鍵。まるで存在しないキーボードでコードを詠唱しているかのように。
精神は完全に崩壊しているというのに、あいつはこの全く異なる世界でさえ、なお『歩もう』としているのだ。
俺は劇団員だ。そしてこの瞬間……俺の堪忍袋の緒が切れた。
フッ——!
一瞬にして、俺は会場内のあらゆる light(※光源)を風で薙ぎ払い、吹き消した。歓喜に沸いていた群衆は、一転して暗闇の中での集団パニックへと陥る。
混沌の中、俺は仁王立ちした。深呼吸をし、あの短編小説の登場人物を演じるのに最もふさわしい発声法で、全力の声を張り上げた。
「ノセエエエエエスッ!!!!」
風のエレメントを乗せて音波を増幅させる。甲高く響き渡る不可思議な叫びがコロシアムの壁を撃ち抜き、会場全体が一瞬にして静まり返った。静寂が訪れる。
「クソが!! 一人で勝手に行ってんじゃねえよ!! 俺がおとなしく引き下がると思ってんのか、あぁ!?」
会場は沈黙したままだ。ただ、ステージの方から鉄格子を叩く微かな音がかすかに聞こえる。役に入り込みすぎたのか、それとも世界の脆さの中で足掻き続けるノセスの姿に胸を締め付けられた本心なのか……目頭が熱くなり、俺の声に嗚咽が混じる。
「探したんだぞ……どこもかしこも!! 俺……やっと見つけたんだ……っ……」
「何事だ——」警備員の怒声が上がったが、俺はさらにヒステリックな叫びでそれを遮った。
「帰るぞ、セス!! お前は一人じゃない! お前がこの世界にふさわしくないなんてこと……一度だってなかったんだ!!!」
……
「……ボクが……ふさわしい……?」
暗闇の中に、消え入りそうなかすかな声が生まれた。酷く儚く、けれどノセスの深層の心が込められた声。
ヴォオオオオッ!
警備員たちに反応する隙など与えない。俺は高圧の圧縮風を全方位へと一気に解き放った——かつて謁見室で雑魚兵士たちを吹き飛ばしたあの風よりも、遥かに苛烈で凶暴な暴風を。
観覧席の貴族たちが再びパニックを起こし、大混乱に陥る。椅子は転がり、高価なマントが嵐に揉まれ、連中は必死で何かにしがみつきながら暴風に耐えていた。
「フェエイッ!!」
この狂ったシナリオをあらかじめ読み切っていたかのように、一匹の獣人が暗闇を切り裂いて会場中央へと疾走した。精密な風の斬撃で、フェイは躊躇なく鉄かごを切り裂くと、ノセスの身体を抱きかかえ、そのまま出口へと跳躍した。
俺も二人を追って飛び出そうとした、その時——。
全身の毛穴という毛穴が逆立ち、脳内で警報が爆発した。初めて、俺の身体が意思を超えて反応する——アーリアやセバスと同等の速度で。
ズドンッ!
この時代には存在するはずのない異質な高音が空気を引き裂き、耳鳴りが脳を揺さぶる。一発の弾丸が、背後からフェイとノセスを狙って一直線に放たれていた。
考えるより先に、俺は空中で身体を捻り、自らを盾とした。
ドスッ!
「ボスっ!?」
「行けえええっ!!」激痛に耐えながら叫ぶ。
振り返ったフェイは一瞬の迷いを捨て、暗闇の中へと姿を消した。二人がどうなるかは分からないが、せめてジャスミン伯爵領の国境を越えるまでは逃げ切ってくれることを祈るしかない。
「ガハッ……!?」
口から鮮血が噴き出した。弾丸は急所を外れており、直前に張った風のクッションが威力を殺してくれてはいた。だがそれでも、弾丸の持つ運動エネルギーは一般人の身体を破壊するには十分すぎる威力だった。
生きてきた中で、エアガンにすら撃たれたことがないというのに……まさか本物の銃弾を喰らうことになるなんて。
オークション会場は未だ深い暗闇に包まれていたが、かすむ視界の隅で、俺は犯人の姿を捉えていた。最上階の隅にある個室——VIP客、あるいは主催者専用のバルコニーに、そいつは立っていた。
風が止み、意識が急速に薄れていく中で、俺は残された絞り出すような声で呟いた。
「ナッシュ……このクソ野郎……」
視界が真っ白に染まり、やがて全てが闇へと落ちていった。
第28話をお読みいただきありがとうございました!
まさかの異世界で出会った短編小説の主人公『ノセス』。
ヘンリー渾身の『演技』と風魔法による奪還劇、そして最後に待ち受けていた衝撃の銃撃——!
ヘンリーを撃ち抜いた異質な弾丸の正体とは? そして意識を失ったヘンリーの運命は……!?
物語は一気にシリアスな命懸けの展開へと突入します!
次回も怒涛の展開をお届けしますので、もし面白いと思っていただけたら、ぜひブックマークや評価(★★★★★)で応援していただけると大変励みになります!




