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想刻師のいる辺境で  作者: 七宮叶歌
第2章 名ばかりの英雄

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名ばかりの英雄1

 スカーフで鼻と口を覆い、銀の髪も纏めて準備は万端だ。窓も開け放ち、カビや埃の臭いに顔をしかめる。床に転がっている箒と塵取を手に取ると、僅かに埃が舞った。ひと掃きすれば埃が煙のように立ち上る。


「……くしゅん!」


“大丈夫かな……”


 くしゃみをすると、ルーナスの心の声が聞こえた。振り向いてみると、テーブルの方から緑の瞳がこちらを覗いている。


「ありがとうございます」


 私が小さく頭を下げると、ルーナスは軽く首を横に振った。

 そういえば、ルーナスはどんな英雄なのだろう。戦ったのか、人を守ったのか――。

 考え込んでいると、オーレの声が響いた。


“積み木で遊ぼー!”


「ルーナス! あれ取ってー!」


「ん? ちょっと待ってな」


 ルーナスは椅子から立ち上がり、視界から消えてしまった。

 床の掃除も終わり、次は家具の埃落としだ。水を使った指先はかじかんでいる。手を擦って温め、叩きを握った。

 昼間に掃除を始めたはずなのに、叩きを下ろした頃には腹部が雷のような音を立てていた。カラスの鳴き声も聞こえる。

 布団を物干し竿から下ろし、台所へと向かった。レシピ本をテーブルに立て掛け、ミートソースの作り方に目を凝らす。


「んー……」


 「今日は練習だから。失敗しても大丈夫ですよ」――そうルーナスは言ってくれたけれど、期待には応えたいのだ。

 苦戦しながらも、何故か心の緊張は解ける。むしろ温かくなるのだ。

 部屋にトマトの香りが充満していく。オーレを見てみると、ワクワクが抑えきれない表情を向けられてしまった。

 出来上がったミートソーススパゲッティは、お世辞にも上手だとは言えないものになってしまった。挽き肉は焦げているし、コンソメも濃い。それを見ても、ルーナスもオーレも文句一つ言わなかった。


「いただきます」


 三人で手を合わせて食卓を囲む。


“しょっぱーい”


 オーレは顔に出すまいと必死なのだろうけれど、私にはダダ漏れだ。


「オーレ、リンゴジュースも飲むか?」


「うん、欲しいー」


 オーレはにこっと笑うと、足を前後に揺らす。


「あの……オーレ」


「どうしたのー?」


 英雄のことを聞き出すのは今しかない。ルーナスの前では言い出せず、オーレにこそっと囁いてみる。


「ルーナスはどうして英雄なんですか?」


 尋ねると、オーレは首を傾げた。


「分かんなーい。ルーナスのお友達が『へっぽこ英雄』って言ってるのを聞いただけなのー」


「へっぽこ……?」


 『へっぽこ』と『英雄』のイメージの落差が激しくて、私の中で上手く噛み合わない。

 水で喉を潤していると、ルーナスが私の席にもリンゴジュースを置いてくれた。


「ありがとうございます」


「いえいえ」


 ルーナスはにこっと微笑み、自分の席へと戻る。この人が『へっぽこ』――きょとんとルーナスを眺めていると、オーレは興味津々な顔で私を見た。


「そうだ、ソレイユー。どうしてあんな所にいたの?」


「それは……」


 言い淀んでしまった。幼い子のすることだ。私のことを『聖女』と言いふらすかもしれない。もしその時が来たら、この家を去ろう。半ば諦めて拳を握る。


「オーレは『聖女』って知ってますか?」


「うん、知ってるー」


「隣の国で、私は聖女だったんです」


 答えると、オーレの空色の瞳には瞬く間に光が宿っていく。


「ソレイユ凄ーい! ルーナスと同じくらい凄ーい!」


「俺は凄くないぞ?」


「ううん! 凄いよ! ね?」


 私に同意を求められても困る。しかし、子供をがっかりさせるわけにもいかないので、「うん」と頷いた。


「でも、聖女じゃなくなっちゃって。行き場所を失くしてました」


「どうしてー?」


 言ったところで、子供には理解できないだろう。


「どうしてでしょうね」


 曖昧に答え、その場を濁してしまった。


“ごめんなさい。気を遣わせましたね”


 今度はルーナスが心の中で詫びを入れる。私は気を遣ったわけではない。伝わらないのは分かっているけれど、心の中で『とんでもありません』と返した。


「オーレ、聖女のことは他の人には秘密にしてください」


「なんでー?」


 オーレに嘆願の眼差しを向けると、彼は首を傾げる。


「バレたら私は消えてしまうから」


 私がそっと視線を落とすと、オーレの息を呑む音が聞こえた。


「やだー! ぼく、絶対に言わない!」


“せっかく仲良くなれそうなのにー!”


 少し言いすぎてしまっただろうか。オーレは目尻に涙を溜めてしまった。


 しょっぱいスパゲッティをジュースで中和させながら、何とか完食することができた。ルーナスとオーレも挽き肉の一粒も残してはいない。


「ごちそうさまでした」


 三人揃って手を合わせる。優しいこの人たちのためにも、明日の朝食こそは美味しく食べられるものを作ろう。心に決め、指先に少しだけ力を入れた。

 オーレは遊ぶことに夢中だ。腹ごなしもせずに、今度は木製の玩具の馬車で遊び始めた。


「ぱっかぱっか」


 蹄の真似だろうか。可愛らしい声と笑い声が家の中に響く。


「ソレイユ。あの」


 振り向いてみると、ルーナスは儚い笑みを浮かべていた。


「オーレが眠ったら、二人で話しませんか?」


「はい……」


 何か聞かれるのだろうか。あまり気乗りはしないものの、曖昧に頷いてみせる。


「よかった」


 ルーナスは満足そうに目を細めると、席を立つ。そのままオーレの隣に座り込み、一緒に遊び始める。

 オーレは疲れて眠くなるまで遊んでいた。オーレの瞼がとろんとしたところで、ルーナスは彼を抱き抱える。


“貴女の事情を少し伺ってもいいですか? 貴女の保護者として”


 優しい緑の瞳がこちらを向いたので、唇を噛みながら小さく頷いた。

 オーレの部屋に入り、ルーナスはそっとベッドに寝かせる。すうすうと寝息を立てるオーレは天使のようだ。


「貴女のお話を聞く前に……俺の話をした方がいいですよね。質問とか、ありますか?」


 ルーナスは穏やかさを崩さずに私を見る。どうしても『英雄』よりも『へっぽこ』の由来の方が気になってしまう。


「貴方は……どうして『へっぽこ英雄』なんですか?」


「オーレに聞いたんですね。俺も恥ずかしいんですが」


 ルーナスは表情を変えず、遠くを見詰める。


「俺は英雄の隣に立ってた『だけ』なんです。厄災が怖くて、裏方ばっかりしてましたから」


 ルーナスはほんのりと頬を赤く染め、苦笑いをした。厄災が怖かった――私が人の心の声を聞くのを怖がっているのと似ている気がする。

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