つくば博の未来
昭和60年3月17日から国際科学技術博覧会、通称つくば博がスタートした。日本万国博覧会(大阪万博・昭和45年)、沖縄国際海洋博覧会(沖縄海洋博・昭和50年)に続く、日本で3度目の万国博覧会である。沖縄海洋博のときはまだ生まれていなかった私にとって、これが初めての万博だった。当時小学生だった私は、開幕前から「行きたい」とせがみ、記憶が正しければ春休み、母方の祖父が連れて行ってくれることになった。
祖父の住んでいた鎌倉からつくばを日帰りするのはきついだろうということで、前日から大宮に宿泊し、大宮始発の「エキスポライナー」で万博中央駅へ向かった。祖父も私も鉄道が好きだったので、時刻表を見て、なるべく面白い列車を選んだのだろう。万博中央駅からは連節バス「スーパーシャトル」で会場に入った。
当時はまだインターネットもなく、どのパビリオンを見るべきか事前に調べることはできない。それでもどこから聞いてきたのか、富士通パビリオンとNEC C&Cパビリオンが人気だと言われていた。三菱未来館は待ち時間が短く入ることができたが、NEC C&Cパビリオンは長い列に並んでようやく入場した。
巨大なパラボラアンテナが特徴的な建物だった。映像シアターでは、3人がタッチパネル式のディスプレイの前に座り、表示される選択肢を観客全体の多数決で選びながらストーリーが進んでいく。途中で隕石がぶつかってストーリーが一度やり直しになり、子ども心に「おい!」と思ったのを覚えている。
帰りは万博中央駅から我孫子行の「エキスポライナー」に乗ったが大混雑で、途中から快速電車に乗り換えた。鎌倉に戻るまでがやけに長く感じられた。
ポストカプセル2001というサービスも覚えている。会場内のポストに投函すると、2001年1月1日に届くというものだ。引越の予定もあり、静岡の父方の実家宛に送った。結果的に祖父母は全員健在で、2001年に静岡から届いたと連絡があったが、結局実物は見ずじまいになった。郵便物は2000年(平成12年)8月1日まで筑波学園郵便局で保管された後、川越西郵便局に移送され、発送されたそうだが、奇しくもそのとき、私は大学院生としてつくばにいた。
つくば博で入場出来たパビリオンはごくごく一部だし、当時の記憶は断片的だが、あのとき見た「未来」は、その後どうなったのだろうか。少し振り返ってみる。
まず、タッチパネルである。NEC C&Cパビリオンで実際に触ったそれは、今では当たり前の存在になっている。だが改めて思い出すと、「画面を触るだけで反応する」という体験は衝撃的だった。実用化されたのは意外と遅く、銀行のタッチパネル式ATMが登場したのは平成10年、スマートフォンが手元に来たのは平成19年である。今では券売機も電話もタッチパネルが当たり前だが、個人的にはボタンの感触が無いと不安で、誤操作も多く、正直あまり好きではない。便利になったはずなのに、どこか信用しきれない。「未来」の一つのかたちである。
磁気浮上式リニアモーターカーHSSTも会場で走っていた。つくば博ではデモ走行にとどまっていたが、その後、横浜博での運行を経て、愛・地球博に合わせて開業した東部丘陵線で実用化された。つくば博で見た未来の乗り物が、愛・地球博ではアクセス交通として使われていた。あのとき“展示”だったものが、次の万博では“足”になっていた。
通信の分野では、光ファイバーが当時から将来の技術として紹介されていた。これはその後、主力の通信手段となり、現在の社会を支えている。一方で、INSネットのように期待されながら消えていった技術もある。つくば博では未来の通信として扱われていたが、その後はADSLや光回線に押され、あっけなく姿を消した。
立体映像も未来技術の一つだった。富士通パビリオンではドームスクリーンでの立体映像が上映されていたが、私は入場できなかった。その代わり、後に横浜こども科学館で見た立体映像は、目の前に飛び出してくるような迫力で、強く印象に残っている。しかし立体映像は一時のブームにとどまり、現在はVRへと主役が移ったものの、それもまた落ち着きつつある。映像による「驚き」は、案外長続きしないものなのかもしれない。
そして、今、改めて当時のテレビ番組を見て最も驚いたのがカーナビのようなものだった。デスクトップパソコンのようなものがクルマに積まれているのは時代だが、この時代に存在したのは信じられない。GPS衛星自体は昭和53年から打ち上げられていたらしいが、完成したのは平成5年。GPSカーナビはまだ存在しなかったはずで、この当時のカーナビのようなものがどのように位置を把握していたのかが分からない。元々軍用だったGPSには意図的に誤差が加えられており、一般に普及し始めたのはこの意図的な劣化が廃止された平成12年以降である。
とにかく小学生の私にとっては未来を見た博覧会であった。でもそれ以上に思い出に残っているのは、NEC C&Cパビリオンのあの長い待ち時間である。さすがに科学技術をテーマとした博覧会にこの長い待ち時間は無かろうと、後に整理券方式になったらしいが、夏休みには今度は整理券をもらうのに2時間待ちになったとかいう話も。
その後、私は国際花と緑の博覧会(花博・平成2年)、2005年日本国際博覧会(愛・地球博・平成17年)にも足を運んだが、2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博・令和7年)には足を運ばず、国内万博連続入場も途絶えた。暑さ、人混みに足が遠のいたのに加え、何よりぜひ見たいと思うものが無かった。私も50歳が近くなり、気力・体力が衰えた上、今は「未来」にそれほど興味を持てなくなっているのかもしれない。




