事件か事故か
その日、福寿は中堅菓子メーカー「未来製菓」本社会議室に居た。
「特定社会保険労務士の福寿紗知です」
福寿が名刺を差し出す。福寿の隣には、同い年の女性であり、「未来製菓」顧問弁護士の工藤淳子が居る。
「福寿は、私の大学時代の同級生なんです」
工藤が言う。二人の前には、社長、工場長、広報担当者の三名が座っている。
「この様に申し上げるのは心苦しいですが、まずは内部の従業員の方々から調べていかねばなりません」
工藤が申し訳なさそうに、しかしきっぱりと言った。
「あらゆる可能性を排除しない、という意味です」
そう付け加えた。
「承知しております。不満を持った従業員が…ということですね…」
社長の三好は、憔悴した表情だった。
「もちろん、そうと決まったわけではありません。SNSが全て真実とは限りません。だからこそ、私で対応しきれない部分を、労働関係のプロをお呼びしました」
安心させるよう、笑みを浮かべて工藤が話した。
異物混入。あるインフルエンサーがSNSで、「未来製菓」の人気商品である「チョコレートキャラメル」に、大きな虫が入っていたとネット上にアップした。
すぐに出荷した製品を全て回収し、製造工程を止め、消毒作業も行なった。だが、SNS発の反響は大きく、株価にも少なからず影響を与えた。
「弊社の様な規模では、この様な事が起きますと、損失は計り知れません…実際、まだ影響は出ています」
広報の奥寺寛子が、タブレット端末で株価表を見せた。
「よろしければ、工場を見学させていただけないでしょうか」
福寿が言うと、工場長の佐伯は内線電話で連絡をし、準備を整えた。
「これからご案内します」
敷地内別棟にある工場へ、佐伯と奥寺が同行し、歩いて向かう。敷地内にはトラックやフォークリフトが行き交っており、福寿たちが通行する際、守衛が旗を振って交通規制をしていた。
工場へ近づくに従って、果物やカカオの甘い香りが漂っていた。
工場棟に着くと、前室で着替えをすることになった。奥寺が一式を渡す。髪の毛を完全に覆う帽子、ゴーグル、マスク、上下の白衣に長靴と、全てが白色で統一されていた。
さらにエアカーテンを浴び、手を石鹸で規定の時間洗った上で手袋をつけた。
「すごいわ…ここまでするのね」
工藤は驚いた。
「お客様の安全追求に必要なコストをかけることは、当然です」
「蟻一匹入る隙も無いほど、外部とは完璧に遮断しています」
奥寺が言うと、佐伯も続いた。
外から完全に隔絶された製造工程は、壁や天井が白色で統一され、無菌室のようにきれいだった。
さらに奥寺から、ヘッドホンが渡された。
「これは?」
福寿が尋ねた。
「工場内の機械はかなり大きな音が出ています。密閉された空間ですので、鼓膜の保護のためです」
「安全衛生の観点からしても、完璧ですね…驚きます」
製造ラインに入ると、甘い香りとは別に、ピンと張り詰めた空気と緊張感を感じた
人気商品「チョコレートキャラメル」が、機械によって同じ大きさに切られていくのが目に入った。
「あれをご覧になってください」
佐伯がモニターを指す。そこには、小分けに袋詰めされた製品の内部が透視され、異物混入は元より、大きさや数が統一されているかが一目瞭然だった。
「もし異常や規格外のものがあれば、『NG』表示が出て、すべてのラインが止まるんです」
モニターには、ずっと「OK」表示が出続けている。
「これでどうやって異物混入なんて起きるのよ…」
福寿はつぶやいた。そしてもう一つ気になったことがあった。
「製造ラインに居る方が少ないですね」
「そうなんです。ほぼ自動化されている事と、重要な最終検査に人の目を当てています」
奥寺が答えた。
「機械の正確性と、経験による人の目の両方で、安全性を確認してきたのですが…」
佐伯は困惑した表情を隠さなかった。
「こちらをご覧になってください」
奥寺が案内した先では、「チョコレートキャラメル」の原料となるカカオを溶かし、砂糖などで調合していた。
カカオの甘い香りが漂っていた。
巨大な鍋の様な容器で、さらに透明の蓋が被せられて、温めながらゆっくり撹拌している。
福寿と工藤は顔を見合わせた。
一通りの製造工程を見学し、工場棟を出て、会議室のある事務棟に戻る。歩いていると、観光バスが三台入ってきた。側面には「希望観光バス」と書かれている。
「あの御一行様は、小学校の見学です」
奥寺が説明した。
「すげー良い匂い!」
「チョコレートキャラメルの匂いだよ」
バスを降りた子供達の大きな声が聞こえた。
「私も小学生の時に、ここへ見学に来ました。それが、当社へ入社を決めたきっかけです」
奥寺が笑顔で言う。
事務棟の会議室へ戻ると、奥寺がお茶を運んできた。
「いかがでしたか」
社長の三好が言う。
「驚きました、率直に申し上げて。完璧なまでに管理された製造工程ですね」
工藤が感想を話した。
「あの製造工程に、偶発的に異物が混入されるとは、私には思えませんでした…」
福寿が工藤の後に続いた。
「考えられる可能性を整理しましょう」
工藤が言うと、空気に緊張感が走った。




