番外編 妹・美月の一番長い日
姉が婚約者を連れて家に挨拶に来る・・・。
その話を聞いて心底ビックリした。
あのお姉ちゃんが結婚する? なんで? 結婚って普通の人がするもんじゃないの?
私の姉はハッキリ言って変人だ。昔からいつも仏頂面でかわいさのかけらもない。鋼のような女だ。お母さんはお姉ちゃんのことを「しっかりしているけど、可愛げがない」といつも言っていた。私とは年子で1歳違いなんだけど、性格も外見も大違い。本当に姉妹かっていうくらい似てない。姉は中学・高校は私立一貫校の京城学園に通ってた。あまりに楽しそうなので、親にはお嬢様学校を目指せと言われていたけど、気になって塾の先生に京城の中等部を受けたいと言ったことがある。先生は困った顔をして言った。
「京城は本当に名門だから。選ばれた人だけが行けるんだよ。能力も努力の量も人より秀でた人だけが行けるんだよ」
「え? そんなハズない。お姉ちゃんは塾も行かずに合格したよ。しかも今も特待なんだから。ちゃんと塾で勉強していて、成績も上位の私が受からないハズないと思います」
先生は残念な子を見るような目をして、ため息をついた。
「佐伯のお姉さんはすごい人なんだね。でもそれはお姉さんのことだから。キミの成績では、確率的には20%以下の合格率としか言えないなぁ。無理しなくても今の志望校は合格確実だし、おっとりしているキミに合ってると思うけど。青春の6年をすごすんだから、自分にあった校風の学校を選んだ方がいいと先生は思うよ」
ビックリした。どういうこと? お姉ちゃんが塾なしで合格して特待とれたくらいだから、偏差値50以下の青春をエンジョイできる系の学校と思ってた。私はあわてて偏差値表を見た。今まで女子校のページしか見てなかったから、共学校のページはノーチェックだったのだ。そして、愕然とした。京城学園の偏差値は首都圏の女子校トップの学校より5も高かったからだ。つまりトップ層だけが抽出される中学受験での偏差値70オーバー。その学校で特待生って・・・・・。お姉ちゃんって一体!?
それから、私の姉を見る目が変わった。小さい頃はよく面倒を見てくれたっけ。いつも一緒で、可愛がってくれた。でも小学校にあがってから、ちょっと意地悪されるようになって、それをお母さんに言いつけたら、こっぴどく怒られてた。正直ザマアミロって思った。気が付くと、私たちの間には距離ができていて、なんだか私にとって姉は「苦手な人」になっていた。中高時代はあまり接点なく過ごした。二人の学校は家から正反対の位置にあったし、姉の部活はハードで、私は習い事でお互い忙しかったからだ。そして姉は高校を卒業すると、周りの反対を押し切り、一人で大学を決めて一人で手続きして家から出て行った。
「今までありがとうございました。私はもう巣立ったと思って、遠くから見守ってください」
という一言を残して。
姉の大学はまたもや意表をつくことにアメリカの名門校だった。しかも奨学金付。都内のトップ(所謂日本トップ)の国立大学に受かる力を持っていたのだから、母は「お姉ちゃんがいないとどうしていいかわからない。心細いから、こっちの大学に行ってちょうだい」と泣いてすがっていた。
正直、母に頼りにされている姉に嫉妬もした。どうせ私は頼りになりませんよ。お姉ちゃんみたいに家事はできないし、毎日のお弁当も作れないし。成績だって普通だし。勝てるのは女の子としての可愛らしさだけって感じだし。
姉は宣言通り「巣立った」つもりなのか、アメリカの大学に行ってしまったら帰ってこなかった。一度だけ、お祖母ちゃんが亡くなった時に帰ってきたけど、試験があるとかで、すぐにまた戻っていった。お祖母ちゃんの亡骸を前にポロポロ大粒の涙を延々と落としていたのがいやに心に残っている。
あの薄情な鉄仮面の姉でも感情があるんだなぁ、と思ったからだ。
あれから何年たっただろう? その後、姉はイギリスの大学院に進み、卒業後、日本に帰ってきて2年。巨大企業体の友菱という超一流企業に勤めているけど、相変わらず家にはめったに寄り付かない。お正月もお盆も海外出張ばかりだ。そんな姉が数年ぶりに、しかも結婚の挨拶に帰ってくる。もう家の中は天変地異の前のように右往左往の大騒ぎだ。
「瑠璃ねえの婚約者ってどんな人だろう? 」弟が興味深げに口を開く。
「お姉ちゃんが付き合ってる人を家に連れてきたことなんてないしね。アイドルとかにはまったこともないから、どんな男性が好きなのかもわからないね」
「あの娘が結婚なんて。あんな娘を気に入ってくれる人がいるなんて思えないんだけどねぇ」
「お母さん、何気にひどくない?」
「だって、大学からほとんど家に帰ってこないような娘よ。小さい頃はしっかりしていたけど、薄情だからねぇ。同じような薄情な男だったらどうしよう!?」
母は散々な言いようだ。確かに姉の行いのせいなんだけど。
父は緊張しているのか言葉少なだ。弟だけがニコニコして二人の訪問を待ちわびてる。この子は素直で単純だからなぁ。そして、その人はやってきた。
正直、心の底から驚いている。
ふわりとウエーブがかかった髪、くっきりした瞳と柔らかなほほ笑み。美しくて、優しげだけど芯は強そう。まるで大輪の牡丹のようなこの女性は誰? 仏頂面の姉は、本当はこんな顔だったの? 久しぶりに見るせいか、姉のあまりの変わり様に家族全員がゴクリと唾をのみこんだ。
しかも、つれてきた男性がみたことがないような上質な男。スマートでかっこよくて、頭も良さそう。背も高くて姿勢が良くて、仕立てがいいスーツがよく似合っている。話す内容も的確で場に合わせることができて、かなり頭が切れるし思いやりがある人なのだと推測できる。お姉ちゃん、こんな男性をつれてくるなんてやっぱり流石だわ、と弟と目を合わせてうなずいた。
そんな私と弟を尻目に母の表情だけがこわばっていた。
「正直申し上げて、この娘のどこが気にいられたのか分かりません。この娘は家族に冷淡ですし、薄情です。頭はいいかもしれませんが、人として大事なことをどこかに忘れたような人間です。私の育て方が悪かったのか・・・。友菱家のような名家に嫁いでこの娘がうまくやれるとは思いません」
姉の表情が凍りつく。この母親はこんな時になんていうことを言うんだろう。
「妹の美月は女の子らしくお嬢さんという感じに育ちましたけど、長女の瑠璃は小さい頃からしっかりはしているけど可愛げがなくて。美月ならまだしも、瑠璃には友菱のお嫁さんとして不適格かと思います」
な、なんなのそれ? なんで私を引き合いに出すの? 私は母が理解できなくてパニックになった。そして思い出した。こんな光景、前にもあった・・・。そうだ、あれは姉が小4の時の家庭訪問だ。当時の担任の先生が姉をほめたたえた時に、同じように母は姉を全否定して、私と比べてこき下ろしたことがあったのだ。当惑した顔の先生と、石のように強張った顔の姉、訳が分からず部屋の隅から盗み見る私・・・。あの時も母は同じ顔をしていた。
考えてみれば、母は昔から姉に厳しかった。私や弟が抱っこされたり甘やかされたりした影で、姉にはいつも「お姉ちゃんだからしっかりしなさい」「お姉ちゃんだから下の子の面倒を見なさい」と言っていた。
喧嘩をしても悪いのは下の子にゆずってやれない姉だったし、いつも長女だからと我慢させられてた。小さい頃は姉とはそういうモノなのだと私も母の言葉通りに思っていたけど、姉だからって何でも我慢させられるのはおかしい。
どこからかお土産でもらった、おなかのポケットにお菓子が入ったテディベア。私も姉もピンクのテディベアが欲しかった。ピンクは一つしかなくて、もう一つはブラック。私はその時4歳だったから、母が姉に「もうあなたは5歳なのだから、妹に譲ってやりなさい」と言って譲ってもらった。
親戚の結婚式出るためにお祖母ちゃんが色違いのワンピースを仕立ててくれることになった。生地の色は紺とグレーが用意されていて、白いカラーとレースがヒラヒラとカワイイデザインだった。そして私たちは二人とも紺のワンピースを欲しがった。その豪華な生地は紺もグレーも一着分づつしかなくて、やっぱり姉は母から「おねえちゃんだから」と譲らされた。でも私はその時7歳だった。テディベアを譲ってくれた時の姉の5歳よりも年上だった。
その記憶は引き金になって次々といろいろな事が思い出される。いつも母は姉に「お姉ちゃんなんだから・・・」と呪文のように唱えてた。
そして私はその言葉に続く残酷な内容に疑問も抱かず、母の罪の片棒を担いでたのだ。
中高時代に毎朝お弁当を作ってくれたのは母ではなくお姉ちゃんだ。低血圧の母は遠い私立学校に通う私たちのお弁当作りが間に合う時間には起きられなかったから。小学校の時、ピアノや英会話教室のお迎えにきてくれたのもお姉ちゃん。
どれだけ姉は一人で頑張っていたのだろう?
姉が留学して、母の依存が私に降りかかってきたときに、初めて姉の悲しみと苦しみが分かった。
言葉だけで「頼りにしている」と言われるむなしさ。そこに愛はなくて、ただ母の己の利己心。子供は母親を純粋に慕う。そこにつけこむ薄情な狡さ・・・。
それでも私は姉がいなくなるまでは、かわいがられてた。姉の場合、私の記憶では母に抱かれたことは一度もない。たとえそれが3歳の幼子の時代でも。
小4の家庭訪問はきっかけの一つだったのかもしれない。そのころから姉は家では笑わない人になった。あれは姉の性格だと思っていたけど、違うのだと思い知る。
母のせいだ。
母は毒親だったのだ。
「それに友菱さんとは家柄が違います。到底我が家の娘とは合いません。母親として瑠璃には幸せになって欲しいのでやっぱり釣り合う人と結婚して欲しいのです」
まだ独りよがりセリフを重ねる母。少し吐き気がしてきた。
私も女だからわかる。
母は明らかに姉に嫉妬している。
母親なら子どもの幸せを祈るもの・・・・というのは全ての母親の心情に当てはまるものではない。ある一部の母親は、娘が自分より幸せになることを妬むと聞いたことがある。自分より不幸でいて欲しい。そしたら自分の周りにしばりつけることが出来る。そう望む母親がいることを、知識では知っていたけれど・・・。
まさか自分の母がそういう女だとは思わなかった。
黙って母の言葉を聞いていた友菱さんは、ニッコリ笑って言った。
「家柄は関係ありません。元々瑠璃さんを最初に気に入ったのは友菱グループの会長である祖父の友菱剛三です。その時は瑠璃さんはまだ高校生だったので、私は感情がうかがえない変な女の子だなというような感想しか持ちえませんでしたが」
「でも!?」
「友菱では、パートナーは同じような高い能力で同じ目標を目指せる存在が望まれます。私も将来は友菱の経営の一端を担わなくてはなりません。その責任の重圧たるや、ただのお飾りのお嬢さんがパートナーではやっていけません。私のパートナーには強い女戦士がいいと思っていました。仕事熱心で向上心もあり、能力も高い、心根は純粋でお互いに尊敬しあえる・・・・、瑠璃さんを高校時代から10年に渡って見ています。今の彼女は友菱の女主人にふさわしい・・・・」
「・・・・それに、オレは瑠璃に惚れています」
「私」から「オレ」に一人称を変えてぼそっとつぶやいた友菱さんの一言で、その場の空気がガラリと変わった。
その一言は財閥の跡取り息子でもエリートビジネスマンでも大金持ちでもなくて、ただの、本当にただの、一人の28歳の男のものだったからだ。
姉はそれまでのこわばった表情を緩め、ちょっとだけ頬を染めて、ゆるやかに微笑んで友菱さんを見つめる。彼は愛情のこもった優しい目で姉をみつめる。
二人の間に穏やかな優しくて透明な空気が流れ、見ているだけでうっとりする程だった。
間違いなく二人は愛し合っている。
その姿は画家が魂を込めて描き込んだ、美しい絵画のようで、側で見ている私たちの心を打った。
突然弟が、
「わ~、義兄さんって呼んでいいですか? オレこんなかっこいい兄さんが欲しかったんだ~」と素っ頓狂な声を上げる。
友菱さんもお姉ちゃんも嬉しそう。
「瑠璃ねえ、よかったなぁ。こんなすごい人と結婚するなんて。しかも相思相愛っぽいじゃん」
「相思相愛っぽいじゃなくて、相思相愛だから」
恥ずかしげもなく友菱さんが言う。可笑しい。こういう上流階級の人って、羞恥心がないのかな?とも思う。
もう母も何も言わない。父が「瑠璃をよろしくお願いします」と静かに頭を下げて、友菱さんが、神妙な顔して、「幸せにします。いいえ、二人で幸せになります」と言って姉を見てニッコリ笑った。姉も優しくほほ笑んだ。
鋼のようと思っていたその人は、やっぱり大輪の牡丹のようだった。